杜牧
煙籠寒水月籠沙
夜泊秦淮近酒家
商女不知亡國恨
隔江猶唱後庭花
煙(けむり)は寒水(かんすい)を籠(こ)め月(つき)は沙(すな)を籠(こ)む
夜(よる)秦淮(しんわい)に泊(はく)して酒家(しゅか)に近(ちか)し
商女(しょうじょ)は知(し)らず亡国(ぼうこく)の恨(うら)み
江(こう)を隔(へだ)てて猶(な)お唱(うた)う後庭花(こうていか)
【訳】
夜霧が寒々とした秦淮河に立ちこめ、月光が川の砂地を包み込むように照らしている。この夜に舟泊りしたのは、酒楼に近いあたりだった。酒楼の妓女たちは、亡国の恨みの歌であることも知らずに、河の対岸で、陳の後主が作った「玉樹後庭花」を賑やかに歌っている。
【解説】
杜牧がこの詩を詠んだのは金陵(現在の南京)の地で、その210年余り前には南朝時代の最後となった陳王朝(557~589年)の首都だった場所です。当時の皇帝の陳淑宝は、政治を顧みることなく、毎夜のように酒宴を開いては歌舞音曲に耽っていました。随の侵攻を受けると、あっけなく囚われの身となり、陳も滅亡しました。陳淑宝は、随の軍隊が迫ってきても酒をやめず詩作を続けたという逸話も残されています。彼の作った「玉樹後庭花(ぎょくじゅこうていか)」は、寵妃の美貌を称える楽曲であり、後世まで歌い継がれると共に、亡国の恨みを象徴する歌でもありました。
時代が移り変わり、そうした事情を知らない華やいだ歌声に、杜朴は人の世の儚さと悲哀を感じています。
七言絶句。「沙・家・花」で韻を踏んでいます。〈秦淮〉は秦代に造られた運河(秦淮川和で、一帯には妓楼がありました。〈煙〉は、ここでは夜霧、夕もや。〈籠〉は立ち込める。〈寒水〉は寒々とした川の流れ。〈月籠沙〉は、月光が川辺の砂地を包み込むように照らしている。月光と白い砂地が区別できない様子。〈酒家〉は酒楼、料亭。〈商女〉は酒楼の技女。〈亡国恨〉は陳淑宝(のちに「後主」と呼ばれる)の恨み。〈隔江〉は川の対岸。
なお、第1句に「籠」の字が2回使われており、近体詩の「同字重出の禁止」のルールに反していますが、「句中対(くちゅうつい)」の場合は許されます。ここでは「煙籠寒水」と「月籠沙」が対になっています。
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