芭蕉の俳句集
あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風
あかあかと日は容赦なく照りつけているが、吹く風には、さすがに秋の気配が感じられる。〔季語〕秋の風
牛部屋(うしべや)に蚊(か)の声暗き残暑かな
風も通らない薄暗い牛小屋で、蚊の羽音が聞こえ、残暑の暑苦しさが一層つのる。〔季語〕残暑
文月(ふみづき)や六日(むいか)も常の夜(よ)には似ず
文月も六日ともなると、さすがにいつもの夜とは違う趣きがする。(「文月」は旧暦の7月。七夕の前夜を詠んだ句。)〔季語〕文月
雲とへだつ友かや雁(かり)の生き別れ
今、自分は友と別れようとしているが、ちょうど空を渡る雁のように、雲を遠く隔てた仮の生き別れのようなものだ。(俳諧師を目指して江戸へ旅立つときの句。「雁の別れ」と「仮の別れ」を掛けている。)〔季語〕雁の別れ
朝顔は下手(へた)の書くさへあはれなり
朝顔という花は、絵心のない者が描いてさえ、風情のある花である(服部嵐雪〈はっとりらんせつ:芭蕉の門弟〉が描いた絵に添書きを頼まれて詠んだ句。)〔季語〕朝顔
青くてもあるべきものを唐辛子(とうがらし)
青いままでもよいのに、唐辛子は秋になると真っ赤に色づくことだ。〔季語〕唐辛子
初秋(はつあき)や海も青田の一(ひと)みどり
秋になって、実りを控えた青い田が一面に広がり、まるで海の続きのような眺めだ。(前書「鳴海眺望」。鳴海は名古屋の宿場。)〔季語〕初秋
月ぞしるべこなたへ入(い)らせ旅の宿(やど)
月の光を道しるべに、さあ旅の人、こちらの宿へいらっしゃい。〔季語〕月
猿(さる)を聞く人(ひと)捨子(すてご)に秋の風いかに
捨て子が悲しげな声で泣いている。この捨て子に吹く秋風をどう受けとめたらよいのだろうか。(中国故事の、人に捕らえられた子猿を追いかけた母猿が、悲しみのあまり腸を断って死んだという話を踏まえている。)〔季語〕秋の風
名月に麓(ふもと)の霧(きり)や田の曇(くも)り
皓々と照る月の下、はるかな山の麓に霧がたなびき、手前の田がうっすらと霞んでいるように見える。〔季語〕名月、霧
名月の花かと見えて綿畠(わたばたけ)
名月の明るい光に照らされて、白いものが見えるが、あれは月桂樹の花ではなく、本当は綿の実なのだ。〔季語〕名月
秋風や藪(やぶ)も畠(はたけ)も不破(ふわ)の関
秋風が吹きすさぶ藪や畑だが、ここにあったという不破の関は幻を残すのみである。(前書「不破」。「不破の関」は、上代にあった三関の一つ。藤原良経の歌「人住まぬ不破の関屋は板廂荒れにしのちはただの風」を踏まえている。)〔季語〕秋風
物いへば唇(くちびる)寒し秋の風
人に余計なことを言えば、言わなければよかったと後悔して寒々しい気分になる。(前書「座右之銘。人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」)〔季語〕秋の風
今宵(こよい)誰(たれ)吉野の月も十六里
今宵の名月は吉野の山にも冴えていよう。ここ伊賀上野から十六里しか離れていないが、どんな風流人がその月を愛でているだろうか。〔季語〕月
道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり
馬に乗って移動していると、ふと目にとまった木槿の花、と見るより早く、ぱくりと馬に食われてしまった。(前書「馬上吟」)〔季語〕木槿
朝顔(あさがお)や昼は錠(じょう)おろす門の垣(かき)
朝顔が咲いている間は門を開いているが、昼からは錠をおろして引き籠っている。そんな主人の心を朝顔も知ってか、門の垣根には朝のうちだけ花を咲かせることだ。(前書「閉関の比〈ころ〉」。元禄6年7月ごろ、他との交わりを絶ったときの句。)〔季語〕朝顔
菊の香(か)や奈良には古き仏達(ほとけたち)
重陽の菊の節句の日、古都奈良では家々に菊が飾られ、香りに満ちている。慕わしい、古い御仏たちよ。〔季語〕菊の香
蓑虫(みのむし)の音(ね)を聞きに来(こ)よ草の庵(いお)
蓑虫の鳴き声を聞こうと、じっと耳を澄ましています。あなたも来て、一緒に聞きませんか。(前書に「草のとぼそに住みわびて、秋風のかなしげなる夕暮れ、友達のかたへ言い遣わし侍る」とある。蓑虫は鳴かないが、清少納言によれば、蓑虫は「ちちよ、ちちよ」と鳴くことになっている。)〔季語〕蓑虫
芭蕉(ばしょう)野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞く夜(よ)かな
外は激しく吹き荒れる野分。草庵の中に独りいて、芭蕉の葉が吹きさらされるのを聞きながら耐えていると、盥にひびく雨漏りの音がなお身に染みてくる。〔季語〕野分
吹き飛ばす石は浅間(あさま)の野分(のわき)かな
激しい風雨が石をも吹き飛ばしている。浅間山にふさわしく荒々しい野分であるよ。〔季語〕野分
しら露もこぼさぬ萩(はぎ)のうねりかな
露をあびている萩の枝が秋風にゆらめいているが、その露をこぼさぬように程よくうねっている。〔季語〕しら露、萩
病(やむ)雁(かり)の夜寒(よさむ)に落ちて旅寝(たびね)かな
病気の雁なのか、弱った鳴き声が聞こえ、この近くに降りたらしい。夜の寒さに耐えられなかったのか、独り寂しく旅寝をするのだろうか。(前書「堅田にて」。「堅田」は琵琶湖西岸の地。)〔季語〕夜寒
死にもせぬ旅寝(たびね)の果てよ秋の暮
旅立ちの際には、死を覚悟したものだったが、幾夜の旅寝を重ね、無事に生き長らえて秋も暮れようとしている。(前書「武蔵野を出づる時、野ざらしを心に思ひて旅立ちければ」)〔季語〕秋の暮
海士(あま)の屋(や)は小海老(こえび)にまじるいとどかな
漁夫の家に入ったところ、獲りたての小海老が籠に入れて置いてあり、いとど(カマドウマのこと)が中に入って、いっしょに飛び跳ねている。〔季語〕いとど
名月や門(かど)に指(さ)しくる潮頭(しおがしら)
名月が皓々と照るなか、隅田川の川べりにあるわが草庵の門口の辺りに、折からの満ち潮が寄せてきて、その波頭が光っている。〔季語〕木つゝき
名月や池をめぐりて夜もすがら
名月を愛でながら池の周囲を巡り歩き、とうとう夜を明かしてしまった。〔季語〕名月
名月の出(い)づるや五十一ヶ条
北条泰時が天下の政道を世に示した御成敗式目五十一ヶ条は、まさに夜空に名月が昇るようであった。(北条泰時は、鎌倉幕府の第3代執権。)〔季語〕名月
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き
濃い霧のために、眼前に見えるはずの富士山を見ない日となったが、それもまた面白い。(江戸深川の庵を発ち、郷里の伊賀へ向かった道中の句。「霧しぐれ」は時雨が降っているかのように感じられる濃い霧。)〔季語〕霧
馬に寝て残夢(ざんむ)月遠し茶のけぶり
夜更けに宿を立ち、馬上でうとうとしながら進むうち、ふと我に返ると、里のあたりで朝茶を煮る炊煙が立ちのぼっている。(杜朴の詩『早行』にある「鞭(むち)を垂れ馬に信(まか)せて行く。数里(すうり)未(いま)だ鶏鳴(けいめい)ならず。林下に 残夢(ざんむ)を帯び葉飛びて時に忽(たちま)ち驚く」の一節を踏まえている。)〔季語〕月
月さびよ明智(あけち)が妻の咄(はな)しせん
月よ、少し寂しく照ってほしい。これから、明智光秀の妻の話をしたいので。(伊勢国の門弟・又玄〈ゆうげん〉宅にとどまった時、その妻が精一杯のもてなしをしてくれたことに感じ入り、あの健気な明智光秀の妻の話をしましょう、と申し出たという句。又玄はこの時19歳。妻はもっと若かったとみられる。)〔季語〕月
秋深き隣は何をする人ぞ
秋が深まり、身をいたわって静かに引き籠っていると、隣家もまた、物音一つせず、ひっそり暮らしている。いったいどんな人で、何をしている人なのだろう。(元禄7年〈1694年〉9月28日の作、この時芭蕉は51歳。その夜は畦止〈けいし〉亭で俳席が開かれ、翌日も、芝柏亭に場所を移して同様に開かれる予定だった。しかし芭蕉は体調悪く、参加できないと考えてこの句を芝柏亭に書き送った。芭蕉が起居して作った最後の作品となり、29日から亡くなる10月12日までついに芭蕉は起き上がらなかった。)〔季語〕秋深き
月はやしこずゑは雨を持ちながら
雨はやんだが、むら雲の間を月が早く渡っている。木々の梢にはまだ先ほどの雨のしずくが残っており、月の光に輝いている。〔季語〕月
晦日(みそか)月なし千歳(ちとせ)の杉を抱く嵐
晦日の月のない闇の中、千年杉が屹立している。見上げると、黒々とした枝が揺れており、この杉が嵐に抱かれているかのようだ。(伊勢神宮の外宮に詣でたときの句。)〔季語〕月
びいと啼(な)く尻声(しりごえ)悲し夜の鹿
静かな秋の夜更け、闇の彼方で、牝鹿を呼ぶ牡鹿のびいーと長く引く声が聞こえてきた。その声のいかにも悲しげで切ないことよ。(「尻声」は長く引く声。)〔季語〕鹿の声
俤(おもかげ)や姨(おば)ひとりなく月の友
姥捨山に来て見ると、その姿はまことに哀れ深く、その昔、この山中に捨てられて泣いた老女の俤が浮かんできて、物憂い気持ちになるが、今宵はその俤を偲んで月を友としよう。(前書「姨捨山」。姨捨山は更科の里〈長野県千曲市〉の山。なお、姨捨の月は、土佐の桂浜、石山寺の秋の月と並んで日本の三名月とされた。)〔季語〕月
鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮(うき)み堂
堅く錠を下ろした扉を開けて、この明るい月の光を中にさしこませよ、浮御堂よ。(「浮御堂」は大津市本堅田にある、琵琶湖の岸から湖上に突き出して建てられた寺。)〔季語〕月
この秋は何(なん)で年よる雲に鳥
この秋は、どうして急に年を取ったかのように感ずるのだろう。雲は流れ去り、雁は北に向かって旅立っていく。(前書「旅懐〈りょかい〉」〔季語〕秋
おくられつおくりつはては木曾(きそ)の秋
この度も日数を重ね、人を送り、またある時は人に送られてきたが、いまは木曽路の山中にいる。〔季語〕秋
痩(やせ)ながらわりなき菊のつぼみかな
瘦せ細ってはいても、菊は菊とばかりに、小さな蕾をつけたことだ。(「わりなき」は、他にどうしようもない、選択の余地がない意。)〔季語〕菊
芋(いも)洗う女(おんな)西行(さいぎょう)ならば歌よまん
川辺で芋を洗う女たちよ。西行なら、ここで歌を詠むことであろう。(西行が淀川畔の江口で遊女・妙〈たえ〉に時雨の宿を請うて許されず、「世の中を厭ふまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな」と詠んで許されたとの故事をふまえている。)〔季語〕芋
夜(よる)ひそかに虫は月下(げっか)の栗を穿(うが)つ
十三夜の月の光の下で、虫たちは余念なく栗の実に穴をあけている。(十三夜を栗名月ともいう。)〔季語〕後の月。「栗」は「後(のち)の月」の縁。
しら菊の目に立てて見る塵(ちり)もなし
ここに咲く白菊は清潔そのもので、目にとまるような塵一つさえない。(門人の園女〈そのめ〉邸を訪れた時の句。主人園女に対する挨拶吟でもある。)〔季語〕菊
野ざらしを心に風のしむ身かな
死んで野ざらしになるかもしれない。そんな覚悟をして旅に出ようとすると、折からの秋風が身に染みとおっていく。〔季語〕身にしむ
蘭(らん)の香(か)や蝶の翅(つばさ)に薫物(たきもの)す
蘭の花の香りがほのかにする。さてはこの蝶の羽に香を焚きこめてあるのだな。(「ある茶店に立ち寄ると、その店の蝶という名の女が、自分の名を詠みこんで発句を作ってほしいと言い、白い絹の布を差し出したので一句書きつけた」旨の前文がある。蝶はこの店の妻女で、もと遊女。)〔季語〕蘭
起きあがる菊ほのかなり水のあと
大雨が降ったあとに水が引くと、倒れていた菊がわずかに起き上がってくる気配を見せている。(前書「草庵雨」)〔季語〕菊
かれ枝に烏(からす)のとまりけり秋の暮
ふと見ると、枯れ枝に烏が来てとまっている。いかにも秋の暮らしい風景だ。〔季語〕秋の暮
こちらむけ我(われ)もさびしき秋の暮
向こうを向いていずに、こちらを向いて話をしよう。ただでさえ寂しい秋の夕暮れなのだから。(芭蕉の書の師で、京都東寺観智院の僧・北向雲竹〈きたむきうんちく〉の自画像を賞でて詠んだ句。)〔季語〕秋の暮
月見する座に美しき顔もなし
美しい月を見たあとで、一座を見渡してみると、美しい顔の一つとてない。(近江の義仲寺で月見をしたときの句。)〔季語〕月見
この道や行く人なしに秋の暮
秋の夕暮れ時に、この道を行く人は一人もなく寂としている。道を行く私は何と寂しいことだ。〔季語〕秋の暮
身にしみて大根からし秋の風
吹く秋の風に、大根の辛さがいっそう身にしみてくる気がするよ。(木曾での宿泊先で詠んだ句。)〔季語〕秋の風
ものひとつ我が世は軽(かろ)き瓢(ひさご)かな
たいしたものも持たない暮らしで、持っているのはひさごぐらいなもの。わが人生は、このひさごのように軽くてちっぽけなものだ。(「瓢」は、ひょうたんのこと。)〔季語〕瓢
秋(あき)十年(ととせ)却(かえ)つて江戸を指す故郷(こきょう)
江戸に住んで十年にもなり、故郷に帰ろうという今、かえって江戸を故郷のように思う。〔季語〕秋
桟(かけはし)やいのちをからむつたかづら
目もくらむような木曾の桟に、放せば落ちんとばかり、命がけで絡みついている蔦かずらであるよ。〔季語〕つたかづら
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いづく時雨(しぐれ)傘を手に提(さ)げて帰る僧
どこで時雨に降られたのだろう、まだ濡れている傘を提げて僧が寺に帰ってゆく。〔季語〕時雨
霰(あられ)まじる帷子雪(かたびらゆき)は小紋(こもん)かな
霰まじりに降る雪は、さながら染模様の霰の小紋だ。(「帷子」はひとえの衣のことで、「帷子雪」は一片が薄くて大きな雪。「小紋」は細かな模様の織物のこと。芭蕉24歳の作。)〔季語〕帷子雪
旅人と我名(わがな)よばれん初しぐれ
さあ旅に出て、道々、旅人と呼ばれながら行こう、いよいよ初しぐれの季節になった。〔季語〕初しぐれ
今日ばかり人も年寄れ初しぐれ
初時雨が降った今日ばかりは、皆が老いの境地になって、初時雨の風流を味わおうではないか。(許六〈きょりく〉亭で歌仙を催したときの句。許六は門人で、彦根藩士。)〔季語〕初しぐれ
塩にしてもいざ言伝(ことづ)てん都鳥(みやこどり)
江戸名物の都鳥を、塩漬けにしてでもあなたへの土産として持たせよう。(都鳥はユリカモメのこと。在原業平の「名にし負はばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」を踏まえている。)〔季語〕都鳥
一尾根(ひとおね)はしぐるる雲か富士の雪
雪に覆われた富士山の尾根の一つに黒い雲がかかっているのは、時雨の雲だろうか。〔季語〕時雨
初しぐれ猿(さる)も小蓑(こみの)をほしげなり
はらはらと初時雨が降ってきた。自分はさっそく蓑を腰に巻いたが、近くの木に猿がいて、猿も猿なりの小さな小蓑をほしそうだ。(伊勢から伊賀越えの山中を歩いている時の句。)〔季語〕初しぐれ
しぐるるや田の新株(あらかぶ)の黒むほど
時雨が降っている。道の両側の田んぼには、稲刈りの終わった新しい切り株が並んでおり、雨に濡れてみるみる黒ずんでいく。(前書「旧里〈ふるさと〉の道すがら」)〔季語〕しぐれ
草枕(くさまくら)犬も時雨(しぐ)るるか夜の声
旅寝の夜、犬の遠吠えの声が聞こえる。あの犬も時雨にあってわびしい思いをしているのだろうか。〔季語〕時雨
狂句(きょうく)木枯(こがらし)の身は竹斎(ちくさい)に似たるかな
狂句を詠みちらし、木枯しに吹かれながら旅する私のみすぼらしい姿は、まさにかの狂歌師の竹斎にそっくりだよ。(名古屋の門弟に対する挨拶の句で、前書に「笠は長途の雨にほころび、紙衣は泊々〈とまりとまり〉の嵐にもめたり、侘びつくしたるわび人、我さへあはれに覚えける。むかし狂歌の才子、此国にたどりしことを、ふと思出て申侍る」とある。「竹斎」は、仮名草子『竹斎』の主人公である藪医者のことで、貧乏暮らしのなか各地を転々、名古屋での活躍も描かれ、処々で狂歌が歌われる。芭蕉は自らのみすぼらしい姿と俳諧に対する尋常ならざる想いを竹斎の風狂になぞらえている。)〔季語〕春立つ
月白き師走は子路(しろ)が寝覚めかな
師走に冴えわたる月は、あの孔子の弟子の子路が寝覚めて眺めているかのように澄み切っている。(子路は孔子の弟子の一人で、潔癖で勇敢な人物だったとされる。)〔季語〕師走
いざ子供はしりありかん玉霰(たまあられ)
さあ子供たちよ、霰が降ってきた。外に出て走り回ろう。〔季語〕玉霰
初雪に兎(うさぎ)の皮の髭(ひげ)作れ
初雪に遊んでいる子供たちよ、白い兎の毛皮で、髭でもつけたらどうだ。〔季語〕初雪
人々をしぐれよ宿は寒くとも
ここにいる人々に時雨して、この集いにふさわしい趣を添えよ、たとえ宿は寒くなっても。(伊賀上野の門弟・配力〈はいりき〉亭で句会が催された時の句。)〔季語〕しぐれ、寒し
振売(ふりうり)の鳫(がん)あはれなりえびす講
えびす講で町通りが賑わうなか、振売の男が鳫をぶら下げて売り歩いている。死んでぐったりと首を垂れた鳫の姿の哀れなことよ。(前書「神奈月廿日、深川にて即興」。「振売」は、天秤棒に商品をぶら下げて売り歩く行商人。)〔季語〕寒さ
塩鯛(しおだい)の歯ぐきも寒し魚の店(たな)
塩鯛が、歯をむき出して魚屋の寒々しい店先に並んでいる。その姿が、いっそう冬の寒さを感じさせる。〔季語〕寒し
星崎の闇(やみ)を見よとや啼(な)く千鳥(ちどり)
星に縁のある星崎の夜の闇を見よとばかりに、千鳥がしきりに鳴いている。(前書「鳴海にとまりて」。星崎は、愛知県にある鳴海潟の岬。)〔季語〕千鳥
海くれて鴨(かも)の声ほのかに白し
海が暮れて、見えない空間から鴨の声が聞こえてくる。その声はほのかに白く感じられる。(前書「海辺に日暮らして」。共感覚による句。)〔季語〕鴨
柴(しば)の戸(と)に茶を木の葉(は)掻(か)く嵐かな
柴の戸に隠棲してみれば、茶を入れよというのか、木枯らしが焚きつけにと木の葉を掻き集めてくれることだ。(「柴の戸」は粗末な家のこと。深川の草庵に移り住んだころの句。)〔季語〕木の葉掻く
さし籠る葎(むぐら)の友か冬菜(ふゆな)売り
草庵に籠っている身に、訪ねてくる友もいない。時折やって来る冬菜売りが、友のように親しく感じられる。(「さし籠る」は閉じこもる。「葎」は荒地に茂る雑草。「葎の友」は、葎が繁るような粗末な家での暮らしの中での友ということ。「冬菜」は冬野菜。)〔季語〕冬菜
櫓(ろ)の声波を打つて腸(はらわた)氷(こお)る夜(よ)や涙
川波を打つ櫓の音が寂しく聞こえる。腸が凍ってしまいそうな寒い夜に、涙がこぼれてくる。(前書「深川冬夜の感」とあり、川は隅田川。10・7・5音の破調の句。)〔季語〕氷る
水寒く寝入りかねたる鴎(かもめ)かな
あまりに川の水が冷たいのか、なかなか寝られずにいる鴎であるよ。〔季語〕寒し
明(あけ)ぼのやしら魚しろきこと一寸(いっすん)
まだほの暗い明け方に浜に出てみると、薄明りの中に、一寸ばかりの白魚がきらりと光って見える。(10月、桑名で詠んだ句。初案は「雪薄し白魚しろきこと一寸」だった。)〔季語〕しら魚一寸。「白魚」は本来、春の季語。
世にふるもさらに宗祇(そうぎ)のやどりかな
数日こうして渋笠を張りながら、ふと思ったことには、この人生そのものが、宗祇のいわれるとおり、「時雨のやどり」なのではなかろうか。(前書「手づから雨のわび笠を張りて」。宗祇の句「世にふるもさらにしぐれの宿りかな」の「しぐれ」を「宗祇」に置き換えている。)〔季語〕句には現れていないが、「時雨」
初雪や幸い庵(あん)にまかりある
初雪が降ってきた。幸い草庵でゆっくりしている折だ。(前書に、「かねて芭蕉庵の雪を見たいと念願していたがなかなか降らず、外出先などで雪が降ってきてあわてて庵に帰ってくるということがしばしばだったが、師走中の八日、初めて庵に居るときに雪が降ってきたよろこび」の旨の記述あり。)〔季語〕初雪
冬籠りまた寄りそはんこの柱
今年は久しぶりにこの草庵で冬籠りだ。またこの柱に寄り添いながら過ごすとしよう。(久しぶりに江戸深川の草庵で冬を過ごしたときの句。)〔季語〕冬籠り
冬の日や馬上に氷(こお)る影法師
寒い冬の日、馬で旅する自分の姿は、馬の上で凍りついた影法師のようだ。〔季語〕冬の日、氷る
初雪や水仙(すいせん)の葉のたわむまで
初雪が降ってきた。水仙の葉がわずかにたわむほどに。〔季語〕初雪、水仙
馬をさへ眺(なが)むる雪の朝(あした)かな
一面真っ白になった雪の朝、旅人を乗せて道行く馬の姿にも心が惹かれることだ。(前書「旅人を見る」)〔季語〕雪の朝
あら何ともなやきのふは過ぎてふくと汁
ああ、何ともなくてよかった。昨日ふぐ汁を食べて心配でしかたなかったが。〔季語〕ふくと汁
水仙や白き障子(しょうじ)のとも移り
部屋に水仙が生けてある。その花に障子からの光が移って、浮き立つような清らかさだ。(熱田の門人・梅人〈ばいじん〉亭に宿して詠んだ句。)〔季語〕水仙
雪の朝(あさ)独(ひと)り干鮭(からざけ)を噛(か)み得たり
貧しい俳諧師の私は、こんな冬の雪の降った朝に何を食うかといえば、 ひとり干鮭をかんでいることだ。(前書に「富家は肉を喰らい、丈夫は菜根を食している」旨の記述あり。芭蕉37歳の作。)〔季語〕雪の朝、干鮭
霰(あられ)聞くやこの身はもとの古柏(ふるがしわ)
霰が庭の柏の葉を打つ音が聞こえるが、我が身は枯れても落ちない古柏のようなもので、何の変わりばえもしていない。(芭蕉40歳の作。前年に焼失した芭蕉庵を再建したときの句。)〔季語〕霰
埋火(うずめび)や壁には客の影法師
埋火にあたりながら、家の主人が客と語らっている。壁にはその影法師が映っている。(「埋火」は、灰にうずめた炭火。)〔季語〕埋火
寒菊(かんぎく)や粉糠(こぬか)のかかる臼(うす)の端(はた)
米つきをしている臼のかたわらに寒菊が咲いている。つき終えてみると、花にも葉にもうっすらと粉糠がかかっている。〔季語〕寒菊
葱(ねぶか)白く洗ひたてたる寒さかな
泥のついた葱を洗いたてると、その白さに、寒さがいっそうまさるように感じる。〔季語〕葱、寒さ
金屏(きんびょう)の松の古さよ冬籠(ふゆごもり)
金屏風に描かれた松は古色蒼然としている。そんな松を眺めながら心静かに冬ごもりをしている人がいる。〔季語〕冬籠
いざさらば雪見にころぶ所まで
さあ、それでは雪見に参りましょう。道に転べば転んだで、転ぶところまで参りましょう。〔季語〕雪見
箱根(はこね)越す人もあるらし今朝の雪
朝起きてみると一面の雪。こんな中、箱根を越えている旅人もいるだろう。(名古屋の門人・聴雪〈ちょうせつ〉に招かれて詠んだ句。芭蕉も箱根を越えて来ている。)〔季語〕雪
市人(いちびと)よこの笠売らう雪の笠
市に集う人たちよ、この笠を売ろう、雪の積もった粋な笠を。〔季語〕雪の笠
旧里(ふるさと)や臍(へそ)の緒(お)に泣く年の暮
久しぶりに故郷の生家に帰った年の暮。自分の臍の緒をふと手に取ってみると、いろいろなことが思い出されて泣けてくる。〔季語〕年の暮
暮れ暮れて餅(もち)を木魂(こだま)の侘寝(わびね)かな
年も押し迫り、あちらこちらの家から新年の餅をつく音がしている。その音のこだまを聞きながら、独り侘しく寝ていることだ。〔季語〕餅つき
年の市(いち)線香(せんこう)買ひに出(い)でばやな
年の瀬の市は賑わっているが、自分は、正月の支度といっても、わざわざ買いに行くほどのものはない。それでも線香ぐらいは買いに出てみようか。〔季語〕年の市
旅寝(たびね)して見しや浮世の煤払(すすはら)ひ
年の暮れに世間は煤払いにいそしんでいたが、旅にある私は、よそ事のように眺めていたことだ。〔季語〕煤払ひ
木枯(こがらし)や竹に隠れてしづまりぬ
今まで音を立てて吹いていた木枯らしが、竹林に吸い込まれて隠れてしまったかのように、急にしんと静まり返ってしまった。〔季語〕木枯
花みな枯れてあはれをこぼす草の種
庭の草花はみな枯れ果てて、種をこぼしている。何ともあわれ深いことだ。〔季語〕枯草
年暮れぬ笠きて草鞋(わらじ)はきながら
笠をかぶり草鞋をはいたままで、今年もとうとう暮れてしまった。(前書「ここに草鞋を解き、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮れければ」)〔季語〕年暮る
春やこし年や行(ゆき)けん小晦日(こつごもり)
小晦日なのに立春となった。これは新しい年が来たと言うのか、旧い年が過ぎ去ったと言うのか分からない。(小晦日は12月29日。前書「廿九日立春なれば」とあり、年内立春は暦上しばしばあった。芭蕉19歳の作。)〔季語〕小晦日
分別(ふんべつ)の底たたきけり年の暮
年を越すやりくりに、あれこれと分別のありったけを出し尽くしてしまった。(「分別」は経験から来る判断。「底たたく」は出し尽くす。)〔季語〕年の暮
月雪(つきゆき)とのさばりけらし年の暮
年の暮れになったが、思えば月よ雪よと勝手気ままに浮かれてばかりで過ごしてきたものだ。〔季語〕年の暮
目出度(めでた)き人の数にも入らん老(おい)の暮
私も、目出たい人のうちの一人に数えられるだろう。老いて年の暮れを無事に迎えることができたのだから。(前書「貰うて喰らひ、乞うて喰らひ、やをら飢ゑも死なず年の暮れければ」)〔季語〕年の暮
旅に病んで夢は枯野(かれの)をかけ廻(めぐ)る
旅の途中で病に倒れ、眠って見る夢では、あちらの野、こちらの野を駆け巡っている。(前書「病中吟」。辞世の句ではないが、最後の創作となった句。)〔季語〕枯野
※順不同。なお、ふりがなは現代仮名遣いによっています。
※『おくの細道』所収の句は別ページの「おくの細道」をご参照ください。
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
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