杜甫
今夜鄜州月
閨中只独看
遥憐小児女
未解憶長安
香霧雲鬟湿
清輝玉臂寒
何時倚虚幌
双照涙痕乾
今夜(こんや)鄜州(ふしゅう)の月(つき)
閨中(けいちゅう)只(ただ)独(ひと)り看(み)るならん
遥(はる)かに憐(あわ)れむ小児女(しょうじじょ)の
未(いま)だ長安(ちょうあん)を憶(おも)うを解(かい)せざるを
香霧(こうむ)に雲鬟(うんかん)湿(うるお)い
清輝(せいき)に玉臂(ぎょくかん)寒(さむ)からん
何(いず)れの時(とき)か虚幌(きょこう)に倚(よ)り
双(とも)に照(て)らされて涙痕(るいこん)乾(かわ)かん
【訳】
今夜、鄜州の空にかかる月を、妻は自分の寝室で独り眺めていることだろう。はるかに愛おしく思うのは、まだ幼い子どもたちが、父の私が長安で囚われの身であるのを理解できないでいることだ。
妻は、豊かな髪を夜霧に湿らせ、清らかな月の光が、衣から出た美しい腕を冷たく照らしていることだろう。いつになったら部屋の帳(とばり)に二人で寄り添い、月光に照らされながら、これまでの悲しみの涙の跡が乾く日が来るのだろうか。
【解説】
杜甫が44歳で官職を得て間もない755年11月に、安禄山の乱が起こり、翌年、長安は破壊され陥落します。その1か月前に、杜甫は妻子を鄜(ふ)州に疎開させますが、自らは反乱軍の手に落ち、長安に幽閉されてしまいます。この詩は、その頃に鄜州の妻子を思って詠んだもので、妻との間には二男二女がありました。約8か月後に杜甫は長安を脱出、曲折を経たのち、妻子とともに安住の地を求めて長い遍歴の旅に出ます。
五言律詩。「看・安・寒・乾」で韻を踏んでいます。〈鄜州〉は現在の陝西省(せんせいしょう)富県(ふけん)。長安の北方にあり、杜甫の妻子が疎開していた所。〈閨〉は夫人の寝室。〈小児女〉は幼い息子や娘たち。「児」は男児のこと。〈未解〉はまだ理解できない。〈香霧〉は夜霧、「香」は美称。〈雲鬟〉は雲のように豊かな髪。〈清輝〉は清らかな光。〈玉臂〉は美しい腕、「玉」は美称。〈虚幌〉は誰もいない部屋の帳(とばり)、カーテンのようなもの。〈涙痕〉は涙の跡。この涙は、再会の喜びの涙と解するものもあります。
※安禄山の乱
唐の節度使の安禄山とその部下の史思明、およびその息子たちによって引き起こされた大規模な反乱。安禄山・史思明両者の姓をとって「安史の乱」とも称される。かの玄宗と楊貴妃の悲劇を招いた事件でもある。
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