8月6日は、不肖私の故郷・広島に原爆が落とされた日です。毎年この日に平和祈念式典が行われる平和公園は、市街地のほぼ中心にあり、この日の夜、すぐ近くの川で「灯ろう流し」が行われます。原爆の熱線を浴び、「熱い、熱い」と言って川に飛び込んで、そのまま亡くなった人たちの霊をなぐさめるためです。黒い川面に、色とりどりの灯ろうが、ゆっくり、ゆっくり流れていく光景は、幻想的ながらも、何ともいえない深い悲しみが漂っています。
私の母親は、戦時中の女学校時代を広島市で過ごしました。通っていたのは、市内の中心からやや北側にある、今の安田女子高校です。ところが、昭和20年8月6日の原爆投下の時は、母親は危うく難を逃れることができました。どうしてかというと、母親によれば、事前に新型爆弾投下の予告のビラが市内にまかれたからです。
そのビラによって、「近々、アメリカが広島に新型爆弾を落とす。その爆弾は水爆といって、街じゅうが凍りついてしまう」という噂がワッと広がったそうです。私の母親は、とても心配性というか、そういうことをすぐ信じてしまう質でしたので、すぐに田舎に帰ったのです。
そうしたら、何日か後に、水爆ではなく原爆が落とされました。母の実家のある田舎は、広島湾の沖合いの倉橋島という島でして、その日の朝、突然、空がピカッと光ったというのです。大慌てでみんなして防空壕に逃げ込んだものの、その後、何も起きる気配がありません。恐る恐る防空壕から外に出てみると、広島市の方角に物凄いキノコ雲が立ち昇っていたそうです。
【PR】
【PR】
【PR】
→目次へ