杜牧
勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男児
江東子弟多才俊
捲土重来未可知
勝敗(しょうはい)は兵家(へいか)も事(こと)期せず
羞(はじ)を包(つつ)み恥(はじ)を忍(しの)ぶは是(こ)れ男児(だんじ)
江東(こうとう)の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し
捲土重来(けんどちょうらい)未(いま)だ知る可(べ)からず
【訳】
勝敗は、兵法家でさえも予測できるものではない。たとえ敗れても恥辱に耐え再起を計ってこそ男子というもの。江東にはすぐれた若者がたくさんいたはず。土煙を巻き起こすような勢いで今一度出直していたなら、どうなっていたか分からない。
【解説】
項羽(こうう)は秦末期の群雄の一人で、秦の滅亡後、漢の劉邦(高祖)と天下を争い垓下(がいか)の戦いで敗れ、わずかな手勢と共に烏江(うこう)まで逃れて来ました。烏江の亭長(宿場の長官)が、舟で逃れて再起をはかるよう勧めますが、項羽はこれを断ります。「天が私を滅ぼしたのだ。どうして渡れよう。江東の子弟八千人が私と共に西に渡ったのに、今はもう一人も残っていない。彼らの父兄に何の面目があって対面できようか」と。そうして追撃してきた敵と激戦、自ら首をかき切って果てたといいます。この詩は、839年、37歳の杜牧が烏江亭を訪れたときに、英雄の悲劇的な最期を悼んだもので、「捲土重来」の出典となった詩でもあります。日本の「判官びいき」と同様、項羽は負けたからこそ人気が高いというところがあるようです。
七言絶句。「期・児・知」で韻を踏んでいます。〈烏江亭〉は南京の上流、長江の北岸の地にある駅亭。〈兵家〉は兵法家、軍事家。〈事不期〉は予測できることではない。〈江東〉は項羽の出身地で、長江下流域。〈包羞忍恥〉は恥辱に堪える。〈是男児〉は、それでこそ立派な男である。〈子弟〉は若者。〈才俊〉はすぐれた人物。〈捲土重来〉は、土煙を巻き上げて再起をはかること。敗者が勢いを盛り返し、再び攻勢に出ること。「重来」は「じゅうらい」とも読む。〈未可知〉はどうなったか分からない。
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