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明治憲法には首相の規定がなかった!

 伊藤博文は、できるだけ早く欧米なみの憲法を作ろうとして、ドイツの憲法学者グナイストの指導を受けました。グナイストは伊藤に「日本は、旧プロイセン憲法を手本とすべきだ」と助言しました。プロイセンはドイツ統一の中心となった国であり、国王を戴く国だったからです。

 伊藤は、グナイストの指導に忠実に従って明治憲法(大日本帝国憲法)を作りました。たとえば、プロイセン憲法の「国王は軍隊を統帥する」という規定は、そのまま明治憲法第11条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という条項になっています。

 内閣制度については、すでに憲法発布の4年前(1885年)に制定されていました。ところが、伊藤が作った明治憲法を見ると「内閣」という文字も「首相」「総理大臣」という言葉もありません。憲法上は内閣も首相も存在しないことになっているのです。これはいったいなぜでしょうか?

 その理由は、グナイストが伊藤に対して「日本はイギリスのような内閣制度を採るべきではない」とアドバイスしたからです。グナイストの意見は「行政権はあくまでも国王や皇帝の権利であり、それを首相に譲ってはいけない」というものでした。つまり、いつでも大臣をクビにできる首相を作ると、国王(日本では天皇)の権利が低下するからだ、と。

 そして、憲法に首相の規定がないことが、のちの日本に大変な災いをもたらすことになります。昭和に入り、この憲法の成り立ちといいますか、欠陥に気づいた軍部が、政府を無視して暴走しはじめたのです。彼らは「我々は天皇に直属しており、政府の指図を受ける必要はない」という理屈を持ち出したのです。

 たしかに明治憲法では、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と明記されているのに対して、内閣や首相については一言の明文もありません。憲法の条文を振り回す軍の態度に、政府は逆らうことができませんでした。その結果、中国大陸での紛争は止めどなく拡大し、ついには日米開戦に突入。”昭和の悲劇”は、首相も内閣もない”憲法の欠陥”から始まったともいえるかもしれません。

明治憲法こそ押しつけ?

 いつだったか、「明治憲法こそ押しつけ」だとする論調に接しました。明治憲法は、当時の民衆が、天皇から「絹布(けんぷ)のはっぴ」を下さると誤解したほどで、まさしく一握りの高級官僚らが作った押しつけ憲法であり、それに対し日本国憲法は、戦争の苦しみを経た民衆が歓迎したものだから押しつけではないというのです。

 これは如何なものでしょう。少しばかり「明治憲法」の弁護をさせていただきますと、当時の日本は、民衆が憲法の「け」の字も知らなかったような時代です。いざ開国したものの、列強諸国に飲み込まれてしまいそうな中、一流国に肩を並べようと官僚たちが必死のぱっちで作り上げたのが明治憲法です。そうした背景をきっちり勘案しなくてはならないと思います。

 歴史に向き合うに際しつねづね意識しなければならないと思うのは、決して現在の価値観や物差しだけで、また上面だけで過去を判断してはならないということです。明治憲法は外形的に見れば確かに「押しつけ」でありましょう。しかし、当時の元勲たちが国家存亡の危機を乗り切ろうと血のにじむ努力をした所産に対し、そうした表層的な見方しかできないのは悲しむべきことです。

 一方で、「日本国憲法」は民衆が「歓迎した」からオーケーというのも、ずいぶん乱暴な話ではないでしょうか。それこそ衆愚政治、大衆迎合主義に通じる安易な考え方ではないかと感じます。そもそも日本国憲法は英文を直訳してできたものですから、きわめておかしな日本語になっています。よく引き合いに出される「前文」の文章、

 ――われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる――

 一つの文の中に複数の主語と述語が錯綜して、とても分かりにくいですね。長い英文を日本語に直訳すると、しばしばこんな感じになります。悪文といっては言い過ぎかもしれませんが、これはやっぱり変です。
 

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大日本帝国憲法

1882年、明治政府は伊藤博文らを憲法調査のためにヨーロッパに派遣した。伊藤は議会に対して皇帝の力が強いドイツ(プロイセン)の憲法を手本として学び、帰国した。
 
1885年、政府は憲法による政治に備え、内閣総理大臣と国務大臣で構成される内閣の制度を定めた。伊藤博文を初代内閣総理大臣とし、おもな大臣は薩長出身者で固められた。憲法の作成には、伊藤のほか井上毅などもかかわり、枢密院で内容が検討された。
 
1889年、大日本帝国憲法が、欽定憲法(天皇が国民にあたえる憲法)の形で発布された。
 
大日本帝国憲法では、国家の主権は天皇にあること、天皇が軍を統率し、外国と条約を結ぶ権限をもつことが定められた。国民には法律の範囲内で言論・出版・集会・結社・信教の自由、裁判を受ける権利、財産権などが認められた。また、国務大臣や議会、裁判所は天皇を助けるものと位置づけられた。
 
ここに、アジアで初めて憲法と議会を備えた立憲国家が誕生した。

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