子供たちのリベラル
だいぶん前のことになりますが、ある小学校の先生が体験されたお話です。
その先生が担任したクラスに、足に障害を持った男の子がいたそうです。といっても、まったく歩けないほどではなく、かといって他の子どもたちと同じに歩いたり走ったりはできません。障害があるのは足だけでしたから、ふつうの授業を受けるには何の差支えもありません。他の子と机を並べて、同じように勉強しています。
ただ、体育の時間だけはそうはいきません。みんなといっしょには活動できず、彼だけはずっと見学でした。鉄棒のときもマット運動のときも、ドッジボールやソフトボールなどの球技のときも、彼はみんなが動き回っているのをただ見ているだけでした。
先生は、そうして一人ぽつんとつまらなさそうにしている彼の姿を見るたび、辛くてなりませんでした。しかし、彼をみんなといっしょに扱うわけにはいきません。また、やれと言ってできるはずがありません。こればかりは仕方ないとあきらめていました。
それから幾日かたったある日の放課後の出来事です。先生は、運動場で遊んでいる自分のクラスの子どもたちを見つけて、思わず自分の目を疑いました。ソフトボールに興じている子どもたちのなかに、何と、彼がいるではありませんか。しかもバッターボックスに立っています。
いったいどうしたことかと目を凝らしていると、構えていた彼は、ボールに向かってバットを振り抜きました。カーン、いい当たり!
そして、打球が飛ぶと同時に、彼の側に控えていた別の子が、ダッと一塁に向かって走り出したのです。走れない彼に代わってのいきなりのピンチランナーというわけです。結果はセーフ。打った彼とピンチランナーの子が顔を見合わせてのガッツポーズ。そのときの彼の何とうれしそうな顔。
先生はその光景に感動し、涙があふれ出ました。自分ははじめから障害のある彼は仕方ないと決めつけていた。また、それが当然だとも思っていた。それなのに、子どもたちは自分たちなりに工夫して、自分たちだけのルールを決めて、障害のある彼をふつうに受け容れていた。何とすばらしい彼ら!
先生は、子供たちのリベラル(寛容)さに頭が下がり、自分のふるまいを大きく恥じたのでした。
『トンカチと花将軍』
童話作家・舟崎克彦さんによるユーモア・ファンタジー『トンカチと花将軍』(1971年刊)。子供向けの本ですが、大人だって、たまにはこういう世界に浸りたいです。
ある日、小学生の男の子トンカチが住む町から、なぜかすべての花が消えてしまいました。トンカチは、好意を寄せていたさくらちゃんの誕生日に贈る花をさがしにいくため、愛犬のサヨナラと共に、広っぱにでかけます。ところが、サヨナラが広っぱの向こうの森の中に走り込んで見えなくなってしまいます。
サヨナラを追いかけて森に迷い込んだトンカチは、おかしな声に呼び止められます。声の主は、姓名判断に凝るジャボチンスキーという名の「水たまり」でした。トンカチはジャボチンスキーから「サヨナラという名前は不吉だ。コンニチワに改名した方が良いよ」との助言を受け、さらに森の奥の花畑にある「あねもね館」というへんてこな家を目指すよう教えられます。
ようやくたどり着いた花畑には、花将軍と名乗る、くしゃみの止まらないおじさんを中心に、ヨジゲンという名のシャムネコ、トマトというアライグマ、ブンブンというクマなどが、ファミリーとなって、巨大な切り株でできた「あねもね館」で暮らしていました。花将軍は空飛ぶ馬に乗り、くしゃみを止める花粉を見つけるために世界中を飛び回っています。町から花が消えたのは彼の仕業だったのです。ヨジゲンは、花将軍が集めた花をドライフラワーに仕立てて永遠の命を与えることを日課にし、トマトは、毎日ひたすら球根を洗って美しい花が咲くための準備をしています。ブンブンはせっせとハチミツを集めるばかり。
トンカチは「あねもね館」に居候させてもらいながら、サヨナラを探すことにし、親切な彼らも協力してくれることになりました。しかし、サヨナラは見つからず、それどころか、おかしな事件に次々と巻き込まれてしまいます。広大な花畑には、花将軍ファミリー以外にも、おばけのウイラーや、リンゴー&ジャンゴというカラス二羽組など、奇妙で少々ひねくれた連中が住んでいます。
花将軍は、相変わらず世界中の花を集めていますし、ヨジゲンは、外出にはひどく臆病で、すぐに気を失ってしまいます。ウイラーは、いつも人を驚かし、惑わせます。そんな一癖のある皆が、それぞれ他人に少しずつ迷惑をかけているのですが、その分、相手にはとても寛容で、またお互いの多少の迷惑をどこかで楽しみながら暮らしているようなところがあります。花畑とはそんな平和で温かい世界でした。
けれども、なかなかサヨナラは見つかりません。やがて、トンカチは、花畑のなかで唯一の暗闇である「もしもしの森」に迷い込んだに違いないと思い、一人で助けに行くと言います。そこは、入ったら二度と戻ってこられない「闇の世界」でした。花将軍はトンカチの勇気に心を打たれ、「皆で一緒に行こう」とファミリーに呼びかけます。ファミリーだけでなく、カラス二羽組やおばけのウイラーたちも一緒に行くと約束してくれます。
「もしもしの森」には、巨大なミミズクが住んでいました。大ミミズクは、何と「もしもしの森」に迷い込んできたサヨナラを唯一の友として傍に置き、暗闇での寂しさを紛らせていたのです。花将軍たちは、サヨナラをトンカチのもとに返してあげるよう説得しますが、大ミミズクは、自分の幸福のためにはサヨナラがどうしても必要だといって、聞く耳を持とうとしません。実は、大ミミズクは、誰にもにもある、小さな「エゴイズム」の象徴として描かれています。寛容で温かい花畑という共同体の中では、誰かの「エゴ」がある一線を越えてしまうと、その秩序と平和は、たちまち危機を迎えることになります。彼らの「幸福」は、実は、ギリギリの危うい線上に保たれていたのです。
「幸福とは誰のものでもない。皆のものだ」
「君がほんとうに幸福なら、ぼくらも幸福なはずじゃないか」
トンカチはそう訴え、その言葉は大ミミズクだけでなく、花将軍や仲間たちのこころにも強く響きました。花将軍たちは、飛ぶことを忘れていた大ミミズクに、翼を広げて飛び立ち、森の外に出ることをすすめます。広く明るい花畑で、自分たちの仲間に加わればよいと。そして、意を決した大ミミズクが森を飛び立つと、花将軍と仲間たちは大きな歓声を上げ、その声とともに、すっと姿を消してしまいました。あとに残ったのは、トンカチとサヨナラだけでした。そして、町には花が戻り、いつもの賑やかさを取り戻しました。
【PR】
↑ 目次へ ↑このページの先頭へ