巻第2-111~113
111 いにしへに恋(こ)ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡り行く 112 古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと) 113 み吉野の玉(たま)松が枝(え)は愛(は)しきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく |
【意味】
〈111〉過ぎ去った昔を恋い慕う鳥なのでしょうか。弓絃葉の御井の上を鳴きながら大和の方へ渡っていきます。
〈112〉あなたが「昔を恋い慕う」とおっしゃる鳥は、ホトトギスでしょう、おそらくそのホトトギスが鳴いたのでしょう、私が昔を恋い慕うように。
〈113〉吉野の松の枝の愛しいこと、あなたのお言葉も届けてくれるので。
【説明】
111は弓削皇子(ゆげのみこ)、112・113は額田王(ぬかたのおおきみ)の歌。弓削皇子は天武天皇の第9皇子(第6皇子とも)で長皇子(ながのみこ)の弟。『万葉集』には8首あり、天武天皇の皇子のなかでは最多です。持統天皇の治世下における不安定な立場に背を向けた非俗、孤独な歌人と評されますが、『柿本人麻呂歌集』には、弓削皇子に献上された歌が5首残されており、広い交流の跡も窺えます。額田王は、斉明天皇の時代に活躍がみとめられる代表的な女流歌人。この歌が詠まれた時の弓削皇子の年齢は20代、額田王は60代とされます。
111は、持統天皇の吉野行幸の折に、従駕の弓削皇子が、都に留まっていた額田王に贈った歌で、112は、額田王がそれに答えた歌。持統天皇は生涯のうち、30回以上も吉野離宮に行幸しましたが、ここではホトトギスを詠んでいるので、季節は夏であり、持統4年5月か同5年4月ではないかとされます。111の「弓絃葉の御井」は、吉野離宮近くにあった水汲み場。「弓絃葉」は、今はユズリハと呼び、新年の供え物に用いる植物。古くは、井のほとりにはしかるべき植物を立たせて、井の水を保護したようです。112の「らむ」は、現在の推量をあらわす助動詞。「けだし」は、疑って推測する意の副詞。皇子の、それとは言われずにいる懐古の心を察し、わが事でもあるとして強く答えています。
ここで歌われている「古(いにしえ)」というのは、弓削皇子にとっては父、額田王にとってはかつて恋人だった天武天皇の御代のことです。吉野の「弓絃葉の御井」は、天武天皇の御代からあったものでもありました。その天武天皇が亡くなり、持統天皇の御代となったこの時期の二人は不遇だったといいます。ホトトギスは懐古の鳥とされ、「不如帰」とも書きます。古代中国の故事に、農業振興によって蜀の国(古蜀)を富ませた望帝が、亡くなった後に国が滅んでいくのを嘆き悲しみ、「不如帰去(帰り去くに如かず=何としても帰りたい)と鳴きながら血を吐いた、とあります。また、折口信夫によれば、万葉びとはホトトギスの鳴き方を「もとつひと」と聞きなしていたといいます。「もとつひと」は、旧知の人、昔馴染みの人、故人などを意味する語です。
これらの歌のやり取りからは、鳥に託した天武天皇への鎮魂とともに、「あの頃に帰りたい、でももう帰ることはできない」という寂しさの思いが強く感じられます。弓削皇子にとっては、自分と同じく微妙な立場にある額田王が、心を許せる数少ない相手の一人だったのかも知れません。額田王の歌の平明な歌調からは、老齢を迎え、孤愁にくれる素顔が浮かび、何とも言えない哀韻が伝わってきます。
113は、弓削皇子が、蘿(こけ)生した松の枝を折って贈ったのに額田王が答えて詠んだ歌です。中国の詩集『詩経』では、「蘿」が一族の和合と繁栄の象徴として詠まれているところから、額田王の健康と長寿を慶賀する贈り物だったようです。額田王の歌は、そうした皇子のやさしい気持ちを有難く思い、心から喜んでおり、中国文学にも通じていた二人ならではのやり取りといえます。なお、ここの3首は、額田王が生存中の最後の記事となっています。
弓削皇子について
弓削皇子(673年?~没年699年)は、天武天皇の第6皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。同母兄に長皇子。持統天皇10年(696年)の太政大臣・高市皇子薨去後の、皇太子を選ぶ群臣会議で、軽皇子(後の文武天皇)をたてることに異議をとなえようとし、葛野王(かどののおう)に叱責され制止されたことで知られます。本来であれば皇位継承順位第一位となるはずだった同母兄の長皇子を推薦しようとしたのだと推測されています。
『万葉集』には8首の歌が残されており、これは天武天皇の皇子のなかで最多。異母姉妹の紀皇女を思って作った歌、額田王との問答歌などがあります。また、それとは別に『柿本人麻呂歌集』に皇子に献上された歌が5首残されており、交流の跡が偲ばれます。なお、皇子は、文武天皇3年(699年)7月に27歳?の若さで、兄や母に先立って没しましたが、『万葉集』を根拠に、軽皇子の妃であった紀皇女と密通し、それが原因で持統天皇によって処断されたとの説があります。
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額田王の歌の成立順序
〈皇極期〉
① 秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の都の仮廬し思ほゆ(巻第1-7)
〈斉明期~中大兄称制時代〉
② 莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子がい立たせりけむ厳橿が本(巻第1-9)
③ 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(巻第1-8)
〈天智期〉
④ 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふねしや(巻第1-17)
⑤ 三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠さふべしや(巻第1-18)
⑥ 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山ぞわれは(巻第1-16)
⑦ あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻第1-20)
⑧ 君待つと我が恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く(巻第4-488)
⑨ かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを(巻第2-151)
⑩ やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ(巻第2-155)
〈持統期〉
⑪ 古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きしわが念へる如(巻第2-112)
⑫ み吉野の玉松が枝は愛しきかも君が御言を持ちて通はく(巻第2-113)
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