プラトンはソクラテスから深い影響を受け、彼の裁判にも立ち合い、その思想を継承して「イデア論」を展開しました。イデアというのは本来「見えているもの・姿・形」を意味する言葉ですが、プラトンが掲げたイデアとは「知覚を超越し、想起によってのみ認識できる純粋な理念」であり、「その対象を対象たらしめている本質、真の存在」という意味合いになります。
たとえばコンパスを使って「完全な円」を描いたつもりでも、よく見れば、線の細かい部分がギザギザだったり、少し歪んでいたりします。しかし私たちは頭の中で「完全な円」の本質を想起できますから、それを実際に見なくても似せて描くことができますし、また違いも認識できます。
プラトンは、ソクラテスが「~とは何か」と問いかけた事物の本質、そのものがそれ自身であるための原型を「イデア」と呼びました。そして、私たちの頭の中には永遠で完全なものの存在する「イデア界(叡知界)」があり、また物だけではなく、正義や美といった概念にもイデアはあり(善のイデア)、それこそがすべての存在物がこれを目的としているイデアの中のイデアであるとしました。
そうした叡知界に対し、不完全で有限な現実界(現象界)に住む私たちは、洞窟の中でその壁に映し出される外の世界の影を真実の存在だと思って生きている囚人のようなもの。プラトンは、イデアと現象の関係をこのように比喩しました(洞窟の比喩)。しかし、不完全な人間の魂は、現象界の美しいものや善いものの一部を見ることを契機として、かつて共にいた真実性(イデア)を思い出すことができると考えました(想起=アナムネーシス)。
また、プラトンが考える「霊魂観」は、人間の魂には真理の認識にかかわる不死なる部分(理性)と、行為や決断にかかわる可死なる部分(気概、意志)と、感覚や感情にかかわる可死なる部分(欲望)があるというものでした(魂の三分説)。そして、魂の三つの部分と関連する四つの徳があり(四元徳)、これらが調和して実現できるのが、知恵・勇気・節制・正義の四つだというのです。
魂の三分説と四元徳の考え方からプラトンが導き出した、調和のとれた美しい国を「理想国家」といいます。実はプラトンは、ソクラテスから学びながら国家公共に携わる政治家を目指していたものの、三十人政権(ペロポネソス戦争に敗れたアテネで成立した寡頭政の政権。やがて恐怖政治に変わった)やその後の民主派政権の惨状、衆愚政治の悲劇を目の当たりにして、政治に直接関わるのを避けたという経緯があります。
そしてプラトンが主張したのは、「理想国家は、イデアを知る優秀な哲学者が王になるべきである。もしくは王は哲学を学ぶべきである」という哲人政治(哲人王思想)でした。これには、師のソクラテスに死刑を下した民主政治(実は衆愚政治)に絶望したことが大きく影響しているといわれます。しかし、真を知る優れた人間がそうそう世の中にいるのか。そんな疑問に対し、プラトンはこう答えています。「哲人王がいないのなら、つくればよい」
プラトンは、政治や哲学と密接に関わっている教育に重大な関心をよせ、40歳になって、哲人王を育成するための学校「アカデメイア」を作りました。のちの大学の起源となる教育機関です。そこから最も優秀な者を哲人王として選出し、その王は守護者としての名誉のみを報酬に、国家の繁栄に生涯を尽くすべきとしたのです。その後アカデメイアは、529年に東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまで続きました。
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