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晏子の御者

 名宰相として管仲と並び称される晏子(あんし)は、斉の宰相になると、乗用の馬車も四頭立てで屋根付きの立派な馬車になり、それまで仕えてきた御者の服装もたいそう立派になりました。御者はそれを殊のほか喜び、あたかも自分が出世したかのように得意になりました。
 
 あるとき、御者の妻が、晏子が馬車に乗って外出するようすを、門の隙間からうかがっていました。夫は意気揚々と通りを走り、その顔には道行く人々を見下すような尊大さが表れていました。
 
 その夜、夫が帰宅すると、妻はいきなり離縁を申し出ました。驚いた夫が「いったい、どうしたことか」と尋ねると、妻は言いました。
 
「私は今日、晏子さまをお乗せして走るあなたを見て、恥ずかしくなりました。晏子さまは身長6尺にも達しませんが、身分は斉の国の宰相であり、名前は諸侯に知れ渡っています。それなのに、とても思慮深げで偉ぶったところは少しも見られません。ところがあなたは、身長は8尺ですが、人に仕える御者にすぎません。お偉い方の御者というだけで自分も偉いかのようにふんぞり返っているではありませんか。私は、そういう人にはついていきたくありません。ですから離縁を願い出たのです」
 
 妻の言葉を聞いた夫は、自分の愚かさに気づき、心から妻に謝りました。そして、以後は自らの言動を慎み、謙虚にふるまうようになりました。晏子は、御者の態度が急に変化したのを訝しく思い、その理由を尋ねました。御者は妻に諫められたことを正直に答えました。晏子は大いに感心し、推薦して御者を大夫に取り立てました。

〜『史記』


一顰一笑(いちびんいっしょう)を愛(お)しむ

 戦国時代前期の韓に、昭侯という君主がいました。ある日のこと、昭公は自分の着古した袴を、側近に命じて仕舞い込ませました。通常であれば、古くなった君主の衣服は、近侍に下賜するのが習いになっていました。それをしなかったということで、側近は昭公に言上しました。

「恐れながら申し上げます。古びた袴まで家臣に下しおかれず仕舞い込まれては、皆が何と申しますやら」

 昭公は答えました。

「決して物惜しみで行うのではない。自分は『明主は一顰一笑を愛しむ』ということを聞いている。賢明な君主は、眉をしかめるのも、わずかな笑い顔も、やたらにしてはいけない。なぜなら、そうしたちょっとした表情の変化であっても、臣下に与える影響が大きいからだ。嫌な顔も笑うのも確かな理由があるときのみである。ましてや、古い袴とはいえ、無闇に家臣に与えたりしては、その影響はもっと大きい。下賜するに値する功を立てた者が出たときには当然に与えるが、今はそういう者がいないからだ」
 
 これを聞いた側近は、昭公の深慮に恐れ入って引き下がりました。
  

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発縦指示(はっしょうしじ)

戦闘において戦いを指揮すること。また、指揮官。
項羽を滅ぼし天下を平定した劉邦が、将兵を評価し、指揮をとった蕭何(しょうか)を一番の功労者としたが、功臣たちは実際に戦ったのは自分たちで、蕭何は文墨(ぶんぼく)をもって議論しただけだと抗議した。それに対し劉邦は、猟をする場合、獣を追い立てて殺すのは犬であり、犬に指示するのは人である。諸君の働きは犬に相当し、蕭何の功は人に相当すると言ったという故事から。

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