本文へスキップ

哲学に親しむがんばれ高校生!

エピクロス

ギリシアのヘレニズム期の哲学者(前341年~前270年)。サモス島の生まれ。エピクロス派の始祖。現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化してしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。

 アテネの植民地のサモス島に生まれたエピクロスは、兵役義務をはたすため18歳でアテネに上京、このとき、プラトンが開設したアカデメイアで学ぶ機会を得たといわれます。2年間のアテネ滞在後、故郷に戻りますが、当時はアレクサンドロス大王による大侵略で多くの国家が崩壊していた混乱の時代です。アテネ人もアレクサンドロス大王の後継者ペルディッカスによる弾圧を受け、そんななか、エピクロスは、デモクリトス派の哲学者ナウシパネスの門下で学びました。
 
 30歳ごろに自身の学校を開設、35歳ごろに弟子たちとともにアテネに移り、郊外に庭付きの小さな家を買い求めて共同生活を始めました。ここでエピクロスは、庭園学派ともよばれるエピクロス学派を創設、またこの場所は「エピクロスの園」として、万人に解放されて多くの人々が聴講しました。召使の奴隷も参加し、何人かの遊女が聴講したという記録もあるそうです。
 
 なおこの時代には、混乱の時代をいかに幸福に生き抜くかという観点から、3つの哲学の学派が生まれました。1つ目が「キュニコス派」で、「世間的な幸せ」を放棄して「本当の幸せ」を得る、つまり何も持っていなければ何も奪われないというような考え方でした。実際にすべての所有物を捨てて、裸足で乞食のように生活したというから驚きです。2つ目が「ストア派」で、「ストイック」の語源にもなった、欲望を捨てて規律正しく生きれば幸福になれるとした禁欲主義の学派です。そして3つめがエピクロス派です。

 エピクロスは自然哲学のデモクリトスの原子論の影響を強く受け、人間の生命も原子からなる以上、死を恐れたり不安に思ったりすることは無意味であると説き、感覚に基づいた穏やかな快楽(アタラクシア)を求めることは正しい、と考えました。これは「快楽主義」とよばれ、ストア派の禁欲的な考えと真っ向から対立するものでした。
 
 エピクロスは、人間の欲求を3つに分類しました。「自然で必要な欲求」「自然だが必要ではない欲求」「自然でもなく必要でもない欲求」の3つです。このうち自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居)だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることによって生じる「平静な心」こそが善であると定めます。そして、こうした理想を実現しようとして開いたのが「エピクロスの園」とよばれる共同生活の学園だったのです。
 
 しかし、エピクロス派の、一般社会との関りを忌避するような閉鎖的で自己充足的な特性は、ストア派から激しく批判され、また、欲望充足のみを追求するような放埒な生活を肯定する思想だと誤解されるようになりました。そんな批判に対しエピクロスは、弟子に宛てた手紙の中でこのように述べています。
 
――我々が、快楽が人生の目的であると言う場合、その快楽とは、一部の人たちが無知であったり誤解したりして考えているような、放蕩や享楽のなかにある快楽のことではなく、身体に苦痛のないことと、魂に動揺がないことに他ならない。――
 
 つまり、エピクロスのいう快楽とは、あくまで飢え、渇き、寒さ、暑さといった苦痛から解放された「普通」の状態のことであって、一過性の快楽をむさぼるなどとはほど遠いものでした。エピクロスはむしろ、一過性の快楽はかえって後で苦痛を生むとして、快楽の定義に含めていません。ごく自然な快楽を自然に満たして生きようとする彼の考え方は、キュニコス派やストア派の極端さから比べたら、よほど人間的であったといえます。
 
 エピクロスはまた、平静心を乱すもとになる政治的・公共的生活からは離れて生きることを説き、エピクロス派の人々の生活信条を示す「隠れて生きよ」という言葉も残しています。なお、エピクロスは300余りの著作を残したとされますが、その殆どは失われ、弟子に宛てた3通の手紙と教説、箴言の断片が残されているだけです。

【PR】

エピクロスの言葉から

  • わずかなもので満足できぬ者は、何ものにも満足できない。
  • 心の安らぎを得ている者は、自分自身に対しても他人にも迷惑をかけない。
  • 最大の善は快楽、最大の悪は苦痛である。
  • 人生の自然な目的によって計るとき、貧しさは大いなる富となり、限度を知らない富は大いなる貧しさとなる。
  • 多くの人々は、富を得るや悪から逃れようとせず、より大いなる悪へ転向する。
  • 自分の持っているものを、十分に自分にふさわしい富だと考えない人は、世界の主になったとしても不幸だ。
  • 正義のもたらす最大の実りは、心の平静である。
  • 正しい人は最も平静な心境にある。これに対し、不正な人は極度の動揺に満ちている。
  • 自然に強制を加えてはならず、むしろこれに従うべきである。
  • 魂は肉体から分離されると、すぐに煙のごとく消え去る。
  • 死は存在しない。何となれば、我らが存在するかぎり死の存在はなく、死の存在があるとき、我らの存在がなくなるからである。
  • 友とともにせざる晩餐は、獅子や狼の生活のようだ。
  • 賢い者は政治家にならない。
  • 我々を助けてくれるものは、友人の援助そのものというよりは、友人の援助があるという確信である。
  • 我々は、旅の途上にあるかぎりは、これまでの道よりこれからの道をより善いものとするよう努めるべきである。そして、旅の終わりに達したときには、いつもと変わらず明朗快活であるべきである。

【PR】

目次へ

がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

バナースペース

【PR】

ヘレニズム

ヘレニズムは、アレクサンドロス大王の東方遠征以後に生まれた、オリエント文明とギリシア文明の融合文化に由来する「ギリシア風」という意味のことば。本来はギリシア人の自称である「ヘレネス」からの造語。
 
ヘレニズム期は、アレクサンドロス大王が没した紀元前323年から、ローマが地中海一帯を統一し、プトレマイオス朝エジプトが滅亡する紀元前30年までの約300年の期間をいう。また、アレクサンドロスが死ぬと、その版図は彼の部下達によって争奪・分割された。これら、およびさらにそこから派生した諸国をヘレニズム諸国という。

ヘレニズム世界においてはギリシア語が公用語として使用され、コイネーといわれた。またギリシアのポリス社会が崩壊し、アレクサンドロス大王の世界帝国が成立したことに伴い、より広い世界での個人の生き方を探求するコスモポリタニズム(世界市民主義)の思想が広がった。

【PR】

エディオン -公式通販サイト-

目次へ