杜牧
折戟沈沙鉄未銷
自将磨洗認前朝
東風不与周郎便
銅雀春深鎖二喬
折戟(せつげき)沙(すな)に沈んで 鉄(てつ)未(いま)だ銷(しょう)せず
自ら磨洗(ません)を将(も)って前朝(ぜんちょう)を認(みと)む
東風(とうふう)周郎(しゅうろう)の与(ため)に便(べん)せずんば
銅雀(どうじゃく)春深くして二喬(にきょう)を鎖(とざ)さん
【訳】
砂の中に折れた矛が埋もれていた。掘り出してみると鉄はいまだに錆びついていない。洗ったり磨いたりしてみると、まさに三国時代のものとわかった。
もしあのときの赤壁の戦いで、呉の周瑜(しゅうゆ)に都合よく東風が吹かなかったら、美人で名高い喬家の姉妹は、曹操(そうそう)の慰みものにされて春深い銅雀台の奥に閉じ込められていただろう。
【解説】
『三国志』の古戦場・赤壁で詠んだ詩。後漢末期の208年、長江の赤壁で、孫権・劉備の連合軍が曹操軍を破った「赤壁の戦い」がありました。朝廷の権威と数十万もの兵を擁する曹操軍の前に、孫権の陣営は恐れおののきました。しかし、この時、孫権軍の将軍・周瑜(しゅうゆ)は、魏の船団の密集している所に焼き討ちをしかけ、火は折からの東南の風にあおられて広がり、曹操の水軍は全滅しました。なお、『三国志演義』には、諸葛孔明が風乞いの祈祷をしたところ、東南の風が吹いたという話が載っています。
この詩は、前半は、赤壁から出てきた遺物を歌い、後半は赤壁で戦った曹操と周瑜について歌っています。「都合よく東風が吹かなかったら」とあり、杜朴には、『題烏江亭』と同様に、史実について「もし~でなかったら」という仮定で虚構化して捉えようとする傾向が見られます。
七言絶句。「銷・朝・喬」で韻を踏んでいます。〈折戟〉は折れた矛。〈未銷〉はまだ錆びていない。〈磨洗〉は錆をこすり落とし、洗い磨くこと。〈前朝〉は前の時代、赤壁の戦いのあった三国時代のこと。〈周郎〉は呉の将軍・周瑜のこと。〈銅雀〉は曹操の宮殿、銅雀台。〈二喬〉は呉の喬氏の美人姉妹。なお、姉の大喬は孫策が、妹の小喬は周瑜が側室としました。
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