本文へスキップ

哲学に親しむがんばれ高校生!

プラトン

古代ギリシアの哲学者(前427年~前347年)。ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師。プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べている。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。その大半は対話篇という形式をとっており、多くは師であるソクラテスを主要な語り手とする。青年期はアテネを代表するレスラーとしても活躍し、プラトンという名前はレスリングの師から付けられた仇名であるといわれている。

 プラトンはソクラテスから深い影響を受け、彼の裁判にも立ち合い、その思想を継承して「イデア論」を展開しました。イデアというのは本来「見えているもの・姿・形」を意味する言葉ですが、プラトンが掲げたイデアとは「知覚を超越し、想起によってのみ認識できる純粋な理念」であり、「その対象を対象たらしめている本質、真の存在」という意味合いになります。
 
 たとえばコンパスを使って「完全な円」を描いたつもりでも、よく見れば、線の細かい部分がギザギザだったり、少し歪んでいたりします。しかし私たちは頭の中で「完全な円」の本質を想起できますから、それを実際に見なくても似せて描くことができますし、また違いも認識できます。
 
 プラトンは、ソクラテスが「~とは何か」と問いかけた事物の本質、そのものがそれ自身であるための原型を「イデア」と呼びました。そして、私たちの頭の中には永遠で完全なものの存在する「イデア界(叡知界)」があり、また物だけではなく、正義や美といった概念にもイデアはあり(善のイデア)、それこそがすべての存在物がこれを目的としているイデアの中のイデアであるとしました。
 
 そうした叡知界に対し、不完全で有限な現実界(現象界)に住む私たちは、洞窟の中でその壁に映し出される外の世界の影を真実の存在だと思って生きている囚人のようなもの。プラトンは、イデアと現象の関係をこのように比喩しました(洞窟の比喩)。しかし、不完全な人間の魂は、現象界の美しいものや善いものの一部を見ることを契機として、かつて共にいた真実性(イデア)を思い出すことができると考えました(想起=アナムネーシス)。
 
 また、プラトンが考える「霊魂観」は、人間の魂には真理の認識にかかわる不死なる部分(理性)と、行為や決断にかかわる可死なる部分(気概、意志)と、感覚や感情にかかわる可死なる部分(欲望)があるというものでした(魂の三分説)。そして、魂の三つの部分と関連する四つの徳があり(四元徳)、これらが調和して実現できるのが、知恵・勇気・節制・正義の四つだというのです。
 
 魂の三分説と四元徳の考え方からプラトンが導き出した、調和のとれた美しい国を「理想国家」といいます。実はプラトンは、ソクラテスから学びながら国家公共に携わる政治家を目指していたものの、三十人政権(ペロポネソス戦争に敗れたアテネで成立した寡頭政の政権。やがて恐怖政治に変わった)やその後の民主派政権の惨状、衆愚政治の悲劇を目の当たりにして、政治に直接関わるのを避けたという経緯があります。
 
 そしてプラトンが主張したのは、「理想国家は、イデアを知る優秀な哲学者が王になるべきである。もしくは王は哲学を学ぶべきである」という哲人政治(哲人王思想)でした。これには、師のソクラテスに死刑を下した民主政治(実は衆愚政治)に絶望したことが大きく影響しているといわれます。しかし、真を知る優れた人間がそうそう世の中にいるのか。そんな疑問に対し、プラトンはこう答えています。「哲人王がいないのなら、つくればよい」
 
 プラトンは、政治や哲学と密接に関わっている教育に重大な関心をよせ、40歳になって、哲人王を育成するための学校「アカデメイア」を作りました。のちの大学の起源となる教育機関です。そこから最も優秀な者を哲人王として選出し、その王は守護者としての名誉のみを報酬に、国家の繁栄に生涯を尽くすべきとしたのです。その後アカデメイアは、529年に東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世によって閉鎖されるまで続きました。

プラトンの著作

  • 『ソクラテスの弁明』
    国家の神々を信じず、若者を堕落させていると告発されたソクラテスが、自らの信念と愛知の活動をのべる場面を描いた作品。 プラトンは、師の教えを十分にふまえたうえで、詩的、哲学的言語でまとめた。
  • 『クリトン』
    死刑が確定したソクラテスに逃亡をすすめにきた友人に、「不正に対して不正をもって報いてはならない」と語るソクラテスの姿を描いた作品。
  • 『饗宴』
    ソクラテスとその仲間が恋(エロース)について議論する場面を描いた作品。
  • 『パイドン』
    死刑直前のソクラテスが仲間たちと魂の不死について語り合う場面を描いた作品。
  • 『国家』
    魂の三分説や哲人政治など、理想国家について書かれた作品。

【PR】

プラトンの言葉から

  • 偉大な人物たらんとする者は、自分自身や自分に属するものをではなく、正しいことをこそ愛すべきである。
  • 親切にしなさい。あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。
  • 人間の最も基本的な分類として、「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」という三つの種類がある。
  • 驚きは、知ることの始まりである。
  • いかに知識を身につけたとしても全知全能になることなどはできないが、勉強しない人々とは天地ほどの開きができる。
  • 魂には眼がある。それによってのみ真理を見ることができる。
  • 無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。
  • 正義とは、強者の利益にほかならない。
  • 徳は一種の健康であり、美であり、魂のよいあり方である。それに反し、悪徳は病気であり、醜であり、弱さである。
  • 賢者は、話すべきことがあるから口を開く。愚者は、話さずにはいられないから口を開く。
  • 誰に対しても、不正を不正でもって、悪を悪でもって、埋め合わせしてはいけない。よしんば、その相手にどれほど苦しめられていようとである。
  • 破廉恥に対する羞恥心も、美を求める努力も共に欠けているようでは、国家にしろ個人にしろ、偉大な美しい行為を果たすことはできない。
  • 少年を暴力と厳しさによって教え込もうとしてはいけない。彼の興味を利用して指導せよ。そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。
  • 子供と動物はよく似ています。どちらも自然に近いのです。でも子供が狡猾な猿よりも良く理解することが一つあります。それは偉人の立派な行為のことです。
  • あなたの悲哀がいかに大きくても、世間の同情を乞おうとしてはならない。なぜなら、同情の中には軽蔑の念が含まれているからだ。
  • 嫉妬深い人間は、自ら真実の徳をめざして努力するよりも、人を中傷するのが、相手を凌駕する道だと考える。

【PR】

目次へ

がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

バナースペース

【PR】

アカデメイア

プラトンが紀元前386年ころにアテネの北西部郊外に開いた学園。英雄アカデモスの聖林(森)に因む神域内にあったことからこの名がある。

プラトンはここで弟子たちと禁欲的な共同生活を営み、哲人王になるための哲学をきわめると同時に、数学の研究を重んじた。講義形式による教育はほとんど行わず、一問一答により学習に助言を与え、研究を組織する方式をとったとされる。

アカデメイアの学生は、出身地を問わず、アテネ以外の外国から入門した者も多く、中には女性の学生もいた。

北方のマケドニア出身のアリストテレスもここで学び、プラトンの死後は代々の学頭が後を継ぎ、前3~前2世紀には懐疑論が有力となり、後5世紀には新プラトン主義哲学の中心となったが、529年にビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世によって、異教の中心との理由で閉鎖された。
 
アカデメイアが学校として有名だったことから、ヨーロッパでは高度な研究ないし教育機関をこれに因んでアカデミー (academy)、アカデミカ (Accademica) などと名付けることが多くなった。

【PR】

ヒトと愛猫の生活情報誌「ねこのきもち」

目次へ