杜甫
白也詩無敵
飄然思不群
清新庚開府
俊逸鮑参軍
渭北春天樹
江東日暮雲
何時一樽酒
重與細論文
白(はく)也(や)詩(し)敵(てき)無く
飄然(ひょうぜん)として思(おもい)群(ぐん)せず
清新(せいしん)なるは庚開府(ゆかいふ)
俊逸(しゅんいつ)なるは鮑参軍(ほうさんぐん)
渭北(いほく)春天(しゅんてん)の樹(き)
江東(こうとう)日暮(にちぼ)の雲(くも)
何(いず)れの時(とき)か一樽(いっそん)の酒もて
重ねて与(とも)に細(こま)やかに文(ぶん)を論(ろん)ぜん
【訳】
李白よ、あなたの詩才は天下に敵なく、その詩に込める思いは、世俗を超えて並みはずれており、誰にも真似はできない。その詩の新鮮さは庚信(ゆしん)のようで、あふれる才能は鮑照(ほうしょう)にも並ぶほどだ。
ここ渭水の北ではもう春めいて、木々が茂ってきているが、あなたは江東の地で夕焼け雲を眺めながら、私のことを思っていることだろう。いつかまた樽の酒を酌み交わしながら、細やかに文学について論じ合いたいものだ。
【解説】
杜甫35歳の作で、この時、杜甫は長安にあり、かつて交わりを持った李白のことを思い出して詠んでいます。年長者の李白に対し「白也」と呼びかけていますが、通常であれば字(あざな:李白は「太白」)で呼ぶところです。それだけ李白への思いが強かったということなのでしょう。744年の初夏、都を追われた李白は、山東へ向かう途中の洛陽で、杜甫と出会いました。この時、杜甫は33歳、李白は44歳、杜甫は科挙に落第しており、お互いに失意の中での出会いでした。杜甫が李白から受けた影響は大きく、その後、李白への思いを詠った詩を15首も残しています。ただ、二人が再び会うことはなかったようです。
五言律詩。「群・軍・雲・文」で韻を踏んでいます。〈白也〉の〈白〉は李白、〈也〉は呼びかけの語。〈飄然〉は、世間に流されず何物にもとらわれないさま。〈庚開府〉は、北周の詩人・庚信(ゆしん:513~581年)のこと。開府は官名。〈鮑参軍〉は、南朝宋の詩人・鮑照(ほうしょう:421~465年)のこと。荊州前軍の参軍に任じられたので、こう呼ばれました。〈渭北〉は渭水(いすい)の北。渭水は長安の北を流れる川で、黄河の支流の一つ。〈江東〉は長江の下流一帯。李白は当時、この地を漂泊していました。
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