本文へスキップ

一茶の俳句集

春の句夏の句 / 秋の句 / 冬の句

秋の句

今までは踏(ふま)れて居たに花野かな

今まではただの雑草として踏まれるばかりだったが、花が咲いて美しい野になったことだよ。(葛飾派時代の若かりし時代の作。青年一茶の意気込みを詠んだ句ともいわれる。)〔季語〕花野

(あお)のけに落ちて鳴きけり秋の蝉(せみ)

秋の蝉も、いよいよ命を終えようとしているのか。木にとまる力も失い、土の上に仰のけに落ちてジージー鳴いている。〔季語〕秋の蝉

秋風に歩いて逃げる蛍(ほたる)かな

夏の夜を彩った蛍も、秋風が吹くころになると飛ぶ力もない。風に追われてよろよろ逃げるように歩く姿は、何とも哀れでならない。〔季語〕秋風

秋立や身はならはしのよ所(そ)の窓

立秋となったが、我が身はいつもと変わらず旅の身の上で、他人様の家にいる。〔季語〕秋立

きりきりしやんとしてさく桔梗(ききょう)かな

きりっとして、しゃんと咲いている桔梗だよ。(小股の切れ上がった江戸の女の風情を詠んだという見方もある。)〔季語〕桔梗

秋の日や山は狐の嫁入り雨

さびしい秋の日、遠くの山では狐の嫁入り雨が降っているようだ。(「狐の嫁入り雨」は、日が照っているのに降る雨のこと。)〔季語〕秋の日

稲妻やうつかりひよんとした顔へ

稲妻が光ったよ。何かに気を取られ、うっかりしてる顔に。(「うつかりひよん」は、うっかりして忘れる意。)〔季語〕稲妻

松陰(まつかげ)におどらぬ人の白さかな

松陰からそっと踊りの輪を見ている、その輪に加わらずただ見ている、その白い影が見える、きっとあの人ではないか。(前書「有狐〈ゆうこ〉」。狐のような男が女を誘惑しようとする『詩経』の詩。「おどらぬ人」は、一茶が思いを寄せていた女性か。)〔季語〕季語はないが、秋の色は白。

秋の夜の独身長屋むつまじき

秋の夜、一人のはずの独身長屋に、二人いる火影が見える。仲睦まじいことだ。(前書「有狐」)〔季語〕秋の夜

有明や浅間の霧が膳(ぜん)を這(は)

夜が明けても、まだ空に月が残っている。早立ちのために食膳につくと、浅間山の方から霧が流れてきて膳のあたりを這っている。(軽井沢の旅宿で詠んだ句。)〔季語〕霧

名月をとってくれろと泣く子かな

名月を取ってくれとわが子が泣いてねだる。親として、それにこたえてやれないじれったさ。〔季語〕名月

人並に畳の上の月見かな

人並みに畳の上で月見をするありがたさよ。(前書「松山御城にて良夜」。松山藩士の宣来に招かれた月見の会で詠んだ句。)〔季語〕月見

名月の御覧(ごらん)の通り屑家(くづや)かな

下界を照らしている八月十五夜の月が御覧のように、わが家はぼろくずのようなみすぼらしいあばら家です。〔季語〕名月

名月や膳(ぜん)に這(は)ひよる子があらば

今夜は名月だ。死んだあの子が生きていて、膳に這い寄ってくるようであったなら、さぞかし楽しい夜だっただろうに。〔季語〕名月

ふしぎなり生(うまれ)た家でけふの月

不思議なことである、自分が生まれた家で今日の名月を眺めているのは。(前書「漂泊四十年」)〔季語〕けふの月

婆々(ばば)どのが酒呑みに行く月夜かな

婆どのが酒を呑みに行く、何とも明るい月夜であるよ。〔季語〕月夜

(うば)捨てた奴も一つの月夜かな

捨てられた老婆も、老婆を捨てた奴も、同じ月を悲しい思いで見ている。〔季語〕月夜

けふからは日本の雁(かり)ぞ楽に寝よ

はるばると海を渡ってきた雁よ。今日からは日本の雁だ。安心してゆっくり寝るがよい。〔季語〕雁

そば時や月のしなのの善光寺

蕎麦の花が咲く季節に、月の美しい信濃の善光寺であるよ。〔季語〕そば時

秋風やむしりたがりし赤い花

秋風が吹くころになった。あの赤い花は、死んだ「さと」が大好きで、いつもむしりたがった花だよ。(長女さとを疱瘡で失い、その墓に参った時の句)〔季語〕秋風

野歌舞伎(のかぶき)や秋の夕の真中に

野歌舞伎が演じられている、秋の夕暮れの真っ只中に。(「野歌舞伎」は、秋の収穫を終えた農民が演じる素人歌舞伎。)〔季語〕秋の夕

朝寒や蟾(ひき)も眼(まなこ)を皿にして

朝の寒さに、ヒキガエルも目を皿にして驚いている。〔季語〕朝寒

秋寒(あきさむ)や行く先々は人の家

秋も深まり寒くなってきた。しかし、私には住みつく家もなく、行く先々はみな人の家で、寂しさがいっそう増していく。〔季語〕秋寒

木曽山(きそさん)へ流れ込みけり天の川

天空を流れる天の川は、まるで木曽山に流れ込んでいるかのように見える。〔季語〕天の川

うつくしやせうじの穴の天の川

病床にある中、七夕を迎えた。障子の破れた穴をのぞくと、天の川が見える。その美しさよ。〔季語〕天の川

彦星のにこにこ見ゆる木間(このま)かな

七夕の夜は、彦星がにこにこしているような様子が、木の間から見える。〔季語〕彦星

青空に指で字を書く秋の暮(くれ)

青空に、指で字を書いている秋の暮れだが、空には何も残らない・・・。〔季語〕秋の暮

馬の子の古郷(ふるさと)はなるる秋の雨

馬の子が古郷を離れて行く、冷たい秋の雨が降る日に。〔季語〕秋の雨

秋雨やともしびうつる膝頭(ひざがしら)

外では秋雨が降っており、抱いている自分の膝頭に行燈の灯が映っている。〔季語〕秋雨

秋風や仏に近き年の程(ほど)

三歳の時から自分を育ててくれた祖母であったが、その年齢に自分も近くなってきたことだ。(祖母の三十三回忌の法要の時に詠んだ句。)〔季語〕秋風

秋風や家さへ持たぬ大男

安んじて身を置く家もない、すでに四十を過ぎた大男には、秋風が身にしみることである。(江戸の本所相生町あたりに仮寓していたころの句。)〔季語〕秋風

秋風にあなた任せの小蝶かな

秋風が吹く中、その風任せに小さな蝶が飛んでいる。〔季語〕秋風

よりかかる度(たび)に冷(ひや)つく柱かな

知人の家に寄寓している身にとっては、家の柱に寄りかかるたびに、その柱が冷たく感じられることだ。〔季語〕冷つく

一人(いちにん)と帳面につく夜寒(よさむ)かな

一人旅で安宿に泊まった。一人旅は宿の者から胡散臭く見られるもの。宿帳に「一人」と記入され、夜の寒さがいっそう身に沁みる。〔季語〕夜寒

次の間の灯(ひ)で飯を喰う夜寒かな

隣の部屋からもれる灯で飯を食う夜の寒さよ。〔季語〕夜寒

鶏の小首を曲(まげ)る夜寒かな

鶏がちょっと首を曲げている、秋の夜寒に。〔季語〕夜寒

赤馬の苦労をなでる夜寒かな

赤馬の一年の苦労をねぎらってなでてやる、夜寒の季節になったことだよ。〔季語〕夜寒

(つゆ)の世は露の世ながらさりながら

この世は露のようにはかないものだと知ってはいても、それでもやはりあきらめきれない。この世がうらめしい。(長女のさとが疱瘡で死んだときに詠んだ句。)〔季語〕露

(つゆ)の世の露の中にてけんくわかな

露のようにはかない世の中、そんな中で人が喧嘩をしていることだよ。〔季語〕露

木つつきの死ねとて敲(たた)く柱かな

啄木鳥(きつつき)がこつこつと柱をつつく音を聞くと、秋の寂寥が深く身に沁み、一瞬、死の思いが心の隅をかすめる。〔季語〕木つつき

田の雁(かり)や里の人数(にんず)はけふもへる

刈田に雁がおりる頃になってきたが、里の男たちはだんだんと里を去り、村の人数は減っていく。(信濃国では、冬場の出稼ぎがさかんに行われていた。)〔季語〕雁

小言(こごと)いふ相手もあらばけふの月

小言を言う相手もあってこその、今宵の月であることよ。(妻の菊が病死した年の秋、夜空の月を眺めながら詠んだ句。)〔季語〕けふの月

(さみ)しさに飯(めし)をくふなり秋の風

一人きりの当てのない生活、秋風に吹かれながら飯でも食って、淋しさをまぎらわせよう。〔季語〕秋の風

かな釘(くぎ)のやうな手足を秋の風

金釘のように細くて固い手足を、秋の風が吹き抜けて行く。〔季語〕秋の風

膝抱て羅漢顔(らかんがお)して秋の暮

膝を抱きながら、羅漢のような顔をしている秋の暮であるよ。(「羅漢」は「阿羅漢」の略で、仏教の最高の悟りを得て、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。)〔季語〕秋の暮

なかなかに人と生れて秋の暮

人として生まれてきたからこそ、かえって秋の暮の寂しさがしみじみと感じられるのだろう。〔季語〕秋の暮

たばこ盆(ぼん)足で尋ねる夜寒かな

こたつから出られず、足で煙草盆を探り当てる、夜の寒さよ。〔季語〕夜寒

秋の夜や旅の男の針仕事

秋の長い夜、灯の下で旅の男がひとり針仕事をしていることだ。〔季語〕秋の夜

秋の夜やしやうじの穴が笛を吹く

秋の夜、障子の穴に秋風が吹き込んできて笛を吹くよ。〔季語〕秋の夜

秋霧や河原なでしこりんとして

秋の霧に一面覆われている河原に、なでしこが凛として咲いている。〔季語〕秋霧

散るすすき寒くなるのが目に見ゆる

秋が深まり、日に日に散っていくすすきの穂。それを見ると、日ごとに寒くなってくるのが目に見えるようだ。〔季語〕すすき散る

【PR】

↑ ページの先頭へ

冬の句

むさし野や芭蕉忌(ばしょうき)八百八十寺

広大な武蔵野であるよ、芭蕉忌を営んでいる寺が八百八十もある。(芭蕉が亡くなったのは、一茶が生まれる70年前の1694年10月12日。八百八十寺は、杜朴『江南春』の「南朝四百八十寺(しひゃくはっしんじ)」のもじり。)〔季語〕芭蕉忌

寒月や喰(くい)つきさうな鬼瓦

凍てつきそうな寒月が地上を照らし、食いつきそうな鬼瓦が空を仰いでいる。〔季語〕寒月

麦ぬれて小春月夜の御寺(みてら)かな

麦の芽が雨に濡れ、小春のように暖かな夜の月がお寺を照らしている。〔季語〕小春

これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺

五尺も降り積もった雪にうずもれたこのみすぼらしい家が、自分の生涯を終える最後の住まいとなるのか。何とわびしいことか。(故郷の柏原を、わが終焉の地とした時の感慨。)〔季語〕雪

煎餅(せんべい)のやうなふとんも気楽かな

煎餅のように薄くて固い蒲団ではあるが、寝るには気楽なものだよ。〔季語〕ふとん

炉のはたやよべの笑ひがいとまごひ

炉端に臥しながらも、昨夜は笑みを浮かべながら語ったのに、その笑顔が今生の暇乞いになってしまった。(長年の親友であり、俳句で身を立てようと志した一茶を当初から庇護してくれてきた馬橋の大川立砂が亡くなったときの句。3月の末に、北陸に旅立つ一茶を見送ってくれたのに、11月に再び馬橋を訪ねると、立砂は重い病の床にあり、一茶に見守られながら亡くなった。)〔季語〕炉

心からしなのの雪に降られけり

はるばる帰ってきた故郷(柏原)の家人や村人に冷たくされ、雪が降りかかる中、心も冷え切って去っていく。〔季語〕雪

寒き夜や我身をわれが不寝番(ねずのばん)

寒い夜にふるえて眠れないが、寝ないで自分で自分の番をしていないと凍えてしまいそうだ。〔季語〕寒き夜

初雪のふはふはかかる小鬢(こびん)かな

初雪がふわふわと舞い、ほつれ髪に降りかかっている。(前書「無心所着」。「鬢」は顔の左右のほつれ毛。若い女性の小鬢に降りかかる情景か。)〔季語〕初雪

合点(がてん)して居ても寒いぞ貧しいぞ

十分に承知していても、寒いぞ貧しいぞ。〔季語〕寒い

大根(だいこ)引き大根で道を教へけり

畑で大根を引き抜いている人に道を尋ねたら、今抜いたばかりの大根で道を指して示してくれた。〔季語〕大根引き

しなのぢの山が荷になる寒さかな

信濃路の山々を見上げると、思い荷のようにそびえ立ち、寒さがいっそうつのる。(前書「臼井峠」とあり、中山道の難所である碓氷峠から、これから向かう信濃路を見て詠んだ句。)〔季語〕寒さ

生き残り生き残りたる寒さかな

しぶとく生き残っているからこそ、感じることのできる厳しい寒さであるよ。〔季語〕寒さ

母親を霜よけにして寝た子かな

母親を霜よけのようにして、子は眠ってしまったのだな。(前書「橋上乞食」)〔季語〕霜よけ

ひいき目に見てさへ寒きそぶりかな

どうひいき目に見ても、自分の姿は寒そうでみすぼらしいことだ。(ほかに「ひいき目に見てさへ寒し影法師」「ひいき目に見てさへ寒き天窓〈あたま〉かな」などの句もある。)〔季語〕寒き

三度(さんど)くふ旅もったいな時雨雲(しぐれぐも)

旅先で人の厄介になりながら三度の飯が食えるのは、芭蕉翁のきびしい旅を思うと、もったいないことだ。(芭蕉の漂泊をしのんで詠んだ句。芭蕉忌は時雨の降る時期で、時雨忌ともよばれる。)〔季語〕寒き

雪ちるやきのふは見えぬ借家札(しゃくやふだ)

雪がちらつく町筋を歩いていると、昨日までは人が住んでいたはずの家に借家札が貼られている。一夜のうちにどこかに行ってしまったのだろうか。〔季語〕雪

ゆで汁(じる)のけぶる垣根(かきね)やみぞれふる

冷たい霙(みぞれ)の降る中を行くと、垣根ごしに、あたたかい汁をゆでる匂いが漂ってくる。〔季語〕みぞれ

わが門(かど)へ来さうにしたり配り餅(もち)

お隣ではもう餅つきをして近所へ配っている。次は自分の家へ来るだろうと思っていると、素通りしてしまった。〔季語〕配り餅

はつ雪や是(これ)もうき世の火吹竹(ひふきだけ)

初雪が降っている。これも幸い冬の世の始まりとばかりに火吹き竹で火を起こす。〔季語〕はつ雪

一尺の子があぐらをかくいろりかな

わずか一尺の幼子があぐらをかいている囲炉裏であるよ。(一尺は約33センチ。)〔季語〕囲炉裏

うまさうな雪がふうはりふうはりと

空の上から、うまそうなぼたん雪が、ふうわりふうわりと降ってくることだ。〔季語〕雪

三絃(さみせん)のばちで掃(は)きやる霰(あられ)かな

床に転がった霰のつぶを、三味線のばちで、さっと掃いて落としたよ。(前書「湯のある所は山陰ながら、糸竹の声常にして、老の心もうき立て、さながら仙窟に入りしもかくやあらん覚ゆ。十娘五婢の舞ひ、遊女くぐつの声、時ならぬ花の咲心ちす。彼上人のぼさつと見給ふもむべなる哉。此楼に上れば、一時衆苦を忘る。不思議の別世界なりけり」。「仙窟」は唐代に書かれた伝奇小説『遊仙窟』のことで、神仙窟に迷い込んだ男が仙女の歓待を受けた話。この句は長野県の湯田中温泉での作で、遊女が三味線のばちで霰を掃いた何気なくも粋な行為を捉えたもの。)〔季語〕霰

山寺や雪の底なる鐘の声

しんしんと降り積もる雪の中、山寺の鐘の声が、雪の底から響いてくる。〔季語〕雪

雪の夜や苫屋(とまや)の際(きわ)の天の川

雪の降りそうな凍てつく夜、粗末な家々の間にのぞいて見える天の川が美しい。〔季語〕雪

裏壁(うらかべ)やしがみつきたる貧乏雪

家の裏壁に、雪がしがみつくようにべったりとくっついている。家がみすぼらしいので、雪までもが貧乏くさく見えることだ。〔季語〕雪

木がらしや廿四文(にじゅうよもん)の遊女小屋

木枯らしが吹きすさんでいる、二十四文の遊女小屋に。(前書「護持院原〈ごじいんがはら〉」。享保2年に護持院が焼失した後、火除け地となった跡地に最下等の粗末な遊女小屋が建てられた。二十四文は今の600円程度。)〔季語〕木がらし

玉霰(たまあられ)夜鷹(よたか)は月に帰るめり

玉のような霰が降り注ぐ。夜鷹は淋しくも月に帰っていったのだろうね。(「夜鷹」はゴザ一枚を持って客引きするような下等な娼婦。一茶は「天女」に近いイメージになぞらえている。)〔季語〕玉霰

雪ちるや七十顔(しちじゅうがお)の夜(よ)そば売(うり)

雪がちらつく中、七十歳くらいの顔をした男が夜蕎麦を売っている。〔季語〕雪

雪ちるや友なし松のひねくれて

雪が散るなか、友のいない松がひねくれて曲がっている。〔季語〕雪

次の間(ま)の灯(ひ)で膳(ぜん)につく寒さかな

一人旅の宿では、部屋に灯りさえもつけてくれないので、次の間からほのかにもれてくる灯りをたよりに膳に向かう。何ともわびしいことだ。〔季語〕寒さ

早だちのかぶせてくれし蒲団かな

朝早く宿を出発した人が、自分の蒲団をかぶせてくれていた、そのぬくもりよ。〔季語〕蒲団

づぶ濡(ぬ)れの大名を見る炬燵(こたつ)かな

冷たい雨が降るなか、大名行列がずぶ濡れになって通り過ぎていく。何と大変なことだ。障子の隙間からのぞき見ているこちらは暖かい炬燵の中だというのに。〔季語〕炬燵

ともかくもあなたまかせの年の暮(くれ)

あれこれ考えたところでどうにもならない。この年の暮れも、すべてを仏さまにお任せするよりほかにない。〔季語〕年の暮

思ふ人の側へ割込む炬燵(こたつ)かな

思う人の側に近寄り、割り込んで入る炬燵であるよ。(前書「思恋」)〔季語〕炬燵

椋鳥(むくどり)と人に呼ばるる寒さかな

故郷の柏原を出てきたものの、あいつはこの寒い冬に、のこのこと出稼ぎにいく、まるで椋鳥だなどと人が陰口をたたく。寒さがますます身にしみる。(「椋鳥」は、江戸へ出稼ぎに出る信濃人に対する蔑称)〔季語〕寒さ

雪散るやおどけもいへぬ信濃空(しなのぞら)

雪がちらちら降ってきた。江戸では雪を見て冗談も言えるが、ここは雪国の信濃。大雪を前にしてそれどころではない。〔季語〕雪

おとろへや榾(ほた)折りかねる膝頭(ひざがしら)

自分も年を取ったものだ。若いときには膝頭(ひざがしら)で薪(まき)を折っていたものだが、もうできない。〔季語〕榾

初霜や茎(くき)の歯ぎれも去年まで

初霜のころに食べごろとなる茎漬(くきづけ)なのに、今年は歯が悪くなり、歯切れよく嚙み切ることができない。(茎漬はかぶや大根の茎や葉を漬けたもの。)〔季語〕初霜

拾ひ足袋(たび)しつくり合ふが奇妙なり

拾った足袋が、自分の足にしっくり合うのが奇妙であるよ。〔季語〕足袋

寒垢離(かんごり)にせなかの竜の披露(ひろう)かな

寒垢離の修行で、若者が背中に彫った竜を披露している。(「寒垢離」は、寒中に冷水を浴びて神仏に祈願する荒行。)〔季語〕寒垢離

かじき佩(はい)て出ても用はなかりけり

かんじきを履いて外へ出たところで、これといった用もない。(「かじき」は、雪の中を歩くために靴の下に履く道具。「かんじき」とも。)〔季語〕かじき

雪車(そり)(おう)て坂を上(のぼ)るや小さい子

橇(そり)で滑り降りると、またその橇を背負い、息弾ませて上って行くよ、元気で小さい子が。〔季語〕雪車

雪仏(ゆきぼとけ)犬と子どもが御好(おすき)かや

雪仏よ、犬と子どもがお好きなのかな。(「雪仏」は、雪を固めて作った仏像、雪だるま。)〔季語〕雪仏

(ひと)(そし)る会が立つなり冬籠(ふゆごもり)

冬籠りの生活が始まり、暖かい所に寄り集まると、何かと他人の悪口が話題になる。〔季語〕冬籠

とく暮れよことしのやうな悪どしは

早く暮れよ、今年のような悪い年は。(この年の10月に長野の善光寺町で起こった打ち壊し騒動を背景にして詠んだ句。)〔季語〕暮れ

年の市(いち)何しに出たと人のいふ

年末の市に何をしに出てきたのだと人が言う。(前書「浅草市にゆく」)〔季語〕年の市

下戸の立たる蔵もなし年の暮

下戸が建てたらしい蔵も見えない、年の暮であるよ。(酒を飲まない下戸は蔵でも建てそうなものだが、建てることはないといって、酒飲みの自分を弁護している。)〔季語〕年の暮

正月の待遠しさも昔かな

正月が来るのを待ち遠しく思っていたのも、昔のことだなあ。〔季語〕正月待つ

霜がれや米くれろとて鳴く雀(すずめ)

草木が霜にあって枯れているなか、雀が鳴きながら餌をあさっている。米をねだっているかのようだ。(前書「隋斎旧迹〈ずいさいきゅうせき〉」とあり、一茶の庇護者であった夏目成美〈隋斎は号〉の旧居を訪れた時の句。雀を見て、かつて庇護を受けていたころの自分を思い出し、亡き成美の俤を懐かしんでいる。)〔季語〕霜がれ

湯に入て我身となるや年の暮

湯に入って、ようやく自分の身が戻ってくる年の暮であるよ。〔季語〕年の暮

うつくしや年暮れきりし夜の空

今年もいよいよ暮れていく。なんと美しい夜空であるよ。〔季語〕年の暮

※順不同。なお、ふりがなは現代仮名遣いによっています。

 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

【PR】

正岡子規による一茶評

 正岡子規は、『一茶の俳句を評す』を著し、一茶の俳句について次のように述べています。――

一茶の俳句の特色は、主として滑稽(こっけい)、諷刺(ふうし)、慈愛(じあい)の三点にあり、中でも滑稽は一茶の独擅(どくせん)に属し、しかもその軽妙さは俳句界数百年間でも、似た者さえ見当たらない。滑稽の例としては、

春雨や喰はれ残りの鴨がなく

下谷(したや)一番の顔して更衣(ころもがえ)

大根引大根で道を教えけり

寒念仏さては貴殿でありしよな


 さらに、滑稽の手段として多く擬人法を用いており、その句の多さに驚く。その例としては、

庵の雪下手な消えやうしたりけり

あさら井や小魚と遊ぶ心太(ところてん)

罷(まか)り出でたるは此藪の蟇(ひき)にて候

名月の御覧の通り屑家かな

其分にならぬならぬと蟷螂(とうろう)かな

行く秋を尾花がさらばさらばかな


 たとえ滑稽を意匠としてない句であっても、なお多少の滑稽を帯びているのは、その滑稽が深いためである。その例としては、

陽炎(かげろう)や手に下駄はいて善光寺(ぜんこうじ)

春日野の鹿に嗅(か)がるる袷かな

朝顔や人の顔にはそつがある

一文に一つ鉦(かね)打つ寒さかな


 一茶は熱血の人で、一方において人を罵ると共に、一方において極めて人を愛した。彼の句には、子供の可憐な様子を詠んだものが極めて多い。ただ俳句として見るべきものは少なく、これは、情が勝って筆がこれに随(したが)ってこなかったためか。子供のことだというので、情が激し心が躍り、句作にも推敲を費さなかったものと思われる。その慈愛心は動物にも及んでおり、その例としては、

雀子や川の中にて親を呼ぶ

竹にいざ梅にいざとや親雀

行け蛍とくとく人の呼ぶ内に

やれ打な蠅が手をする足をする

母馬が番して飲ます清水かな


 形式における特色は、俗語を用い、多少の新潮をなしていところ点にある。俗語を用いているのは最も著しい点で、滑稽と相まって用をなしている。その例としては、

傘(からかさ)にべたりとつきし桜かな

昼の蚊やだまりこくつて後から

稲妻やうつかりひよんとした顔へ

梟(ふくろう)よのほほん所か年の暮


 新潮とは、七五五調および十七字の変調等であ。その例としては、

桜桜と唄はれし老木かな

目ざす敵は鶏頭よ初時雨

きりきりしやんとして咲く桔梗かな

下谷(したや)一番の顔して更衣


 このほか真面目な句には佳作が多い。その例としては、

霞む日やしんかんとして大座敷

茶も摘みぬ杉もつくりぬ岡の家

大蛍ゆらりゆらりと通りけり

大寺は留守の体なり夏木立

大寺の片戸さしけり夕紅葉

有明や浅間の霧が膳を這ふ

木瓜(ぼけ)の株刈り尽されて帰り花

夕月や御煤(おすす)の過ぎし善光寺


(小林一茶)

俳句の用語

一物仕立
単一概念(一つの素材、ことば)によって断絶(句切れ)なく作ること。

歌仙
長句と短句を交互に36句連ねた俳諧の連歌の一形式。

季重なり
一句のうちに2つ以上の季語が含まれること。

季語
俳句の中で、その季節を表すことばとして用いられるもの。「季題」とも呼ばれる。

切れ字
句中または句末に用いて、句に曲折をもたせたり、特別に言い切る働きをしたりする語。 終助詞や用言の終止形・命令形などが多い。 「や」「かな」「けり」など。

吟行
俳句を作るために実景を見に、また季題と出会うため外へ出て行くこと。

句またがり
読みが5・7・5音でなく、他の文節にまたがっている、7・5・5のような句。

兼題
歌会・句会などを催すとき、あらかじめ出しておく題。また、その題で詠んでおく歌・句。

口語俳句
定型を重視する文語俳句に対して、話し言葉で書かれた俳句。

歳時記
季題、季語を月別、四季別に分類して解説、例句を加えたもの。

雑詠
詩歌や俳句で、特に題を決めずによむこと。また、その作品。

さび
「しおり」とともに代表される蕉風俳諧の根本理念。閑寂味の洗練されて純芸術化されたもの。句に備わる閑寂な情調。

字余り
5・7・5、計17音の定まった形よりも字数の多い俳句。

しおり
「さび」とともに代表される蕉風俳諧の根本理念。人間や自然を哀憐をもって眺める心から流露したものがおのずから句の姿に現れたもの。

字足らず
5・7・5、計17音の定まった形よりも字数の少ない俳句。

自由律
5・7・5の17音や季語といった定型の制約に制限されることなく、感じたままを自由に表現する長短自由の型の俳句。

嘱目
実際に見た景色、目に触れたものを題材として俳句を作ること。

席題
句会の席で出される題のこと。

川柳
季題・切れ字を使わない17音の定型詩。 世相・人事・人情を軽妙に詠むところに特徴がある。「穿ち」「おかしみ」「かるみ」がその三要素。

即吟
句会の席で出された題を即席で詠むこと。

題詠
句会などで季語や言葉を題にして俳句を作ること。雑詠や自由詠に対して言う。

多行俳句
俳句を3行ないし4行の多行書きで表記する形式。昭和時代の俳人・高柳重信が創出した。

投句
短冊など所定の用紙に俳句を書いて、句会や雑誌等に出すこと。

倒句
意味を強めるために、普通の語法の位置を逆にして置いた句。

二句一章
句中に切れがあり、相互になんの関連がないものを一句に仕立てる句。「一句一章」は句中にそういう切れがなく一つの事柄を表している句。

俳諧
俳句(発句)・連句の総称。広義には俳文・俳論を含めた俳文学全般を指す。

俳壇
俳人の仲間。俳句を作る人々の社会。

破調
各文節の決まった音数に多少が生じること。字余り、字足らずなど。

披講
俳句会の席上で選句された俳句を読み上げたり発表すること。

発句
連歌・連句の第一句目。5・7・5の17音からなる。また、それが独立して一つの詩として作られたもの。正岡子規により俳句として独立した。

前書き
俳句の前に付して、其の俳句に付け加えることば。俳句のつくられた場所や月日を記す場合が多い。

無季
一句の中に季語がないこと、またその俳句。

余韻/余情
物事が終わった後になお深く残っている風情、また表現の外に漂う情趣。表現を抑えて、心を内に込め、あらわにしないのは、余韻、余情につながる。

わび
茶道や俳諧などでいう閑寂な風趣。外観的あるいは感覚的な装飾美を否定し、精神的余情美を追求しようとする芭蕉のすべてを貫いた根本的理念の一つ。

一茶の俳句集

【PR】