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哲学に親しむがんばれ高校生!

アリストテレス

古代ギリシアの哲学者(前384年~前322年)。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニアのアレクサンドロス大王の家庭教師であったことでも知られる。

 マケドニア生まれのアリストテレスは、17、8歳のころにアテネに出て、プラトンが創設した学園アカデメイアに入門します。そして、プラトンが死去するまでの20年近い年月、学徒として勉学に励みました。彼は師のプラトンから「学校の精神」と評されたとも伝えられ、時には教師として後進の指導にあたったこともあったようです。
 
 プラトンが亡くなり、アカデメイアを去ったアリストテレスは、42歳のころにマケドニア王フィリッポス2世から招聘され、当時13歳だった王子のアレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の教育にあたることになります。また、首都ペラ郊外にミエザの学園を開き、弁論術、文学、科学、医学、哲学などを教えました。ミエザの学園にはアレクサンドロスのほかにも貴族階級の子弟が学友として多く学び、のちに彼らはマケドニア王国の中核を担う存在となっていったのです。
 
 アレクサンドロスが王に即位すると、アリストテレスは再びアテネに出て、学園「リュケイオン」を開設します。リュケイオンとは、アテネ郊外のアポロン・リュケイオスの神域とされた地を指します。弟子たちとは学園内の歩廊(ペリパトス)を逍遥(そぞろ歩き、散歩)しながら議論を交わしたことから、彼の学派は逍遥学派(ペリパトス学派)と呼ばれます。このリュケイオンは、529年にユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまで、アカデメイアと対抗しながら存続しました。
 
 紀元前323年にアレクサンドロス大王が没すると、広大なアレクサンドロス帝国は政情不安に陥り、マケドニアの支配力は大きく減退しました。これに伴ってアテネではマケドニア人に対する迫害が起こったため、紀元前323年の61歳頃、アリストテレスは母方の故郷であるエウボイア島のカルキスに身を寄せました。しかし、そこで病に倒れ(あるいは毒人参をあおったとも)、62歳で死去しました。
 
 師のプラトンは、感覚界を超越したイデアが個物から離れて実在するというイデア論を唱えましたが、アリストテレスはイデア論を「無意味に物事を二倍に増やしただけ」と批判して、イデアすなわち実体は現実の現象的世界に内在するものであり、現象みずからの発展によって実現されるものと考え、個物に内在するものとして「エイドス(形相)」と「ヒュレー(質料)」の概念を提唱しました。個物に内在するそのものの本質で、素材を限定して現実的なものとする事物の原型がエイドス(形相)、銅像の素材が銅であるように個物の材料を意味するのがヒュレー(質料)です。

 また世界に起こりうる現象の原因には「質料因」と「形相因」があり、後者をさらに「動力因」「形相因」「目的因」の3つに分け、全部で4つの原因(アイティア)があるとしました(四原因説)。事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」、運動や変化を引き起こすのが「動力因」、そして、それが目指している終局が「目的因」です。
 
 そして、ある素材(質料)が目的(形相)に向かう変化の過程において、素材がもつ完成への可能性を秘めたあり方を「可能態」とよび、完成への可能性をもった質料が、形相を得て目的を達するにいたる具体的なあり方を「現実態」とよんで区別しました。
 
 アリストテレスはそうした現実主義の観点から、天文・気象・動植物・地球などあらゆるものを対象に観察を行い、抽出した特徴を体系的に分類し整理することで世界を把握しようとする学問(自然科学)を始めました。実際、現在に至る天文学、気象学、動物学、植物学、地学などの学問はすべてアリストテレスから始まっており、彼が「万学の祖」と呼ばれる所以です。

 しかし、物体の落下現象は物体の本来の位置に戻る性質によるとして重力を否認。また、地上の物質は水・土・火・空気の4基本元素から成り、天体は第5の元素エーテルでできているとして、デモクリトスの原子説に反対するなど、物理的学の分野では実験を伴わなかった欠陥もあったことを付言しておきます。
 
 イデア論を否定するアリストテレスは、政治に関してもプラトンの哲人王思想はただの理想論にすぎないとし、そもそもどのような政治体制がありえて、それぞれどのような特徴があるのかを学問的に分析しました。そして、一人の王が支配する「君主制」、少数の特権階級が支配する「貴族制」、多数者が支配する「共和制」の3種類に分類できると考え、君主制は独裁制(僭主制)になりやすく、貴族制は寡頭制になりやすく、共和制は衆愚制になりやすいと分析しました。最良の政治体制というものは存在せず、いずれも堕落する可能性があると考えたのです。その後に起きるのが、「革命」という名のもとに行われる政治体制の交代劇である、と。 

アリストテレスの著作

  • 『形而上学』
    存在の根拠や形相・質料についての著述。「自然学の後におかれた学問」という意味をもつ。 「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」という一文で始まり、師プラトンのイデア説を超えて、「実体」を追究し、存在の4種の原因を求める。
  • 『ニコマコス倫理学』
    アリストテレスが自分の息子のために、善きポリスの市民としていかに生きるべきかについて記した作品。
  • 『政治学』
    「人間はポリス的動物である」ということばを記し、ポリスのあるべき姿を描いた作品。

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アリストテレスの言葉から

  • 自分を知ることは、すべての知恵の始まりである。
  • 我々の性格は、我々の行動の結果である。
  • 知識ある者は行い、理解ある者は救える。
  • 働く喜びが、仕事を完璧なものにする。
  • 世間が必要としているものと、あなたの才能が交わっているところに天職がある。
  • 人に従うことを知らない者は、よき指導者になりえない。
  • 始めにうまくいったものは半分できたも同然。
  • 批判を避けたいのであれば、何もせず、何も言わず、何者にもなるべきではない。
  • 怒ることは簡単だ。しかし、正しい人に、正しい程度に、正しいときに、正しい目的、正しい方法で怒ることは簡単ではない。
  • 不公平の最悪な形は、それを公平にしようと試みることだ。
  • 私たちの行動が習慣になる。節度のある行動をしていれば、節度のある人となり、勇気ある行動をしていれば勇敢な人となる。
  • 勇気がなければ、この世界で何も行うことはできないだろう。勇気は、名誉の次に価値のあることなのだ。
  • 勇気は人間の第一の資質である。なぜなら、他の資質の土台となる資質であるから。
  • 人はものごとを繰り返す存在である。つまり優秀さとは、行為ではなく習慣になっていなければならない。
  • 教育の根は苦いが、その果実は甘い。
  • 多数の友を持つ者は、一人の友も持たない。
  • 自己とは自分にとって最良の友人である。
  • 友人がいなければ、誰も生きることを選ばないだろう。たとえ他のあらゆるものが手に入っても。
  • 自己犠牲は、美徳の条件である。
  • 幸せかどうかは、自分次第である。
  • 恥は、若者にとって名誉であり、老人には屈辱である。
  • 若者は簡単に騙される。なぜなら、すぐに信じるからだ。
  • 引っ込み思案は、若者には美点となるが、年配者には欠点でしかない。
  • 人生はチャンスと変化に富んでいる。そして最も栄えているときに、人は大きな不幸に見舞われる。
  • 一羽のツバメが来ても夏にはならないし、一日で夏になることもない。このように、一日や短い時間で人は幸福にも幸運にもなりはしない。
  • 革命は、些細なことではない。しかし、些細なことから起こる。
  • 法律ばかりがたくさんあるのは、悪政の兆候である。
  • 唯一の安定状態は、法律の前に全ての人間が平等であるということ。
  • 芸術が目指すのは、ものの外見ではなく、内にある本質である。
  • 肉体的快楽は刺激の強いものであるから、他の快楽を楽しむ能力がない人々によって追求される。

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がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

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アリストテレスの略年譜

B.Ⅽ.384年
マケドニアのスタゲイラで生まれる
B.Ⅽ.367年(17歳)
プラトンが主宰するアカデメイアに入門
B.Ⅽ.347年(37歳)
プラトンが死去、アカデメイアを去る
エーゲ海沿いのアッソスに移り、ピュティアスと結婚し娘をもうける
B.Ⅽ.345年(39歳)
ペルシア軍の侵攻によりレスボス島のミティレネに避難し、生物学に取り組む
B.Ⅽ.343年(41歳)
当時13歳の王子アレクサンドロスの家庭教師になる
B.Ⅽ.335年(49歳)
アテネに戻り、学園「リュケイオン」を開設
B.Ⅽ.323年(61歳)
アレキサンダー大王が没し、反マケドニア勢力の圧力から逃れるため、エヴボイア島カルキスへ
B.Ⅽ.322年(62歳)
病のため死去
 

アリストテレスの倫理学

アリストテレスが創始した倫理学によると、人間の営為にはすべて目的(善)があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。

また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとして、中庸に当たる以下の項目を挙げている。

・恐怖と平然に関しては勇敢
・快楽と苦痛に関しては節制
・財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)
・名誉に関しては矜持
・怒りに関しては温和
・交際に関しては親愛と真実と機知

アリストテレス「哲学のすすめ」 (講談社学術文庫)

哲学者ランキング

1940年以降に出版された哲学に関する書籍に多く登場・引用された哲学者のランキングです。
  1. カント
  2. アリストテレス
  3. プラトン
  4. ヘーゲル
  5. マルクス
  6. トマス・アクィナス
  7. ハイデガー
  8. ウィトゲンシュタイン
  9. ヒューム
  10. デカルト

(参照)令和哲学カフェ

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