言葉の由来(語源)

→あ行/か行さ行た行な・は行ま行〜

言葉の由来(語源)  

あ行

当たり前

当然であることを意味する「当たり前」は、「当然」の当て字として「当前」と書き、それを訓読みして「当たり前」になったという説。それからもう一つ説があり、昔、何人かの漁師が漁獲物を分け合うときに、仲間に渡す分を「分け前」、自分の取り分を「取り前」、そして全体の量を均等に割ったものを「当たり前」と言った。「当たり前」を受け取るのは当然の権利だったことから、今の意味に使われるようになったといいます。

あっぱれ

すぐれて見事なことで、ほめるときにも言う言葉。深いしみじみとした感動を表す「あはれ」と同源で、やがて賞賛の意味を込めて使う場合には促音化した「あっぱれ」が用いられるようになったといいます。なお漢字で「天晴れ」と書くのは当て字です。

天邪鬼(あまのじゃく)

何でもわざと人に逆らう行動をする人。古事記や日本書紀に登場する「天探女(あまのさぐめ)」という女神が由来とされます。人の心を読み取って、その意と逆のことをしたり悪戯をしたりする悪神です。また、仏教では四天王などに踏みつけられている悪鬼を「あまのじゃく 」ということから、これら2つが結びついて広まり、今の意味で用いられるようになったとされます。

一目(いちもく)置く

自分より優れた者として敬意を払うこと。囲碁で弱い者が先に石を一つ置くところから来ています。

一巻の終わり

物事の結末がついてしまうこと、手遅れで望みが亡くなること。この「一巻」というのは本ではなく、映画のフィルムのこと。今のようにデジタル化される前は、一つの映画は基本的に一巻のフィルムにおさめられており、無声映画の時代に、活動写真の弁士がこのように言って物語の終了を知らせたことから来ています。

稲妻(いなずま)

雷の発光現象をいう「稲妻」。なぜ「稲」の「妻」なのか。昔は稲の結婚相手がいなずまと信じられていて、電光が稲穂と結合して実がなると考えられたためです。

いびる

「嫁いびり」など、弱い者いじめをするときに使われる「いびる」は、キツネやタヌキの巣穴の出口で焚火をして、煙で燻り出すときの「いぶる」が変化したものです。

馬の骨

どこの誰だか素性の分らない者を示す言葉。これは中国の言い回しの「一に鶏肋、二に馬骨」が語源になっています。鶏肋は鶏の肋骨のことで、小さすぎてだしを取るのにも使えない。馬の骨は逆に大きすぎて邪魔になるばかり。

瓜(うり)二つ

親子や兄弟などの顔かたちがよく似ている様子。同じような瓜が二つあるのではなく、二つに割った瓜にたとえています。

会釈(えしゃく)

仏教用語の「和会通釈(わえつうしゃく)」の略語で、本来の意味は、互いに矛盾するような教義どうしを照合し、根本にある共通する真実の意味を明らかにし一つにまとめていくこと。そのためには相互調整やお互いへの気配りが必要となるわけで、やがて「会釈」と略し、そうした心配りそのものを示す態度の意味に変わってきました。

エッチ

性的にいやらしいさまを表現する「エッチ」は、明治20年代から女学生の間で使われだした隠語だといいます。語源は「HENTAI(変態)」。

鰻登り(うなぎのぼり)

気温や物価、評価などが見る間に上がるときなど、その急速さをたとえていう言葉。鰻が川の急流をどんどん登っていく姿をイメージするかもしれませんが、そうではなく、鰻の体はツルツルしていて、両手で掴もうとしてもどんどん上に登るばかりで降りてこない、そこから来ている言葉です。

うんともすんとも

返事などが全くないさまのことで、 打ち消しの語を伴って「うんともすんとも言わない」などと用います。「うん」は肯定の意味の返事ですが、「すん」は何かというと、これは単なる語呂合わせだといいます。

えこひいき

自分が気に入った人だけに不公平に肩入れするさまで、漢字で書くと「依怙贔屓」。「依怙」は元の「頼りにする」という意味から「一方にかたよる」に転じ、「贔屓」は非常に大きな力を発揮するという意味でしたが、他人に援助の手をさしのべることも表すようになりました。なお中国語の「贔屓」はこれと意味が異なり、龍の子供の一人とされます。

おじゃんになる

物事が中途でだめになること。江戸時代に生まれた言葉で、火事が起きたときに半鐘を鳴らして知らせ、鎮火したら「しめり」といって2回ジャンジャンと鳴らしました。 その略から生まれた言葉で、「火事が終わった」という意味から「火事ですべてがだめになってしまった」に転じて用いられるようになりました。

お局(つぼね)

意地悪なベテランの女性社員をさした言葉。江戸時代、3代将軍・徳川家光の乳母で、後に大奥の実権者となった「春日局」が語源です。

お払い箱

不用なものを捨てることを意味する「お払い箱」は、もとは「御祓箱」と書き、伊勢神宮の風習に由来しています。毎年、暮れが近づくと、おもな信者たちにお祓いを受けたお札や暦、薬などを入れた箱を配っていて、これを「御祓箱」と呼んでいました。箱は毎年新しいのが配られるため、信者たちは前年の箱に不要なものなどを入れて神社に返していました。この「祓い」がやがて「払い」となって、今のような意味になったのです。

思う壺(つぼ)

たくらんだどおりになること。昔、サイコロ賭博で、壺を振る人が出したいサイコロの目を自由に出せるような仕掛けをしていたことから。

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か行

会社

営利目的の組織・団体である「会社」は、もとは江戸時代に蘭学書を翻訳する際につくられた語で、「団体」や「集団」を意味していました。江戸末期以後は、英語の「society」の訳語として「社会」「結社」「社中」などと共に使われ、さらに明治7〜10年ごろに「society」を「社会」、「company」を「会社」と区別するようになりました。

ガタがくる

機械や体が、満足に動かなくなること。「ガタ」は故障した機械が発する「ガタガタ」という音ではなく、仏教用語から来ています。「我他彼此(がたひし)」という言葉があり、自分が他人と対立している状態を意味します。つまり物事がうまく調和していない状態。ここから「ガタピシする」「ガタがくる」となりました。

かったるい

疲れてだるいときや、もどかしいときに言う「かったるい」は、本来は、体の中の特定の部位のだるさのことでした。それは相撲でよく耳にする「かいな」、肩から肘にかけての部位で、力仕事の後などに何となくだるくなります。つまり「かいながだるい」が「かったるい」に転じたものです。

河童巻き(かっぱまき)

巻き寿司の「キュウリ巻き」を別名「河童巻き」と呼ぶのは、キュウリが河童の大好物だから。

驥尾(きび)に付す

能力のない者が優れた人のあとに付き従って、自分だけではできないようなことをやり遂げること。「驥尾」は駿馬(しゅんめ)の尾。自分自身の力では遠くまで飛べない青蠅(あおばえ)も駿馬の尾に取り付けば、一日に千里をも行くことができるという意味から来ています。

金字塔

後世に永く残るすぐれた業績のこと。語源は「金」という字に見た目が似たピラミッドです。

けちょんけちょん

こっぴどくやりこめるさま。「けちょん」の語源は、平安時代の言葉で「いちじるしく」という意味の「掲焉(けちえん)」ではないかといわれています。やがて「けちょんけちょん」と言葉を重ね、相手をとことんやり込める意味になったようです。

黒字/赤字

収入が支出より多ければ剰余金が生じ「黒字」、支出が収入より多ければ欠損が生じ「赤字」となりますが、これは西洋の簿記で通常は黒インキで記載し、欠損が出た場合は赤インキで記載していたところから来ています。

下馬評(げばひょう)

第三者によるあれやこれやの評判やうわさのこと。江戸時代、城や社寺に入るときは、門前の「下馬先」という場所で馬を下りなければならず、お供の者たちはそれより中へは入れませんでした。主人を待つ間、退屈しのぎに下馬先であれこれのうわさ話を交わしたことから、この言葉が生まれました。

けりをつける

締めくくる、色々あったことの始末をつけること。昔、五七調の文章の最後に「けり」をつけて終わる例が多かったことからできた表現。

こじつける

あまり関係ないことを無理に結びつけること。「こじ」というのは「故事」で、どんな話にもそれらしい故事をくっつけて強引に話を通そうとすること。

御託(ごたく)を並べる

自分勝手な言い分やつまらないことをくどくどと言い立てること。「御託」とは「御託宣」の略で、神のお告げのことです。それらは得てして分かりにくい内容だったり一方的に長々と述べられるところから来ています。

胡麻を擂る(ごまをする)

他人にへつらって自分の利益を図ろうとすること。あちこちに付いてへつらう様子を、すり鉢で胡麻を擂ると、胡麻が鉢の内側にくっついて離れなくなることにたとえて言われます。

金輪際(こんりんざい)

「金輪際〇〇しない」など下に打消しの語を伴って、「決して」「断じて」の意味で用いられます。仏教の世界観の一つ、宇宙論から来ている言葉で、「金輪」は地下にあって大地を支える3つの輪(三輪)の1つとされています。「三輪」とは「金輪」「水輪」「風輪」のことで、それらは縦に重なるように繋がっていて「金輪」の下に「水輪」があります。その境目を「金輪際」と言います。そうした「ぎりぎりの線」ということから「物事の極限」を意味するようになりました。

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さ行

匙(さじ)を投げる

どれほど相手のために努力しても無駄で、もはや救いようがないと見放すこと。ここでの「匙」は薬の調合に使う匙で、医者が治る見込みのない治療を断念するという意味から来ています。

ざっくばらん

心の中をさらけ出して隠し事をしないさま。「心の殻をざっくり割って、ぱらりとさらす」という擬態語から来ているようです。

鯖(さば)を読む

利益を得るために、実際の数よりもたくさんあるように言うこと、数をごまかすこと。鯖は腐りやすいので、急いで数えるために数を飛ばす場合が多いことによると言われています。

三拍子揃う

その人の名を高めるために必要な三つの条件がうまく揃うこと。「三拍子」は、小鼓・大鼓・笛など三つの楽器で拍子をとることから来ています。

しゃかりき

がむしゃらに事をするさま。漢字で書くと「釈迦力」、お釈迦さまの力によるというわけです。

シャブ

覚せい剤を表す隠語。覚せい剤の強い常習性から、売人に食い物にされ「骨までシャブられる」ことから来ています。

しゃり

白米のご飯、または酢飯のことを「しゃり」と呼びますが、もとはサンスクリット語で、漢字で書くと「舎利」、すなわちお釈迦さまの遺骨を意味します。細かく砕いた遺骨がご飯に似ていたために、こう呼ばれるようになったようです。

神経

動物の体内にあって情報伝達の役割を担う「神経」は、江戸時代に『解体新書』を訳した杉田玄白らによる造語です。精神の意の「神気」と経路の意の「経脈」とを合わせて作った言葉で、これは今も漢字圏で使われているそうです。

図星(ずぼし)

急所または人の指摘や思惑が想像していたとおりであること。「図星」とは、矢の的の中心にある黒い点のことで、この図星をねらって矢を射るところから、急所やねらいどころの意味になりました。

側杖(そばづえ)を食う

自分には関係ないことで、思わぬ災難を受ける。とばっちりを食うこと。他人がけんかしているそばにいて、打ち合う杖に誤って打たれる意味から来ています。

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た行

台無し

物事が駄目になる意味の「台無し」の「台」は、仏像を置く台座のこと。台座がなくては、仏像の威厳がなくなってしまうことから来ています。

高を括る(たかをくくる)

大したことはないと見くびること、これくらいのものだろうと軽く考えること。「高」は収穫高(石高)、「括る」はひとまとめにすることで、大名同士の戦に先だって勝敗の見込みを予測するため、相手の領地の石高を計算したことから来ています。

凧(たこ)あげ

お正月の遊びである「凧あげ」は、もとはその形から「イカあげ」と言っていましたが、江戸時代に事故が頻発したことから「イカあげ禁止令」が出されました。それでも凧をあげたい庶民は「イカではなくタコをあげている」と言い訳し、「凧あげ」になったといわれます。

タニマチ

大相撲で、力士のひいき筋・後援者のこと。タニマチの語源は、現在の大阪市中央区谷町。ここに住んでいた医者が大の相撲ファンで、力士が怪我をすると無償で治療にあたっていたことから来ています。

たまげる

「たまげる」は漢字で「魂消る」と書きます。魂が消えるほどという思いから、驚きを意味する言葉となりましたが、本来は「魂切る」と書いていて「怯える」という意味でした。

たらい回し

人や物事を他者に対応させて面倒を避ける意味の「たらい回し」は、もとは大型のたらいを足に乗せて回す曲芸のことです。何人かの曲芸師が仰向けに寝て、たらいを回しながら次々に足から足へと受け渡していくもので、このようすから今の意味になりました。

ちぐはぐ

物事がかみ合わず、調和がとれないこと。「ちぐはぐ」の「ちぐ(鎮具)」は金づち、「はぐ(破具)」は釘抜きを意味し、両方を交互に使っていては一向に仕事が進まないことから。あるいは、棟梁の手下が、金づちが必要なときに釘抜きを差し出し、釘抜きが必要なときに金づちを差し出すさまからこの言葉が生まれたといわれます。

ちょっかいを出す

わきから余計な口出しをしたりして干渉する。また、ふざけ半分に女性に手を出すこと。猫などがじゃれて前足で物をかき寄せるような動作をするのを「ちょっかい」といい、そこから来ています。

つうと言えばかあ

互いに気心が知れていて、少しの言葉だけで通じるさま。語源には諸説あるようですが、有力なのは「・・・つぅことだ」と言ったのに対し「そうかぁ」と答える間柄にあるというものです。

辻褄(つじつま)

物事の道理や筋道の意味で「辻褄が合う」とか「辻褄が合わない」と表現します。「辻」は裁縫で縫い目が十字になって交差するところ、「褄」は着物の裾の左右が合わさるところのことで、どちらもきっちり合うべきところというわけです。

出前

「出前」の「前」は「お前」のこと。お前のとこに出向くから「出前」となったわけですが、「お前(御前)」はもともと身分の高い人に対する言い方ですから、決して失礼な言い方ではありません。

堂々巡り(どうどうめぐり)

議論や思考が同じような内容の繰り返しになって、少しも先へ進まないこと。もとは祈願のために神社や寺のお堂の周りを何度も何度も回ることを意味しましたが、転じて、話が先に進まないという意味になったと言われています。

とどのつまり

物事の果て、結局のところ、という意味。「とど」はオットセイやアシカなどの海獣ではなく、出世魚の「ボラ」のこと。ボラは、稚魚のときのオボコから、スバシリ、イナ、ボラと呼び名が変わり、最後が「トド」。これ以上は無いため、そこから「とどのつまり」と言われるようになりました。なお、初々しい女子を「おぼこ娘」といいますが、これも稚魚時代の「オボコ」から来ています。

とんでもない

もってのほかだ、思いがけないの意味の「とんでもない」は、「途でもない」が変化した言葉で、「途」は道や方向のこと。

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な・は行

鳴り物入り

大げさな宣伝を行うこと。歌舞伎などの伴奏音楽として、にぎやかな鳴り物を鳴らして拍子をとるところから。

にべもない

愛想がなくそっけないこと。「にべ」はスズキ目ニベ科に属する魚の名前で、その浮袋がネバネバしていて接着剤の原料に使われ、膠(にかわ)が作られました。その粘着力の強さから、親密な人間関係を意味する言葉として使われ始め、ひどく不愛想なさまを「にべもない」と言うようになりました。

濡れ衣

無実の罪を着せられることを意味する「濡れ衣」は、8世紀ごろに起こったある事件が語源になっています。娘のいる父親と再婚した後妻は日ごろから娘の美しさに嫉妬し、ある晩、眠っている娘の枕元に、漁師の濡れた衣服を置いておきました。それを見た父親は、娘が漁師と姦淫したと思い込み、娘を殺してしまったというものです。なお、他にも説はあるようですが、これが最有力となっています。

のっぴきならない

どうにもならない。引き下がることができない。「のっぴき」は「退き引き」が変化したもので、避けることも退くこともできないの意味。

能書き

自分の優れた点や得意なことを言い立てるのを「能書きを垂れる」などと言いますが、「能書き」の元の意味は、薬の効能などを書き記した「効能書き」です。医師から薬が処方され、あれこれ効能を説明されても効き目がないことを捉え、このような意味になったとされます。

敗北

戦いに負けること。「敗北」の「北」は、負けて逃げる方角を示しているのではなく、お互いに背を向けているさまを示しています。つまり、相手に背を向ける、そこから負けて逃げるという意味になりました。

白書(はくしょ)

政府の各省庁による、所管する行政活動の現状や展望などを国民に知らせるための報告書。日本では、昭和22年(1947年)に片山内閣が発表したのが最初です。語源は、イギリス政府が発行する「white paper」の邦訳で、表紙が白いため、こう呼ばれます。

ハンバーグ

誰もが大好きなハンバーグ。起源は18世紀ごろのドイツの都市ハンブルグとされます。正式な名は「ハンバーグ・ステーキ」、ハンブルグ風のステーキというわけです。

引き出物

結婚式や祝賀パーティなどの祝い事で招待客に配られる贈呈品。平安時代のころに、馬を庭先に引き出して贈ったことに由来します。

冷やかす

相手が困ったり恥ずかしがったりするような言葉をかけてからかうことや、買う気もないのに品定めをする意味の「冷やかす」。いったい何を冷やかすのかというと、昔の浅草の紙職人さんが、古紙で再生紙を作るときに紙をしばらく水に浸して「冷やかす」処理をしていました。その間が暇になるので、近くの吉原に出かけて、買う気もない女郎の品定めをしたり、からかったりしていたといい、そこから来ている言葉です。

腑(ふ)に落ちない

納得がいかない、合点がいかないこと。「腑」は内臓器官である「五臓六腑」の六腑の「腑」、つまり胃。小腸、大腸、胆嚢、膀胱、三焦(排泄器官?)のことで、もとは、ここで消化しきれない不快感を意味しました。

別嬪(べっぴん)

美しい女性のこと。もともとは「別品」で「別格の品」、非常に優れた人や物をさす言葉でしたが、女性をさすようになってから「品」の文字が「嬪」に当てられました。「別品」という言葉は、江戸の鰻屋が「頗る別品」と売り文句を看板にして広まったといわれます。

屁の河童(へのかっぱ)

何でもないこと、何とも思わないことを表現する「屁の河童」は、本来は「河童の屁」であるはず。しかし、元は「木っ端の火」が語源です。木っ端は小さな木くずで、火がつくと簡単に燃えます。そこから、簡単であることを「木っ端の火」と言うようになり、それがやがて「河童」になり、さらに前後を逆にして「屁の河童」となりました。

包丁(ほうちょう)

中国戦国時代、宋の文恵君に仕えていた「庖丁」という料理人の名前が由来です。あるとき庖丁が、君主の前で1本の刀だけを使って牛1頭を見事に解体してみせ、さらに自身の修行のありようを説明、文恵君は大いに感心したという逸話から来ています。

亡命(ぼうめい)

主に政治的な事情によって本国から逃亡し、外国に庇護を求めること。「亡」は亡くす意、「命」は名籍、戸籍の意で、古代中国では、戸籍を抜けて姿をくらますことを意味しました。現在の意味で用いられるようになったのは明治時代になってからです。

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ま行〜

まな板

昔は魚や野菜を「な」と呼んでいましたが、やがて魚だけを区別して「まな」と呼ぶようになりました。「まな」を料理する板というので「まな板」です。

まぶい

美しいという意味の「まぶい」は、「本物」を意味する「まぶ」が形容詞化したもので、起源は江戸時代の職人などが使っていた隠語です。「まぶダチ」という言い方がありますが、本物の友達、すなわち親友のことをさします。

ミーハー

流行ににわかに熱中する人、とくに女性を嘲っていう「ミーハー」。語源には諸説あるようで、有力なのは、戦前に女の子の名前にもっとも多く使われたのが「美」と「花」の二文字だったことから、つまらない女性を揶揄して「みいちゃんはあちゃん」と呼ぶようになり、それが省略されて「ミーハー」になったというものです。

無茶苦茶(むちゃくちゃ)

まったく筋道の立たないさま。もとは接遇を表現する言葉で、お客に対しお茶も出さず、また出したとしても苦くて飲めない茶という意味から来ています。

無鉄砲(むてっぽう)

どうなるか先のことをよく考えずにむやみに行動すること。「鉄砲も持たずに敵地へ攻め込む」の意味ではなく、「無鉄砲」の字は当て字です。もとは「無点法(むてんぽう)」や「無手法(むてほう)」に由来するという説が有力です。「無点法」の「無点」とは「返り点や送り仮名が無い漢文」のことで、無点の漢文は日本人には読みにくいことから、「無点法」は「はっきりしないこと」という意味で使われるようになりました。また、「無手法」は「手に何も持っていないこと、特別な方法がないこと」を意味します。これらが変化して「無鉄砲」になったといいます。

面食らう

不意のことにとまどったり、あわてふためくこと。「橡麺棒(とちめんぼう)を食らう」の略とされます。橡麺棒は、橡(栃)の実を小麦粉などに混ぜて麺をつくる際に使う棒のことで、固まるのが早いために急いで麺棒をふるう必要がありました。その急ぎ慌てるようすから、今の意味に使われるようになりました。

もぬけの殻(から)

人がいなくなり、空っぽになったもの。「もぬけ」は、ヘビや昆虫などが脱皮する「裳抜け/蛻」、「殻」は抜け殻のこと。だから、空っぽの「空」と書くのは正しくありません。

烙印(らくいん)を押される

ぬぐい去ることのできない不名誉な評価を受けること。「烙印」は、昔、刑罰として罪人の額などに押した焼き印のことです。

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一般常識のまとめ

就職試験対策などにお役立てください。



江戸いろはがるた

 犬も歩けば棒に当たる
 論より証拠
 花より団子
 憎まれっ子世に憚る
 骨折り損のくたびれ儲け
 屁をひって尻すぼめる
 年寄りの冷や水
 塵も積もれば山となる
 律義者の子だくさん
 盗人の昼寝
 瑠莉も玻璃も照らせば光る
 老いては子に従え
 破鍋に綴蓋
 癩の瘡うらみ
 葦の髄から天井覗く
 旅は道連れ世は情け
 良薬は口に苦し
 総領の甚六
 月夜に釜を抜かれる
 念には念を入れよ
 泣きっ面に蜂
 楽あれば苦あり
 無理が通れば道理引っ込む
 ?から出た真
 芋の煮えたも御存知ない
 喉元過ぎれば熱さを忘れる
 鬼に金棒
 臭いものに蓋をする
 安物買いの銭失い
 負けるが勝ち
 芸は身を助ける
 文はやりたし書く手は持たぬ
 子は三界の首っ枷
 得手に帆を揚ぐ
 亭主の好きな赤烏帽子
 頭隠して尻隠さず
 三遍回って煙草にしょ
 聞いて極楽見て地獄
 油断大敵
 目の上の瘤
 身から出た錆
 知らぬが仏
 縁は異なもの味なもの
 貧乏暇なし
 門前の小僧習わぬ経を読む
 背に腹は代えられぬ
 粋は身を食う
 京の夢大阪の夢

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