ソクラテスは、古代アテネの街頭に立って、人間にとって最も大切なものは何なのかを問い続け、無知の自覚と魂への世話を説き、のちの人々から「人類の教師」とよばれるようになった哲学者です。また、古代ギリシアにおいて最も重要な神託所であり、古代都市デルフォイに建てられたアポロン神殿の巫女が下す託宣で、「ソクラテス以上の知者はいない」とのお告げが下されたことでも知られています(デルフォイの神託)。
ソクラテスが行った真理探究の論争は、問い手と答え手がともに承認した自明の前提からスタートし、短い問いと答えを次々に重ねていくという問答法(対話法、産婆術ともよばれる)によるものでした。そして、ソクラテスが出発点としたのは、「無知の知」、すなわち人間にとってもっとも大切な善美のことがらについては何も知らないという自覚でした。さらにその自覚をうながすものとして理解したのが、デルフォイの神殿の柱に銘記された「汝自身を知れ」という言葉です。
ソクラテスは、真の知者は神であり、人間は無知を自覚して知を愛し求める者(愛知者)であると考えました。そして、人間にとって大切な生き方とは、ただ単に生きることではなく「善く生きること」、金銭や名誉にとらわれるのではなく、心がいかに善くあるか、つまり「魂への配慮」こそが、ソクラテスの説く生き方でした。
そうした生き方によって得られる人間の卓越性を、ソクラテスは「徳(アレテー)」と語りました。その徳が何であるかを知らなければ、真に善く生きることはできず(知徳合一)、有徳な行為というのは、徳とは何であるかを知ってはじめて可能になり(知行合一)、何が徳なのかを真に知る者こそ幸福になれる(福徳一致)と説いたのです。
それまでのギリシアの哲学者はもっぱら宇宙の原理を問うていました。ソクラテスははじめて自己と自己の根拠への問いを哲学の主題としたのです。その意味で、ソクラテスは内面(魂の次元)の哲学の祖ということができます。
ソクラテスはまた、プロタゴラスによる「絶対的な真理などない、真理とは相対的なものである」とする相対主義哲学を嫌い、それに影響された政治家たちの堕落と、それが招いた衆愚政治のあり方に憤然と立ち向かおうとしました。自らを「大きな馬にまとわりつく虻(あぶ)」と称し、相対主義の詭弁によって民衆を操ろうとする政治家たちに真理探究のための論争を仕掛けたのです。
ソクラテスは、賢人とよばれていた政治家や詩人などさまざまな人々を訪ね、直接の対話を求めました。デルフォイの神託のとおり自分が最大の知者であるかどうかを確かめるためでもあったといわれます。その結果、彼らの無知に対する無自覚ぶりが悉く明らかになりました。ソクラテスは決意と使命感をもっていっそうその活動に執心したため、ソクラテスが賢者であるという評判が広まりました。そして、彼によって目を開かされた多くの若者たちが、彼への弟子入りを志願します。
しかしその一方で、ソクラテスは、無知を指摘された人々やその関係者からひどく憎まれ、数多くの敵を作ることとなり、誹謗も起こるようになりました。相手に質問に次ぐ質問を浴びせ続け、相手が答えに窮すると論破するという彼のやり方にも原因があったようです。とくにソクラテスに恥をかかされた政治家たちは彼の最大の敵となりました。ついには「アテネの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者たちを堕落させた」などの罪状で公開裁判にかけられ、死刑を宣告されてしまいます。
ただ、ソクラテスの死刑執行までにはかなりの猶予期間が与えられ、いつでも逃げられる状態にあったといわれます。それでも、彼は逃げようとはしませんでした。逃亡をすすめにきた友人に、「不正に対して不正をもって報いてはならない」と語る姿が、プラトンの『クリトン』という作品に描かれています。最期は、弟子たちが泣いて止めようとするのを制し、自ら毒杯を手に取り、一気に飲み干したのです。
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ソクラテスの言葉から
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