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芭蕉の俳句集

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 芭蕉の俳句集

春の句

春立つや新年ふるき米(こめ)五升(ごしょう)

新年を迎えることができ、草庵には五升ほどの米の蓄えもあるが、この米も今日からは去年の米であるよ。〔季語〕春立つ

天秤(てんびん)や京江戸かけて千代の春

京と江戸を天秤にかけてみると、どちらが栄えているとも言い難い。まことにめでたい新春である。〔季語〕千代の春

年は人にとらせていつも若夷(わかえびす)

若夷はいつも若くて年をとらない。代わりに人に年をとらせるばかりで。(「若夷」は神に刷られた恵比寿像のこと。元旦に若夷を門などに貼る慣わしがあった。)〔季語〕若夷

庭訓(ていきん)の往来(おうらい)(た)が文庫より今朝の春

今朝は、どこの子の文庫から庭訓往来を出して、新年は明けるのだろう。(「庭訓往来」は、往復の手紙の形式の、寺子屋で習字や読本として使用された教科書の一つ。その巻頭には年賀の挨拶文が掲載されていた。「文庫」は庭訓往来を入れておく箱。)〔季語〕今朝の春

春たちてまだ九日の野山かな

年が明けてまだ九日目の早春の野山は、冬の名残りを濃く残しながらも、どこかかすかに春の気配が漂っている。〔季語〕春たつ

(こも)を着て誰人(たれびと)ゐます花のはる

正月に着飾った人が出歩いているなか、薦を着た乞食(こつじき)姿の人がいる。どなたなのだろう、あの世捨て人は。〔季語〕花のはる

山里(やまざと)は万歳(まんざい)遅し梅の花

辺鄙な山里は万歳も遅い。正月も半ばを過ぎ梅の花が咲く今頃、やっと来たことよ。(郷里の伊賀で詠んだ句。「万歳」は、新年に、烏帽子姿で家々を回って、門前で賀詞を述べ、鼓を打って舞う者のこと)〔季語〕万歳、梅の花

春なれや名もなき山の薄霞(うすがすみ)

もう春なのか、あの名もない平凡な山々にもうっすらと霞がかかっている。〔季語〕春、薄霞

おもしろや今年の春も旅の空

今年の春も旅に出て他国の空の下にいることだろう、今から楽しみだ。(この句を作った年の春〈元禄2年3月下旬〉に、芭蕉は『おくの細道』の旅に出た。)〔季語〕今年の春

この梅に牛も初音(はつね)と鳴きつべし

このみごとな梅に、鶯だけでなく、天神様ゆかりの牛だって鳴き始めるだろう。(京の天満宮への奉納俳諧として詠んだ句。)〔季語〕梅、初音

(むめ)が香(か)にのつと日の出る山路(やまじ)かな

まだ夜の明けぬうちに、山道にかかって歩いていると、梅の香りに誘われたのか、山並みの向こうから朝日がのっと顔を出したよ。〔季語〕梅

月待ちや梅かたげ行く小山伏(こやまぶし)

どこかの月待の講に招かれたのであろう、若い山伏が、土産の梅の小枝を肩に担いで行く。(「月待の講」に招かれて、門前を小山伏が梅の枝を肩に担いで通っていくのを見て詠んだ句といわれる。「月待の講」は、月の出るのを待ち、供物を供え酒宴歌舞する行事)〔季語〕梅

水取りや氷の僧の沓(くつ)の音

お水取りの僧の沓の音が、寒夜の静寂の中にひときわ高く響きわたる。(「お水取り」は、東大寺二月堂で行われる、修二会という法会のうちの一行事)〔季語〕水取り

はだかにはまだ衣更着(きさらぎ)のあらしかな

寒風が吹きすさんでいて、とても裸になれそうもない。(増賀上人が伊勢神宮を参拝したとき、私欲を捨てろという神の示現を得て、着ていたものを全部脱いで門前の乞食に与え、裸になって帰途についたという故事をふまえている。「衣更着」は重ね着のこと)〔季語〕衣更着

(うぐいす)や餅(もち)に糞(ふん)する縁(えん)の先

縁の先にかき餅を広げて干していると、庭先にいた鶯が飛んできて、糞をして飛び去った。〔季語〕鶯

あこくその心も知らず梅の花

阿古久曾(あこくそ)は「人はいさ心も知らず」と詠ったけれども、昔と変わらず咲く梅の花のように、人も昔のままに温かく迎えてくれるよ。(阿古久曾は、紀貫之の幼名。「人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香に匂ひける」の歌を踏まえている。)〔季語〕梅の花

暖簾(のうれん)の奥ものふかし北の梅

暖簾の奥に北の裏庭が見える。梅の花が清らかに咲いており、奥ゆかしい風情だ。(前書「一有が妻」。一有〈いちゆう〉は伊勢の医師・俳人で、その妻は同じく俳人の園女〈そのめ〉。一有宅に招待されたときに詠んだ句。屋敷の北側に妻女の部屋があり、園女の人柄をたたえている。)〔季語〕梅

よくみれば薺(なずな)花さく垣(かき)ねかな

ふと目をとめて見れば、垣根のほとりに、薺が白く小さな花をつけている。〔季語〕薺の花

花の顔に晴れうてしてや朧月(おぼろづき)

いまを盛りに咲いている桜の顔の美しさに気後れしてか、月はおぼろに顔を隠したさまであるよ。〔季語〕花、朧月

初桜(はつざくら)折しも今日は能日(よきひ)なり

折しも今日は桜が開花し、会にふさわしい良い日になりました。(郷里伊賀上野の薬師寺で催された月例連句会の初会合で詠んだ句)〔季語〕蛙

八九間(はっくけん)空で雨ふる柳かな

降りみ降らずみの春雨だけれども、八、九間もある大きな柳の上のほうにだけは雨が降っているように見える。(「八九間」は、高さではなく幅か。陶淵明の詩『帰園田居』の「草屋八九間 楡柳蔭後簷」を踏まえているとされる。)〔季語〕柳

不精(ぶしょう)さや掻(か)き起(おこ)されし春の雨

春雨の物憂さに朝寝坊をしていて、家人に抱き起こされる不精さよ。〔季語〕春の雨

(おとろい)や歯に喰(くい)あてし海苔(のり)の砂

海苔に混ざった砂を歯に噛みあてて、そのジャリッとした感じがひどくこたえた。若いころには何でもなかったのに。〔季語〕海苔

紅梅(こうばい)や見ぬ恋作る玉簾(たますだれ)

美しい簾のかかった屋敷に、紅梅が咲き誇っている。見たこともない家人に恋心が募ることだ。(玉簾の「玉」は美称。)〔季語〕紅梅

(うぐいす)の笠(かさ)(おと)したる椿(つばき)かな

鶯が鳴いているさなかに、椿がぽとんと落ちた。まるで鶯が落としたかのように。〔季語〕椿

辛崎(からさき)の松は花より朧(おぼろ)にて

歌枕として名高い辛崎の松は、山桜よりもおぼろげに見えて、何ともいえない趣きだ。(前書「湖水の眺望」。辛崎は近江八景の一つ。)〔季語〕花、朧

さまざまの事おもひ出す桜かな

庭前に咲く桜の花を見るにつけ、ありし日のさまざまのことが思い出されます。(芭蕉の旧主、藤堂良忠の遺子良長の別邸に招かれて詠んだ句)〔季語〕桜

姥桜(うばざくら)さくや老後の思ひ出(いで)

姥桜がみごとに咲いている。老後の名誉にひと花咲かせてみよう、と老女が華やいでいるようなものだろうか。〔季語〕姥桜

きてもみよ甚兵(じんべ)が羽織(はおり)花衣(はなごろも)

自慢の甚平羽織を花見の衣として来てごらん。さすがの羽織も花のみごとさにはかなうまい。(甚平羽織は、袖のない羽織で、このころモダンなスタイルとされた。)〔季語〕花衣

(こ)のもとに汁も鱠(なます)も桜かな

木の下で酒肴を広げて花見をしていると、汁にも鱠にも、桜の花びらがはらはらと散りかかってくる。〔季語〕桜

春盛り山は日ごろの朝ぼらけ

花ざかりの吉野だが、いつもと変わらない山の夜明けだ。(前書「芳野」)〔季語〕花盛り

春の夜や籠(こも)り人(ど)ゆかし堂の隅(すみ)

春の夜、籠り人が、灯明がゆらめくお堂の隅で、黙然と祈っている。何とも慕わしい光景であるよ。(前書に「初瀬」とあり、恋の願いを聞いてくれるという初瀬観音のある地。籠り人は男だろうか、女だろうか。)〔季語〕春の夜

丈六(じょうろく)にかげろふ高し石の上

廃墟となった新大仏寺の石台に、ありし日の丈六の尊像はなく、ただ高く陽炎が燃え立っているばかりである。(新大仏寺は三重県伊賀市にあった寺で、当時は山崩れによって埋没していた。「丈六」は、釈迦の身長が1丈6尺〈約4.85m〉あったというところから、1丈6尺。また、その高さの仏像のこと。)〔季語〕かげろふ

春雨や蜂(はち)の巣(す)つたふ屋根の漏(もり)

春雨がしとしとと降っている。ぼんやり外を見ていると、屋根のはしにぶら下がった去年の蜂の巣があり、それを伝って雨の雫(しずく)が滴り落ちている。〔季語〕春雨

春雨の木下(こした)につたふ清水(しみず)かな

春雨が木々の枝を伝って下に流れ落ちている。その雫がやがて清水になっていくのだな。(前書「苔清水」)〔季語〕春雨

古池や蛙(かわず)(とび)こむ水のおと

晩春の一日、森閑とし静まりかえっている古池に、一匹の蛙が飛び込む音がした。〔季語〕蛙

雲雀(ひばり)より空にやすらふ峠(とうげ)かな

雲雀が飛ぶ空よりさらに高い峠で休んでいると、はるか下の方から雲雀の鳴く声が聞こえてくる。(前書「臍峠(ほそとうげ)」。臍峠は奈良県吉野町にあって、多武峰から龍門岳の麓に出る峠。)〔季語〕雲雀

山路(やまじ)来て何やらゆかしすみれ草

山路をたどるうち、ふと道端に可憐な菫(すみれ)の花を見つけた。その花の色に何やら心がひきつけられる。(前書に「大津に至る道、山路をこえて」とある。)〔季語〕すみれ

ほろほろと山吹(やまぶき)ちるか滝の音

滝の音が鳴り渡るなか、盛りを過ぎた山吹の花がほろほろとこぼれ散っている。(前書「西河」。「西河」は、奈良県吉野郡川上村にある吉野川の急流。)〔季語〕山吹

日は花に暮(くれ)てさびしやあすならふ

花の盛りも過ぎ、日が暮れていくのはさびしいが、そのそばで、「明日は檜になろう」とて立ち尽くす翌檜(あすなろ)を見ると、言いようもなく寂しさが増す。〔季語〕花

花の雲(くも)(かね)は上野か浅草か

深川の草庵から対岸を眺めると、一帯に花が雲と見まがうほど咲き誇っている。響いてくる鐘の音は、上野(寛永寺)のものとも浅草(浅草寺)のものとも聞き分けられない。(前書「草庵」)〔季語〕花の雲

観音(かんのん)のいらか見やりつ花の雲

遠く浅草観音のほうを眺めると、桜の花が雲のように咲き連なっているなかに、観音堂の屋根瓦が見える。〔季語〕花の雲

四方(しほう)より花(はな)吹入(ふきいれ)てにほの波

琵琶湖を囲む四方はみな桜が満開で、その散る花びらが吹雪となって吹き入れてくる。(前書に「酒落堂記」とあり、大津市膳所の門弟・酒堂の家からの眺望を詠んだ句。「にほ」は「鳰の海」の意で、琵琶湖の雅語。)〔季語〕花

父母(ちちはは)のしきりに恋し雉(きじ)の声

雉が鳴いているのを聞いていると、父母のことがしきりに恋しく思われる。(前書「高野」。高野山に詣でたときの句。)〔季語〕雉子

山吹(やまぶき)や宇治の焙炉(はいろ)の匂(にお)ふ時

宇治川の川べりに山吹の花が咲いている。焙炉から茶の香りが流れてくる時節であるよ。(前書「画賛」とあるが画は未詳。宇治で詠んだ句かどうかは不明。「焙炉」は製茶用の乾燥炉。)〔季語〕山吹

行く春を近江(おうみ)の人と惜(お)しみける

琵琶湖のほとりの過ぎ行く春を、近江の人たちと一緒に、心ゆくまで惜しんだことだ。〔季語〕行く春

行く春に和歌の浦にて追ひ付きたり

過ぎ去ろうとしている春に、ようやく和歌の浦で追いつくことができたよ。(和歌の浦は和歌山県の海岸。)〔季語〕行く春

入りかかる日も糸遊(いとゆう)の名残りかな

沈もうとする夕日に、陽炎(かげろう)もまた淡くなって消えようとしている。(「糸遊」は陽炎のこと。)〔季語〕糸遊

躑躅(つつじ)生けてその陰に干鱈(ひだら)(さ)く女

つつじが活けてあり、その傍らで、宿の女が客に出すための干鱈を割いている。(前書「昼の休らひとて旅店に腰を懸けて」)〔季語〕躑躅、干鱈

船足(ふなあし)も休む時あり浜の桃(もも)

浜辺に桃の花が咲いていて、のどかな風景だ。沖を通る船も時々船足を休めている。〔季語〕桃の花

草臥(くたびれ)て宿(やど)かる比(ころ)や藤の花

一日歩き続け、くたびれてきて、そろそろ宿を求める日暮れとなってきた。ふと気づくと、藤の花が見事に咲いている。(前書に「大和行脚のとき」とある。)〔季語〕藤の花

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夏の句

杜若(かきつばた)似たりや似たり水の影

杜若の影が水面に映っている。本物と見分けがつかないほどだ。〔季語〕杜若

卯の花やくらき柳の及(および)ごし

真っ白な卯の花に及び腰で触れようとしているのか、暗く茂った柳が枝を揺らせている。〔季語〕卯の花

岩躑躅(いわつつじ)染むる涙やほととぎ朱(しゅ)

岩躑躅の真っ赤な色は、ほととぎすの涙で染めたのだろうか。(蜀の国を再興して王となった杜宇が亡後ほととぎすに化身し、蜀が秦に滅ぼされたのを知って鳴きながら血を吐いたという故事をふまえている。芭蕉24歳の句。)〔季語〕ほととぎす

灌仏(かんぶつ)の日に生(うま)れあふ鹿(か)の子かな

釈迦の誕生日に生まれ合わせるなんて、何と幸せな鹿の子であるよ。(灌仏は灌仏会のことで、旧暦4月8日。奈良で詠んだ句。)〔季語〕灌仏、鹿の子

草の葉を落つるより飛ぶ蛍(ほたる)かな

草の葉を伝い歩きしていた蛍が、葉先からこぼれ落ちるやいなや飛び立った。〔季語〕蛍

楽しさや青田に涼む水の音

一面の青田を前に、水を引く音を聞きながら涼んでいる楽しさよ。〔季語〕青田

たけのこや稚(おさな)き時の絵のすさび

竹の子を見ると、幼いころにその絵を描いて遊んでいたことが思い出される。(「すさび」は遊び事、慰み。)〔季語〕竹の子

この蛍(ほたる)田毎(たごと)の月とくらべみん

川面を埋め尽くすほどの蛍の光を、これから行く信州の田毎に映る月と比べてみたいものだ。(木曾へ向かう途中で大津にとどまり、瀬田の蛍を見に出かけたときの句。「田毎」は、信州姨捨山の斜面に小さく区切ってつくられた棚田。田の一つ一つに映る月と比べたいと言っている。))〔季語〕蛍

牡丹蘂(ぼたんしべ)深く分け出(い)づる蜂の名残りかな

牡丹の花の奥にもぐって蜜をもらった蜂が、蕊(しべ)をかき分けて出てきて飛び立つ。その名残り惜し気なことよ。(前書「二たび桐葉子〈とうようし〉がもとにありて、今や東に下らんとするに」。桐葉子は熱田の富豪で門人の林七左衛門。ここでは芭蕉を蜂に、七左衛門を庭の牡丹にたとえ、感謝をあらわした惜別の句。)〔季語〕牡丹

風月(ふうげつ)の財も離れよ深見草(ふかみぐさ)

深見草(牡丹)はそれだけで素晴らしいのだから、風月などの財の助けからは離れるがよい。〔季語〕深見草

紫陽花(あじさい)や藪を小庭(こにわ)の別座敷

この別座敷の小庭は藪そのままの眺めだが、折から紫陽花の青い花が咲いていて、とても趣深い。(芭蕉が江戸から帰郷する際、深川の子珊亭の別座敷で開かれた歌仙で詠んだ句。)〔季語〕紫陽花

ほととぎす大竹藪(おおたけやぶ)をもる月夜

大きな竹が鬱蒼と茂っている竹林にも、竹の葉の間から月の光がもれている。折しも藪の上を、ほととぎすが鳴きながら飛んで行った。〔季語〕ほととぎす

麦の穂を力につかむ別れかな

別れの悲しさに立っていられず、麦の穂をつかんで、ようやく体を支えている。(前書「元禄七、仲夏のころ、江戸を出で侍りしに、人々送りけるに申し侍りし」とあり、故郷の伊賀上野へ帰るため江戸を出立するときに詠んだ句。)〔季語〕麦の穂

五月雨(さみだれ)の空(そら)吹き落(おと)せ大井川(おおいがわ)

重く垂れこめた五月雨の空を、大井川よ、吹き飛ばしておくれ。(帰郷の旅の途中、大雨のために川止めになったときに詠んだ句。「大井川」は静岡県の駿河湾に注ぐ川。))〔季語〕五月雨

百里来たりほどは雲井(くもい)の下涼(したすずみ)

江戸から百里を経て伊賀に帰ってきた。気分はまさに雲の彼方に遠く隔たった思いであり、今その雲の下で安らかに涼んでいる。〔季語〕下涼

富士の風や扇(おうぎ)にのせて江戸土産(えどみやげ)

富士山の涼しい風を扇に載せ、江戸の土産として差し上げましょう。(江戸から故郷の伊賀上野に戻ってきたときに詠んだ句。)〔季語〕扇

鎌倉を生(いき)て出(いで)けむ初鰹(はつがつお)

この初鰹は鎌倉でとらえられ、生きて江戸へ送られてきたのだろう。新鮮で生き生きとしている。〔季語〕初鰹

五月雨(さみだれ)に鳰(にお)の浮巣(うきす)を見に行(ゆ)かむ

降り続く五月雨で琵琶湖の水かさも増しただろうから、湖上に漂う浮巣でも見に出かけようか。〔季語〕五月雨

五月雨(さみだれ)や龍燈(りゅうとう)あぐる番太郎

五月雨が降り注ぐ夕暮れ、番小屋の夜警がかかげる提灯が、まるで龍神が海にともした灯火のように見える。(前書「五月雨」。「龍燈」は、海中に生じる燐光を、雲を起こして雨を降らせる力を持つという龍神がともした灯火に見立てた言い方。)〔季語〕五月雨

若葉して御目(おんめ)の雫(しずく)ぬぐはばや

鑑真像を安置するお堂の辺りには若葉が照り映えている。その緑の若葉で御目もとの雫をぬぐってさしあげよう。(唐招提寺の鑑真像を拝して詠んだ句。)〔季語〕若葉

木隠(こがく)れて茶摘みも聞くやほととぎす

木に見え隠れしながら茶摘みをしている女たちも、きっとこのほととぎすの鳴き声を聞いていることだろう。〔季語〕茶摘み、ほととぎす

五月雨(さみだれ)も瀬踏(せぶ)み尋ねぬ見馴河(みなれがわ)

五月雨で増水した水馴川は、どこが瀬だか岸だか分からない。よく見れば五月雨の雨自身も瀬踏みをしながら降っているようだ。(「見馴河」は奈良にある川。)〔季語〕五月雨

五月雨(さみだれ)に隠れぬものや瀬田の橋

五月雨が降り、辺りの景色が見えないのに、瀬田の唐橋(からはし)の姿だけが見える。(瀬田の橋は瀬田川が琵琶湖に流れ込む河口に架かった橋。「瀬田の唐橋」ともいう。)〔季語〕五月雨

おもしろうてやがて悲しき鵜舟(うぶね)かな

鵜飼をあれほどおもしろがっていたけれども、鵜舟が帰って行くころには、悲しく切ない思いに変わっていく。(前書「美濃の長良川にてあまたの鵜を使ふを見にゆき侍りて」)〔季語〕鵜舟

城跡(しろあと)や古井(ふるい)の清水まづ訪(と)わん

興亡の流転が著しかった城跡にようやく登ってきたが、まずは古井戸の清水で喉を潤そう。(「城跡」は、かつて斎藤道山、後に織田信長の居城となった金華山山頂の岐阜城。関ケ原の戦いの後、廃城となった。)〔季語〕清水

先ずたのむ椎(しい)の木も有り夏木立(なつこだち)

生涯漂泊の我が身ではあるが、この山庵には夏木立のなかに大きな椎の木があり、しばらくは頼りにできそうだ。(元禄3年4月から7月まで住んだ大津の幻住庵で詠んだ句。)〔季語〕夏木立

(あけぼの)はまだ紫にほととぎす

夜が明け始めるころ、雲もまだ紫色を帯びている空を、ほととぎすが鳴きながら飛んでいく。(前書「勢田に泊りて、暁石山寺に詣、かの源氏の間を見て」。石山寺は、紫式部が『源氏物語』を書いたとされる寺。)〔季語〕ほととぎす

酔うて寝ん撫子(なでしこ)咲ける石の上

呑んで酔って、可憐なナデシコが咲く石の上で一緒に寝てみたい。(前書「納涼」)〔季語〕撫子

足洗うてつひ明けやすき丸寝(まろね)かな

宿に着いて汚れた足を洗うと、その気持ちよさに眠り込んでしまい、短い夏の夜が明けてしまう。(丸寝は、服を着たまま寝てしまうこと。)〔季語〕明けやすき

蛸壺(たこつぼ)やはかなき夢を夏の月

夏の月夜に照らされた静かな海の底で、蛸は明日の命も知らず、人の鎮めた蛸壺の中で夢を見ているのであろうか。(明石の浦で夜泊した時に詠んだ句。)〔季語〕夏の月

一つ脱いで後(うしろ)に負ひぬ衣がへ

旅の身であるので、一枚脱いで、後ろに背負うだけの衣更えであるよ。〔季語〕衣がへ

ほととぎす消え行く方(かた)や島一つ

ホトトギスが鳴きながら飛び去っていく。そのはるか彼方の沖に、島が一つ見える。(須磨・鉄拐山で詠んだ句。島は淡路島のことか。)〔季語〕ほととぎす

須磨寺(すまでら)や吹かぬ笛(ふえ)聞く木下闇(こしたやみ)

須磨寺の木陰にたたずんでいると、吹いてもいない敦盛の青葉の笛の音が聞こえてくる。(須磨寺は神戸市須磨区の福祥寺のこと。平敦盛の遺品「青葉の笛」がある。)〔季語〕木下闇

月はあれど留守のやうなり須磨(すま)の夏

秋がいちばんよいといわれる須磨に月が出ているが、やはり夏では、主人がいない留守を訪ねたようであるよ。〔季語〕夏の月

田や麦や中にも夏のほととぎす

青々とした田や金色に実った麦の景色にあって、とりわけほととぎすの鳴く声が夏らしい。〔季語〕ほととぎす

郭公(ほととぎす)(こえ)横たふや水の上

ほととぎすが鋭く鳴き渡っていった。その声が、しばらくの間、水の上に横たわっているかのように感じられる。〔季語〕ほととぎす

京にても京なつかしやほととぎす

ほととぎすの声を聞いていると、いま京都にいるのに、なお京都が懐かしくなる。〔季語〕ほととぎす

朝露(あさつゆ)によごれて涼し瓜(うり)の土

土のついたままの瓜が朝露に濡れ、いかにも涼しげなことだ。(「瓜」は真桑瓜〈まくわうり〉のこと。)〔季語〕瓜、涼し

子ども等(ら)よ昼顔(ひるがお)咲きぬ瓜(うり)むかん

子どもたちよ、昼顔が咲いた。さあ、瓜をむいて食べようではないか。〔季語〕昼顔

皿鉢(さらばち)もほのかに闇(やみ)の宵涼(よいすず)

夕餉(ゆうげ)を終えて涼んでいる。宵闇の中、そのまま片づけずにいる皿や鉢がうっすらと見えている。〔季語〕宵涼み

手を打てば木魂(こだま)に明くる夏の月

未明に朝起きをし、東に向かって柏手を打って拝むと、その音がこだまとなって響き渡る。月の残る夏の短夜が白々と明けてゆく。〔季語〕夏の月

涼しさを絵にうつしけり嵯峨(さが)の竹

涼しさを絵に描いたような、すがすがしい嵯峨の竹林であるよ。(京都嵯峨野の野明亭を訪れて詠んだ句。野明は黒田家浪人。)〔季語〕涼しさ

清滝(きよたき)の水(みず)(く)ませてやところてん

この心太(ところてん)の冷たくて美味しいこと。清滝川の水を汲んで冷したのだろうか。(「清滝川」は京都嵯峨から保津川に注ぐ渓流。)〔季語〕ところてん

嵐山(あらしやま)藪の茂りや風の筋

嵐山の竹藪は青々と茂っており、その葉がなびくと、風の通る道筋が見えるようだ。〔季語〕茂り

どむみりとあふちや雨の花曇(はなぐもり)

どんよりとした雨模様の空の下、樗(おうち)の花が物憂げに咲いている。(前書「しどけなく道芝にやすらひて」)〔季語〕あふち

(あめ)折々(おりおり)思ふ事なき早苗(さなえ)かな

折々に雨が降り、これなら早苗の水の心配は要らないだろう。〔季語〕早苗

(いのち)なりわづかの笠の下(した)涼み

炎暑のなか、ちっぽけな笠の下陰の涼しさだけが唯一のよりどころであるよ。(前書に「佐夜の中山にて」とあり、西行はここで〈年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山〉という歌を詠んだ。)〔季語〕涼み

やがて死ぬけしきは見えず蝉(せみ)の声

もうすぐ死んでしまう蝉なのに、今は少しもそんな様子もなく、やかましく鳴き立てていることだ。〔季語〕蝉

(う)き我をさびしがらせよ閑古鳥(かんこどり)

閑古鳥よ、気がふさいでいる私を、さびしがらせておくれ。しばらくは、そのさびしさを心の主として過ごしたいから。(「閑古鳥」はカッコウのこと。)〔季語〕閑古鳥

無き人の小袖(こそで)も今や土用干(どようぼし)

亡くなった人の小袖も、今ごろ虫干しされているのでしょうか。(門人・向井去来の妹・千代が亡くなったのを聞き、追悼として書き送った句。「土用干」は、夏の土用の日に衣服や書物を日に干すこと。)〔季語〕土用干

秋ちかき心の寄るや四畳半

秋の気配が感じられる中、この狭い四畳半の部屋に集まった人たちの心は、さらに寄り添うことだよ。(前書「大津(滋賀県)木節庵(ぼくせつあん)にて」)〔季語〕秋ちかき

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※順不同。なお、ふりがなは現代仮名遣いによっています。
※『おくの細道』所収の句は別ページの「おくの細道」をご参照ください。

 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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松尾芭蕉の略年譜

1644年
伊賀上野に生まれる
幼名金作、のち宗房
1656年
13歳の時に父親が死去
1662年
このころ藤堂藩の藤堂七郎家に出仕
北村季吟に師事し俳諧の道に入る
1672年
江戸に下る
1680年
徳川綱吉が将軍になる
1682年
「芭蕉」の号を用いる
1684年
「野ざらし紀行」の旅に出る
1687年
「笈の小文」の旅に出る
このころ元禄文化が盛ん
1688年
「更科紀行」の旅に出る
1689年
「おくの細道」の旅に出る
1694年
大阪で死去(享年51)

寛永21年(1644年)伊賀国上野(現在の三重県上野市)の松尾与左衛門家の次男として生まれる。松尾家は農業を生業としていたが、苗字を持つ無足人(むそくにん)と呼ばれる準武士の家柄で、土地の名家だった。

伊賀上野は、藤堂氏が代々治める津藩に属し、芭蕉は10代後半で藤堂藩伊賀付侍大将家の嫡子藤堂良忠の近習となり、その感化で俳諧を学ぶ。良忠の死後、京都で北村季吟に師事。のち江戸に下り、俳壇内に地盤を形成、深川の芭蕉庵に移ったころから独自の蕉風を開拓した。

天和2年(1682年)の天和の大火(いわゆる八百屋お七の火事)で庵を焼失し、甲斐国谷村藩の国家老、高山伝右衝門に招かれ流寓する。

その後しばしば旅に出て、『野ざらし紀行』・『鹿島紀行』・『笈の小文』・『更科紀行』などの紀行文を残した。元禄2年(1689年)、弟子の河合曾良を伴って『おくの細道』の旅に出、8月に大垣に到着。その後も、『おくの細道』は推敲に推敲が重ねられた。

芭蕉が亡くなったのは『おくの細道』の旅を終えた5年後の元禄7年(1694年)のことで、その最期も旅の途中であり、大阪御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した。享年51歳。

《芭蕉の著作》

『野ざらし紀行』
『鹿島紀行』
『笈(おい)の小文(こぶみ)』
『更科紀行』
『おくの細道』
『嵯峨日記』

また、芭蕉と門人らによる歌仙と発句を集めた7つの俳諧集(「冬の日」「春の日」「阿羅野(あらの)」「ひさご」「猿蓑(さるみの)」「炭俵(すみだわら)」「続猿蓑」)と、後に一つにまとめた『芭蕉七部集』がある。

俳句の歴史

俳諧というと、すぐに俳句を思い出し、5・7・5でよむ短詩型文学と考えるが、元はそうではなかった。俳諧は、「滑稽」の意であり、その形式は連歌から受け継いだ。

連歌とは、和歌の上下2句を二人で詠み分けるもので、即興と機智とを重んじる遊戯的なものだった。それが鎌倉時代になると、5・7・5に7・7をつけ、さらにそれに5・7・5をつけるという具合に、50も100も長く続ける連歌が生まれてきた。これを従来の「短連歌」に対し、「長連歌(または鎖連歌)」という。この長連歌は、中世の和歌衰退の気運にかわって、「有心(うしん)連歌」と称して、高度の芸術性と完成度を求めるようになった。

その一方、連歌本来の諧謔性を求める「無心連歌」は、おもに僧侶・武家・下級貴族の間で行われ、これも同じく長連歌化しつつあった。有心連歌を行った人々を「柿の本衆」というのに対し、無心連歌の人々は「栗の本衆」と称した。

有心連歌は室町初期に最も盛んになったが、その後は衰退、中世末期になると、次第に無心連歌が民衆の間に広まった。

安土桃山期になると、山崎宗鑑、荒木田守武の二人が出て、無心連歌をさらに滑稽化して、俳諧の連歌というものを創り出し、既成の和歌的情緒を破壊し、大胆な諧謔精神を発揮した。これが俳諧の文学の本格的な開始となった。 

貞門がやや格式重視だったのに対し、その枠を破り、まったく自由奔放な俳諧を唱えたのが西山宗因であり、その門流を「談林(だんりん)」と呼ぶ。この派は町人の旺盛な生活力を基盤としたが、次第に無秩序に流れ、品位を失うに至った。

江戸時代になると、松永貞徳が出て、俳諧を用語上から連歌と区別し、俳諧とは俳言(はいごん)をもってよむ連歌なりと定義、その法則を定めた。彼の門流を「貞門(ていもん)」と呼ぶ。

これらの反省は、池西言水、小西来山、上島鬼貫らによって唱えられていたが、松尾芭蕉の出現をみて、俗語を用い俗生活を題材としながら古典的伝統の品位を保持する排風(蕉風)が確立した。

芭蕉の時代には、俳句は連句ともいわれ、やはりいくつかの続く形でよまれるのが原則だった。特に36句でよむ歌仙形式が行われたが、一方、発句(連句の一番初めの句)の独立性も次第に確立してきた。

芭蕉の死後、その弟子たちの活躍はあったものの、俳諧は次第に芸術的香気を失っていったが、天明期に与謝蕪村が現れ、空気を刷新した。

天明以後は、小林一茶など人生派の俳人を除けば、俳諧は再び衰退し、いわゆる月並調の平凡な詠風に堕し、その復興は明治の正岡子規に待たねばならなかった。

子規は、蕪村を尊重し、明治の俳壇を革新したが、その際、連句を遊戯とみなし、文学としては発句のみがその独自性を持ちうると主張し、「俳句」と称した。


(正岡子規)

芭蕉の俳句集

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