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荘王の陰徳

 楚の荘王が、百余人もの臣下を集めて酒宴を開きました。日が暮れて宴もたけなわになったころ、突然、燭台の灯りが消えて暗くなってしまいました。そのとき、美人(王の側妾の官位)の着物の裾を引っ張る者がありました。美人に思いを寄せていた者のしわざか、それとも単なるいたずらか。いずれにしても、王の側妾にちょっかいを出したとあれば、ただではすみません。

 美人は、咄嗟にその者の冠を紐を切り、王に告げました。「いま灯りが消えてから、私の着物を引っ張る無礼な者がございました。私は、その者の冠の紐を切り取って、ここに持っております。早く火を点けさせ、冠の紐が切れている者をさがしてください」

 すると、王は言いました。「今夜は無礼講でみんなに酒をご馳走して酔わせ、そのために誰かが無礼を働いたのだろう。女の節操のあるところを見せようとして、人に恥ずかしい思いをさせるのは宜しくない」
 
 そこで側近の者に、「今日は愉快にやりたいから、皆に冠の紐を切らせろ」と命じ、臣下たちがみな冠の紐を切り捨てると、ようやく灯りを点けさせました。そして、その夜はみんなが楽しく過ごし、酒宴はお開きになりました。

 それから二年後、楚と晋のあいだに戦いが起きました。その戦いで、一人の臣下が、いつも先頭に立って奮戦し、五回戦闘を交えて五回とも敵の首級を手に入れる手柄を立てました。荘王はそれを賞しながらも不思議に思い、その者にたずねました。
 
「私は不徳のために、これまでお前に注意を払ったことがなかった。お前は、どうしてそれほどまでに尻込みもせず、死力をつくすことができるのか」

 その男はこう答えました。

「実は、私はすでに一度は死んだ人間です。以前に酔って無礼をはたらき、死刑にされても当然だったのに、王は、全員の冠の紐を切らせて、私を助けてくださいました。その御恩返しのために、いつかはきっと目ざましい働きをしたいと思っていたのです。あの夜、冠の紐を切られたのが、この私なのです」

〜『説苑』楚

唇滅びて歯寒し

 春秋時代、大国の晋が、「かく」という小国を伐とうとし、虞(ぐ)という小国に、軍隊が通過するのを許可してほしいと求めてきました。虞公は以前にも通したことがあったため、要請を受け入れようとしましたが、ある大臣がこれを諫めて言いました。
 
「虞は『かく』の影でございます。もし『かく』が滅びれば、虞も、必ずあとを追って滅びるでしょう。ことわざに『唇亡びて歯寒し(唇がなくなると、それに守られている歯は寒くなる)』というのは、「かく」と虞の関係のことです」
 
 けれども、虞公は、晋から贈られた宝物に目がくらみ、晋の軍隊が自国を通過するのを許可します。結果、晋は「かく」を攻略。そして、後には、虞も晋に滅ぼされることになったのでした。
 

怨みは深浅を期せず

 戦国時代のこと、中山(ちゅうざん)という小国があり、ある時、この国の王が、酒宴を開いて、国中の名士を招待しました。そのなかには、司馬子期(しばしき)という男も招かれていましたが、たまたま羊のスープが足りなくなって、彼のところまで回って来ませんでした。司馬子期はこれに激怒し、大国である楚(そ)に走り、楚王をけしかけて中山を攻めさせました。

 国を追われることになった中山の王は、「怨みは深浅を期せず。それ心を傷(そこな)うに於(お)いてす。吾(われ)、一杯の羊羹(ようこう)を以って国を失う(人の怨みを買うのは怨みが深いか浅いかではなく、その人のプライドを傷つけたかどうかだ。私は、一杯のスープで国を失ってしまった)」と、しみじみ述懐したといいます。
 

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故事成句

遼東之豕(りょうとうのいのこ)

狭い世界で育ち、世間を知らないため、自分だけが得意になっていること。ひとりよがり。

後漢王朝が創建されて間もないころ、遼東地方の人が、白い頭の豚が生まれたので、大変珍しいものだと思って天子に献上しようと河東まで来たところ、豚の群れに出会い、それがみな白い頭の豚だったので、恥じて引き返したという故事から。
 

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