枕草子
第1~60段
春はあけぼの(第1段)/ 頃は(第2・3段)/ 三月三日は(第4段)/ 思はむ子を(第7段)/ 大進生昌が家に(第8段)/ 清涼殿の丑寅の隅の(第23段)/ 生ひ先なく(第24段)/ すさまじきもの(第25段)/ 憎きもの(第28段)/ 心ときめきするもの(第29段)/ 過ぎにしかた恋しきもの(第30段)/ 七月ばかりいみじう暑ければ(第36段)/ 木の花は(第37段)/ 虫は(第43段)
第61~120段
あかつきに帰らむ人は(第63段)/ 草の花は(第67段)/ ありがたきもの(第75段)/ 内裏の局は(第76段)/ 頭の中将の(第82段)/ 里にまかでたるに(第84段)/ なまめかしきもの(第89段)/ 無名と言ふ琵琶の御琴を(第93段)/ ねたきもの(第95段)/ かたはらいたきもの(第96段)/ あさましきもの(第97段)/ くちをしきもの(第98段)/ 二月つごもりごろに(第106段)
第121~180段
無徳なるもの(第125段)/ はしたなきもの(第127段)/ 関白殿、黒戸より(第129段)/ 殿などのおはしまさでのち(第143段)/ 碁をやむごとなき人の打つとて(第146段)/ 胸つぶるるもの(第150段)/うつくしきもの(第151段)/人ばへするもの(第152段)/ 苦しげなるもの(第157段)/ うらやましげなるもの(第158段)/ とくゆかしきもの(第159段)/ 心もとなきもの(第160段)/ 女の一人住む所は(第178段)/ 宮仕へ人の里なども(第179段)
第181~260段
宮に初めて参りたるころ(第184段)/ 病は(第188段)/ ふと心劣りとかするものは(第195段)/ 風は(第197段)/ 野分のまたの日こそ(第200段)/ 五月ばかりなどに(第223段)/ 八月つごもり(第227段)/九月二十日あまりのほど(第228段)/よくたきしめたる薫物の(第231段)/ 月のいと明きに(第232段)/ 大きにてよきもの(第233段)ほか / 御乳母の大輔の命婦(第240段)/ 日は(第252段)ほか
第261~319段
文言葉なめき人こそ(第262段)/ 世の中に、なほいと心憂きものは(第267段)/ 男こそ、なほありがたく(第268段)/ 人の上言ふを腹立つ人こそ(第270段)/ うれしきもの(第276段)/ 御前にて人々とも(第277段)/ 雪のいと高う降りたるを(第299段)/ うちとくまじきもの(第305段)/ よろしき男を下衆女などのほめて(第311段)/ 大納言殿参り給ひて(第313段)/ 跋文(第319段)
春は、曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく、山際(やまぎは)少し明あかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は、夜。月のころはさらなり。闇(やみ)もなほ、蛍(ほたる)の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏(からす)の、寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁(かり)などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬は、早朝(つとめて)。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
【現代語訳】
春は何といっても明け方がいい。次第に白んでくる山際の空が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているさま。
夏は夜。月が出ているときは言うまでもない。闇夜であっても、ほたるが多く飛び交っているさま。また、ほんの一、二匹などが、ほのかに光って飛んでいくのも趣がある。雨が降っても風情がある。
秋は夕暮れ。夕日が山際に近づいて、烏がねぐらに帰るのか、三羽四羽、二羽三羽などと飛び急ぐのさえ、しみじみとした情緒がある。まして雁などが連なって、とても小さく見えるのは実に趣がある。日がすっかり沈み、風の音、虫の音などが聞こえるのは、やはり何ともいえないものだ。
冬は早朝。雪が降ったのは言うまでもない。霜がたいそう白いのも、またそうでなくても、とても寒い朝に、火などを急いでおこして炭を持ち運ぶさまは、いかにも冬らしい。昼になり、寒さがだんだんゆるみ、火桶の炭も白い灰が目立ってくるのはわびしい。
↑ ページの先頭へ
(一)
頃は、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月、すべて、をりにつけつつ、一年(ひととせ)ながら、をかし。
正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしう霞(かす)みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、形、心ことにつくろひ、君をも我をも祝ひなどしたる、様ことにをかし。
七日、雪間(ゆきま)まの若菜摘み、青やかに、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬(あをむま)見にとて、里人は車きよげにしたて見に行く。中の御門(みかど)の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭(かしら)、一所(ひとところ)にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして笑ふもまたをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人(てんじやうびと)などあまた立ちて、舎人(とねり)の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、はつかに見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづかさ)、女官などの行き違ひたるこそ、をかしけれ。いかばかりなる人、九重(ここのへ)をならすらむ、など思ひやらるるに、内裏(うち)にも、見るは、いと狭(せば)きほどにて、舎人の顔のきぬにあらはれ、まことに黒きに、白き物いきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたる心地していと見苦しく、馬のあがり騒ぐなどもいと恐ろしう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
八日、人のよろこびして走らする車の音、ことに聞こえて、をかし。
【現代語訳】
時節は、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月、すべてその時々に応じて、一年中みな趣がある。(ここまでが第2段)
正月一日は、空の様子も一段とうららかで、新しい感じに霞がかかっているのに、世間の人は、誰もみな、身なりや化粧を格別入念にして、主人をも自分をも末永くと祝ったりしているのは、いかにもふだんと違って面白い。
七日、雪の消え残る所で若菜を摘む。青々としているのを、普段はそんなものを近くに見たりはしない御殿でも、もてはやして騒いでいるのは面白い。節会の白馬見物のため、家庭の女たちも牛車を美しく飾り立てて宮中に出かける。内裏の東の門の敷居を車が通り過ぎる時、牛車が揺れて皆の頭がぶつかり合い、髪に挿した櫛も落ちて、用心していなかったので、折れたりなどして皆で笑うのもまた面白い。左衛門府の警備の詰め所のあたりに、殿上人が大勢立っていて、ふざけて舎人の弓を取っては馬を驚かして笑う。牛車の簾の隙間からわずかに覗いて見ると、立蔀(目隠し用の庭塀)などが見えて、主殿司や女官などが行ったり来たりしているのが、とても興味深い。いったいどのような幸運に生まれついた人が、宮中で気ままにふるまえるのだろうと思う。といってもこうして見えるのは狭い範囲だから、舎人の顔の地肌など本当に黒くて、おしろいがのっていない所は、雪がまだらに消え残っているような感じで見苦しく、馬が跳ねて暴れているのもたいへん恐ろしく見えて、自然と体が奥へ引っ込んでしまい、よく見ることができない。
八日、加階にあずかった人々が、諸方へのお礼言上のために走らせる車の音が、いつもと違った感じに聞こえて、面白い。
(注)殿上人・・・昇殿を許された者。
(注)舎人・・・天皇や皇族の護衛や雑用に従事した者。
(注)主殿司・・・後宮の清掃・乗り物・灯火などのことをつかさどった役所、またはその女官。
(二)
十五日、節供(せく)参り据(す)ゑ、粥(かゆ)の木ひき隠して、家の御達(ごたち)、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後ろを心づかひしたるけしきも、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるは、いとはえばえし。ねたしと思ひたるもことわりなり。新しう通ふ婿(むこ)の君などの、内裏(うち)へまゐるほどをも心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奥の方(かた)にてたたずまふを、前に居たる人は心得て笑ふを、「あなかま」と、まねき制すれども、女はた、知らず顔にて、おほどかにて居給へり。「ここなる物、取り侍らむ」など言ひ寄りて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り笑ふ。男君も、にくからずうち笑みたるに、ことに驚かず、顔すこし赤みて居たるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそ、をかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、今日(けふ)は皆乱れてかしこまりなし。
除目(ぢもく)の頃など、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじうこほりたるに、申文(まをしぶみ)持てありく四位、五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり、老いて頭(かしら)白きなどが、人に案内言ひ、女房の局(つぼね)などに寄りて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々はまねをし、笑へど、いかでか知らむ。「よきに奏し給へ、啓し給へ」など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。
【現代語訳】
十五日、粥の祝い膳をお出しした後、粥を炊いて燃え残った木を隠していて、女房たちが互いの尻を打とうと隙を狙っているが、打たれまいと用心して、いつも後ろを気にしている様子も面白い。どんなふうにしたのか、相手の尻をうまく打って皆大笑いしているのは、とても陽気だ。打たれた人が悔しがるのももっともだ。新しく当家に通い始めた婿君が、宮中に参内する支度をしているのに、その間ももどかしく、その邸で幅を利かしている女房が、物陰から覗いて、張り切って今か今かと奥の方でうろうろしているのを、姫君の前に侍っている女房が気づいて笑う。「しっ、静かに」と手で合図して止めるけれども、姫君は気づかない様子でおっとりと座っていらっしゃる。「そこにある物を取りましょう」などと言って近づき、走り寄って姫君の尻を打って逃げると、周りの者は皆笑う。見ていた婿君もやられたなというように微笑んでいるのに、姫君は別に驚きもせず、顔を少し赤らめて座っているのは、いかにも大家の姫君らしい。また、女房同士が互いに打ち合って、男の人まで打つようである。もともと冗談の遊びなのに、いったいどういうつもりなのか、打たれて泣いたり腹を立てたり、打った人を呪ったり、不吉なことを言う女房もいて面白い。宮中のような高貴な所でも、今日はみな無礼講で上下の遠慮がない。
春の除目の頃の宮中の趣は、また格別である。雪が降ったり氷が張ったりしているのに、上申の手紙を持ってあちこちしている四位や五位の人の、まだ若く、元気がよい人たちは、前途有望でとても頼もしい。年老いて白髪頭の人などが、女房に取り次ぎを頼んだり、女房の局に立ち寄ったりして、自分自身が優れているわけなどを、ひとりよがりに説明して聞かせるのを、若い女房たちは、馬鹿にして口真似をして笑っているけれども、本人はそんなこと知るはずもない。「よろしく帝に申し上げてください、中宮様にも」などと頼み込んでも、望む地位を得た人はとてもいいが、かなわなかった人は、あまりにも気の毒だ。
(注)除目・・・定期の人事異動。
↑ ページの先頭へ
三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の、今咲き始むる。柳などをかしきこそ、さらなれ。それも、まだまゆにこもりたるは、をかし。広ごりたるは、うたてぞ見ゆる。
おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそ、をかしけれ。桜の直衣(なほし)に出袿(いだしうちき)して、まらうどにもあれ、御兄(せうと)の君(きん)たちにても、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。
【現代語訳】
三月三日は、うららかにのんびり日が照っているのがよい。桃の花がまさに咲き始めるのも趣きがある。柳などが趣深いのはもちろんだが、その柳もまだ繭のような新芽で外皮に包まれているのは面白い。でも、それが広がってしまっているのは見苦しく見える。
美しく咲いた桜の枝を長く折って、大きな花瓶に挿してあるのはとても趣きがある。桜の直衣に出袿をして、お客人にせよ、中宮様のご兄弟の殿方にせよ、その花瓶近くに座って何か語らいをしているのは、とてもいいものだ。
(注)直衣・・・貴人の平服。
(注)出袿・・・指貫の上、直衣の下から下着の裾を下ろすこと。
↑ ページの先頭へ
思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端(はし)などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物(さうじもの)のいとあしきをうち食ひ、寝(い)ぬるをも、若きは、物もゆかしからむ、女などのある所をも、などか、忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ、それをも、安からず言ふ。まいて、験者(げんざ)などは、いと苦しげなめり。困(こう)じてうち眠(ねぶ)れば、「ねぶりをのみして」など、もどかる。いと所せく、いかに覚ゆらむ。
これは昔のことなめり。今は、いと安げなり。
【現代語訳】
愛する我が子を法師にしてしまったら、たいへん気の毒だ。世間では、法師をまるで木石などのように思っており、とても可哀そうだ。法師は、精進物のひどく粗末な食べ物を食べ、居眠りする時さえ、端からやかましく言われる。また若い法師は何かにつけ気を引かれるだろう、女などがいる所をどうして避けるように覗かずにいられようか、少しぐらい覗いたっていいではないか。しかし、人々はそんなことにもうるさく言う。普通の法師でもそうなのに、まして修験者などになるとたいそう苦しいようだ。疲れてちょっと居眠りしても、「あの修験者は眠ってばかりだ」などと非難される。とても窮屈で、いったいどんな気持ちでいるのだろう。
もっとも、これは昔のことのようで、今ではだいぶ気楽な様子だ。
↑ ページの先頭へ
大進(だいじん)生昌(なりまさ)が家に、宮の出でさせ給ふに、東(ひむがし)の門(かど)は四足(よつあし)になして、それより御輿(みこし)は入(い)らせ給ふ。北の門より、女房の車どもも、また陣のゐねば、入(い)りなむと思ひて、頭(かしら)つきわろき人もいたうもつくろはず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びらうげ)の車などは、門小さければ、障(さは)りてえ入らねば、例の、筵道(えんだう)敷きておるるに、いとにくく腹立たしけれども、いかがはせむ。殿上人、地下(ぢげ)なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。
御前(おまへ)にまゐりて、ありつるやう啓すれば、「ここにても、人は見るまじうやは。などかは、さしもうちとけつる」と、笑はせ給ふ。「されどそれは、目馴れにて侍れば、よくしたてて侍らむにしもこそ、驚く人も侍らめ。さても、かばかりの家に車入らぬ門やはある。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これ、まゐらせ給へ」とて、御硯(すずり)などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などその門はた、狭(せば)くは造りて住み給ひける」と言へば、笑ひて、「家のほど、身の程にあはせて侍るなり」と答(いら)ふ。「されど、門の限りを高う造る人もありけるは」といへば、「あな恐ろし」と驚きて、「それは于定国(うていこく)が事にこそ侍るなれ。古き進士(しんじ)などに侍らずは、うけたまはり知るべきにも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られ侍る」と言ふ。「その御道も、かしこからざめり。筵道敷きたれど、みなおち入り騒ぎつるは」と言へば、「雨の降り侍りつれば、さも侍りつらん。よしよし、またおほせられかくる事もぞ侍る。まかりたちなむ」とて去(い)ぬ。
【現代語訳】
大進(中宮職の三等官)生昌の家に、中宮様がお出ましになるのに、生昌の家の東の門を四足門に改造して、そこから神輿はお入りになる。北の門から、私たち女房の車も、まだ警護の役人の陣屋もしつらえていないので、きっと入れるだろうと思って、髪格好の良くない私も、大して手入れもせず、建物に車を寄せて下りられるものだと軽く考えていたのだが、檳榔毛の車など大型なのは、門が小さくて、つかえて入れず、例によって筵道を敷いて下りなければならなくなった。たいそうみっともなく、腹立たしいけれど、どうにも仕方がない。殿上人、あまつさえ地下の者たちまでが、陣屋のそばに立って見物しているのも、たいそういまいましい。
中宮様の御前に参上して、ことの次第を申し上げると、「ここだって、みんな見ていますよ。何でまたそう油断したのです」と、お笑いになる。「あの者たちは見馴れた間柄ですから、あまり念入りに化粧したりすれば、かえって驚きもしましょう。それにしても、これほどの構えの家に、車の入らない門があっていいものでしょうか。生昌が顔を見せたら笑ってやりましょう」などと言っているところへ、生昌が、「これをお使いください」と言って、硯箱を差し出した。「何とまあ、あなたは甲斐性のない。どうして門をあんなに狭くしてお住まいなの」と言うと、笑って、「家の構えは、身分相応にするものでございます」と答える。「しかし、門だけを高く立派に造った人もありましたよ」と言うと、「これは恐れ入りました」と驚き、「それは于定国の故事ですね。昔、進士(漢文の専門家)ででもなかったら、そんなことを伺っても、何のことか分からないでしょう。私はたまたまこの道に進んだ人間ですので、このようには理解できましたが」と言う。「その道だって、大したことはなさそうです。筵道を敷いたけれども、皆、でこぼこに足を取られて大騒ぎだったのです」と言うと、「雨が降ったので、そうでございましたでしょう。まあ何とでもおっしゃって下さい。もっと難題をおっしゃられそうなので、これで失礼いたしましょう」と言って立ち去った。(以下省略)
(注)檳榔毛・・・蒲葵(ほき)の葉を細く割いて屋形を葺いた牛車。貴人の晴れの乗用とされた。
(注)筵道・・・歩くとき衣服の裾が汚れぬように敷く筵。
(注)地下・・・地下人。殿上人に対し、五位以下で昇殿を許されぬ人をいう。
(注)于定国・・・前漢の政治家。宣帝・元帝に仕えて丞相となる。父の于公は公平な裁判をする獄吏として有名となり、村里の門がこわれた時、「門は立派な車も通れるように大きくしてほしい。私は公平な裁判で陰徳をつんでいるから、子孫が立派な車に乗れるくらい出世するだろう」と言った。果たしてその言の如く、子の于定国は丞相となった。
【PR】
↑ ページの先頭へ
(一)
清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の、北の隔てなる御障子(みさうじ)には、荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長(てなが)、足長などをぞ、描(か)きたる。上の御局(みつぼね)の戸を押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。
高欄(かうらん)のもとに、青き瓶(かめ)の大きなるを据(す)ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外(と)まで咲きこぼれたる昼つ方(かた)、大納言殿、桜の直衣(なほし)の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋(かたもん)の指貫(さしぬき)、白き御衣(おんぞ)ども、上に濃き綾(あや)のいとあざやかなるを出(い)だして参り給へるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷きに居給ひて、ものなど申し給ふ。
御簾(みす)の内に、女房、桜の唐衣(からぎぬ)どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤、山吹(やまぶき)など、色々好ましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御簾より押し出でたるほど、昼(ひ)の御座(おまし)の方(かた)には、御膳(おもの)まゐる足音高し。警(けい)ひちなど、「をし」と言ふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日の気色(けしき)など、いみじうをかしきに、果ての御盤(ごばん)取りたる蔵人(くらうど)参りて、御膳(おもの)奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。御供(おんとも)に、庇(ひさし)より大納言殿、御送りに参り給ひて、ありつる花のもとに帰り居給へり。(略)
【現代語訳】
清涼殿の東北の隅の、北側との隔てになっている障子は、荒海の絵で、恐ろしい姿をした手長・足長の生き物の絵が描いてある。上の御局の戸はいつも開け放しているので、いつもその不気味な絵が見えるのを、ああ気持ち悪いなどと言って笑っていた。
縁側の所に、青磁の大きな瓶を置いて、立派に咲いた桜の五尺ほどの枝をたくさん活けていて、手すりの外まで咲きこぼれている。そんな日の昼頃、大納言様(伊周)が桜がさねの直衣のしなやかなのに、濃い紫の、模様を織り出した指貫をはき、下着は白を重ね、一番上に濃い紅の綾織り、その鮮やかな色を直衣のすそからのぞかせてお見えになった。ちょうど帝がこちらにおいでになっていたので、戸口の前の細い板敷で、何かお話になっていた。
御簾の内には、女房たちが桜がさねの唐衣(正装時の上着)をゆったりと着て、ほかにも、藤がさね、山吹がさねなどの色鮮やかな袖口が、小半蔀の御簾の下からこぼれ出ている。昼の御膳を運ぶ蔵人たちの足音が高らかに聞こえる。周囲を静かにさせるための「をーしー」という先払いの声がして、うららかで長閑な春の日、何とも言えず趣深い。最後のお膳を運び終えた蔵人が、御用意ができましたと奏上するので、帝は中の戸を通っていらっしゃった。大納言様は、庇の間を通ってお送り申し上げ、先ほどの桜の差してある瓶の所に戻ってお座りになった。
(二)
「村上の御時(おほんとき)に、宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)と聞こえけるは、小一条(こいちでう)の左の大臣(おほい)殿の御女(おんむすめ)におはしけると、誰(たれ)かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえける時、父(ちち)大臣(おとど)の教へきこえ給ひけることは、『一には、御手(おんて)を習ひ給へ。次には、琴(きん)の御琴(おんこと)を、人より異(こと)に弾きまさらむとおぼせ、さては、古今(こきん)の歌(うた)二十巻(はたまき)を皆うかばせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞こえ給ひける、ときこしめしおきて、御物忌(おんものい)みなりける日、古今(こきん)を持て渡らせ給ひて、御几帳(みきちやう)をひき隔てさせ給ひければ、女御、例ならずあやし、と、おぼしけるに、草子(さうし)を広げさせ給ひて、『その月、何のをり、その人の詠みたる歌は、いかに』と、問ひ聞こえさせ給ふを、かうなりけり、と心得給ふも、をかしきものの、僻(ひが)覚えをもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきこと、と、わりなうおぼし乱れぬべし。その方におぼめかしからぬ人、二(ふたり)三人(みたり)ばかり召し出でて、碁石(ごいし)して数(かず)置かせ給ふとて、強(し)ひ聞こえさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけむ。御前(おまへ)に候(さぶら)ひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させ給へば、さかしう、やがて末(すゑ)まではあらねども、すべてつゆ違(たが)ふことなかりけり。いかでなほ、すこしひがごと見つけてをやまむ、と、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算(けふさん)さして、大殿籠(おほとのごも)りぬるも、まためでたしかし」
【現代語訳】
中宮様がお話あそばされるには、「村上の帝の御代に、宣耀殿の女御といわれた方は、小一条の左の大臣殿(藤原師尹)の姫君であるのは、皆さんご承知でしょう。まだまだ入内前の娘時代に、父の大臣がお教えになったのは、『まず第一に、お習字をなさい。次に七弦の琴を誰より上手に弾けるように心掛けなさい。それから、古今集の二十巻全部の歌を暗記なさい』ということでした。これを帝はかねてお聞きになっておられ、物忌みの日に古今集をお持ちになって女御のお部屋においでになり、間に几帳を立ててお座りになったので、女御は、いつもと違うよそよそしいお振舞いに、どうしたことかとお思いになったが、帝は古今の草子をお広げになって、『何の月、何々の時に、誰それの詠んだ歌は何という歌か』と質問なさるので、試験をなさるおつもりなのだと、面白くお思いになったものの、覚え違いをし、忘れたところがあったりしたら、大変な恥になると、その時はどんなにか心配なさったことでしょう。帝は、歌に心得のある女房を二、三人お呼びになって、碁石で、お二人の勝ち負けを数えさせようと、無理にも女御にお返事させようとなさったその場の雰囲気など、どんなにか素晴らしく優雅なご様子だったことでしょう。御前に侍った女房たちをもうらやましく思われることです。帝が、無理にも答えをお求めになると、女御は、賢らにその歌を最後までお答えになるようなことはなさいませんでしたが、すべて少しも間違えることはなかったのです。帝は、何とか少しでも間違いを見つけてから終わりにしようと続けていかれるうちに、とうとう十巻がすんでしまいました。帝は、『これ以上は無駄だ』と、御本にしおりをはさんで、お二人はお休みになられた、これまた素晴らしいことです」
↑ ページの先頭へ
生(お)ひ先なく、まめやかに、似非幸(えせざいは)ひなど見て居たらむ人は、いぶせく、侮(あなづ)らはしく思ひやられて、なほさりぬべからむ人の女(むすめ)などは、さしまじらはせ、世の有様も見せ習はさまほしう、典侍(ないしのすけ)などにてしばしもあらせばや、とこそ覚ゆれ。
宮仕へする人を、あはあはしう、悪きことに言ひ思ひたる男などこそ、いと憎けれ。げに、そも、またさることぞかし。かけまくもかしこき御前(おまへ)をはじめ奉りて、上達部(かんだちめ)・殿上人、五位・四位はさらにも言はず、見ぬ人は少くこそあらめ。女房の従者(ずさ)、その里より来る者、長女(をさめ)・御厠人(みかはやうど)の従者、たびしかはらといふまで、いつかはそれを恥ぢ隠れたりし。殿ばらなどは、いとさしもやあらざらむ。それもある限りは、しか、さぞあらむ。
上(うへ)など言ひて、かしづき据ゑたらむに、心憎からず覚えむ、ことわりなれど、また内裏(うち)の典侍などいひて、をりをり内裏へ参り、祭りの使ひなどに出でたるも、面立(おもだ)たしからずやはある。さてこもりゐぬる人は、まいてめでたし。受領の五節(ごせち)出だすをりなど、いとひなび、言ひ知らぬことなど、人に問ひ聞きなどはせじかし。心憎きものなり。
【現代語訳】
将来に大した望みもなく、生真面目に夫を愛しひたすら家庭を守っているような女は、うっとうしくて軽蔑すべきもののように思えて、やはり、しかるべき身分の人の娘ならば、宮仕えをさせて、広く世間の様子を見せたいし、できることなら、典侍といった地位に少しの間でもつかせたいと思う。
宮仕えをする女を、非難すべき、世間体の悪いなどと言う男は、たいへん憎らしい。確かにもっともな点もあるにはあるだろうけど、恐れ多くも帝をはじめ、上達部・殿上人、五位・四位などの人たちは言うまでもなく、女房の姿を見ないという人は少ない。女房の従者、実家からの使いの者、もっと下々の長女、御厠人などにいたるまで、いつ、会わずに隠れていられようか。殿方はそれほどでもないかもしれないが、宮仕えする限りは同じようなものだろう。
宮仕えを経験した人を、奥様と呼んで大切にしている場合に、人に顔を知られているので奥ゆかしくないように思われるのはもっともだけれども、やはり典侍などの役目で、時々宮中に参内し、賀茂の祭りの使者などに立ったりするのも、晴れがましく名誉なことだ。宮仕えした後に家庭に落ち着くのは、なお素晴らしい。夫が受領(地方の長官)として五節の舞姫を差し出す時など、宮中の事情に通じているから、田舎者丸出しで人にあれこれ尋ねるようなことはしないだろう。奥ゆかしいものである。
(注)長女・・・後宮に仕える身分の低い者。
(注)御厠人・・・便器を扱う者。
↑ ページの先頭へ
(一)
すさまじきもの。昼ほゆる犬。春の網代(あじろ)。三、四月の紅梅の衣(きぬ)。牛死にたる牛飼ひ。児(ちご)亡くなりたる産屋(うぶや)。人おこさぬ炭櫃(すびつ)、地火炉(ぢくわろ)。博士(はかせ)のうち続き女子(をんなご)生ませたる。方違(かたたが)へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分(せちぶん)などはいとすさまじ。
人の国よりおこせたる文(ふみ)の、物なき。京のをも、さこそ思ふらめ。されどそれは、ゆかしきことどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。人のもとに、わざと清げに書きてやりつる文の返り言、今は持(も)て来(き)ぬらむかし、あやしう遅き、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いと汚げにとりなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌みとて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしく、すさまじ。
また、かならず来(く)べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、「さななり」と人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅(ながえ)ほうと打ち降ろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日は、ほかへおはしますとて、渡りたまはず」などうち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。
また、家のうちなる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるも、いとあいなし。
【現代語訳】
興ざめなもの。昼間に吠える犬。春の網代。三、四月の紅梅の着物。牛が死んでしまった牛飼い。赤ん坊が死んでしまった産屋。火を起こさない角火鉢やいろり。博士が続いて女の子ばかりもうけた場合。方違えに行ったのに、もてなしをしない家。まして季節の変わり目などには、あらかじめ分かっているはずなのに、まことに興ざめだ。
地方からよこした手紙に、何の贈り物も添えていないもの。京から送った手紙も、受け取った方はそう思うかもしれないが、先方の知りたい京の消息など色々書いてあり、世間の情勢なども知ることができるので、贈り物がなくても十分だ。人の所に特にきちんと書いて持たせた手紙で、そろそろ帰って来る頃だが、妙に遅いな、といらいらしながら待つうちに、先程持たせた手紙を、それが正式な立て文にせよ略式の結び文にしろ、ひどく汚く扱い、紙の地も毛羽立ち、封印に引いてあった墨なども消え、「お留守でした」とか「ちょうど御物忌みだといって受け取っていただけませんでした」とか言って、牛だけ外して引っ張って帰るなどは、本当に情けなく興ざめだ。
また、必ず来るはずの人の所に迎えの牛車をやって待っていると、車の帰って来た音がするので、来たようだと人々が端近に出てみると、車をさっさと車庫に引き入れて、轅をばたんと下ろすので、「どうしたのか」と聞けば、「今日はよそへいらっしゃる予定があるので、こちらへはおいでになりません」などと答え、牛だけ引き出して去ってしまうのは興ざめだ。
また、家の内に迎え、通ってきていた婿君が来なくなってしまうのも、ひどく興ざめだ。しかるべき身分で、自分が宮仕えしているところの女性にその婿を取られ、とても太刀打ちできないと気が引けているのも実に歯がゆい。
(注)網代・・・冬に竹や木を編んで川の浅瀬に並べ、あゆの稚魚などを捕らえる仕掛け。
(注)紅梅の衣・・・11月から2月ごろに着る、襲(かさね)の表と裏の配色の一つ。
(注)地火炉・・・いろり
(注)博士・・・大学寮などに属する教官。男子の世襲制だった。
(注)方違へ・・・陰陽道で、外出する方角が悪い場合に、前夜に他の方角に向かって一泊し、あらためて目的地に向かうこと。
(注)轅・・・牛車の前方にある二本の長い棒。
(二)
児(ちご)の乳母(めのと)の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来(こ)」と言ひやりたるに、「今宵(こよひ)は、え参るまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜すこし更けて、忍びやかに門(かど)たたけば、胸すこしつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、返す返すもすさまじと言ふはおろかなり。
験者(げんざ)の、物の怪(け)調ずとて、いみじうしたり顔に独鈷(とこ)や数珠(ずず)など持たせ、蝉(せみ)の声しぼり出だして読みゐたれど、いささかさりげもなく、護法(ごほふ)もつかねば、集り居、念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時(じ)のかはるまで読み困(こう)じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験(げん)なしや」とうち言ひて、額(ひたひ)より上(かみ)ざまにさくり上げ、欠伸(あくび)おのれよりうちして、寄り臥しぬる。
いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
【現代語訳】
赤ん坊の乳母が、ほんのちょっとと言って出かけた間、赤ん坊をあれこれあやしながら、乳母に「早く帰ってきなさい」と言ってやったところが、「今夜はどうしても参上できません」と返事があったときは、がっかりするだけでなく、本当に憎らしく困ってしまう。これが乳母ではなく、愛する女を迎えにやった男の場合だったらどうであろうか。約束の男を待っている家で、夜が少し更けて、こっそり門を叩くので、胸を少しどきどきさせながら人を出して名前を尋ねさせると、別の関係ない男が名乗ってきた場合も、ひどく興ざめだと言っても言い足りない。
修験者が物の怪を調伏するといって、たいそう得意顔で独鈷や数珠などを持たせて、蝉の鳴くような甲高い声を絞り出して経を読んでいたが、いっこうに物の怪を調伏する気配もなく、護法童子も現れた様子もないので、家の者がその場に集まり座って念じていたのが、男も女も変だなと思い始めたころ、修験者は所定の時が過ぎるまで読み続けて疲れきってしまい、「一向に護法童子がつかない。もうあちらに行きなさい」と言って、数珠を取り返し、「ああ、全く験(しるし)がない」と言って、額の髪をなで上げ、あくびをして物に寄りかかって寝てしまったのは、期待外れもはなはだしい。
とても眠たくてたまらない時に、それほどにも思っていない人が揺り起こして、無理に話しかけるのは、ひどく興ざめだ。
(三)
除目(ぢもく)に司(つかさ)得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅(ながえ)もひまなく見え、もの詣(まう)でする供に我も我もと参りつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁(あかつき)まで門(かど)たたく音もせず、「あやしう」など、耳立てて聞けば、先追ふ声々などして上達部(かんだちめ)など皆出でたまひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男(げすおとこ)、いともの憂げに歩み来るを、見る者どもは、え問ひだにも問はず、外(ほか)より来たる者などぞ、「殿は、何にかならせたまひたる」など問ふに、答(いら)へには「何の前司(ぜんじ)にこそは」などぞ、必ず答(いら)ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとをかしうすさまじげなり。
【現代語訳】
除目の折に、官職を得られなかった人の家は興ざめがする。今年は必ず任官だとの噂を聞いて、以前に奉公していた者たちで、散り散りになっている者や田舎めいた所に住む者たちが皆集まってきて、出入りする牛車の轅もひっきりなしに見え、主人が任官祈願に寺社に参拝するお供にと、我も我もと参上し、物を食い、酒を飲んで騒ぎ合っているのに、任官の審議が終わる明け方になっても門を叩く音もせず、おかしいなと耳をすませば、人を先払いする声などがして、会議を終えた上達部たちは皆退出してしまった。情報を聞くために宵から出かけて寒さに震えた召使いが、いかにも憂鬱げに歩いてくるのを見た人たちは、声をかけて尋ねることもできず、よその者が「ご主人は何におなりになりましたか」などと聞くと、「前の何処そこの国司ですよ」と決まって答える。心からあてにしていた者は、ひどく嘆かわしく思っている。早朝になり、あれだけ詰めかけていた者たちは、一人二人とこっそり座をはずして立ち去る。古参で、そのように立ち去れない者は、来年に国司が交代するはずの国々を指を折って数えたりして、のそのそ歩き回っているのも、ひどく気の毒な姿で興ざめがするものだ。
(注)除目・・・定期の人事異動。
↑ ページの先頭へ
(一)
憎きもの。急ぐことあるをりに来て、長言(ながこと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後(のち)に」とてもやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いと憎く、むつかし。硯(すずり)に髪の入りてすられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。
にはかにわづらふ人のあるに、験者(げんざ)求むるに、例ある所にはなくて、外(ほか)に尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持(かぢ)せさするに、このごろ物の怪にあづかりて困(こう)じにけるにや、居るままにすなはちねぶり声なる、いと憎し。
なでふことなき人の、笑(ゑ)がちにて物いたう言ひたる。火桶(ひをけ)の火、炭櫃(すびつ)などに、手の裏うち返しうち返しおしのべなどして、あぶりをる者。いつか、若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶の端(はた)に足をさへもたげて、物言ふままに押しすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、居むとする所を、まづ扇(あふぎ)してこなたかなたあふぎ散らして、塵(ちり)掃き捨て、居も定まらずひろめきて、狩衣(かりぎぬ)の前巻き入れても居るべし。かかることは、言ふかひなき者の際(きは)にやと思へど、少しよろしき者の、式部の大夫(たいふ)など言ひしが、せしなり。
また、酒飲みてあめき、口を探り、髭(ひげ)ある者はそれをなで、盃(さかづき)、異人(ことひと)に取らするほどのけしき、いみじう憎しと見ゆ。また、「飲め」と言ふなるべし、身震ひをし、頭(かしら)振り、口わきをさへ引き垂れて、童(わらは)べの「こう殿(との)に参りて」など歌ふやうにする。それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
【現代語訳】
憎らしいもの。急ぎの用事がある時に来て長話をする客。それがどうでもいいような人なら、「あとでまた」と言って帰すこともできるが、さすがに遠慮すべき立派な人にはそうもできず、本当に憎らしく不愉快だ。硯に髪の毛が入ったまま磨られているとき。また、墨の中に石が入っていて、きしきしと音をたてるとき。
急病人ができ、祈祷師を呼びにやっても留守で、ほかを尋ね回っている間はずいぶん待ち遠しく、やっと待ち受けて喜んで加持をさせると、この祈祷師は物の怪の調伏で疲れ切ったばかりなのか、座った途端にすぐに眠ったような声なのは、とても憎らしい。
大した人でもないのに、にやにや笑いながら得意げにしゃべりまくっている様子。丸火鉢の火や炭櫃などに、かざした手のひらを何度もひっくり返し、さすり合わせたりしてあぶっている者。若々しい人がいつそんなはしたないことをしただろうか。年寄りじみた者に限って、丸火鉢の縁に足までかけて、ぶつぶつ言いながら足をこすったりもする。そんな年寄りは、人の家に来て、座ろうとする場所を、まず扇であちこちあおいで塵を払いのけ、座っても落ち着かずよろめいて、狩衣の前の垂れを下に巻き入れて座ったりする。こんな行儀の悪さは、言うほどもない身分の者のすることかと思っていたが、少しはましな身分の式部の大夫といった人がそうしたのだ。
また、酒を飲んでわめき立て、口の辺りをこすり、髭のある者はそれを撫で回し、盃を他人に取らせるときの様子は、とても憎らしく見える。また、「もう一杯飲め」というつもりか、身体をゆすり、頭を振り、口までへの字に曲げて、子どもが「こふ殿に参りて」などと歌うような顔つきをする。それがなんと、まことに立派な身分の人がなさったのを見て、幻滅した。
(注)狩衣・・・貴族男子の平服。前垂れは、座るときには向こうに出しておくのが作法だった。
(二)
ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵(つゆちり)のこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば、怨(ゑん)じ、そしり、また僅(わづ)かに聞き得たることをば、わがもとより知りたることのやうに、異人(ことひと)にも語りしらぶるも、いと憎し。
物聞かむと思ふほどに泣くちご。烏(からす)の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。
忍びて来る人、見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。また、忍び来る所に、長烏帽子(ながえぼし)して、さすがに人に見えじとまどひ入るほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾(いよす)など掛けたるにうちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いと憎し。帽額(もかう)の簾(す)は、まして、こはじのうち置かるる音、いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、さらに鳴らず。遣戸(やりど)を荒くたてあくるも、いとあやし。少しもたぐるやうにしてあくるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子(さうじ)などもごほめかしうほとめくこそ、しるけれ。
ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊(か)の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風(はかぜ)さへその身のほどにあるこそ、いと憎けれ。
きしめく車に乗りてありく者。耳も聞かぬにやあらむと、いと憎し。わが乗りたるは、その車の主(ぬし)さへ憎し。
【現代語訳】
他人をうらやましがり、自分の身の上を嘆き、人の噂話ばかりし、ちょっとしたつまらぬことでも根掘り葉掘り知りたがって、しつこく話をせがみ、話してもらえないと恨んで、悪口を言い、また、ちょっと聞きかじったことを、自分が前から知っているかのように他人に調子よく話すのもとても憎らしい。
人の話を聞こうと思う時に泣き出す赤ん坊。カラスが群れをなして飛び交い、騒がしく鳴いている時。
人目を忍んで通ってくる男を見つけて吠える犬。人に見つかっては困る場所に隠れて共寝した男が、こちらの気も知らずにいびきをかいている時。また、長烏帽子のままやって来て、気の利かないことおびただしいが、それでも人に見つからないようにと慌てて入る時に、その烏帽子が何かに突き当たってがさっと音を立てた時。伊予簾などをかけてあるのに、くぐる時に頭が当たってさらさらと音を立てるのも、とても憎らしい。まして帽額の簾は、小端がことりと床に音を立てるのが響く。それらは、静かに引き上げて入れば全く音はしない。遣戸を荒々しく開けたりするのも、けしからぬことだ。少し持ち上げるようにして開ければ、音なんかしないのに。開け方が悪いと、襖障子などでもがたがたと際立って音がするものだ。
眠たいと思って横になっているところに、蚊が細い声でわびしそうにうなって顔の周りを飛び回る時。その小さな身相応に羽風まで送ってくるのが、とても憎らしい。
ぎしぎしときしむ車に乗って移動する者。耳が聞こえないのかと、たいそう憎らしい。自分がそんな車に乗った時は、車の持ち主までが憎らしい。
(注)伊予簾・・・伊予国(愛媛県)で産出される葦の細い茎で編んだすだれ。
(注)遣戸・・・横に引いて開け閉めする戸。
(三)
また、物語するに、さしいでして、我ひとりさいまくる者。すべてさしいでは、童(わらは)も大人もいと憎し。あからさまに来たる子ども、童べを見入れ、らうたがりて、をかしき物取らせなどするに、慣らひて常に来つつ、居入(ゐい)りて調度(でうど)うち散らしぬる、いと憎し。
家にても宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に引きゆるがしたる、いと憎し。今参りの、さし越えて、物知り顔に教へやうなること言ひ、後ろ見たる、いと憎し。
わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひいでなどするも、ほど経たることなれど、なほ憎し。まして、さしあたりたらむこそ、思ひやらるれ。されど、なかなか、さしもあらぬなどもありかし。
はなひて誦文(ずもん)する、おほかた、人の家の男主(をとこしゆう)ならでは、高くはなひたる、いと憎し。蚤(のみ)もいと憎し。衣(きぬ)の下に踊(をど)りありきて、もたぐるやうにする。犬の諸声(もろこゑ)に長々と鳴き上げたる、まがまがしくさへ憎し。
あけて出で入る所、たてぬ人、いと憎し。
【現代語訳】
また、話をしている時に、出しゃばって話の先走りをする者。大体でしゃばりは、子どもでも大人でもとても憎らしい。ちょっとやって来た子ども連中に、目をかけてかわいがり、喜ぶ物を与えたりすると、それに味をしめてしょっちゅうやって来ては部屋に上がり込み、回りの品々を取り散らかすのは本当に憎らしい。
自宅でも奉公先でも、会いたくない人がやって来て、狸寝入りをしているのに、召し使う者が起こしに寄ってきて、寝坊していると思って引っ張って揺するのは、まことに憎らしい。新参の女房がしゃしゃり出て、何でも知っているような顔で指図がましく言い、仕切っているのも、本当に憎らしい。
自分と今関係している男が、以前関係のあった女のことを褒めて話し出すのも、年月が過ぎたこととはいえ、やはり憎らしい。まして、現在のことだったらどんなであろうかと思いやられる。しかし、かえってそれほど憎らしくないこともあるものだ。
くしゃみをして自分でまじないを唱えるとき。大体、一家の男主人以外の人が高くくしゃみをするのは、実に憎らしい。蚤も、とても憎らしい。着物の下で跳ね回り、着物を持ち上げるようにするとき。犬が何匹も声をそろえて長々と吠え立てているのも、不吉な感じもして憎らしい。
開けて出入りする所を閉めないままにする人は、とても憎らしい。
↑ ページの先頭へ
心ときめきするもの。雀(すずめ)の子飼ひ。ちご遊ばする所の前渡る。よき薫(た)き物たきて、ひとり臥したる。唐鏡(からかがみ)の少し暗き見たる。よき男の、車とどめて案内(あない)し問はせたる。
頭(かしら)洗ひ、化粧(けさう)じて、香(かう)ばしうしみたる衣(きぬ)など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。
【現代語訳】
心がときめくもの。雀の子を飼うこと。幼児を遊ばせている所の前を通ること。上品な香をたいてひとり身を横たえている時。中国渡来の鏡が少し曇っているのを覗き込んだ時の気持ち。身分の高い男性が家の前に車を止めて、従者に取次ぎをさせ、何かを尋ねているのを見る時。
髪を洗い、化粧をして、香の薫りがしみた着物などを着た時。特に見てくれる人がいなくても、心の中はやはりとても快い。待つ男性がある夜は、胸がどきどきして雨の音や風が戸を吹きゆるがすのにも、はっとしてしまう。
【PR】
↑ ページの先頭へ
過ぎにし方恋しきもの。枯れたる葵(あふひ)。雛(ひひな)あそびの調度(でうど)。二藍(ふたあゐ)、葡萄染(えびぞめ)などのさいでの、押しへされて、草紙の中にありける、見つけたる。また、折からあはれなりし人の文(ふみ)、雨など降り徒然(つれづれ)なる日、探し出でたる。去年(こぞ)のかはほり。
【現代語訳】
過ぎ去った頃のことが恋しく思い出されるもの。祭の時からそのままになって枯れてしまった葵の葉。お人形遊びの道具類。紫がかった青色、薄紫色などの布の端切れが、ぺちゃんこになって本の間などに挟まっているのを見つけた時。また、もらった時にしみじみと心を動かされた手紙を、雨などが降って所在ない日に見つけ出したの。去年使った夏の扇。
↑ ページの先頭へ
七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月の頃は、寝おどろきて見いだすに、いとをかし。闇もまたをかし。有明はた、言ふもおろかなり。
いとつややかなる板の端(はし)近う、あざやかなる畳一ひらうち敷きて、三尺の几帳(きちやう)、奥の方(かた)におしやりたるぞ、あぢきなき。端にこそたつべけれ。奥の後ろめたからむよ。人は出でにけるなるべし、薄色の、裏いと濃くて、表(うへ)はすこしかへりたるならずは、濃き綾(あや)のつややかなるが、いとなえぬを、頭(かしら)ごめに引き着てぞ寝たる。香染(かうぞ)めのひとへ、もしは黄生絹(きすずし)のひとへ、紅(くれなゐ)のひとへ袴(ばかま)の腰のいと長やかに衣(きぬ)の下より引かれたるも、まだ解けながらなめり。そばの方(かた)に髪のうちたたなはりてゆるらかなる程、長さおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧(き)り立ちたるに、二藍(ふたあゐ)の指貫(さしぬき)に、あるかなきかの色したる香染めの狩衣(かりぎぬ)、白き生絹(すずし)に紅の透(とほ)すにこそはあらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるを脱ぎたれて、鬢(びん)のすこしふくだみたれば、烏帽子(えぼうし)のおし入れたるけしきもしどけなく見ゆ。朝顔の露落ちぬさきに文(ふみ)書かむと、道の程も心もとなく、「麻生(をふ)の下草」など、口ずさみつつ、我が方(かた)に行くに、格子(かうし)のあがりたれば、御簾(みす)のそばをいささか引き上げて見るに、起きて去(い)ぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばし見立てれば、枕上(まくらがみ)の方(かた)に、朴(ほほ)に紫の紙張りたる扇(あふぎ)、ひろごりながらあり。陸奥紙(みちのくがみ)の畳紙(たたうがみ)の細やかなるが、花か紅か、すこしにほひたるも、几帳のもとに散りぼひたり。
人けのすれば、衣(きぬ)の中より見るに、うち笑みて、長押(なげし)におしかかりて居ぬ。恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬるかな、と思ふ。「こよなき名残の御朝寝(あさい)かな」とて、簾(す)の内になから入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」と言ふ。をかしきこと、とり立てて書くべき事ならねど、とかく言ひかはすけしきどもは、にくからず。枕上なる扇、わが持たるしておよびてかき寄するが、あまり近うより来るにやと、心ときめきして、引きぞ下らるる。取りて見などして、「うとくおぼいたること」など、うちかすめうらみなどするに、明(あか)うなりて、人の声々し、日もさし出でぬべし。霧の絶え間見えぬべき程、急ぎつる文もたゆみぬるこそ、後ろめたけれ。
出でぬる人も、いつのほどにかと見えて、萩の露ながらおし折りたるに付けてあれど、えさし出でず。香(かう)の紙のいみじうしめたる匂ひ、いとをかし。あまりはしたなき程になれば、立ち出でて、わが起きつる所もかくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。
【現代語訳】
七月の頃は、たいそう暑いので、どこの扉もすべて開け放したまま夜を明かすのに、月が出ている頃にふと目覚めて外を見ると、その風情が素晴らしい。月のない闇もまた違った風情がある。有明の月の素晴らしさは、また言うまでもない。
きれいに磨き込んだ板敷の間の端近くに、真新しい畳一枚が敷いてある。三尺の几帳は部屋の奥の方に押しやってあるので役に立たない。外から見えないように立てるべきなのに。きっと、奥の方が気がかりなのだろう。昨夜通ってきた男はもう帰ったらしい。女は、薄紫色の、裏がたいそう濃くて表は少し色があせたのか、濃い紅の綾織りでつやつやしてまだ張りのあるのを、頭から引きかぶって寝ている。下は香染の単衣、若しくは黄色の生絹の単衣を着て、紅の夏用の袴の腰紐が長々と着物の下に伸びているのは、まだ解けたままなのだろう。端の方に髪が幾重にも重なってうねっている具合から、その長さは想像できる。そこへ、どこからの帰りだろうか、明け方の霧がひどく立ちこめている中から、赤みがかった藍色の指貫にごく薄い色の狩衣、白い薄絹の、その下の紅色が透けて見えるせいか、つやつやしとした色合いの衣装、それが霧にたいそう湿ったのをしどけなく着ている男が現れた。寝乱れた髪がそそけ立っているので、上から押しかぶった烏帽子も、だらしなく見える。男は、朝顔の露が落ちきる前に後朝の手紙を書こうと、帰る道中も落ち着かなく、「麻生の下草」などと口ずさみながら家路を急いでいた。ふと、女の部屋の格子が上がっているのに気づき、御簾の端をちょっと引き上げて覗くと、いま男を帰したばかりらしい女が横になっている。朝早く起きて帰って行った男もやはり自分と同じように朝顔の露が落ちないうちにと思って帰ったのだろうかと想像し、しばらく立ち止まって、女の寝姿を見ている。枕元に、朴の木に紫色の紙を張った扇が、広がったまま置いてある。陸奥紙の懐紙を細く切ったのが、花色か紅色か、ほんのりした色合いを見せて几帳のあたりに散らばっている。
人の気配がするので、引きかぶっていた着物の中から見上げると、男が、にこにこしながら長押に寄りかかって座っている。知らない仲ではなかったが、そう馴れ馴れしい人でもないので、こんな姿を見られて口惜しく思う。「この上ない心残りの朝寝ですね」と言って、御簾の内に半身乗り出すと、「朝露が置く前に帰ってしまった人が歯がゆいので」と答える。風情のある、取り立てて書くようなやり取りではないが、何かと語り合う様子は、悪いものではない。男が、女の枕元にある扇を、自分の扇で及び腰になってかき寄せようとすると、女は、あまり近くに寄り過ぎではないかと胸が騒ぎ、身を引かずにはいられない。男は扇を手に取って見たりしながら、「よそよそしくなさるのですね」などと、思わせぶりに恨みごとを言ったりするうちに、明るくなって、人の声も聞こえ出し、日も差してくる様子だ。朝霧の晴れないうちにと急いだ後朝の文も、こんな所で時間を食い、怠けてしまった男の気持ちというのは気がかりなものだ。
この女の許から帰って行った男も、いつの間に書いたのか、露が置いたまま折った萩の枝に文を付けて、もう使いがやって来たが、使いはこの男に遠慮して差し出せずにいる。丁子染めの紙にたきしめた香の匂いが、たいそうよい。明るくなり過ぎて、きまりの悪い時分になったので、男は立ち去るが、自分が残してきた女の所も、今頃こんなふうだろうかと想像するのも、心中面白いに違いない。
↑ ページの先頭へ
木(こ)の花は、濃きも薄きも、紅梅。桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘(たちばな)の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より、黄金(こがね)の玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露に濡れたる朝ぼらけの桜に劣らず。郭公(ほととぎす)のよすがとさへ思へばにや、なほ、さらに言ふべうもあらず。
梨(なし)の花、よにすさまじきものにて、近うもてなさず、はかなき文(ふみ)付けなどだにせず、愛敬(あいぎやう)後れたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめて、あはひなく見ゆるを、唐土(もろこし)には限りなき物にて、詩(ふみ)にも作る、なほさりとも、やうあらむと、せめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ。楊貴妃(やうきひ)の、帝(みかど)の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、「梨花一枝、春雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。
桐(きり)の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことき)どもと等しう言ふべきにもあらず。唐土にことことしき名つきたる鳥の、選(え)りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異なり。まいて、琴に作りて、さまざまなる音(ね)の出でくるなどは、をかしなど、世の常に言ふべくやはある、いみじうこそめでたけれ。
木のさまにくげなれど、棟(あふち)の花、いとをかし。枯れ枯れに、様(さま)異(こと)に咲きて、必ず五月五日にあふも、をかし。
【現代語訳】
木の花は、色が濃くても薄くても紅梅。桜は、花びらが大きく、葉も色濃いのが、細い枝に咲いているのがよい。藤の花は、花房が長く、色濃く咲いているのが、大変素晴らしい。
四月の末から五月の初め頃に、橘の葉が色濃く青々とした中に、花が真っ白に咲いているのが、雨の降った翌朝などにしっとりと濡れている風情は、類なく風情がある。花の中から、実が黄金の玉のように鮮やかに見えている趣など、朝露に濡れた夜明けの桜の美しさにも劣らない。その上、ホトトギスが好んで棲む木だと聞けば、やはり言葉で言い表すことができないほど素晴らしい。
梨の花は、つまらないと思われていて、身近に賞美することもなく、ちょっとした手紙を結びつける用にさえ使わず、可愛げのない女の人の顔などをたとえるのに引き合いに出されたりする。なるほど、葉の色からしてつまらなく見えるが、中国ではこの上なく素晴らしいとされていて、詩にも詠まれる。それだけの理由があるのだろうと、よくよく見ると、花びらの端に美しい色艶がほのかに見える。あの楊貴妃が、玄宗皇帝の使者を迎えて感涙にむせんだ顔を、「梨花の一枝、春、雨を帯びたり」と詩(白楽天の『長恨歌』)にあるのは、並々の褒め方ではあるまいと思うと、特別なものに思われる。
桐の木の花が、紫色に咲いているのは、やはり何といっても風情がある。ただ、葉が広がった様子は無様で不快だけれども、他の木などと同列に言う木ではない。中国で鳳凰という大げさな名のついた霊鳥が、選んでこの木に棲むと言われているのは、格別に素晴らしく思われる。まして、桐の木で琴を作って、そこから妙なる音色が生まれてくるのは、単に風情があるなどと世間並みに言ってすまされようか。非常に素晴らしい木である。
木の姿はみっともないけれど、棟の花は、とても趣がある。枯れかかっているように風変わりな花の咲きようで、必ず五月五日の節句に咲き合うのも、しゃれている。
↑ ページの先頭へ
虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶(てふ)。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。螢。
蓑(みの)虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
額(ぬか)づき虫、またあはれなり。さる心地に道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず暗き所などに、ほとめきありきたるこそ、をかしけれ。
蠅(はへ)こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬(あいぎやう)なきものはあれ。人々しう、敵(かたき)などにすべき物の大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。
夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。蟻(あり)は、いとにくけれど、軽(かろ)びいみじうて、水の上などを、ただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。
【現代語訳】
虫で趣があるのは、松虫。ひぐらし。蝶。鈴虫。こおろぎ。きりぎりす。われから。かげろう。蛍。
蓑虫。これはとても可哀そうだ。鬼が生んだので、親に似てこの子も恐ろしい心があるだろうとして、親がみすぼらしい着物を着せて、「もうすぐ秋風が吹くので、そのころに迎えに来よう。それまで待っていなさい」と言って置いて逃げていったのも知らず、秋風を聞いて、八月頃になると、「ちちよ、ちちよ」と心細げに鳴くのは、本当に可哀そうだ。
米つき虫も、また健気だ。そのようなちっぽけな虫でありながら求道心を起こして、額を地面につけながら歩き回っているのだろう。思いがけず暗い所などで、ことこと音を立てて歩き回っているのは面白い。
蝿こそは憎らしいものの中に入れるべきで、こんな可愛げのないものはない。人並みに相手にすべきほどの大きさではないが、秋など、やたらと色々な物にとまり、顔などに濡れた足でとまったりすることよ。人の名に蝿という字がついているのは、とても気味が悪い。
夏虫は、とてもきれいで可愛らしい。灯火を近づけて物語などを読んでいると、本の上などに飛び回るのは、たいそう風情がある。蟻はたいへん憎らしいが、ずいぶん身軽で、水の上でもすいすい歩き回るのが面白い。
(注)きりぎりす・・・今のこおろぎ。はたおりが今のきりぎりす。
(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
【PR】
※上記の章段区分の底本は、三巻本に属する柳原紀光自筆本による。本によって章段の分量や順序が異なっている。
【PR】