
杜牧
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花
遠く寒山(かんざん)に上れば石径(せっけい)斜めなり
白雲(はくうん)生ずる処(ところ)人家(じんか)有り
車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛(あい)す楓林(ふうりん)の晩(くれ)
霜葉(そうよう)は二月の花よりも紅(くれない)なり
【訳】
遠く寒々とした山に登っていくと、石だらけの小道が斜めに続いている。ふと見ると、白雲がかかるこんな所にも人家がある。車を止め、何気なく楓(かえで)の林の夕暮れを眺めている。霜に打たれて赤くなった紅葉は、二月の春の盛りに咲く桃の花よりもずっと赤い。
【解説】
杜牧の代表作の一つ『江南の春』に対し、こちらは秋の美しさをうたった詩です。「寒山・石径・白雲」の字句で秋の冷ややかな感じをただよわせ、「楓林・霜葉・紅・花」の字句で赤々と色づく美しさを描きだして、好対照になっています。
七言絶句。「斜・家・花」で韻を踏んでいます。〈山行〉は山歩き。〈寒山〉は秋から冬にかけての寒々とした山。〈石経〉は石の多い小道。〈坐〉は何気なく。〈楓林〉はカエデの林。〈二月花〉は旧暦の二月(現在の三~四月)、春の盛りに咲く桃の花。〈霜葉〉は霜に当たって紅葉した楓の葉。それは二月の花よりも赤い、といっているのが特徴的で有名な部分です。紅葉はただ散るだけなので、もともと紅葉を愛でる習慣はなかったのですが、この詩はその常識を覆したものとなっています。
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『阿房宮の賦』
杜牧の家系は、西晋の学者・杜預を祖に持ち、祖父の杜佑は宰相を務めて歴史書『通典』を編纂したという、超名門の政治家一族でした。そのため、杜牧も若い頃から「自分が国を引っ張るのだ」という強烈なエリート意識と正義感を持っていました。
彼が23歳のとき、時の皇帝(敬宗)が大規模な宮殿の建設をはじめ、贅沢三昧の生活を送って政治を省みないことに激しい危機感を抱きます。そこで彼は、秦の始皇帝が建てた巨大宮殿「阿房宮」の贅沢と滅亡の歴史を引き合いに出し、皇帝を激しく諌める『阿房宮の賦(あぼうきゅうのふ)』という見事な論文(文賦)を書き上げました。
「秦を滅ぼす者は秦なり、天下にあらざるなり」(秦を滅ぼしたのは、他国ではなく、秦自身の贅沢と暴政だ)。「後人の哀しみてこれを鑑(かがみ)とせざれば、また後人をして後人を哀しましめん」(のちの人間が歴史を哀しむだけで教訓にしなければ、さらに未来の人間から同じように哀しまれることになるぞ)
弱冠23歳にして、国のトップをここまで堂々と批判したこの文章は、当時の知識人たちに大衝撃を与え、彼の天才ぶりが一躍世に知れ渡るきっかけとなりました。
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