人としての道を守っていれば、不遇な状態に陥っても、それは一時的なことで終わる。
徳は、仕事で成功を収めるための基本となる。
立派な人間は、人とお酒を飲んでいるときや遊んでいるときでも、心を乱さぬよう細心の注意を払い、気を引き締める。
他人に施した恩は忘れてもいいが、人から施された恩は忘れてはならない。
人に恩恵を施したら、見返りを期待してはならない。
人に恩を施す場合は、あっさりしたことから始め、だんだん深めていくのがよい。
おいしい食べ物は、自分の分を三分ぐらい減らして相手に譲ってやる。このような心がけこそ、この世を生きていく上で、極めて安らかで楽しい方法の一つである。
やめようと思ったことは即座にやめるべきである。「いつか」とか「そのうちに」などと考えていては。いつまでたってもやめることはできない。
旧友とは、新鮮な気持ちで付き合うべきである。
魚を捕らえようと網をはっていると白鳥がかかることがある。カマキリがエサを狙っていると、その背後でスズメがカマキリを狙っている。
人間社会も同じで、予想もつかない展開が待っている。
人の心を動かすときは、無理強いするのではなく、相手の自発的な変化を待ったほうがいい。そうでないと、相手はますます意固地になる。
思いやりのある心の温かい人は春風のようなもの。そういう人の元では、すべての人が成長する。
評判を得たいなら、「評判を得たい」という貪欲な気持ちを捨てることだ。
せっかちな人は、一つの物事でも成就させられない。
幸運はこちらから求めてはいけない。幸運のほうが迎えに来てくれるよう努めるべきである。
喜びを感じない日があってはならない。
善行を積んでもよいことが起こらないといって落胆してはならない。そういう状況にあっても、草むらの陰にあるウリのように、人目につかないところで幸運の実はすくすくと育っている。
かりに悪事をはたらいても、人に知られることを恐れているなら、まだ見所がある。せっかく善行を積んでも、早く人に知られたいと願うようでは、すでに悪の芽を宿している。
志を持てば、その気は人生の流れを変えてくれるようになる。
誹謗中傷は太陽を覆う雲のようなもの。すぐに風によって吹き払われるから、気にすることはない。
自分の意に反して人を喜ばせるくらいなら、妥協などせず、いっそのこと人から嫌われるほうがマシだ。
仕事で成功を収めることができる人物は、機転が利く。
地位はあまり上がり過ぎない方がよい。頂点に登りつめると危険が待っている。
困難に見舞われ、前に進めなくなったら、一歩退くことを知るべきである。
困難に陥ったら、初心に返ろう。
人格者になりたいなら、人目のないところで過ちを犯さないように努めなければならない。
草木が枯れ、葉が落ちるころ、根元には新しい芽が息吹こうとしている。
出世して、それなりの地位に就いた者は、公平であると同時に、優しさを兼ね備えていなければならない。
衰運の兆しは最盛期に現れる。運が好転する兆しはどん底から生じる。
人を指導する場合、人格者は、澄み渡った晴天の青空のようにすっきりと分かりやすく指導する。
鷹が気に留まっているときは、まるで眠っているかのように見える。虎が歩いているときは、まるで病人が歩いているかのように見える。人格者もまた、鷹や虎のように強さをひけらかしてはいけない。
先人の言い伝えに「人の人生は後半生で決まる」とあるが、けだし名言である。
深夜、静まりかえったときに、一人になって自分の心の内を見れば、悩みが消え、本質が見えてくる。
彼が富の力でくるならば、私は仁の徳をもって対抗し、彼が名誉でくるならば、私は正しい道をもって対抗する。
太陽が沈んでも、なお夕映えは美しく輝いている。だから、人生の晩年に当たって、君子たるものはさらに精神を百倍にも奮い立たせて、立派に生きるようにすべきである。