「我思う、ゆえに我あり」として「私の存在は確実」という第一原理を示したデカルトでしたが、それに続く論理の展開の甘さに多くの批判が集まり、かえって多くの哲学が生み出されることになりました。「イギリス経験論」とよばれる哲学体系もその一つで、「人間の認識は知覚に基づく経験である」というのが基本的な考え方でした。ヒュームはこれを継承し、人間の本質や心の動きを「科学的に」解明しようとした哲学者です。
まず彼は、人間の経験がどのようなプロセスを経て認識に至るかについて、知覚の対象である「印象(impression)」と「観念(idea)」の2つが結合することによって認識が形成されると説明します。「印象」とはその瞬間の刺激、「観念」とは過去の記憶や想像のことです。そして、一人ひとりの人間の精神は五感による「知覚の束」にすぎないのであって、それらによって当たり前のように信じられていた物事の「因果」を真っ向から否定します。
たとえば「火は熱い」「石を投げて物を壊す」「指を切ると痛い」などのように疑いようのない因果関係についても、あくまで繰り返してきた経験によって人間が勝手に作ったものであり、2つの事象を、私たち人間の心が補い、原因と結果につなげて理解しているだけなのだと考えました。決して人間にあらかじめ備わった認識でもなく自然界の法則でもない、と。
さらにヒュームは、現実には存在しない概念も、すべて「過去の有限の経験の組み合わせ」によって作られていると考え、それを「複合概念」とよびました。そして、人間の想像力はその範囲にとどまるとし、「神」の概念すらも、複合概念の一つだと主張したのです。これまでの哲学では、いかに現実的かつ合理的な立場であっても、神を否定するような人は、誰もいなかったのにです。
そうしたヒュームの考えは、18世紀のヨーロッパでは、大きな衝撃となりました。哲学の常識をひっくり返すトンデモ説として、特に当時の宗教関係者からは、大きな批判を浴びました。彼がスコットランドのエディンバラ大学の教授として推薦された際も、強い反対運動が起き、教壇に立つことはできませんでした。
かように、知識と道徳の基礎を破壊する懐疑論とみなされ攻撃を受けたヒュームの哲学でしたが、カントは彼の議論の意義を認め、「ヒュームの警告が、まさしく、はじめて私の独断的まどろみを破り、私の探究にまったく別の方向を与えたものであった」と述べています。
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