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哲学に親しむがんばれ高校生!

アウグスティヌス

ローマ帝国時代に活躍したキリスト教の神学者、説教者、哲学者(354年~430年)。青年時代は放縦であったが,信心深い母モニカの感化を受けマニ教を信奉し、次いで新プラトン学派哲学に傾倒、32歳でキリスト教に回心した。テオドシウス1世がキリスト教を国教として公認した時期に活動。正統信仰の確立に貢献し、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力をもつ。ローマ・カトリック教会最大の教父として、聖アウグスティヌスとも呼ばれる。

 キリスト教は、ペテロやパウロなどの熱心な布教活動によってローマ領内に広がっていきましたが、ローマ帝国は、キリスト教を皇帝崇拝を否定する異教であるとして、厳しく弾圧しました。ところが、306年に、信者だったコンスタンティヌスがローマ帝国の皇帝になったことで、事態は一変します。313年のミラノ勅令によって布教が正式に認められ、392年にはテオドシウス1世が国教としてキリスト教を公認、それ以外の宗教が禁止されることとなったのです。
 
 しかし、その喜びも束の間、新たな問題が勃発します。それまで迫害を受けて一つにまとまっていたのが、権力者から公認されて力を得るや、教会組織内部でそれぞれが教義の正当性を主張するという、激しい派閥争いが始まったのです。そして、それを収めるための論理補強を行い、キリスト教組織を一つにまとめあげる教義をつくったのが、アウグスティヌスです。
 
 アウグスティヌスがどんな人物だったかというと、北アフリカに生まれた彼は、もともとは敬虔なキリスト教信者ではありませんでした。若いころに弁論術を学びましたが、18歳のころにいかがわしい女性と同棲し子供をもうけるなど、放縦生活を送るようになります。その後、地域の宗教であるマニ教を信奉し、次いで、新プラトン主義に傾倒、信心深い母モニカとミラノの司教アンブロジウスの感化を受け、『聖書』に接してキリスト教に回心したのは32歳のときでした。
 
 そんなアウグスティヌスが、司祭・司教となり、さまざまな宗派の司祭たちを論破していくわけですが、これには若いころに会得した弁論術に加え、他の宗教の信仰や哲学を学んで得た幅広い知識が役立ったことは想像に難くありません。たとえば、マニ教ではこの世に「善の神」と「悪の神」がいて、悪は「悪の神」による仕業だとされました。ところが、キリスト教の神は一人しかいません。にもかかわらず、なぜ人間に「悪」が存在するのか、神が悪を作ったのか、という問いに対して、アウグスティヌスはこう結論づけています。
 
「人間に悪が存在するように見えるのは、善の欠如にすぎない。善の欠如あるいは善の濃度の薄さが悪として認識されているだけであって、確かな実体として悪が存在するのではない」。また、「神が悪を作り出したのではなく、神によって与えられた自由意志のために、人間は神の意図から外れる行動、すなわち悪を為すようになった。これこそが、人間が生まれながら背負っている原罪である」と。
 
 ここには明らかにプラトンやヘラクレイトスの哲学の影響が見られます。さらに彼の場合は、とても正直な人間だったことが窺えます。『告白』という自伝のなかで、彼は自分の過去の過ちを赤裸々に綴っており、といっても大それたことではなく、前述のいかがわしい女性との愛欲であるとか、新しい婚約者がいるのに別の女性と交わったとか、非常に品が無いながらも人間臭い過ちです。「私は肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた」と。しかし、そのあとで彼が言っているのは、「神よ、私に貞潔さと堅固さをおあたえください。ですが、今すぐにではなく」・・・・・
 
 アウグスティヌスは、清く正しく美しい完璧さばかりを求め「自力救済」を強調する他の司祭たちとは異なり、「人間とはしょせんは欲望を自制できない弱い存在であり、それを素直に認め、神の前にひれ伏して許しを乞い、神の慈悲によって救われるように祈ろう」という懺悔的教義を唱えました。この教義は、彼の正直さや人間味あふれる人徳と相俟って多くの人の心をとらえ、やがてキリスト教を一つにまとめあげるのに成功しました。そうして、誰もが実践できる大衆の宗教として、キリスト教は世界に広まっていくのでした。
 
 なお、アウグスティヌスが説いた、キリスト教徒が守るべき三つの徳は、信仰・希望・愛です。

アウグスティヌスの著作

  • 『告白』
    アウグスティヌスの自伝。若い日の放縦な生活ののち故郷タガステからカルタゴ、ミラノを転々とし、マニ教の信者であった彼が回心してキリスト者となった経過を語り、罪深い生活から真の道へと導いてくれた神の恩寵を心から讃えている。ルソー、トルストイと共に「世界の三大告白」といわれる名著。
  • 『神の国』
    アウグスティヌス後期の著作。世界の創造以来の歴史を、地の国とそれに覆われ隠されている神の国の二つの歴史を対比しつつ、教会のもつ役割について叙述。

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アウグスティヌスの言葉から

  • 神は、人間をその本質が天使と獣との中間にあるものとしてお創りになられた。
  • 愛は魂の美である。
  • 外に出るなかれ、汝自身に立ち還れ、内になる人にこそ真理は宿るなり。
  • あなたの今日は永遠である。
  • 神は風を備える、だが人が帆をあげなければならない。
  • 全く知らないものを愛することはできない。しかし、少しでも知っているものを愛するときには、その愛によって、そのものをいっそう完全に知るようになる。
  • 自分の実力が不十分であることを知ることが、自分の実力を充実させる。
  • 神よ、私に貞潔さと堅固さをおあたえください。ですが、いますぐにではなく。
  • 酒は、人を魅了する悪魔である。うまい毒薬である。心地よい罪悪である。
  • 食べ物を選ぶように、言葉も選べ。
  • 世界とは一冊の本であり、旅に出ない者は同じ頁ばかり読んでいるのだ。
  • 葬式は、死者に対する務めというよりは、生者に対する慰めである。
  • 私たちが当然なすべきことをなすは称賛に値しない。なぜならば、それを行うことは私たちの義務だから。
  • 植物は人間から見られることを求め、見られることが救済なり。
  • 嫉妬せざる者には恋愛はしえず。
  • もし神が女性に男性を支配させたいと考えていたなら、神はアダムの頭から女性を創ったであろう。また、もし神が女性を男性の奴隷にしようと考えていたなら、アダムの足から女性を作ったであろう。だが、神はアダムのわき腹から女性を創りたもうた。
  • 皮肉屋とは、犬の哲学者なり。
  • 愛に満たされるものは神ご自身に満たされる。
  • 失ったものを悲しむのではなく、それを持てたことに感謝しよう。
  • いかなる場合にても、喜び大なれば大なるほど、それに先立つ悲しみもまた大なり。

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がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

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キリスト教の国教化

ローマ帝国は、313年のミラノ勅令によってキリスト教を公認したが、当時のキリスト教の教義はまだ定まっておらず、多くの解釈が存在していた。また、領内にはマニ教やミトラ教などの異教の信仰も盛んで、古来ローマの神々への偶像崇拝や伝統的な儀礼も残っていたため、かえって宗教統制上の混乱が生じてきた。

そこでテオドシウス帝は、380年にまずキリスト教の国教化を定め、翌年に開催された第1コンスタンティノープル公会議において、「父と子と聖霊」は本質において同一であるというアタナシウス派の三位一体説を完成させ、キリスト教の正統として確定した。

ただ、引き続き他の宗教団体も信仰、布教が認められていたため、392年、テオドシウス帝は、アタナシウス派キリスト教以外の異教の祭礼と供犠を禁止し、これによって、アタナシウス派キリスト教がローマ帝国の唯一の宗教、つまり国教とされた。

神の国 1(聖アウグスティヌス) (岩波文庫 青 805-3) 文庫

アウグスティヌスと女性

アウグスティヌスのいかがわしい女との同棲と、それを諫め、彼を放蕩生活から立ち直らせた母モニカの存在が知られるが、そのような解釈は一面的にすぎるとして、山田晶『アウグスティヌス講話』では次のように述べている。

――(アウグスティヌスは)16年間、その女性を守り通した。ある意味においては、その女性を守るために、一時は母も捨て、苦しみ悩みました。そしてその女性と別れた後に、第二の女性を妻として持ったかといえば、ちょとした間違いはあったかも知れないが、結局は妻を持たなかったのです。そうすると、事実上、アウグスティヌスが妻とした人は、ただこの人だけということになります。そして、この女性と別れた後、この世のことは、すべて空しくなってしまった。ただ一つのあやまちは、その空しさを埋めようとする空しい努力であった。しかしその空しい努力は、いっそうの空しさとなってはねかえってくる。ただ一つ肉の欲だけがすべてを空しいと感じているアウグスティヌスの肉体のうちに重苦しく澱んでいる。その欲から解放されることは、結局アウグスティヌスにはできなかった。ただ神の恩寵だけが、彼をこの肉欲の泥沼から救った。アウグスティヌスの絶対恩寵主義は、この女性との関わりのうちに根源を持っています。私はそのように考えます。――

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