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哲学に親しむがんばれ高校生!

プロタゴラス

古代ギリシアの哲学者(前485年頃~前420年頃)。ソフィストの第一人者で、アテネをはじめギリシアの諸都市を巡回して講義を行った。「人間は万物の尺度である」と説き、各人の主観的判断以外に真理はないとする相対論を主張。各個人の知覚を重んじ、宗教・法律など社会のあらゆる権威に価値を認めない立場は、後世の哲学における懐疑論の先駆をなした。

 プロタゴラスは「ソフィスト」を自称した最初の人で、ソフィストの祖ともいわれます。ソフィストとは、「賢くする人」「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」というような意味で、金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家・教育家のことです。代表的なソフィストに、プロタゴラスのほか、ヒッピアス、ゴルギアス、プロディコスがいます。ソクラテスは彼らと同時代の人です。
 
 ソフィストたちは、各ポリスを渡り歩いて自分たちの弁論の才を披露し、富裕層の若者たちから生徒を募りました。彼らを有能な市民、完全な人間、徳ある人に育てると約束し、3~4年間、高額の授業料を支払って討論と演説の技術を学べば、必ず政治的な成功が待っているであろう、というのがソフィストたちの宣伝文句でした。
 
 そして、プロタゴラスが唱えたのが、「人間は万物の尺度である」という考え方でした。つまり、人間自身が「あるものについてはあるということの、あらぬものについてはあらぬことの」尺度であり、存在か非存在か、あるいは善か悪かは、それぞれの主観によって違ってくるのであり、絶対的、普遍的な真理は存在しないという、相対主義的、あるいは人間中心主義的な考え方です。要するに「人はそれぞれ」ってことです。
 
 それまでの哲学は、タレスが「万物の根源は水である」と主張したように、宇宙や世界の仕組みや物事の本質を、もっぱら「外側」から発見しようとするものでした。これに対し、プロタゴラスの哲学は、「世界は見る人間によって異なる」として、人間の「内側」に目を向けたものでした。これは彼の大きな功績の一つといえます。
 
 そして、このプロタゴラスの相対主義的哲学は、特に政治家たちの間で大変な人気を博することになりました。なぜなら、当時の民主国家ギリシアでは、広場に民衆を集めて政治家同士が公開討論を行う風習があり、そのような場で議論の相手を論破するには持ってこいの考え方だったからです。自分の言葉によって自分の意見を押し通せる人間だけが権力者になり得たわけですから、物事の真実が何であるかということよりも、何かのように思われることを重視するプロタゴラスの哲学は、最強の議論手法として重宝されたのです。
 
 そのため、プロタゴラスのもとには大勢の政治家たちが殺到する事態となり、彼の授業の報酬は高騰しました。こうして彼の哲学は広く受け入れられるようになったものの、一方では、この「人それぞれ」という結論を、誰もなかなか打破することができず、長らく哲学の成長が停滞したともいわれます。また、世間には、プロタゴラスらソフィストたちを、若者を騙し惑わす者であると考える向きもありました。彼らの活動は、徳と人間性を教育すると称しながら、実際はただ政治的野心に奉仕し、真理や善を省みない相対主義的な生き方に導いているにすぎないとみなしたのです。
 
 ソクラテスも、プロタゴラスが金銭を受け取って「徳」について教えていることを厳しく批判しています。プラトンの著作『プロタゴラス――ソフィストたち』には、ソクラテスがプロタゴラスを訪問して会話した場面が記述されています。ソクラテスは、知恵・節制・勇気・正義・経験といった「徳」を人に教えることができるのか、そしてそれによってお金を得るのが正しいことか、とプロタゴラスに論争を挑みます。プロタゴラスも熱心に答えていきますが、最後は「私は、あなたのその熱意と議論の進め方を称賛したい」としながら、「今はもう、ほかの用事にかからなければならない時間だ」といって議論を終えたといいます。
 
 なお、後にソクラテスは「神を敬わず、若者を惑わしている」として訴えられましたが、プロタゴラスも「神の存在は知ることができない」という立場をとったため、アテネから追放されてしまいました。

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プロタゴラスの言葉から

  • 人間は万物の尺度である。 あるものについてはあるということの、あらぬものについてはあらぬことの。
  • 修学なくして技術なく、技術なくして修学なし。
  • 忍耐と労苦と指導と教育と英知が栄光の冠であり、それは言葉爽やかな舌に咲く花々によって編まれ、それを求める者たちの頭を飾る。
  • 教育には天性と訓練を必要とする。人は若いときより学ぶことを始めるべきである。
  • 偉大なる人々への忘恩は、強い国家の兆候なり。
  • どんな問題にも両面がある。

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がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

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無神論

神の存在あるいはそれに相当すると考えられるものの存在を否定する立場で、有神論に対する。無神論は、たとえ神がいたとしてもその存在を知りえないとする不可知論や、一切のものは神であり神と世界とは一つであるという汎神論などとは区別される。

歴史的には、真なりと確信する神または理念のために既存体制の神的なものを否定する者も無神論者と呼ばれ、裁かれた者としてはソクラテスや草創期のキリスト者などがその例である。

無神論の主たる論拠は、世界の存在は神なしに説明できること、および、神を仮定すると世界の状態が整合的に説明できないことに求められる。内容的には時代によって、懐疑論、感覚論、実証主義、自然主義、無神論的実存主義、唯物論などと結びついてさまざまの様相を呈する。

無神論哲学の確立者として歴史的に有名なのは、プロタゴラス、ラ・メトリー、オルバック、ニーチェ、さらにフォイエルバッハ、マルクスなどである。
 

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