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哲学に親しむがんばれ高校生!

デカルト

フランスのの哲学者・数学者(1596年~1650年)。近世哲学の父とされる。方法的懐疑によってすべてを疑うが、このように疑っている自己の存在を真理であるとし、「我思う、ゆえに我あり」の命題によって哲学の第一原理を確立。そこから精神と物体を独立の実体とする物心二元論を展開した。また、解析幾何学の創始者でもある。

 デカルトは1596年、フランス中部のアンドル=エ=ロワール県の高等法院評定官の家に生まれましたが、すぐに母親を亡くし、祖母と乳母に育てられました。10歳でイエズス会の学校であるラ・フレーシュ学院に入学、成績優秀で、とくに数学が好きだったようです。18歳で学院を卒業するとポワティエ大学に進み、法学・医学を修めました。しかしデカルトは、書斎で読む書物から学ぶことに疑問を持つようになり、文字による学問を放棄します。
 
 そして、「世界という大きな書物」に飛び込み、そこで見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心したデカルトは旅に出ました。各地の宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまな経験を積み、運命によって巡り合う機会をとらえて自分に試練を課し、目の前に現れる事柄について分析と反省を加え、そこから何らかの利点を引き出そうとしたのです。
 
 22歳になったデカルトはオランダに渡り、軍隊に入りました。時代は、オランダ独立戦争によって、オランダがスペインからの独立を果たしたころです。デカルトは、戦術上の数学や力学の研究が盛んなナッサウ伯マウリッツの軍隊に加わり、あるとき数学の難問を解いて周囲を驚かせたといいます。
 
 およそ2年後に軍隊を辞め、フランスやイタリアを旅しながら数学や光学の研究を進めたデカルトは、やがてオランダに戻ってアムステルダムに居を構え、それから20年以上もの間、研究に没頭します。この間デカルトは、数学上の原理を、人間の生き方の原理、つまり哲学の原理に重ねることができないかと、思索を続けました。
 
 というのも、それまでの哲学は、言ってみれば。いろいろな哲学者たちが、「自分はこう思う」「いや、自分はこうだと思う」と、銘々が好き勝手に主張し合っているようなものでした。挙句にナントカ主義だとかナントカ説ばかりができてしまい、数学や科学のような統一的な学問にはなり得ていなかったのです。
 
 そこでデカルトは、誰もが認めざるを得ない確実なことをまず「第一原理」として設定し、そこから出発して演繹(真理を前提として論理的に正しい推論を重ねて結論を引き出すこと)していくべきだと考えました。しかし、何が真理であるかはそう簡単に見つかるものではありません。そこでデカルトがとった方法は、あらゆるものを疑い、排除し、そこから疑うことのできない真理を得ようとするものでした。
 
 そうして行き着いた結論が「我思う、ゆえに我あり」という命題でした。つまり、ほんの少しでも疑いがあるものは全部、誤りとして排除すべきであり、感覚はしばしば私たちを欺くから、感覚が想像するものは何も存在しないと想定する。しかし、よくよく考えれば、すべてを疑おうとするその間も、そう考えている自分は何ものかとして存在する。疑っている自分が存在することだけは疑えないはず。なぜなら、疑っている自分の存在を疑ったとしても、そこにはやっぱり疑っている自分がいるからだ。
 
 こうして、デカルトは、ついに誰も揺るがすことのできない絶対的な真理を見出したのです。つまり、すべては自分が考えることから始まる、のだと。デカルトが活躍した17世紀は、ルネサンスや宗教改革を経て、信仰と学問とがはっきりと分離してきた時代でした。理性で真理を探究していこうとしたデカルトの考え方は合理的であり、この意味で、デカルトは近代合理主義を確立した哲学者であるといえます。
 
 なお、デカルトは数学者としても有名で、数式を図やグラフとして視覚的に表すことのできるx軸とy軸による二次元の座標系を考案しました(デカルト座標)。このおかげで、後の解析幾何学の発展の基礎が築かれました。この座標という考え方は、今では小学校の算数で教えられるほど一般的なものとなっています。

デカルトの著作

  • 『方法序説』
    1637年刊。デカルトの最初の公刊書。自身の思想の形成過程、学問研究の方法や道徳律の発見について自伝的に述べたもの。「我思う、ゆえに我あり」の句もこの書にみえる。 「デカルト主義」という近世の哲学と科学の方法論へ大きな影響を与えた。
  • 『世界論』
    天体を論じた著作。 地動説を論じたガリレオが宗教裁判で有罪とされたことに衝撃を受け、出版を断念した。
  • 『省察』
    1641年刊。神の存在及び人間の霊魂と肉体との区別を論証しようとする、デカルトの形而上学の著作。

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デカルトの言葉から

  • 精神を向上させるためには、学ぶことよりもより多く熟考していくべきである。
  • 真理を探究するのであれば、人生において一度は、あらゆる物事をできる限り深く疑ってみる必要がある。
  • 疑いは知のはじまりである。
  • 自分自身の思考を除いて、我々の中で絶対的な力など存在しない。
  • 良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。
  • 理性によってのみわれわれは人間となる。
  • 良識はこの世でもっとも公平に配分されているものである。
  • 実際に人々が何を考えているのかを理解するには、彼らの言葉ではなく、行動に注意を払えばよい。
  • 難問はそれを解くのに適切かつ必要なところまで分割せよ。
  • 不決断以外に深く後悔させるものはない。
  • 人間の誤りの主な原因は、幼少期に身に付いた偏見である。
  • 最も優れた人間は、最高の美徳だけではなく最大の悪徳も持つ。
  • 経験というものは、人が知識において進めば進むほど、その必要性を感じさせるものである。
  • 架空の喜びはしばしば本物の悲しみよりも価値がある。
  • 怒りによって赤くなる人々は、怒りによって青くなる人々よりも怖ろしくない。
  • 我々は、すべてのものが我々のためにつくられたのだと思ってはならない。
  • 楽観主義者は何もないところに明かりを見るが、なぜ悲観主義者はいつだってその明かりを吹き消そうとするのだろうか?

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がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

バナースペース

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デカルトの動物機械論

デカルトが、動物と人間の根本的な違いを述べたもの。

時計などの機械は、バネなどの部品の組み合せによって規則的な動きをするが、 動物も同様に自然が与えた部品の組み合わせによって機械的な行動をとる。
 
彼らが人間よりもすぐれている点があるとしても、それは時計がわれわれの判断よりも正しく時間を伝えるのと同じなのである。

動物には精神(魂)がないから「単なる機械」である。人間には精神があるから「単なる機械」ではない。

人間だけが精神(理性)をもっている証拠は人間のみが言葉を話すからである。動物は言葉を発しうるが、その言葉は人間の言葉とは違い、他者への伝達の手段とはなりえない。動物は人間よりも「より少ない理性」をもつのではなく、それを「全くもたない」。

合理主義

すべての認識が経験に由来すると説く「経験論」に対し、人間は他の力をかりずとも、理性的な直観、あるいは生得的な観念によってのみ客観的真理を把握しうるとする哲学的立場で、「理性論」 ともいう。経験的認識によっては100%確実な知識は得られないとして「経験論」を批判する。デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ウォルフなどが代表的。これらの哲学者はみなフランスやオランダなどのヨーロッパ大陸に住んでいたので、「イギリス経験論」に対して、彼らの立場は「大陸合理論」などとも呼ばれる。


(スピノザ)

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