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故事成語(つづき)

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あ行か行/ さ行/ た行な・は行ま行~

さ行

  • 塞翁失馬(さいおうしつば)
    人生の幸不幸は予測できないので、いたずらに一喜一憂すべきではないということ。「塞翁」は、中国北方の塞(とりで)の近くに住んだ老人。あるとき、塞翁の飼っていた馬が、塞の外に逃げ、隣人がそれを慰めると、塞翁は、この不幸が幸いとならないとはかぎらないと答え、しばらくすると逃げた馬が良馬を連れて戻ってきた。隣人がこれを祝うと、この幸いが不幸にならないとはかぎらないと答えた。果たして、老人の息子が落馬し足が不自由となった。隣人が同情すると老人は、これもいずれ福とならないとはかぎらないと答え、そのとおりに息子は戦争に行かずにすんだという故事から。
  • 鑿壁偸光(さくへきとうこう)
    貧しい生活をしながら勉学に励むこと。苦学のたとえ。「鑿」は穴を開けること。 「偸」は盗むこと。前漢の匡衡(きょうこう)は若いとき貧乏で灯火の油を買うことができず、壁に穴を開けて隣家の明かりを盗んで勉学に励み、のち大学者となった故事から。
  • 三顧之礼(さんこのれい)
    礼を尽くして有能な人材を招くこと。目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。三国時代、蜀の劉備が、わび住まいをしている諸葛孔明を自ら訪ねたが、二度までは不在で会えず、三度目にやっと面会を果たした、二人は互いに胸中を語りあって感激し、劉備は孔明を軍師として迎えることができたという故事から。
  • 三思後行(さんしこうこう)
    物事を行うときに、よくよく考えたのちにはじめて実行に移すこと。「三たび思いて後に行う」とも読む。魯の季文子は非常に慎重で、三度考えたうえではじめて行動するというような人だった。これを聞いた孔子が、「二度熟慮すればそれで十分ではないか」と言ったという故事から。
  • 三舎退避(さんしゃたいひ)
    相手のことを恐れて、避けること。「舎」は古代中国の軍隊が一日で進む距離のことで、一舎は三十里(当時は約12km)。春秋時代、晋の重耳(ちょうじ)は楚に亡命し、楚王に厚遇された。恩義を感じた重耳は楚王に、「万一、晋と楚が戦うようなことになったら、晋の軍隊は三舎後退させます」と言い、晋の君主になった重耳はその約束を果たしたという故事から。
  • 三人成虎(さんにんせいこ)
    真実でないことも、多くの人が話題にすると、いつのまにかそれが真実であるかのようになってしまうこと。戦国時代、魏(ぎ)の龐恭(ほうきょう)が魏王に、「一人の者が町に虎が出たと言ったら信じますか」と尋ね、魏王は「信じない」と答えた。「二人の者が言ったら信じますか」と問うと、「もしかしたらと疑うかもしれない」と答え、「では、三人が言ったら信じますか」と問うと、「信ずるようになるだろう」と答えたという故事から。
  • 舐痔得車(しじとくしゃ)
    卑しいことをしてまで、大きな利益を手に入れること。宋の曹商(そうしょう)が使者として秦に行き、秦王から大きな車を与えられて得意満面で帰国した。これを見た荘子は「痔を患っている秦王の患部を舐めてその車をもらったのだろう」と揶揄したという故事から。
  • 七縦七擒(しちしょうしちきん)
    敵を捕らえたり逃がしたりして味方にすること。相手を自分の思いどおりに自由自在にあしらうこと。三国時代、蜀の諸葛亮(しょかつりょう)が敵将の孟獲 (もうかく) を捕らえては逃がしてやることを7回繰り返した末に、孟獲を心から心服させたという故事から。
  • 四鳥別離(しちょうべつり)
    親子の悲しい別れ。 巣立つ四羽のひな鳥を見送る親鳥の別れの悲しみの意。孔子がある朝、悲鳴のような泣き声を聞き、弟子の顔回(がんかい)に尋ねたところ、顔回は「桓山(かんざん)で鳥が四羽のひな鳥を育て、巣立つとき母鳥は別れの悲しさに声をあげて見送るといいますが、あの声もその母鳥の鳴き声でしょう」と答えた。調べてみると、父親が死んで子を売らなければならなくなった母親の泣き叫ぶ声であったという故事から。
  • 漆身呑炭(しっしんどんたん)
    仇討ちのためにさまざまな努力をすること。春秋時代、晋の予譲(よじょう)は、主君の仇を討つために、漆を体に塗って皮膚病を装い、炭を呑んで声を変え、変装してその機会をうかがったという故事から。
  • 徒木之信(しぼくのしん)
    約束を必ず実行することのたとえ。とくに為政者は人民に法の権威や信用を示すべきという戒めのこと。戦国時代、秦の商鞅(しょうおう)が国民からの信用を得るために、都の南門の大木を北門に移した者に十金を与えると布告したが、疑って移す者がいないので、五十金に増額すると移す者が現れた。商鞅は五十金を渡して約束を本当に守ると示した故事から。
  • 射石飲羽(しゃせきいんう)
    精神を集中して必死の思いで事にのぞめば、どんな困難なことでもできるということ。「射石」は、岩を弓矢で射ることで、「飲羽」は、その矢が矢羽まで深くささる意。母親を虎に食い殺された楚の熊渠子(ゆうきょし)が、ある夜、石を虎と見間違え、矢で射たところ、矢はその羽根のあたりまで石に食い込んでいたという故事から。
  • 煮豆燃萁(しゃとうねんき)
    兄弟の仲が悪く、争い合うことのたとえ。 「煮豆」は豆を煮ることで、「燃萁」は豆殻を燃やすこと。三国時代、魏の曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)の兄弟はともに詩才に恵まれていた。父の曹操が亡くなって即位した兄の曹丕は、弟の曹植の才能を妬んで迫害し、あるとき曹植に「七歩歩く間に詩を作れ。できなければ殺す」と言った。これを聞いた曹植は、「私は豆で、あなたは豆殻。豆と豆殻は同じ根から生まれたのに、豆殻は火となって釜の中の豆を煮て苦しめる。兄弟なのにどうして苦しめるのですか」という詩を作った。これにより曹丕は自分の行いを深く恥じたという故事から。
  • 小心翼々(しょうしんよくよく)
    気が小さくて、びくびくしているさま。本来は、慎み深くてうやうやしいさまをいう。出典は『詩経』で、「維(こ)れ此(こ)の文王(ぶんのう)は、小心翼翼たり」と、周の文王の慎み深く恭しいことを賛えているもの。「小心」は慎み深く小さなことまで心を配ること、「翼々」はうやうやしいさまの意が転じて、今のような意味になった。
  • 守株待兎(しゅしゅたいと)
    偶然の幸運に味をしめて、また同じ偶然を期待して待つという愚かな行為のこと。春秋時代、宋の農夫が、たまたま兎が切り株にぶつかって死んだのを見て、また同じようなことが起こるものと思って、仕事もせず、毎日切り株を見守って過ごし、畑は荒れ果ててしまったという故事から。
  • 酒池肉林(しゅちにくりん)
    酒や肉が豊富でぜいたくの限りを尽くした宴会。 殷(いん)の紂王(ちゅうおう)は、池に酒を満たし、木々に肉を懸け、男女を裸にしてその間を追いかけ回らせ、昼夜を分かたず酒宴を張ったという故事から。
  • 蜀犬吠日(しょくけんはいじつ)
    教養のない者が、分かりもしないのに賢者の言行をあれこれ非難すること。蜀(しょく)の地域は、高山に囲まれ、霧が深く普段から曇りがちで薄暗いところであり、この地の犬は、たまに太陽が出て日が射すのを見ると、怪しんで吠えたという故事から。
  • 嗇夫利口(しょくふりこう)
    身分は低いが、口が達者な男のこと。「嗇夫」は地位の低い役人のこと。
    下級役人の張釈之(ちょうしゃくし)が、前漢の文帝の供をして虎圏(動物園)に行ったとき、文帝が帳簿を調べ、管理者に疑問点をたずねたが、誰も答えられなかった。そのとき虎圏の嗇夫(雑役夫)がその質問に的確に答えたので、文帝がその男を高官に抜擢しようとしたが、張釈之が、口先だけの巧みな嗇夫の昇進は天下が混乱するきっかけになると諫めたという故事から。
  • 助長抜苗(じょちょうばつびょう)
    助けようとすることが逆に害を与えるということ。宋の農夫が稲の成長を助けようとして苗を引っ張ったら、かえって苗が枯れてしまったことから。
  • 白河夜船(しらかわよふね)
    知ったかぶりをすること、または、ぐっすり眠り込んで、何が起こったか知らないことのたとえ。京都の白河(一説に、船の通れない谷川の名ともいう)のことを聞かれた人が、地名とは知らずに川の名と勘違いして、夜船で通ったから知らないと答えたため、京都見物に出かけたという嘘がばれたという話から。
  • 人面桃花(じんめんとうか)
    美人の顔と桃の花。かつて美人と出会った場所に行っても、今はもう会えないという場合にいう語。また、内心で思いながら会うことのできない女性をいう。唐の詩人、崔護(さいご)は桃の花の咲く下で会った美女が忘れられず、翌年また訪ねたが会えず、代わりに「人面桃花相応じて紅なり・・・」という思慕の情を詩に書いて女性の家の門に残したという故事から。
  • 水魚之交(すいぎょのまじわり)
    水と魚が切り離せないように、非常に親密な友情や交際のたとえ。三国時代、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい)を軍師に招いたとき、古参の武将たちが不満をもらしたが、劉備は「私と孔明は魚と水のようなもので、互いに離れがたい間柄である」と言ったという故事から。
  • 杜撰脱漏(ずさんだつろう)
    粗末で誤りや抜けが多いこと。宋の杜黙(ともく)の作った詩は、多く詩文の規則に合わなかったことから、詩文・著述などに規格はずれや誤りが多いことをいう。
  • 西施捧心(せいしほうしん)
    病気に悩む美女の様子。 また、同じ行いでも人や場合により価値に差が生まれるたとえ。春秋時代、絶世の美女西施が病気になり、痛む胸を手で押さえ、眉をひそめて歩いた。男たちはその姿の美しさに見惚れ、すると、村で評判の醜い女が自分もあのようにすれば美しく見えると思って、顔をしかめて歩いたところ、皆が逃げ出したという故事から。
  • 折檻諫言(せっかんかんげん)
    臣下が君主を厳しく諫めること。「檻」は手すり、欄干。「折檻」は手すりが折れること。前漢の時代、朱雲(しゅうん)は、成帝(せいてい)に奸臣(かんしん)を斬るように厳しく諫言したが、成帝は聞き入れず、朱雲を連れ出させようとしたが、朱雲が手すりにつかまって諫言をやめなかったため、手すりが折れてしまったという故事から。
  • 切磋琢磨(せっさたくま)
    学問や人徳をよりいっそう磨き上げること。仲間同士がはげまし合い競い合ってお互いの向上をめざすこと。「切磋」は、角(つの)の細工をするのに骨などを刀で切り、やすりで磨くこと。「琢磨」は、宝石を打って形を整え、砥石などで磨きをかけること。どちらも長期間をかけて磨いて立派な作品に仕上げることから、この語ができた。
  • 窃鈇之疑(せっぷのぎ)
    確かな証拠もないのに疑いをかけること。 疑いの目で人を見ると、その人のすべてが疑わしく見えること。 「鈇」は斧。ある男が斧をなくし、隣の家の息子を疑った。すると、その子の歩き方、表情、言葉遣いまで斧泥棒にしか見えなくなったが、しばらくして斧は自分の家の物置で見つかった。すると途端に隣の子がかわいく見え出したという故事から。
  • 前倨後恭(ぜんきょこうきょう)
    それまでの態度をがらりと変えて、相手にへつらうこと。「倨」は人をあなどること。「恭」はうやうやしくする意。 戦国時代の遊説家の蘇秦は、諸国を放浪して貧しくなって故郷に帰ると、妻や兄弟の家族は彼のことを馬鹿にした態度をとった。のちに六国の宰相になって戻ったところ、皆は腰を低くして丁寧に迎え、媚びへつらったという故事から。
  • 先従隗始(せんじゅうかいし)
    言い出した者から始めよの意。また、物事を手近なところから始めることのたとえ。「隗」は戦国時代の人、郭隗(かくかい)。 燕の昭王が賢人を招こうと賓客の郭隗に相談すると、郭隗は「まずは自分のような凡庸な者を登用してください、そうすれば、私のような愚か者が優遇されるのだからといって、より優秀な人が士官してくるでしょう」と進言したという故事から。
  • 川上之歎(せんじょうのたん)
    無常に過ぎ行く時間への嘆き。 過ぎた歳月は、川の水と同じで、二度と元へは戻らないということ。孔子が川のほとりで水の流れるのを見て、「時間が過ぎ去るのはこの水の流れのようなものだなあ」と嘆じたことから。
  • 全生全帰(ぜんせいぜんき)
    親からもらった体を傷つけることなく生を全うするのが、真の親孝行だということ。曾子(そうし)の門人の楽正子春(がくせいししゅん)が足にけがをした。けがはすぐ治ったのに毎日浮かない顔をしていたので、そのわけを尋ねると、「孔子の教えに『親は完全なからだを子に与えているのだから、完全な形で返すことが親孝行というべきである』とあるのに、私はそのからだを傷つけてしまった。」と嘆いた故事から。
  • 漸入佳境(ぜんにゅうかきょう)
    状況や話などが、最も興味深い部分にさしかかること。晋の有名な画家の顧愷之(こがいし)は、甘蔗(かんしょ:さとうきび)を食べるときには、まずい先のほうから食べていた。これを不思議に思ったある人が、その理由を聞くと、「だんだん佳境に入るからだ」と答えたという故事から。
  • 糟糠之妻(そうこうのつま)
    貧しい時から苦労を共にしてきた妻のこと。「糟糠」は酒かすと米ぬかのことで、粗末な食べ物の意。後漢の光武帝(こうぶてい)が、夫を亡くした姉を人格者の宋弘(そうこう)に娶めあわせようとしたが、宋弘は、貧乏だった時の友人を忘れたり、苦労をともにした妻を離縁することはできませんと断ったという故事から。
  • 簇酒斂衣(そうしゅれんい)
    貧しい生活のたとえ。「簇」集める意。「斂」は物を乞う意。 酒好きで貧しい辛洞(しんとう)は、杯に一杯ずつ酒をもらって酒樽にためて飲み、同じく貧しかった伊処士(いしょし)は、人から布の端切れをもらってつぎはぎをして衣服を作ったという故事から。
  • 宋襄之仁(そうじょうのじん)
    無用の情けをかけること。愚かな思いやりのたとえ。
    春秋時代、宋の襄公(じょうこう)が楚と戦ったとき、参謀が、敵の布陣が揃わないうちに攻撃を仕掛けるよう進言したが、襄公は「君子は人の困難につけこんでこれを苦しめるものではない」と言って攻めなかった。そのために逆に楚に敗れてしまったという故事から。スポーツの試合などでは、たとえば相手が怪我をしているところは攻めないのが美徳としてたたえられる。しかし、生きるか死ぬかの場合には却って嘲りを受ける。
  • 象箸玉杯(ぞうちぎょくはい)
    ぜいたくな生活、また、ぜいたくな心が生まれ始めること。「 象箸」は象牙の箸、「玉杯」は玉で作った盃。殷の名臣の箕子(きし)は、主君の紂王(ちゅうおう)が象牙の箸を作ったことを聞き、箸だけでは満足できずに宝石の杯を作り、それに合わせ食事や住居も贅沢になっていき、とどまるところがなくなるに違いないと恐れたという故事から。
  • 即時一杯(そくじいっぱい)
    後で大きな利益や喜びを得るより、たとえ小さくても今のそれの方がよいということ。晋の時代、張翰(ちょうかん)は、気ままな生活をしていたときに、ある人から「後世に名を残したくないのか」と諫められて、「死後の名誉より一杯の酒が大事だ」と答えたという故事から。
  • 束髪封帛(そくはつふうはく)
    妻が堅く貞操を守ること。「束髪」は、髪を束ねる意。 「封帛」は、白い絹の布で封印する意。唐の賈直言(かちょくげん)は、連座の罪で遠方に流されることになった。直言は若い妻に「私を待たずに、再婚するように」と言ったところ、妻は縄で髪を束ねて「あなた以外の人にこの縄は解かせない」という誓文を書いた絹の布を作り、夫に署名させたうえで束髪を封じた。それから20年の後、罪を許された直言が戻ると、妻は夫を待ち続けていたという故事から。
  • 楚囚南冠(そしゅうなんかん)
    捕らわれの身になっても故国を忘れないこと。春秋時代、楚の鐘儀(しょうぎ)は晋に捕らえられたとき、いつも祖国である楚の国の冠をいつも被っていたという故事から。

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た行

  • 多岐亡羊(たきぼうよう)
    方針が多すぎて、どれをとるべきかに迷うことのたとえ。学問をする者が枝葉末節にとらわれると、本質を見失う、また学問の道が多方面に分かれすぎると真理を求めにくくなること。戦国時代、逃げた一匹の羊を大勢で追いかけたが、道が幾筋にも分かれていたため取り逃がしてしまった。その話を聞いた隣家の思想家・楊朱(ようしゅ)が、学問もまた同様であると深く悲しんで言ったという故事から。
  • 端木辞金(たんぼくじきん)
    納得のいかない金は受け取らないということ。 「端木」は孔子の弟子の子貢(しこう)の姓。「辞金」は鐘を辞退する意。春秋時代、魯(ろ)の国の法律では、他国で使われている魯国の召し使いを買い戻す場合、その代金は国からの公金を使うように決められていた。しかし、子貢はこのことを潔白な行いではないとして、公金を辞退し、私財によって買い戻したという故事から。ただし孔子は、魯の国には貧しい人が多く、公金によって人を買い戻すのが清廉でないとすると、いったい何によって諸侯から人を買い戻すことができるのかと諫めている。
  • 池魚之殃(ちぎょのわざわい)
    何の関係もないのに、とんだ災難に巻き込まれること。池に投げ込まれた宝玉を捜すため、池の水をさらったので、魚が全滅したという故事から。また一説に、城門の火事が広がり、消火に池の水を使ったため魚が死んでしまったことからともいう。
  • 竹頭木屑(ちくとうぼくせつ)
    役に立たないもののたとえ。また、細かなもの、つまらないものでも、何かで役に立つかもしれないから粗末にしないこと。晋の陶侃(とうかん)が、船を造るときにできた竹の切れはしや木のくずなどをとっておき、木のくずは雪の降ったときのぬかるみ防止に、竹の切れはしは竹釘(たけくぎ)にして、船の修理に役立てたという故事から。
  • 昼夜兼行(ちゅうやけんこう)
    昼と夜の区別なく続けて物事を行うこと。三国時代、呉(ご)の呂蒙(りょもう)が主君、孫権(そんけん)の命令により、蜀(しょく)の関羽(かんう)を討つために遠方から急行した故事から。
  • 長安日辺(ちょうあんにっぺん)
    遠い場所のたとえ。 また、才知に富んでいるたとえ。 晋の元帝が「長安と太陽はどちらが遠いか」と、幼い太子(後の明帝)に質問したところ、太子は「長安から来たという人の話は聞いたことがあるが、太陽から来た人の話は聞いたことがないので、太陽のほうが遠い」と答えた。翌日、群臣の前で同じ質問をされた太子は、逆に「長安のほうが遠い」と答えた。驚いて元帝がその理由を尋ねると、太子は「太陽は見えるが、長安は見えないので」と答えたという故事から。
  • 朝三暮四(ちょうさんぼし)
    目前の差にこだわり、結局は同じ結果なのに気がつかないこと。言葉の上でだけうまく話して他人をごまかすこと。宋の国の狙公(そこう)は、多くの猿を飼っていた。ところが、貧乏になったため、猿に与える餌のドングリを減らそうと考えた。狙公は猿に朝に3個、夕方に4個をやろうと持ちかけた。すると、猿は怒りだしたので、今度は朝に4個、夕方に3個やろうというと、どの猿も大喜びしたということから、この語ができた。
  • 枕流漱石(ちんりゅうそうせき)
    強情で負け惜しみの強いこと。西晋の時代、孫楚(そんそ)は、隠遁を望み、友人の王済(おうさい)に「山奥で石を枕にし川の流れで口をすすごう」と言うべきところを「石で口をすすぎ、流れを枕にしよう」と言い誤った。それを指摘されると「流れを枕にするのは、耳を洗うためで、石で口をすすぐのは歯を磨くためだ」と言い張って、誤りを認めなかったことから。夏目漱石の雅号「漱石」はこの話からとった。
  • 綈袍恋恋(ていほうれんれん)
    友情の厚いこと、また友情の変わらないことのたとえ。戦国時代、魏の須賈(しゅこ)は范睢(はんしょ)が困窮していることに同情し、厚絹の綿入れを与えた。のち范睢は旧恩を忘れず、須賈の命を救った故事から。
  • 天衣無縫(てんいむほう)
    詩文などで飾り気がなく自然のままであること。昔、郭翰(かくかん)という男が暑い夏に庭で寝転んでいると、空から美しい織女が下りてきた。すると、「長らく夫が留守にしているので、地上に遊びに来た」と答えた。そして、二人はそのまま一夜を共にする。織女の衣に縫い目が全くないのを不審に思って訊ねると、「天人の衣は針と糸を使わない」と答えたという逸話から。
  • 天門登八(てんもんとうはち)
    仕官して、一番上の地位を得ようとすれば、自身の命が危うくなるということ。「天門」は、天にあるとされる門。晋の陶侃(とうかん)が夢の中で翼で飛び、天に九つあるとされる門のうち、八つの門をくぐり、最後の門をくぐろうとしたがどうしてもくぐることができず、門番に杖で叩かれ地に落ち翼を折ってしまった。のちに八州を管理し、さらに高官をめざそうとしたが、夢を思い出してとどまったという故事から。
  • 桃園結義(とうえんけつぎ)
    義兄弟の契りを結ぶこと。三国時代、蜀の劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の3人が、桃園で義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという故事から。
  • 蟷螂之斧(とうろうのおの)
    弱者が自分の力をかえりみず、強者に立ち向かうたとえ。「蟷螂」はかまきり。かまきりが足を上げて斉の荘公(そうこう)の車に立ち向かったという故事から。
  • 読書亡羊(どくしょぼうよう)
    ほかのことに気を取られて肝心な仕事をおろそかにすること。ある二人の男が羊を放牧していたが、一人は読書に熱中し、もう一人は博打に夢中になっていたので、二人とも羊を逃がしてしまったという故事から。
  • 斗粟尺布(とぞくしゃくふ)
    兄弟の仲が悪いこと。「斗粟」は一斗の粟(あわ)、「尺布」は一尺の布。漢の淮南王(わいなんおう)と文帝は腹違いの兄弟だったが、淮南王はおごり昂って法に背く行いを多くしたために、文帝は淮南王の王位を取り上げ流罪にした。その道中で淮南王は苦しみ悶え、食を断って死んだ。人々は「一尺の布でも一斗の粟でも、分け合えば互いの寒さと飢えをしのげるのに、なぜ仲良くできなかったのか」と歌ったという故事から。
  • 吐哺握髪(とほあくはつ)
    すぐれた人材を求めるのに熱心なこと。「吐哺」は口中の食べ物を吐き出すこと。「握髪」は髪を洗っている途中で、髪を握って洗うのをやめること。周公旦(しゅうこうたん)は来客があれば、食事中には口の中の食べ物を吐き出し、入浴中にはぬれた髪を握ったまますぐに面会し、すぐれた人材を逃さないように、熱心に求めたという故事から。「握髪吐哺」ともいう。

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「史記」由来の熟語

意気揚々
一字千金
一諾千金
韋編三絶
雲合霧集
雲蒸竜変
易姓革命
遠交近攻
衍曼流爛
臥薪嘗胆
合従連衡
九鼎大呂
曲学阿世
鯨飲馬食
鶏口牛後
鶏鳴狗盗
犬牙相制
高材疾足
国士無双
三分鼎足
三令五申
舌先三寸
四面楚歌
首鼠両端
舟中敵国
酒池肉林
人面獣心
切歯扼腕
率先垂範
大逆無道
知己朋友
長頸烏喙
天下無双
同功一体
土崩瓦解
杯盤狼藉
抜山蓋世
万死一生
悲歌慷慨
舞文曲筆
刎頸之交
焚書坑儒
傍若無人
捧腹絶倒
門前雀羅
夜郎自大

菜根譚の言葉

人としての道を守っていれば、不遇な状態に陥っても、それは一時的なことで終わる。
 
徳は、仕事で成功を収めるための基本となる。
 
立派な人間は、人とお酒を飲んでいるときや遊んでいるときでも、心を乱さぬよう細心の注意を払い、気を引き締める。
 
他人に施した恩は忘れてもいいが、人から施された恩は忘れてはならない。
 
人に恩恵を施したら、見返りを期待してはならない。
 
人に恩を施す場合は、あっさりしたことから始め、だんだん深めていくのがよい。

おいしい食べ物は、自分の分を三分ぐらい減らして相手に譲ってやる。このような心がけこそ、この世を生きていく上で、極めて安らかで楽しい方法の一つである。
 
やめようと思ったことは即座にやめるべきである。「いつか」とか「そのうちに」などと考えていては。いつまでたってもやめることはできない。
 
旧友とは、新鮮な気持ちで付き合うべきである。
 
魚を捕らえようと網をはっていると白鳥がかかることがある。カマキリがエサを狙っていると、その背後でスズメがカマキリを狙っている。
人間社会も同じで、予想もつかない展開が待っている。
 
人の心を動かすときは、無理強いするのではなく、相手の自発的な変化を待ったほうがいい。そうでないと、相手はますます意固地になる。
 
思いやりのある心の温かい人は春風のようなもの。そういう人の元では、すべての人が成長する。
 
評判を得たいなら、「評判を得たい」という貪欲な気持ちを捨てることだ。
 
せっかちな人は、一つの物事でも成就させられない。
 
幸運はこちらから求めてはいけない。幸運のほうが迎えに来てくれるよう努めるべきである。
 
喜びを感じない日があってはならない。
 
善行を積んでもよいことが起こらないといって落胆してはならない。そういう状況にあっても、草むらの陰にあるウリのように、人目につかないところで幸運の実はすくすくと育っている。

かりに悪事をはたらいても、人に知られることを恐れているなら、まだ見所がある。せっかく善行を積んでも、早く人に知られたいと願うようでは、すでに悪の芽を宿している。
 
志を持てば、その気は人生の流れを変えてくれるようになる。
 
誹謗中傷は太陽を覆う雲のようなもの。すぐに風によって吹き払われるから、気にすることはない。
 
自分の意に反して人を喜ばせるくらいなら、妥協などせず、いっそのこと人から嫌われるほうがマシだ。
 
仕事で成功を収めることができる人物は、機転が利く。
 
地位はあまり上がり過ぎない方がよい。頂点に登りつめると危険が待っている。
 
困難に見舞われ、前に進めなくなったら、一歩退くことを知るべきである。
 
困難に陥ったら、初心に返ろう。
 
人格者になりたいなら、人目のないところで過ちを犯さないように努めなければならない。
 
草木が枯れ、葉が落ちるころ、根元には新しい芽が息吹こうとしている。
 
出世して、それなりの地位に就いた者は、公平であると同時に、優しさを兼ね備えていなければならない。
 
衰運の兆しは最盛期に現れる。運が好転する兆しはどん底から生じる。
 
人を指導する場合、人格者は、澄み渡った晴天の青空のようにすっきりと分かりやすく指導する。
 
鷹が気に留まっているときは、まるで眠っているかのように見える。虎が歩いているときは、まるで病人が歩いているかのように見える。人格者もまた、鷹や虎のように強さをひけらかしてはいけない。
 
先人の言い伝えに「人の人生は後半生で決まる」とあるが、けだし名言である。
 
深夜、静まりかえったときに、一人になって自分の心の内を見れば、悩みが消え、本質が見えてくる。

彼が富の力でくるならば、私は仁の徳をもって対抗し、彼が名誉でくるならば、私は正しい道をもって対抗する。

太陽が沈んでも、なお夕映えは美しく輝いている。だから、人生の晩年に当たって、君子たるものはさらに精神を百倍にも奮い立たせて、立派に生きるようにすべきである。

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