斉(せい)の桓公(かんこう)は、多くの諸侯を統一し、五覇の筆頭となりましたが、それを陰で支えたのが名宰相の管仲(かんちゅう)でした。その管仲が歳をとって政務を行えなくなり、自宅に引き下がってしまいました。困った桓公は管仲のもとに出向いていって質問しました。
「お前がもう出仕できないとなれば、お前に代えて、誰に政務を執らせたらよいのか」
管仲は答えました。「臣下のことを知るのは主君が第一、子のことを知るのは父親が第一といいます。どうかわが君、ご自分で判断なさってみてください。わが君は、誰をとお思いですか」
桓公は「鮑叔牙(ほうしゅくが)はどうだろう」と言いました。鮑叔牙といえば、管仲を桓公に推薦してくれた大恩人です。しかし管仲は、「それはいけません。鮑叔牙の性格は強情でひねくれているうえに荒っぽいことを好みます。強情だと人民に乱暴をはたらき、ひねくれていると人民の信頼を得られず、荒っぽいと下々の者が仕事をしなくなります。彼は恐れ慎むことを知りません。わが君の補佐はできますまい」
「それでは豎チョウ(じゅちょう)はどうだろう」と桓公は言いました。管仲は答えました。「いけません。およそ人として自分の体を愛さない者はありませんが、わが君が女性を好まれるものだから、彼は自ら去勢してわが君の後宮をとりしきっています。自分の体さえ大切にしない者が、どうして主君を大切にできましょうや」
桓公はさらに「それでは衛(えい)の公子の開方(かいほう)はどうだろう」。管仲は答えました。「いけません。斉と衛の国との距離はわずか十日間の行程ですのに、彼は、わが君にお仕えしお気に入りになりたいために、もう十五年も父母のもとに帰っていません。これはふつうの人情に背いています。自分の父母をもないがしろにする者が、どうして主君に親愛の心を持てましょうや」
桓公は言いました。「それでは易牙(えきが)はどうであろう」。管仲は答えました。「いけません。彼は、そもそもわが君の料理人でしたが、わが君が召し上がったことのないのは人の肉だけだというので、わが子の頭を蒸し料理にしてお進めしました。これはわが君もご存知のとおりです。およそ人としてわが子を愛さない者はありません。しかし彼は、わが子を蒸し料理にして主君の膳に出したのです。わが子さえ愛せない者が、どうして主君を愛せましょうや」
桓公は言いました。「それではいったい誰がよいのか」。管仲は答えました。「隰朋(しっぽう)がよいでしょう。彼は、内心堅固で外には折り目正しく、欲は少なく信義に厚い人柄です。内心堅固であれば人々の模範となることができますし、外に折り目正しければ大きな仕事を任せられます。また欲が少なければ民衆は従いますし、信義に厚ければ隣国と親しむことができます。彼こそわが君の補佐として適任です」。桓公は「よし、わかった」と答えました。
それから一年あまりたって管仲が亡くなりましたが、桓公は管仲が推薦した隰朋ではなく豎チョウを信任しました。豎チョウが政務を担当して三年たったときに、桓公は斉の南方に旅しました。その隙に、豎チョウは易牙、開方と大臣たちを率いて反乱を起こしました。桓公は寝殿の一室に閉じ込められ、飢えと渇きで死んでしまいました。その死体は三ヶ月間も放置され、蛆虫(うじむし)が戸口から這い出したといいます。
〜『韓非子』
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