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哲学に親しむがんばれ高校生!

パルメニデス

古代ギリシアの哲学者(前515年?~前450年?)。エレア派の祖。ゼノンの師。南イタリアのエレアの富裕な名門の出身で、町の指導者の一人であったらしく、エレア市民のために法律を制定したとも伝えられる。
詩の形で哲学を説き、著作は『自然について』という約160行の教訓詩が残されている。「ある」ということはどういうことか?を論理的に追究し、感覚より理性を信じる合理主義の祖といわれ、ソクラテス以前では最大の哲学者ともいわれる。

 パルメニデスと同時代に生きたヘラクレイトスは、「万物は流転(変化)する」と主張し、その変化は一定の法則(ロゴス)によって支配されていると考えました。しかし、パルメニデスはそれとは真逆で、「存在は変化しない」「存在とは、決して変化しない『何か』である」と考えました。
 
 彼は、それまでの哲学者が「万物の根源は火である」とか「水である」とか「空気である」などと言っているのは、ただ感覚にたよっているに過ぎないと否定し、あくまで普遍的な論理に従って観察すべきだとしました。そうして、万物が変化あるいは生成されるプロセスを論理的に分析していきます。
 
 パルメニデスはリンゴを例にとって説明します。リンゴを半分に切り、また半分に切り、そのまた半分に切り、というふうにどんどん小さく切り刻んでいくと、やがてリンゴの形がなくなる。しかし、決してリンゴが消えてなくなるわけではない、リンゴであることに変わりはない。
 
 そうして得られた彼の主張は、万物は変化しない、運動や変化は存在しない。「ある(存在する)」ものは生成もせず消滅もせず永遠にあり、「ない(存在しない)」ものは何も生成せず永遠にない。そもそも時間など存在しないのであって、「一」しかなくて「多」は存在しない。さらに、状態は変化しない、測定は一回のみ、時制はない、というものでした。
 
 その依って立つ考え方は、世界を理解するのに感覚に頼るべきでなく、 理性によって論理的に考えるべきである、たとえ 変化・運動しているように見えたとしても、 それはそのように見える「感覚」を人間が有しているだけであって、 決して運動・変化の存在の証明にはならないというものです。つまり、感覚による理解を完全に否定したのです。
 
 パルメニデスほかソクラテス以前の哲学者の言は、断片しか残っていませんから、その解釈も定まっていないところがあります。一見、トンデモ論、強弁とも思えるパルメニデスの主張ですが、たとえば原子や分子、電子など小さすぎて見えない物を研究する量子力学などでは、人間の感覚などまるで役に立たず、計算によって答えを導き出すしかありません。それを思えば、パルメニデスの主張も大いに納得できるところがあります。
 
 なお、ソクラテスとパルメニデスの二人の生涯には重なっている時期があり、一度だけ若いソクラテスと老いたパルメニデスが対峙したことがあるそうです。後に数々の賢者たちを片っ端から論破していったソクラテスですが、この時のパルメニデスとの論争では全く歯が立たなかったといわれます。
 
 また、ヘラクレイトスが人間嫌いで気性が激しく、晩年は山にこもったような人物だったのに対し、パルメニデスは真反対の性格で、温厚かつ真面目で多くの人から愛され、「パルメニデスのように暮らす」という言葉も流行ったほどだといいます。

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がんばれ高校生!

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形而上学

パルメニデスは、しばしば、形而上学の創始者の一人に数えられる。形而上学とは、第二哲学たる自然学に先立つ原理学としての第一哲学、神学のこと。基本的な哲学の仮説を批判的に考察し,存在するものはそれが存在するかぎり何であるかを明らかにしようとする、言い換えれば、あらゆる存在者を存在者たらしめている根拠を探究する哲学の一分野。論理学、認識論、美学、倫理学などの他の哲学的研究とも影響し合い、伝統的に幅広い哲学的な問題に関連してきた。形而上学(metaphysics)の名称は、アリストテレスの著作の一つに基づく。


(アリストテレス)

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