パルメニデスと同時代に生きたヘラクレイトスは、「万物は流転(変化)する」と主張し、その変化は一定の法則(ロゴス)によって支配されていると考えました。しかし、パルメニデスはそれとは真逆で、「存在は変化しない」「存在とは、決して変化しない『何か』である」と考えました。
彼は、それまでの哲学者が「万物の根源は火である」とか「水である」とか「空気である」などと言っているのは、ただ感覚にたよっているに過ぎないと否定し、あくまで普遍的な論理に従って観察すべきだとしました。そうして、万物が変化あるいは生成されるプロセスを論理的に分析していきます。
パルメニデスはリンゴを例にとって説明します。リンゴを半分に切り、また半分に切り、そのまた半分に切り、というふうにどんどん小さく切り刻んでいくと、やがてリンゴの形がなくなる。しかし、決してリンゴが消えてなくなるわけではない、リンゴであることに変わりはない。
そうして得られた彼の主張は、万物は変化しない、運動や変化は存在しない。「ある(存在する)」ものは生成もせず消滅もせず永遠にあり、「ない(存在しない)」ものは何も生成せず永遠にない。そもそも時間など存在しないのであって、「一」しかなくて「多」は存在しない。さらに、状態は変化しない、測定は一回のみ、時制はない、というものでした。
その依って立つ考え方は、世界を理解するのに感覚に頼るべきでなく、 理性によって論理的に考えるべきである、たとえ 変化・運動しているように見えたとしても、 それはそのように見える「感覚」を人間が有しているだけであって、 決して運動・変化の存在の証明にはならないというものです。つまり、感覚による理解を完全に否定したのです。
パルメニデスほかソクラテス以前の哲学者の言は、断片しか残っていませんから、その解釈も定まっていないところがあります。一見、トンデモ論、強弁とも思えるパルメニデスの主張ですが、たとえば原子や分子、電子など小さすぎて見えない物を研究する量子力学などでは、人間の感覚などまるで役に立たず、計算によって答えを導き出すしかありません。それを思えば、パルメニデスの主張も大いに納得できるところがあります。
なお、ソクラテスとパルメニデスの二人の生涯には重なっている時期があり、一度だけ若いソクラテスと老いたパルメニデスが対峙したことがあるそうです。後に数々の賢者たちを片っ端から論破していったソクラテスですが、この時のパルメニデスとの論争では全く歯が立たなかったといわれます。
また、ヘラクレイトスが人間嫌いで気性が激しく、晩年は山にこもったような人物だったのに対し、パルメニデスは真反対の性格で、温厚かつ真面目で多くの人から愛され、「パルメニデスのように暮らす」という言葉も流行ったほどだといいます。
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(アリストテレス)