キリスト教は、ペテロやパウロなどの熱心な布教活動によってローマ領内に広がっていきましたが、ローマ帝国は、キリスト教を皇帝崇拝を否定する異教であるとして、厳しく弾圧しました。ところが、306年に、信者だったコンスタンティヌスがローマ帝国の皇帝になったことで、事態は一変します。313年のミラノ勅令によって布教が正式に認められ、392年にはテオドシウス1世が国教としてキリスト教を公認、それ以外の宗教が禁止されることとなったのです。
しかし、その喜びも束の間、新たな問題が勃発します。それまで迫害を受けて一つにまとまっていたのが、権力者から公認されて力を得るや、教会組織内部でそれぞれが教義の正当性を主張するという、激しい派閥争いが始まったのです。そして、それを収めるための論理補強を行い、キリスト教組織を一つにまとめあげる教義をつくったのが、アウグスティヌスです。
アウグスティヌスがどんな人物だったかというと、北アフリカに生まれた彼は、もともとは敬虔なキリスト教信者ではありませんでした。若いころに弁論術を学びましたが、18歳のころにいかがわしい女性と同棲し子供をもうけるなど、放縦生活を送るようになります。その後、地域の宗教であるマニ教を信奉し、次いで、新プラトン主義に傾倒、信心深い母モニカとミラノの司教アンブロジウスの感化を受け、『聖書』に接してキリスト教に回心したのは32歳のときでした。
そんなアウグスティヌスが、司祭・司教となり、さまざまな宗派の司祭たちを論破していくわけですが、これには若いころに会得した弁論術に加え、他の宗教の信仰や哲学を学んで得た幅広い知識が役立ったことは想像に難くありません。たとえば、マニ教ではこの世に「善の神」と「悪の神」がいて、悪は「悪の神」による仕業だとされました。ところが、キリスト教の神は一人しかいません。にもかかわらず、なぜ人間に「悪」が存在するのか、神が悪を作ったのか、という問いに対して、アウグスティヌスはこう結論づけています。
「人間に悪が存在するように見えるのは、善の欠如にすぎない。善の欠如あるいは善の濃度の薄さが悪として認識されているだけであって、確かな実体として悪が存在するのではない」。また、「神が悪を作り出したのではなく、神によって与えられた自由意志のために、人間は神の意図から外れる行動、すなわち悪を為すようになった。これこそが、人間が生まれながら背負っている原罪である」と。
ここには明らかにプラトンやヘラクレイトスの哲学の影響が見られます。さらに彼の場合は、とても正直な人間だったことが窺えます。『告白』という自伝のなかで、彼は自分の過去の過ちを赤裸々に綴っており、といっても大それたことではなく、前述のいかがわしい女性との愛欲であるとか、新しい婚約者がいるのに別の女性と交わったとか、非常に品が無いながらも人間臭い過ちです。「私は肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた」と。しかし、そのあとで彼が言っているのは、「神よ、私に貞潔さと堅固さをおあたえください。ですが、今すぐにではなく」・・・・・
アウグスティヌスは、清く正しく美しい完璧さばかりを求め「自力救済」を強調する他の司祭たちとは異なり、「人間とはしょせんは欲望を自制できない弱い存在であり、それを素直に認め、神の前にひれ伏して許しを乞い、神の慈悲によって救われるように祈ろう」という懺悔的教義を唱えました。この教義は、彼の正直さや人間味あふれる人徳と相俟って多くの人の心をとらえ、やがてキリスト教を一つにまとめあげるのに成功しました。そうして、誰もが実践できる大衆の宗教として、キリスト教は世界に広まっていくのでした。
なお、アウグスティヌスが説いた、キリスト教徒が守るべき三つの徳は、信仰・希望・愛です。
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