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過ちを見て仁を知る

 ずいぶん昔の話で恐縮ですが、テレビのプロ野球中継で、どうしても忘れられないシーンがあります。ヤクルトスワローズがリーグ優勝決定を目前にした試合だったと思うのですが、とにかくこれで雌雄が決するメチャクチャ大事な試合で、しかも終盤に、守備側のスワローズが絶体絶命の大ピンチを迎えたのです。そんな緊迫した状況で、当時1塁を守っていたのが、故・大杉勝男選手でした。

 そしたら、相手バッターが1塁方向にファール・フライを打ち上げたんですね。当たりそこないのフライ。そしたら大杉選手、打った瞬間の観客の大きな歓声にも影響されたのでしょう、わーっとばかりに後ろに下がったのです。ところが、実際は本塁と1塁の間に落ちるような何でもない小さなフライ。大杉選手は大慌てで前進したものの、捕れずにつんのめってでんぐり返り。実況していたアナウンサーの呆れたような発言。そしたら、解説の広岡達朗さんがこう言ったのです。「一生懸命なんですよ」

 ふつうに見ればまことにかっこ悪くて滑稽なシーンだったわけですが、私はこの広岡さんの言葉がずいぶん印象に残っています。たしかに大杉選手のあの姿、慌てて後ろに下がったときも、前につんのめったときも、めちゃくちゃ必死さが表れてた。がちがちに緊張して一生懸命さが過ぎてあんなふうになることってありますよね。大杉選手も、ふだんだったら何の問題もなく捕れている球だったはずです。

 かの孔子さまも、「過ちを見て、ここに仁を知る」と言っています。人の過ちにもいろいろあるけれども、その過ちを見てその人の仁徳が分かることがある。たとえば、真面目すぎたり一生懸命やりすぎたりしておかした過ちや失敗は、その表れであることを理解しなくてはならない、って。広岡さんが言った「一生懸命なんですよ」、孔子さまのようにとても素敵で重みのある言葉だと感じました。

直きこと

 『論語』の「子路第十三」に、次のような意味深い話が載っています。
 
 葉公が孔子に自慢げに話しかけました。「私の領内に正直で名をあげた者がおりまして、その父が羊を盗んだときに、子がその事実を訴え出て証言したのです」。それを聞いた孔子は言いました。「私の郷里の正直者はそれとは全く違います。子に悪い点があれば父が匿(かく)してやり、父に悪い点があれば子が匿してやります。それが自然の性質に従った行為と言うべきではありませんか」
 
 ここで注目したいのが、孔子はそれが「正しい」とまでは言っていないことです。原文では「直きことその中にあり」となっていて、それが人として正直で素直な態度である、と言っているのです。これが、どちらが正しいか、すなわち「正義」であるか否かの話になってきますと、賛否両論が激しく拮抗するんだと思います。おそらく誰もが納得する正解って出ないのでは・・・。

 現代においても、たとえば罪を犯した親族を匿ったり、その証拠を隠滅したりする行為は、明らかに犯罪ではあるけれども、法は「その刑を免除することができる」と定めています。しかし、「必ず免除する」とまではなっていません。人間の心情に照らしてあまりに素直な行為、それが違法行為となる場合にどう対処するか。法律にとってもなかなか悩ましいところなんだろうなと思います。


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