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昭候による勤務評定

 戦国時代の韓の君主・昭候が、あるとき酒に酔ってうたた寝をしたことがありました。それを見た冠(かんむり)係の役人は、主君が寒かろうと思い、衣を主君の体の上に着せかけました。昭候は目覚めると、それを嬉しく思って、傍の近臣にたずねました。「誰がこの衣を着せかけてくれたのか?」。近臣は「冠係の役人でございます」と答えました。

 それを聞いた昭候は、衣服係の役人と冠係の役人とを呼びつけ、共に処罰したのです。衣服係の役人を罰したのは、その仕事を怠ったからですが、冠係の役人を罰したのは、その職務を超えて余計なことをしたと考えたからです。昭候は、寒さは厭うものの、他人の職分にまで手を出すという害のほうが、寒いことより重大だと考えたのです。

 この話は『韓非子』に紹介されている故事でして、その中で韓非は次のように述べています。

 ――君主が臣下の悪事を止めたいと思うならば、臣下の実績と言葉を突き合わせてよく調べなければならない。君主は、臣下の意見にしたがってそれに見合う仕事を与え、もっぱらそれに応じた実績を求める。そして、実績がそれに見合い、先に述べたとおりの内容であれば賞を与えるが、そうでなければ罰する。

 ここで注意しなければならないのは、大きなことを言いながら実際の業績が小さかった者を罰するのは、業績があがらないことを罰するのではない。実際の業績が言葉と一致しなかったことを罰するのだ。また、言うことが小さいのに実際の業績が大きかった者も罰するが、これは大きな業績が好ましくないというわけではない。言葉と実際の業績が一致しないという害のほうが、大きな業績よりも重大だと考えるからだ。

 賢明な君主であれば、臣下の言葉と仕事が一致しないのを許さず、職分を超えて業績をあげることも許さない。それぞれに職分を守らせ、言葉どおりの仕事を行わせるならば、臣下たちは私的に徒党を組んで助け合うこともしない。――

〜『韓非子』

五十歩百歩

 富国強兵を強く願う梁(りょう)の恵王が、孟子を招き、いろいろな教えを受けました。恵王は、孟子のいう「仁」による施政を心掛けましたが、なかなか効果を感じることができません。そこで恵王は、孟子に反問します。
 
「私は、人民のために心を尽くしている。黄河の北の地域が凶作であれば、すぐその民を他の地域に移してやった。別の地域でも同じようにした。隣国では私ほどのことはやっていないようだが、人民が減ったようすはなく、わが国の人民が増えたとも思えない」
 
 孟子は答えました。
 
「戦争にたとえて申しましょう。白兵戦となり、負けた兵士たちは鎧(よろい)を捨て、武器を引きずって逃げます。中には百歩逃げてとどまる者もいるし、五十歩逃げてとどまる者もいるでしょう。そのとき、五十歩逃げた者が百歩逃げた者を、臆病者といって嘲笑ったらどうでしょう」
 
 恵王は、「それはおかしい。どちらも逃げたことに変わりはない」
 
 孟子は。「その道理がお分かりであれば、いたずらに人民が隣国より増えるのを望む必要はございません」
 

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