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伊勢物語

1 しのぶみだれ 2 ながめくらしつ 3 むぐらの宿に 4 月やあらぬ 5 わが通ひ路の 6 白玉か 7 かへる波 8 浅間の獄 9 東下り 10 たのむの雁 11 忘るなよ 12 武蔵野 14 姉歯の松 15 しのぶ山 16 紀有常 17 あだなりと 19 あまぐもの 23 筒井つの 24 あらたまの 25 逢わで寝る夜 32 しづのをだまき 37 下紐とくな 39 源の至 40 いでていなば 41 紫の

42 誰が通ひ路 43 名のみ立つ 45 行く蛍 46 目離るとも 47 大幣 49 うら若み 50 あだくらべ 51 植ゑし植ゑば 55 をりふしごとに 56 露の宿り 57 われから身をも 58 荒れたる宿 59 東山 60 五月まつ 61 染河 62 にほひはいづら 63 つくも髪 64 玉簾 65 在原なりける男 69 君や来し 70 あまの釣舟 71 ちはやぶる 72 大淀の松 73 月のうちの桂 75 みるをあふにて 76 小塩の山

80 濡れつつぞ 81 塩竈に 82 春の心は 83 草ひき結ぶ 84 さらぬ別れの 85 雪のつもるぞ 88 月をもめでじ 90 桜花 91 春のかぎり 93 あふなあふな 94 秋の夜は 95 彦星に 96 天の逆手 99 見ずもあらず 102 雲には乗らぬ 103 寝ぬる夜 104 世をうみの 105 白露は 106 龍田川 114 芹河の行幸 115 都島 116 浜びさし 123 年を経て 124 いはでぞただに 125 つひにゆく

 伊勢物語

1 しのぶみだれ

 昔、男、初冠(うひかうぶり)して、平城(なら)の京、春日(かすが)の里に、しるよしして、狩にいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みにけり。この男、かいま見てけり。思ほえず、ふるさとにいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の着たりける狩衣(かりぎぬ)の裾(すそ)を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶ摺(ずり)の狩衣をなむ着たりける。

 春日野(かすがの)の若紫のすり衣(ごろも) しのぶの乱れかぎり知られず

となむ、おひつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。

 陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに

といふ歌の心ばへなり。昔人(むかしびと)は、かくいちはやきみやびをなむ、しける。

【現代語訳】
 昔、ある男が元服したばかりに、奈良の旧都の春日の里に領地がある関係で、狩りに出かけていった。その里に、たいそう優美な姉妹が住んでいた。男は、この女性たちを物のすき間から覗き見した。思いがけずも、こんな寂れた里に似つかわしくない美しい様子だったので、男の心は乱れた。男は、着ていた狩装束の裾を切って、それに歌を書いて贈った。男は、しのぶずりの狩衣を着ていたのだった。

 
春日野の若紫草で染めたすり衣の模様のように、私の心は千々に乱れています。

と、すぐに詠んで贈った。その場にかなった趣深いことと思ったからであろうか。この男の歌は、

 
陸奥産のしのぶずりの乱れ模様のように私の心も乱れているのは、他ならぬ貴方のせいなのです。

という歌の気持ちを踏まえたものだ。昔の人は、風雅を楽しむにもこのような熱烈なふるまいをしたものだった。

(注)初冠・・・男子の成人儀礼として初めて髪を結い、冠をつけること。
(注)しのぶずり・・・シノブはシダ類の植物で、これを布にこすりつけて捩(よじ)れた模様を染め出した布。一説には、シノブを石にすりつけ、その石を布に押し当てて染めたとも。しのぶもじずりとも言う。 

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2 ながめくらしつ

 昔、男ありけり。奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人(よひと)にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それを、かのまめ男、うち物語らひて、帰り来て、いかが思ひけむ。時は弥生(やよひ)のついたち、雨そほ降るにやりける、

 起きもせず寝もせで夜を明かしては 春のものとてながめ暮らしつ

【現代語訳】
 昔、一人の男がいた。都はすでに奈良の地から離れ、この今の都は人家がまだ定着していなかったころ、西の京にある女が住んでいた。その女は世間並みの人よりは美しく、さらにその容貌よりも心がすぐれていた。そして、一人身というわけではなかったらしい。それなのに、かの生真面目な男は、長い間いろいろと話し込んで帰ってきて、どういうつもりだったのだろうか。時は三月一日、雨がしとしと降っている折に贈ったのは次の歌だった。

 
昨夜は、起きるでもなく寝るでもなく、何となく夜を明かして、その挙句、春につきもののそぼ降る雨をぼんやり眺めて、物思いにふけっています。

(注)この京・・・平安京のこと。 

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3 むぐらの宿に

 昔、男ありけり。懸想(けさう)しける女のもとに、ひじき藻(も)といふ物をやるとて、

 思ひあらば葎(むぐら)の宿に寝もしなむ ひじきものには袖をしつつも

 二条の后(きさき)の、まだ帝(みかど)にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。想いを懸けた女のもとに、ひじき藻というものを贈るというので、このような歌をつけて贈った。
 
 もしあなたに私を思う気持ちがあるのなら、むぐらの生い茂るあばら家ででもいっしょに寝ましょう。たとえちゃんとした引敷物(ひきしきもの)がなくても、袖を敷きながらでも。

 二条の后が、まだ帝にお仕えしないで、ふつうの身分でいらっしゃった時のことだ。

(注)ひじきもの・・・海藻の「ひじきも」と夜具の「引敷物」の掛詞。
(注)二条の后・・・藤原高子(順子の兄・藤原長良の娘)。清和天皇の女御として入内し、貞明親王(陽成天皇)を生んだ。息子の陽成天皇退位とともに二条院に移ったので、「二条の后」と呼ばれた。

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4 月やあらぬ

 昔、東(ひむがし)の五条に、大后(おほきさい)の宮おはしましける、西の対(たい)に住む人ありけり。それを本意(ほい)にはあらで、心ざし深かりける人、行きとぶらひけるを、睦月(むつき)の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。あり所は聞けど、人の行き通ふべき所にもあらざりければ、なほ憂(う)しと思ひつつなむありける。

 またの年の睦月に、梅(むめ)の花ざかりに、去年(こぞ)を恋ひて行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷(いたじき)に月のかたぶくまでふせりて、去年を思ひいでてよめる、

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして

とよみて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣く帰りにけり。

【現代語訳】
 昔、東の京の五条通りに面したお邸に皇太后の宮がいらっしゃり、そのお邸の西の対の屋に住む女がいた。その女との関係が望ましくないとは分かっていながら、どうしても愛する心が深かった男が尋ねて行ってはいたが、正月十日ころに、女は他の場所に姿を隠してしまった。居場所は聞いたものの、そこは普通の身分の人が行き来できる場所ではなかったので、いっそう辛い思いで日を過ごしていた。

 翌年の正月、梅の花が盛りのころ、男は去年のことを恋しく思い、女がもと住んでいた家に行って、立ったりかがんだりして見るけれども、去年とは似ても似つかない有様だった。男はひた泣きに泣いて、すだれも障子もないがらんとした板敷の部屋に夜中過ぎまで横たわり、去年のことを思い出して詠んだ歌、

 
この月は違う月なのか。この春は過ぎた年の春ではないのか。私の身だけはもとのままなのに、私以外のものはみんな変わってしまったのか。

と詠んで、夜がほのぼの明けるころ、涙しながら帰っていった。

(注)大后の宮・・・ここでは前天皇神仁明天皇の皇后である藤原順子。藤原冬嗣の娘。
(注)西の対・・・西の対屋(たいのや)のこと。対屋は、寝殿造りにおいて、母屋の東西南北に渡り廊下を介して建てられた離れ。
(注)西の対に住む人・・・ここでは藤原高子。 

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5 わが通ひ路の

 昔、男ありけり。東(ひむがし)の五条わたりに、いと忍びて行きけり。みそかなる所なれば、門(かど)よりもえ入(い)らで、童(わらは)べの踏みあけたる築地(ついひぢ)のくづれより通ひけり。人しげくもあらねど、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、その通ひ路に、夜ごとに人をすゑてまもらせければ、行けども、え逢はで帰りけり。さてよめる、

 人知れぬわが通ひ路の関守は 宵々(よひよひ)ごとにうちも寝ななむ

 とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじ許してけり。

 二条の后(きさき)に忍びて参りけるを、世の聞えありければ、兄人(せうと)たちのまもらせ給ひけるとぞ。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。東の京の五条通りあたりに住む女に、たいそう人目を忍んで逢いに行っていた。人に見つからないように、門からは入れず、子供たちが踏みあけて通路にしていた土塀の崩れた所を出入りしていた。ここは人が始終いるわけではなかったが、男が通ってくるのが度重なったので、邸の主人が聞きつけて、その通り道に毎晩見張り番を置いた、そのため、男は訪ねていっても女に逢うことができずに帰ってしまった。そして詠んだ歌、

 
人に知られないように通う私の通り道で見張りをしている番人よ、毎晩毎晩よく寝てほしいなあ。

と詠んだので、女はたいそう心を痛め悲しんだ。それで邸の主人は、男が通ってくるのを許した。このお話は、二条の后高子に人目を忍んで訪ねていったのを、世間の評判を気にして、后の兄たちが防衛おさせになったということだ。
 

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6 白玉か

 昔、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来(き)けり。芥川(あくたがは)といふ河を率(ゐ)て行きければ、草の上に置きたりける露(つゆ)を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。行く先多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵(くら)に、女をば奥におし入れて、男、弓・胡(やな)ぐひを負ひて戸口に居(を)り。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率(ゐ)て来(こ)し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。

 白玉かなにぞと人の問ひし時 露と答へて消えなましものを

 これは、二条の后(きさき)の、いとこの女御(にようご)の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出(い)でたりけるを、御せうと堀河の大臣(おとど)、太郎国経(くにつね)の大納言、まだ下臈(げらふ)にて内裏(うち)へ参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめて取り返したまうてけり。それを、かく鬼とは言ふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。とうてい自分のものにはできないと思われた女を、何年も求婚し続けてきたが、ある晩、やっとのことで女を盗み出して、ずいぶん暗い道を逃げてやって来た。芥川という河辺にさしかかったとき、女は草の葉の上に置いていた露を見て、「あれは何ですか」と男に尋ねた。行く先は遠く、夜も更けてきた上に、雷までひどく鳴り、雨も強く降ってきたため、そこが鬼の棲む所とも知らずに、男は荒れ果てた蔵の奥に女を押し入れて、弓や、矢の入れ物を背負って戸口を守っていた。早く夜が明けないかと思いつつ腰を下ろしていたところが、鬼は女をたちまちに一口で食べてしまった。「あれーっ」と女は叫んだが、雷の音がやかましくて、男は女の悲鳴が聞こえなかった。だんだん夜が明けてきて、見ると連れてきた女の影もない。地団太踏んで悔し泣きしたが、かいもなかった。

 
真珠かしら何かしらとあの人が尋ねたとき、あれは露だよと答えて、私は消えてしまえばよかった。ならば、こんなに嘆かなくてもすんだのに。

 
これは、二条の后が、いとこの女御のお側にお仕えするような形でいらしたのを、容姿がとてもすばらしくていらしたので、男が盗んで背負って出たのを、兄の堀河大臣と長兄の国経大納言が、まだ官位の低かった時、参内の途中で、ひどく泣いている女があるのを聞きつけ、引き留めて、お取り返しになったのだった。それを、このように、鬼に食われたと言うのだった。后がまだたいそう若く、ふつうの身分でいらした時のこととか。

(注)摂津国三島郡の芥川。歌枕。
(注)いとこの女御・・・藤原良房の娘、明子。高子より13歳年長。良房は長良より官位が上だったため、高子が明子に仕えた。
(注)堀河の大臣・・・藤原基経。長良の三男だったが、良房の養子となった。初めて関白の位に就いた。
(注)国経の大納言・・・長良の長男の藤原国経。基経、高子の異母兄。
 

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7 かへる波

 昔、男ありけり。京にありわびて東(あづま)に行きけるに、伊勢、尾張のあはひの海づらを行くに、波のいと白く立つを見て、

 いとどしく過ぎゆく方の恋しきに うらやましくもかへる浪かな

となむよめりける。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。都に住みづらくなって東国に下って行ったが、伊勢、尾張の国境のあたりの海岸を行く時、波がたいそう白く立つのを見て、

 
ますます過ぎて来た都の方が恋しいのに、うらやましくも沖の方へ帰って行く波であるよ。

と詠んだことであった。 

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8 浅間の獄

 昔、男ありけり。京や住み憂(う)かりけむ。あづまの方(かた)に行きて、住む所求むとて、友とする人ひとりふたりして、行きけり。信濃(しなの)の国、浅間(あさま)の獄(だけ)に煙(けぶり)の立つを見て、

 信濃あなる浅間の獄に立つけぶり をちこち人の見やはとがめぬ

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。京に住みづらかったのか、東国に行って住むところを求めようと、友一人二人を連れて出かけた。途中、信濃の国の浅間山に噴煙が上がるのを見て、
 
 
信濃の国の浅間山に立つ煙を、遠くの人も近くの人もどうして咎めないのだろうか。 

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9 東下り

(一)
 昔、男ありけり。その男、身を要(えう)なきものに思ひなして、「京にはあらじ、あづまの方(かた)に住むべき国求めに」とて行きけり。もとより友とする人ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行きけり。三河の国、八橋(やつはし)といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手(くもで)なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰におりゐて、乾飯(かれいひ)食ひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五(いつ)文字を句の上(かみ)にすゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、

 から衣きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。その男は、自分をつまらない人間だと思い決めて、「もう京都には住むまい、東国の方に住める所を探しに行こう」と思って出立した。以前から友人としてつきあっていた人一人二人と連れ立って行った。道を知っている者もいなくて、迷いながら行った。三河の国の八橋という所に行き着いた。その場所を八橋といったのは、水が流れる川筋が蜘蛛の手足のように八方に分かれていて、橋を八つ渡してあるので八橋といったのだった。その川のほとりの木陰に馬から下りて腰を下ろし、持ってきた弁当の乾飯を食べた。その沢に、かきつばたの花がたいそう美しく咲いている。それを見て一行の中のある人が言うには、「『かきつばた』の五文字を、それぞれ句の頭において、旅の風情を歌に詠んでみたら」と言ったので、詠んだ歌、
 
 
唐衣を着続けていると柔らかくなって身になじむようになった。それと同じに、いつも身近にいて親しく思う妻が都に住んでいるので、その都をあとにはるばるやって来た旅路をしみじみと思う。

と詠んだので、一同はみな胸がいっぱいになって、乾飯の上に涙を落とし、乾飯がふやけてしまった。

(注)乾飯・・・蒸した米を天日で干した携帯食。 

(二)
 行き行きて、駿河(するが)の国に至りぬ。宇津(うつ)の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つた、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者(すぎやうざ)あひたり。「かかる道は、いかでかいまする」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

 駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり

 富士の山を見れば、五月(さつき)のつごもりに、雪いと白う降れり。

 時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか 鹿(か)の子まだらに雪の降るらむ

 その山は、ここにたとへば、比叡(ひえ)の山を二十(はたち)ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻(しほじり)のやうになむありける。

【現代語訳】
 さらに旅を続け、駿河の国に着いた。宇津の山までやって来ると、自分たちが分け入ろうとする道がたいそう暗くて細い上に、蔦(つた)や楓(かえで)が茂り、心細くてならない。これはひどい目に遭うのではないかと思っているところに、一人の修行僧に出会った。「こんな遠い所へどうして来られたのですか」と言うのを見れば、以前、都で見知った人だった。そこで、男は、京の誰それの元へ届けてくれといって手紙を書いて託した。

 
駿河の宇津の山に来て、夢にもうつつにも、あなたに逢えないことです。

 富士の山を見ると、五月の末だというのに、雪がたいそう白く降り積もっている。

 
時をわきまえない富士の山であることだ。今をいつと思って、子鹿のまだら模様のように雪が降り積もるのでしょうか。

 その山は、京の山にたとえれば、比叡山を二十ばかり積み重ねたほどの高さで、形は塩尻のようであった。

※塩尻・・・製塩のために砂を円錐形に盛り上げたもの。 

(三)
 なほ行き行て、武蔵(むさし)の国と下つ総(ふさ)の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守(わたしもり)、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の嘴(はし)と脚(あし)と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥(みやこどり)」と言ふを聞きて、

 名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

【現代語訳】
 さらに旅を続けて行くと、武蔵の国と下総の国との境にとても大きな河があった。それを隅田河(すみだがわ)と言った。その河のほとりに一行が足をとめて、はるばる遠くに来たものだと嘆き合っていると、渡し守が、「早く舟に乗ってください。日も暮れてしまいます」と言うので、乗船しようとするものの、みな何とも言えず物寂しく、京に残してきた人のことが思われてならない。ちょうどその時、白い鳥で、嘴と脚が赤く、鴫の大きさくらいなのが、水の上で泳ぎながら魚を獲っている。京では見かけない鳥なので、誰もその名を知らない。渡し守に訊くと、「都鳥です」と言う。それを聞いて男が、

 
都鳥という名前に持っているからには、一つ聞いてみよう。私が恋しく思う都のあの人は、元気でいるのか、そうでないのか。

と詠んだので、舟に乗っている人は、みな泣き出してしまった。

(注)すみだ河・・・東京都と千葉県の境にある川は江戸川であり、隅田川は東京都にあるが、当時の国境、または川筋の変化などもあり、一概に間違いであるとは言い切れない。
(注)都鳥・・・チドリ目ミヤコドリ科の渡り鳥。

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10 たのむの雁

 昔、男、武蔵(むさし)の国までまどひ歩きけり。さて、その国にある女をよばひけり。父はこと人にあはせむと言ひけるを、母なむ、あてなる人に心つけたりける。父はなほ人(びと)にて、母なむ藤原なりける。さてなむ、あてなる人にと思ひける。この婿(むこ)がねによみておこせたりける。住む所なむ、入間(いるま)の郡(こほり)、みよしのの里なりける。

 みよし野のたのむの雁(かり)もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる

むこがね、返し、
 わが方(かた)に寄ると鳴くなるみよし野の たのむの雁をいつか忘れむ

となむ。人の国にても、なほかかることなむやまざりける。

【現代語訳】
 昔、ある男が、武蔵の国までさまよい歩いて行った。そして、その国のある女に求婚した。女の父親は、別の男と結婚させようと言うのを、母親は、男の高貴な身分を気に入った。父親は並みの家柄だが、母は藤原氏の血筋だった。それだから、娘を高貴な男性にめあわせたいと思っていたのだった。母親は、この婿と思い定めた男に歌を詠んで贈った。一家の住む所は、入間の郡、三芳野の里であった。

 
三芳野の田に降り立っている雁も、ひたすらに、あなた様の方に寄って鳴いているようです。

 婿にと思われている男は、こう返した。

 
私の方に心を寄せて鳴いているという三芳野の田にいる雁を、いつ忘れましょう、忘れたりはしません。

と。遠い他国に来ても、この男のこういった風流は、やまなかったのである。

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11 忘るなよ

 昔、男、あづまへ行きけるに、友だちどもに道より言ひおこせける、

 忘るなよほどは雲ゐになりぬとも 空ゆく月のめぐり逢ふまで

【現代語訳】
 昔、ある男が東国に行った折に、旅の途中から友人たちに詠んで贈った歌、

 
お互い遠くに離れてしまったが、空を行く月が見えなくなっても、まためぐって来て元の姿を見せるように、再会のときまで私を決して忘れないでくれよ。

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12 武蔵野

 昔、男ありけり。人の娘を盗みて、武蔵野へ率(ゐ)て行くほどに、盗人(ぬすびと)なりければ、国の守(かみ)にからめられにけり。女をば草むらの中に置きて、逃げにけり。道来る人、「この野は盗人あなり」とて、火つけなむとす。女わびて、

 武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり

とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率て往(い)にけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。人の娘を盗んで(駆け落ちして)、武蔵野へ連れて行く途中で、盗人なので、国守に捕えられてしまった。男は女を草むらの中に置いて逃げてしまった。その道を追って来た者が、「この野には盗人が隠れているらしい」と言って、火をつけようとした。女は困惑して、
 
 
武蔵野は今日は草焼きをしないでください。夫もここに隠れているし、私も隠れているのですから。

と詠んだのを聞き、女を捕まえて、別に捕えた男と一緒に連れて行った。

(注)人の娘・・・単に他人の娘という意味ではなく、身分ある人の娘という意味。

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14 姉葉の松

 昔、男、陸奥(みちのくに)にすずろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにやおぼえけむ、せちに思へる心なむありける。さて、かの女、

 なかなかに恋に死なずは桑子(くはこ)にぞ なるべかりける玉の緒ばかり

歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、行きて寝にけり。夜深くいでにければ、女、

 夜も明けばきつにはめなでくたかけの まだきに鳴きてせなをやりつる

と言へるに、男、「京へなむまかる」とて、

 栗原(くりはら)のあねはの松の人ならば 都のつとにいざといはましを

と言へりければ、よろこぼひて、[思ひけらし」とぞ言ひをりける。

【現代語訳】
 昔、ある男が、陸奥の国まで何となく心惹かれて旅して行った。その国の女が、京の男をめずらしいものに思ったのだろう、たいそう男に心よせて歌を書き送った。

 
なまじ恋い焦がれて死んでしまうくらいなら、夫婦仲のよい蚕になったらよかった。束の間の短い一生でも。

歌までも田舎じみていた。しかし男はさすがに心打たれたのだろう、女のもとに行って寝た。そして、まだ夜が深いうちに女の家を出たので、女は、

 
夜が明けたら水桶に投げ入れてやろう。あの鶏めが、早く鳴きすぎて愛しいお方を帰してしまったのだから。

と歌を詠んだところ、男は「京へ帰る」と言って、

 
栗原の姉歯の松のように、人並みの女ならば、都へのみやげに、さあ一緒に行こうと言いたいところだが。

と詠んだところ、女は歌の寓意もわからずに、「私のことを思ってくれていたのだ」と喜んでいた。

(注)栗原のあねはの松・・・宮城県栗原市金成姉歯に植え継がれている松。女官として宮中に赴く途中の娘がここで亡くなり、その妹が訪れて植えたという伝説がある。

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15 しのぶ山

 昔、陸奥(みちのくに)にて、なでふことなき人の妻(め)に通ひけるに、あやしう、さやうにてあるべき女ともあらず見えければ、

 しのぶ山忍びて通ふ道もがな 人の心の奥も見るべく

 女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせむは。

【現代語訳】
 昔、陸奥の国で、男が、ごく平凡な人の妻のところへ通っていたが、不思議と、そのような辺鄙な地に暮らしているような女ではないように見えたので、次の歌を贈ってみた。

 
近くにある信夫山(しのぶやま)の名ではないが、人目につかずこっそり中に忍び込む道があるといいのに。そのような暮らしがふさわしくなく見えるあなたの本心をものぞき見ることができるように。

 女は、自分を高く評価してくれる男の気持ちを知り、このうえなく嬉しく思ったけれども、人妻でありながら他の男を通わせ、その男が関心を示してくれるのを喜ぶような、無分別で粗野な心を見てしまっては、男もどうにもしようがないことと思った。 

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16 紀有常

 昔、紀有常(きのありつね)といふ人ありけり。三代(みよ)の帝(みかど)に仕うまつりて、時にあひけれど、のちは世かはり時移りにければ、世の常の人のごともあらず。人がらは、心うつくしく、あてはかなることを好みて、こと人にも似ず。貧しく経ても、なほ、昔よかりし時の心ながら、世の常のことも知らず。年ごろあひ馴れたる妻(め)、やうやう床(とこ)離れて、つひに尼になりて、姉のさきだちてなりたる所へ行くを、男、まことにむつましきことこそなかりけれ、今はと行くを、いとあはれと思ひけれど、貧しければ、するわざもなかりけり。思ひわびて、ねむごろにあひ語らひける友だちのもとに、「かうかう、今はとてまかるを、なにごともいささかなることもえせで、つかはすこと」と書きて、奥に、

 手を折りてあひ見しことをかぞふれば 十(とを)といひつつ四つは経にけり

かの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜の物までおくりて、よめる。

 年だにも十とて四つは経にけるを いくたび君を頼み来ぬらむ

かく言ひやりたりければ、

 これやこの天(あま)の羽衣(はごろも)むべしこそ 君が御衣(みけし)と奉りけれ

よろこびにたへで、また、

 秋や来る露やまがふと思ふまで あるは涙の降るにぞありける

【現代語訳】
 昔、紀有常という人がいた。三代の帝にお仕えして時めいていたが、後には御代が変わり時勢にも取り残されてしまったので、世間の人並みの暮らしもできなくなった。しかし、人柄は、心が清らかで、優雅なことを好み、他の人とは違っていた。貧しい境遇にあっても、なお豊かだった時の心のままで、暮らし向きのことなどは一向に構わなかった。長年連れ添った妻が、だんだん夫婦の契りもなくなり、ついに尼になって、姉が先に尼になっている所へ行くことになった。男は、これまで本当に仲睦まじかったわけではないが、これで最後と出ていくのを、しみじみと愛しく思ったが、貧しいので、何も贈ることができなかった。思い悩んだ末、親しくしていた友人のもとに、「これこれの次第で妻は出て行きますが、何一つ、ほんの僅かのこともしてやれず、送り出してしまわねばならないことです」と書いて、奥に、

 
指を折って一緒に暮らした年月を数えると、もう四十年にもなっていたことです。

かの友人は男の歌を見て、同情に堪えず、男の妻のために衣装などはもとより夜具まで整え贈って、詠んだ。

 
年月を数えてさえ四十年も経っているのですから、ご妻女はあなたをどれほど頼みにしてきたことでしょう。

このように書き送ると、男は、

 
これこそが、天の羽衣というものでしょうか。なるほど、雲の上の人である貴方がお召しになっていたものですね。

喜びに堪えず、さらに、

 
秋が来て露が降りたのだろうかと見間違うほど袖が濡れるのは、喜びの涙が落ちているのでした。

(注)紀有常・・・惟喬親王の母静子の兄。惟喬親王は、藤原良房の娘の明子が生んだ惟仁親王と皇位継承を争い敗れたため、有常は不遇をかこつことになる。。

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17 あだなりと

 年ごろおとづれざりける人の、桜のさかりに見に来たりければ、あるじ、

 あだなりと名にこそ立てれ桜花 年にまれなる人も待ちけり

返し、
 今日(けふ)来ずは明日は雪とぞ降りなまし 消えずはありとも花と見ましや

【現代語訳】
 長い間やって来なかった人が、桜の盛りに見に来たので、家の主人が詠んだ、

 
この桜は移り気ですぐに散ってしまうと評判ですが、一年のうちめったに訪れない貴方でも、こうしてちゃんと待っておりました。

返し、
 
今日来なかったら、桜は明日には雪のように散ってしまったしょう。雪のように消えないでいても、それを桜と見ることができるでしょうか。

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19 あまぐもの

 昔、男、宮仕へしける女の方(かた)に、御達(ごたち)なりける人をあひ知りたりける、ほどもなく離(か)れにけり。同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男は、あるものかとも思ひたらず。女、

 天雲のよそにも人のなりゆくか さすがに目には見ゆるものから

とよめりければ、男、返し、

 天雲のよそにのみして経(ふ)ることは わがゐる山の風はやみなり

とよめりけるは、また男ある人となむいひける。

【現代語訳】
 昔、ある男が出仕していた所に女房として仕えていた人と、親しくなり情を交わしていたが、ほどなく別れてしまった。しかし、同じ出仕先なので、女の目にはいつも男の姿が見えるものの、男のほうはその女がまったく眼中にないかのようだった。女が、
 
 
まるで空の雲のように、あの人は遠くて関係ないものになってしまうのかしら。そうは言っても、やはり私の目には姿が見えますのに。

と詠んだところ、男は返し、

 
私が空の雲のように遠く離れてばかりいるのは、あなたがいる山の風が早く吹いて、私を寄せつけてくれないからです。

と詠んだが、それというのも、他に関係のある男がいる人だと、噂されていたからだった。

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23 筒井つの

(一)
 昔、田舎(いなか)わたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も恥じ交はしてありけれど、男はこの女をこそ得むと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありけり。さて、この隣の男よりかくなむ、

 筒井(つつゐ)つの井筒(ゐづつ)にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹(いも)見ざる間に

女、返し、
 くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰(たれ)か上ぐべき

など言ひ言ひて、つひに本意(ほい)のごとくあひにけり。

【現代語訳】
 昔、田舎まわりの仕事をしていた隣同士の家の男の子と女の子は、いつも井戸のそばに出て遊んでいたが、大人になって、二人とも互いに顔を合わせるのを恥ずかしがっていた。けれども、男はこの女こそを自分の妻にしたいと思っていた。女もこの男を夫にしたいと思い続け、親が他の男と結婚させようとしても、言うことを聞かずに過ごしていた。そんななか、この隣の男から、このように歌を詠んで贈ってきた。
 
 
幼いころは、井戸の上に組んである井戸枠の高さに及ばなかった私の背丈も、ずっと高くなってしまいましたよ、あなたに逢わないでいるうちに。

女は、こう返事を贈った。
 
 
あなたと比べっこをしていた私のおかっぱの髪も、今では肩を過ぎてずっと長くなってしまいました。でも、あなたでなくて誰がこの私の髪を上げて成人のしるしとできましょうか。

などと幾度も詠み合って、とうとうかねての望みどおり、結婚した。

(注)田舎わたらひ・・・地方官になること。 

(二)
 さて年ごろ経(ふ)るほどに、女、親なく頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国、高安(たかやす)の郡(こほり)に行き通ふ所出できにけり。さりけれど、このもとの女、悪(あ)しと思へるけしきもなくて、出(いだ)しやりければ、男、異心(ことごころ)ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽(せんざい)の中に隠れゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女いとよう仮粧(けさう)じてうちながめて、

 風吹けば沖つ白浪たつた山 夜半(よは)にや君がひとり越ゆらむ

とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。

【現代語訳】
 そうして何年か経つ間に、女は親を亡くし、暮らしの拠り所がなく貧しくなるにつれて、男は、この女と一緒にいてみすぼらしい生活を送るわけにはいかないと、河内の国の高安の郡に新しく通う妻の家ができた。けれども、この元の女は、それに嫉妬する様子もなく男を新しい女の所へ送り出してやるので、男は、妻が別の男に思いを寄せていてこんなに機嫌よく自分を送り出すのではと疑い、庭先の植え込みの中に身を隠し、河内へ出かけたふりをして見ると、この女はたいそうていねいにお化粧をして、遠くをぼんやり見つめながら、
 
 
風が吹くと沖の白波が立つように、何となく不安で心細い竜田山。その山を夜中にあの人は一人で越えていらっしゃるのでしょう。とても心配です。

と詠んだのを聞いて、男はこの女をたまらなく愛しく思い、それからは河内の女のもとへは行かなくなった。 

(三)
 まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙(いひがひ)取りて、筍子(けこ)のうつはものに盛りけるを見て、心憂がりて行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、

 君があたり見つつを居らむ生駒山 雲な隠しそ雨は降るとも

と言ひて見いだすに、からうじて、大和人(やまとびと)、「来む」と言へり。喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、

 君来むと言ひし夜ごと過ぎぬれば 頼まぬものの恋ひつつぞ経(ふ)る

と言ひけれど、男住まずなりにけり。

【現代語訳】
 また、稀に高安に男が来てみると、通い始めた当初こそ奥ゆかしく化粧もしていたが、今は打ち解けて自分でしゃもじを取ったり、筍子の器にご飯を盛ったりするのを見て、嫌気がさして行かなくなってしまった。それで、高安の女は、男のいる大和の方を見やって、
 
 
あの人のいる大和の方を見ていよう。生駒山を、雲よどうか隠さないで。たとえ雨が降っても。

と詠んで、外の方を見ていると、やっとのことで、大和人が「来よう」と言った。喜んで待ったのだが、幾たびも空しく過ぎてしまったので、

 
あなたが来ると聞いたその夜毎に、ただ空しく過ぎていくばかりなので、頼りにはしないのですが、それでも恋しく思いつつ日を送っています。

と詠みおくったが、男は通って来なくなってしまった。 

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24 あらたまの

 昔、男、片田舎に住みけり。男、宮仕へしにとて、別れ惜しみて行きけるままに、三年(みとせ)(こ)ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろに言ひける人に、「今宵(こよひ)あはむ」と契りたりけるに、この男来たりけり。「この戸あけたまへ」とたたきけれど、あけで、歌をなむよみて、出(いだ)したりける。

 あらたまの年の三年を待ちわびて ただ今宵こそ新枕(にひまくら)すれ
といひだしたりければ、

 梓弓(あずさゆみ)ま弓(まゆみ)槻弓(つきゆみ) 年を経て わがせしがごとうるはしみせよ
と言ひて、去(い)なむとしければ、女、

 梓弓引けど引かねど昔より 心は君に寄りにしものを

と言ひけれど、男帰りにけり。女、いとかなしくて、しりに立ちて追ひ行けど、え追ひつかで、清水(しみず)のある所に伏しにけり。そこなりける岩に、およびの血して書きつけける、

 あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかね わが身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。

【現代語訳】
 昔、ある男が、都から離れた片田舎に住んでいた。その男が宮廷に出仕するといって女に別れを惜しみつつ行ってしまったまま、三年間も帰って来なかった。女は待ちあぐねて辛い思いをしていたので、たいそう熱心に求婚してきていた別の男と、「今夜結婚しよう」と約束した、そこへ、先に夫だった男がちょうどやって来た。「この戸を開けなさい」と言って叩いたが、女は戸を開けずに歌を詠んで外の男に差し出した。

 
三年もの間ずっとお待ちしましたが、待ちくたびれてしまい、よりによってまさに今夜、私は新しい人と結婚するのです。

と詠んで差し出したところ、

 
いろいろなことがあった年月だったけれど、ずっと私があなたにしていたように、新しい夫を愛し仲良くしなさい。

と男は言って、立ち去ろうとした。女は、

 
私の気持ちをあなたが引こうが引くまいが、私の心は昔からあなたにぴったり寄り添って離れないものでしたのに。

と言ったが、男は帰ってしまった。女はたいそう悲しみ、男を追いかけたが追いつけず、美しい湧き水が出ている場所に、うつぶせに倒れてしまった。そこにあった岩に指から出た血で書きつけた歌は、

 
私はあなたを熱愛しているのに、同じように思ってはくれないで離れていくあなたをどうしても引きとめることができず、私は今にも消え果ててしまうようです。

と書いて、そこでむなしく死んでしまった。

(注)三年・・・律令の戸令には、「子供がない夫婦で三年、子供があれば五年帰らない者、逃亡した者で子供がなくて二年、子供があれば三年出てこない者は、新しく結婚してよい」という条項がある。
(注)新枕・・・結婚の初夜を迎えること。 

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25 逢わで寝る夜

 昔、男ありけり。あはじとも言はざりける女の、さすがなりけるがもとに、言ひやりける、

 秋の野に笹わけし朝の袖よりも あはで寝(ぬ)る夜ぞひちまさりける

色好みなる女、返し、

 みるめなきわが身を浦と知らねばや 離(か)れなで海人(あま)の足たゆく来る

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。逢わないとは言わないものの、そうかといってなびきそうでもない女のもとに、歌を書き送った。

 
秋の野に笹をかき分けて歩いた朝の袖よりも、あなたに逢わないで一人寝る夜の袖は、涙でぐっしょり濡れています。

色好みである女の返し、

 
何の見所もない私を、つまらぬものと知らないので、よくもまあ、疲れた足をひきずって私のもとに通ってくるのですね。

(注)みるめ(海松布)・・・「みる」はミル目の海藻。「め」は、海藻の意。

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26 もろこし舟

 昔、男、五条わたりなる女を、え得ずなりにけることと、わびたりける人の返りごとに、

 思ほえず袖にみなとのさわぐかな もろこし舟の寄りしばかりに

【現代語訳】
 昔、ある男が、「五条あたりに住んでいた女を、どうしても手に入れることができなかった」と、嘆いて言う人への、返事に詠んだ歌は、

 
思いがけず、袖に港の波がさわぐことだ。唐土の船が寄ってきたばかりに。 

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32 しづのをだまき

 昔、もの言ひける女に、年ごろありて、

 いにしへのしづのをだまき繰りかへし 昔を今になすよしもがな

と言へりけれど、何とも思はずやありけむ。

【現代語訳】
 昔、親しく語らい、関係を持ったことのある女に、何年か過ぎて男が、

 
昔の織物の麻糸をつむいで巻き取った糸玉から糸を繰り出すように、もう一度あのころに時をまきもどし、楽しかった過去の日々を今にする方法があればよいのに。

と言ったけれども、女は何とも思わなかったのか、何の返事もしなかった。

(注)しづ・・・古代の織物の名前。「倭文」と書く。
(注)をだまき・・・麻の繊維を、織物にするため中空の円筒形に巻いた物。 

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37 下紐とくな

 昔、男、色好みなりける女に逢へりけり。うしろめたくや思ひけむ、

 我ならで下紐とくな朝顔の 夕かげまたぬ花にはありとも

返し、
  二人して結びし紐をひとりして あひ見るまでは解かじとぞ思ふ

【現代語訳】
 昔、ある男が、色好みな女に逢って情を交わした。男は、この多情な女が自分のいない間に浮気をするのではないかと不安に思ったのか、このような歌を贈った。

 
私以外の男に下裳の紐など解いてはいけない。たとえあなたが、朝顔のように夕陽を待たずに移ろってしまう浮気な美しい女であっても。

女は返し、
 
あなたと二人で互いに結んだ下紐ですもの。あなたにお逢いするまで決して一人ではほどくまいと思っています。 

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39 源の至

 昔、西院(さいゐん)の帝(みかど)と申す帝おはしましけり。その帝のみこ、たかい子と申すいまそがりけり。そのみこうせたまひて、御葬(おほむはぶり)の夜、その宮の隣なりける男、御葬見むとて、女車にあひ乗りていでたりけり。いと久しう率(ゐ)ていで奉らず。うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、天の下の色好み、源の至(いたる)といふ人、これももの見るに、この車を女車と見て、寄り来て、とかくなまめくあひだに、かの至、蛍(ほたる)をとりて女の車に入れたりけるを、車なりける人、この蛍のともす火にや見ゆらむ、ともし消(け)ちなむずるとて、乗れる男のよめる。

 いでていなばかぎりなるべみともし消(け)ち 年経ぬるかと泣く声を聞け

かの至、返し、

いとあはれ泣くぞ聞ゆるともし消(け)ち 消(き)ゆるものともわれは知らずな

(あめ)の下の色好みの歌にては、なほぞありける。

 至は順(したがふ)が祖父(おほぢ)なり。みこの本意(ほい)なし。

【現代語訳】
 昔、西院の帝と申し上げる帝がおいでになった。その帝の皇女に祟子(たかいこ)と申し上げる方がいらっしゃった。その皇女がお亡くなりになり、御葬送の夜、その宮の隣に住んでいた男が、御葬送を見ようと、女房の乗る牛車に一緒に乗って出たのであった。ところが、たいそう長い間、御葬車をお出しにならない。泣くだけ泣いて帰ってしまおうとするうちに、天下の色好みとして有名な源の至という人が、これも御葬送を見物に来ていたのだが、この車を女車と見て、近寄って来て、とかく色めかしくふるまううちに、その至が蛍を捕えて女の車に入れたところ、車の中の女は、この蛍の光で顔を見られるかもしれないと思って、その光を消そうとした。その時、同乗していた男が女に代わって詠んだ。

 
御葬列が出てしまったら、これが最後のお別れ、そう思って、灯火を消したように亡くなられた皇女のお命は、何と短いことだったかと泣く声をお聞きなさい。

かの至は、こう返した。

 
とてもあはれなことです。あなたの泣いているのが聞こえます。しかし灯火を消したからといって、それで本当に人の魂が消えることになるとは思いません。

天下の色好みの歌としては平凡なものであった。

 至は順(したごう)の祖父であるが、亡くなった皇女にとっては不本意な話であった。

(注)西院の帝・・・第53代淳和天皇。業平の大叔父にあたる。
(注)女車・・・女性の乗っている牛車。
(注)源の至・・・嵯峨天皇の孫。臣籍降下して源姓を賜わる。

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40 いでていなば

 昔、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへ追ひやらむとす。さこそいへ、まだ追ひやらず。人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし。さる間に、思ひはいやまさりにまさる。にはかに、親、この女を追ひうつ。男、血の涙を流せども、とどむるよしなし。率(ゐ)ていでていぬ。男、泣く泣くよめる、

 いでていなば誰(たれ)か別れのかたからむ ありしにまさる今日(けふ)は悲しも

とよみて絶え入りにけり。親、あわてにけり。なほ思ひてこそ言ひしか、いとかくしもあらじと思ふに、真実(しんじち)に絶え入りにければ、まどひて願(ぐわん)立てり。今日のいりあひばかりに絶え入りて、またの日の戌(いぬ)の時ばかりになむ、からうじて生きいでたりける。むかしの若人(わかうど)はさる好ける物思ひをなむしける。今の翁(おきな)、まさにしなむや。

【現代語訳】
 昔、若い男が、なかなか悪くない女に懸想していた。それに気をまわす親があって、わが子がこの女を好きになっては大変と、この女をよそへ追い払おうとした。そうはいっても、まだ追い払わずにいた。男は親がかりの身なので、まだ親に反抗する気骨もなく、女を引きとどめる力もない。女も身分賎しき者なので、抗うすべもない。そうこうしている間に、男の思いはいよいよ募りに募る。急に、親がこの女を追い払った。男は血の涙を流したが、引きとどめようがない。人が女を連れて出て行ってしまった。男は泣く泣く詠んだ、

 
連れて出て行くのなら、誰も別れが難しくあろうか。無理に引き離されるから別れ難いのだ。今までよりも、今日の悲しさはさらに大きい。

と詠んで息も絶え絶えになった。親はあわてた。何といっても、わが子のことを思って女を追い出したのだ。まさかこれほどのことにはなるまいと思っていたが、本当に息も絶え絶えなので、うろたえて神仏に祈った。その日の日没ごろに息が絶え、翌日の戌の時(午後8時)の頃にようやく生き返った。昔の若者は、このような一途な恋患いをしたのだ。今の老人たちには、こんなことはできない。

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41 紫の

 昔、女はらから二人ありけり。一人はいやしき男の貧しき、一人はあてなる男もたりけり。いやしき男もたる、師走(しはす)のつごもりに上(うへ)の衣(きぬ)を洗ひて手づから張りけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざもならはざりければ、上の衣の肩を張り破(や)りてけり。せむ方もなくてただ泣きに泣きけり。これをかのあてなる男聞きて、いと心苦しかりければ、いときよらなる緑衫(ろうさう)の上の衣を見出でてやるとて、

 紫の色濃き時はめもはるに 野なる草木ぞわかれざりける

武蔵野(むさしの)の心なるべし。

【現代語訳】
 昔、ある二人の姉妹がいた。一人は身分が低く貧乏な男を夫とし、もう一人は身分の高い男を夫としていた。身分の低い夫をもった女は、十二月の末に、夫が着る正装の上衣を洗って、自らの手で糊(のり)張りをした。注意深くしていたが、そのような雇い女がするような仕事に慣れていなかったので、上衣の肩の部分を張るときに破いてしまった。女はどうしようもなくてただ泣いていた。このことをあの高貴な男が聞き、たいそう切なく思い、とてもきれいな、六位の人が着る緑色の上衣を探し出して贈ろうとして、次の歌を詠んで添えた。

 
紫草の根の色が濃くて美しいときは、春の野を見渡すかぎり萌え出た草木がすべて緑一色に見えて区別がつかず、みんな紫草のように思われます。それと同じで、妻がいとしいと、その縁につながる人もすべて区別がつかないのですよ。

これは、あの「紫の一本(ひともと)ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(一本の紫草を愛するがゆえに、武蔵野の草はみんな愛しい)」の歌の心と同じであろう。 

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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「伊勢物語」について

 平安前期(または中期)に成ったとされる歌物語の最初の作品。藤原定家本によれば、全1巻で、125の短い章段からなる。作者は不明ながら、平安貴族に評価され、筆写されながら読み継がれ、また、数十年の歳月をへて複数の作者によって新しい章段が付加されながら、現在の姿になったと考えられている。

 『竹取物語』と並ぶ創成期の仮名文学の代表作で、現存する日本の歌物語中最古の作品。同じく歌物語とされる『大和物語』があるものの、後世への影響力の大きさでは『伊勢物語』と比べるべくもなく、そういった意味では『伊勢物語』は『源氏物語』と双璧をなしており、これらに『古今和歌集』を加えて同時代の三大文学と見ることもできる。

 殆どの章段が「昔、男ありけり」と書き出され、この「男」とは、多くは六歌仙の一人・在原業平がモデルとされ、業平の実事と虚構が入り交じっている。業平の和歌が多く採録され、このため、平安時代には『在五(ざいご)が物語』『在五中将物語』『在五中将の日記』などともよばれたらしい。

 作品の内容は、主人公の元服の段に始まり、男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交など多岐にわたり、その死で終えるという一代記風にまとめられている。後世への影響は『源氏物語』に優るとも劣らず、日本文学の大きな水源となっている。

在原業平
 825~880年。阿保(あぼ)親王の五男で、平城天皇の孫にあたる。行平の弟、妻は紀有常(きのありつね)の娘。『古今集』の代表的歌人で、六歌仙および三十六歌仙の一人。官位には恵まれなかったが、右馬頭、蔵人頭などを歴任。容姿端麗な風流人だったとされる。別称の「在五中将」は、在原氏の五男であったことによる。

書名の由来
 『伊勢物語』の書名の由来は、古来諸説あるが、一説には、第69段の在原業平と想定される男が伊勢斎宮と恋に落ちる話が重要で中心をなす部分なので、この物語全体の名とした、また、本来はこの章段が冒頭にあったからとする説などがある。
 なお、『伊勢物語』という書名の、文献上の確実な初出は『源氏物語』(「絵合」の巻)であり、作者紫式部の『伊勢物語』に対する高い評価が反映しているとみられる。
 紫式部が『伊勢物語』を強く意識していたことは容易に察せられ、「若紫」の巻の北山の垣間見は、『伊勢物語』の初段の写しであることが古くから指摘されており、巻名そのものも初段の歌に由来しているとされる。

和歌一覧 ①

第1段
春日野の 若紫の すりごろも しのぶの乱れ かぎりしられず

陸奥の しのぶもぢ摺り 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

第2段
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて 眺め暮しつ

第3段
思ひあらば 葎の宿に ねもしなむ ひじきのものには 袖をしつつも

第4段
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身は一つ もとの身にして

第5段
人知れぬ わが通ひ路の 関守は 宵々ごとに うちも寝ななむ

第6段
白玉か なにぞと人の 問ひし時 露とこたへて 消えなましものを

第7段
いとどしく 過ぎ行く方の 恋しきに うらやましくも かへる浪かな

第8段
信濃なる 浅間の嶽に たつ煙 をちこち人の 見やはとがめぬ

第9段
唐衣 きつつ馴にし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ

駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に 逢はぬなりけり

時しらぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ

名にしおはば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

第10段
みよし野の たのむの雁も ひたぶるに 君が方にぞ 寄ると鳴くなる

わが方に 寄ると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れむ

第11段
忘るなよ ほどは雲居に なりぬるとも 空ゆく月の めぐりあふまで

第12段
武蔵野は 今日はな焼きそ 若草の つまもこもれり われもこもれり

第13段
武蔵鐙を さすがにかけて 頼むには 問はぬもつらし 問ふもうるさし

問へば言ふ 問はねば恨む 武蔵鐙 かかる折にや 人は死ぬらむ

第14段
なかなかに 恋に死なずは 桑子にぞ なるべかりける 玉の緒ばかり
 
夜も明けば きつにはめなで くた鶏の まだきに鳴きて せなをやりつる
 
栗原の あねはの松の 人ならば 都のつとに いざといはましを

第15段
しのぶ山 しのびて通ふ 道もがな 人の心の 奥も見るべく

第16段
手を折りて あひ見しことを 数ふれば 十といひつつ 四つはへにけり
 
年だにも 十とて四つは 経にけるを いくたび君を 頼み来ぬらむ
 
これやこの 天の羽衣 むべしこそ 君が御衣と 奉りけれ
 
秋や来る 露やまがふと 思ふまで あるは涙の 降るにぞありける

第17段
あだなりと 名にこそたてれ 桜花 年にまれなる 人も待けり

今日来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし 消えずはありとも 花と見ましや

第18段
紅に にほふはいづら 白雪の 枝もとををに 降るかとも見ゆ

紅に にほふがうへの 白菊は 折りける人の 袖かとも見ゆ

第19段
天雲の よそにも人の なりゆくか さすがに目には 見ゆるものから
 
天雲の よそにのみして 経ることは わが居る山の 風はやみなり

第20段
君がため 手折れる枝は 春ながら かくこそ秋の 紅葉しにけれ

いつの間に 移ろふ色の つきぬらむ 君が里には 春なかるらし

第21段
いでていなば 心かるしと 言ひやせむ 世のありさまを 人は知らねば
 
思ふかひ なき世なりけり 年月を あだに契りて 我や住まひし
 
人はいさ 思ひやすらむ 玉かづら 面影にのみ いとど見えつつ
 
今はとて 忘るる草の たねをだに 人の心に まかせずもがな
 
忘草 植ふとだに聞く ものならば 思ひけりとは 知りもしなまし
 
忘るらむ と思ふ心の うたがひに ありしよりけに ものぞかなしき
 
中空に 立ちゐる雲の あともなく 身のはかなくも なりにけるかな

第23段
筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に

くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき

風吹けば 沖つ白浪 龍田山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ

君があたり 見つつを居らむ 生駒山 雲な隠しそ 雨は降るとも

君来むと 言ひし夜毎に 過ぎぬれば 頼まぬものの 恋ひつつぞ経る

第24段
あらたまの 年の三年を 待ちわびて 新枕すれ ただ今宵こそ

梓弓 ま弓つき弓 年を経て わがせしがごと うるはしみよせ

梓弓 引けど引かねど 昔より 心は君に 寄りにしものを

あひ思はで 離れぬる人を とどめかね わが身は今ぞ 消え果てぬめる

第25段
秋の野に 笹分けし朝の 袖よりも あはで寝る夜ぞ ひぢまさりける

みるめなき わが身を浦と 知らねばや 離れなで海人の 足たゆく来る

第26段
思ほえず 袖にみなとの 騒ぐかな もろこし舟の 寄りしばかりに

第27段
我ばかり もの思ふ人は またもあらじと 思へば水の 下にもありけり

水口に われや見ゆらむ 蛙さへ 水の下にて もろ声に鳴く

第28段
などてかく あふごかたみに なりにけむ 水漏らさじと 結びしものを

第29段
花に飽かぬ なげきはいつも せしかども 今日のこよひに 似る時はなし

第30段
あふことは 玉の緒ばかり おもほえて らき心の ながく見ゆらむ

第31段
つみもなき 人をうけへば 忘草 おのがうへにぞ 生ふといふなる

第32段
古の しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな

第33段
芦辺より みち来るしほの いやましに 君に心を 思ひますかな
 
こもり江に 思ふ心を いかでかは 舟さす棹の さして知るべき

第34段
いへばえに いはねば胸に 騒がれて 心ひとつに 嘆くころかな

第35段
玉の緒を 沫緒によりて むすべれば 絶えてののちも 逢はむとぞ思ふ

第36段
谷せばみ 峯まではへる 玉かづら 絶えむと人に わが思はなくに

第37段
我ならで 下紐解くな 朝顔の 夕影待たぬ 花にはありとも

ふたりして 結びし紐を ひとりして あひ見るまでは 解かじとぞ思ふ

第38段
君により 思ひならひぬ 世の中は 人はこれをや 恋問いふらむ

ならはねば 世の人ごとに なにをかも 恋とはいふと 問ひし我しも

第39段
出でていなば かぎりなるべみ ともしけち 年へぬるかと なく声を聞け

いとあはれ なくぞ聞ゆる ともしけち 消ゆるものとも 我は知らずな

第40段
いでていなば 誰か別れの かたからぬ ありしにまさる けふは悲しも

第41段
紫の 色濃き時は めもはるに 野なる草木ぞ わかれざりける

第42段
出でて来し あとだに未だ かはらじを 誰が通ひ路と 今はなるらむ

第43段
ほととぎす 汝が泣く里の あまたあれば なほ疎まれぬ 思ふものから

名のみたつ しでの田長は けさぞ鳴く 庵あまた 疎まれぬれば

いほり多き しでの田長は なほ頼む わが住む里に 声し絶えずは

第44段
いでてゆく 君がためにと脱ぎつれば 我さへもなく なりぬべきかな

第45段
行く蛍 雲の上まで いぬべくは 秋風吹くと 雁に告げこせ

暮れがたき 夏のひぐらし ながむれば そのこととなく ものぞ悲しき

第46段
目離るとも おもほえなくに 忘らるる 時しなければ 面影にたつ

第47段
大幣の ひく手あまたに なりぬれば 思へどこそ 頼まざりけれ

大幣と 名にこそたてれ 流れても つひによる瀬は ありといふものを

第48段
今ぞ知る 苦しきものと 人待たむ 里をば離れず 訪ふべかりけり

第49段
うら若み 寝よげに見ゆる 若草を 人の結ばむ ことをしぞ思ふ

初草の などめづらしき 言の葉ぞ うらなくものを 思ひけるかな

第50段
鳥の子を 十づつ十は 重ぬとも 思はぬ人を おもふものかは

朝露は 消え残りても ありぬべし 誰かこの世を 頼みはつべき

吹く風に 去年の桜は 散らずとも あな頼みがた 人の心は

ゆく水に 数かくよりも はかなきは 思はぬ人を 思ふなりけり

ゆく水と 過ぐるよはひと 散る花と いづれ待ててふ ことを聞くらむ

第51段
植ゑしうゑば 秋なき時や 咲かざらむ 花こそ散らめ 根さへ枯れめや

第52段
菖蒲刈り 君は沼にぞ まどひける 我は野に出でて かるぞわびしき

第53段
いかでかは 鶏の鳴くらむ 人しれず 思ふ心は まだ夜ぶかきに

第54段
行きやらぬ 夢路を頼む たもとには 天つ空なる 露やおくらむ

第55段
思はずは ありもすめらど 言の葉の をりふしごとに 頼まるるかな

第56段
わが袖は 草の庵に あらねども 暮るれば露の 宿りなりけり

第57段
恋ひわびぬ あまの刈る藻に 宿るてふ われから身をも くだきつるかな

第58段
荒れにけり あはれいく世の 宿なれや 住みけむ人の おとづれもせぬ

葎おひて 荒れたる宿の うれたきは かりにも 鬼の集くなり

うちわびて 落穂ひろふと きかませば 我も田面に ゆかましものを

第59段
住わびぬ 今はかぎりと 山里に 身をかくすべき 宿をもとめてむ

わが上に 露ぞ置くなる 天の河 門渡る船の かいのしづくか

第60段
さつき待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

第61段
染河を 渡らむ人の いかでかは 色になるてふ ことのなからむ

名にし負はば あだにぞあるべき たはれ島 浪の濡れ衣 着るといふなり

第62段
いにしへの にほひはいづら 桜花 こけるからとも なりにけるかな

これやこの 我にあふみを のがれつつ 年月経れど まさり顔なき

第63段
百歳に 一歳たらぬ つくも髪 われを恋ふらし おもかげに見ゆ

さむしろに 衣かたしき 今宵もや 恋しき人に 逢はでのみ寝む

第64段
吹く風に わが身をなさば 玉すだれ ひま求めつつ 入るべきものを

取りとめぬ 風にはありとも 玉すだれ 誰が許さば かひもとむべき

第65段
思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 逢ふにしかへば さもあらばあれ

恋せじと 御手洗川に せしみそぎ 神はうけずも なりにけるかな

あまの刈る 藻にすむ虫の 我からと 音をこそなかめ 世をばうらみじ

さりともと 思ふらむこそ 悲しけれ あるにもあらぬ 身を知らずして

いたづらに 行きては来ぬる ものゆゑに 見まくほしさに いざなはれつつ

第66段
難波津を けさこそみつの 浦ごとに これやこの世を 海わたる舟

第67段
昨日けふ 雲のたちまひ かくろふは 花のはやしを 憂しとなりけり

第68段
雁鳴きて 菊の花さく 秋はあれど 春のうみべに 住吉の浜

第69段
君やこし 我や行きけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てか醒めてか

かきくらす 心の闇に まどひにき 夢現とは こよひ定めよ

かち人の 渡れどぬれぬ 江にしあれば またあふさかの 関は越えなむ

第70段
みるめかる かたやいづこぞ 棹さして われに教へよ あまの釣舟

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