杜甫
翻手作雲覆手雨
紛紛輕薄何須数
君不見管鮑貧時交
此道今人棄如土
手を翻(ひるがえ)せば雲となり 手を覆(くつがえ)せば雨
紛紛(ふんふん)たる軽薄(けいはく)何ぞ数うるを須(もち)いん
君見ずや管鮑(かんぽう)貧時(ひんじ)の交わり
此(こ)の道(みち)今人(こんじん)棄(す)つること土の如(ごと)し
【訳】
手のひらを上に向ければ雲となり、下に向ければ雨となる。そのようにくるくると変わる人情の軽薄さは数えてもきりがない。よく見よ、あの管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)の貧しい時代の交わりを。そんな素晴らしい友情の道を、今の人は土くれのように捨ててしまっている。
【解説】
752年、杜甫41歳の作。長安の都に上った杜甫は、科挙に及第できず、仕官の口を求めて奔走しましたが、なかなかうまくいきませんでした。求職のため貴人の家を訪ねても門前払いにあったといいます。この詩は、悪戦苦闘していたそのころに詠んだものとされ、「管鮑貧時の交わり」の故事を引き合いに出し、今の世の人情の薄さを嘆いています。
七言古詩。「雨・数・土」で韻を踏んでいます。〈貧交行〉は貧しいときの交わりについての歌という意味。〈翻手〉は手のひらを上向けること。〈覆手〉は手のひらを下に向けることで、ここから「翻雲覆雨(ほんうんふくう)」の四字句が生まれ、たやすく変化する人情にたとえられてきました。現代の日本語で言うと「掌(てのひら)を返す」に当たります。〈紛紛〉は物が入り乱れるさま。〈須数〉は数えることもできないほど数が多い。〈君不見〉は読者に呼びかける言い方。〈管鮑〉は、春秋時代に斉の桓公に仕えた管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のことで、二人は若いころから互いに深く理解、信頼し合っていました。〈管鮑貧時の交わり〉はその故事から、終生変わらない友情をいいます。
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