昔は、コンサートホールなどでのライブレコーディングは音質があまりよくないというイメージが強かったんですけど、今は全くそんなことないですね。スタジオ録音と変わらないほど音が明瞭かつ繊細で、雑音も全く聴こえず、演奏が終わった後の拍手を聴いて初めて「あ、ライブだったんだ!」と気づかされることがあります。専門的なことはよく分かりませんが、とてもすばらしい技術の進歩だと思います。とてもブラボーです。
ただ、同じライブレコーディングでも、ホールトーンがよく効いたものと、楽器と距離が近く感じるものがありますね。個人的には、どちらかというと前者が好みです。オーディオで聴く際も、やはりコンサートホールで聴いた音の再現を目指しているのであって、楽器の音をごく間近に聴きたいわけではないですから(とくに管弦楽)。ただ、あまり遠すぎてもいけません。私としては、たとえばザ・シンフォニーホール(大阪市)の2階席中央の最前列で聴いているような感じが出れば最高だと思っています。
ところで、スタジオ録音には、その方法が2通りあるそうですね。コンサートホールでのライブ録音と同じように、奏者が一堂に会して録音する方法と、パートごとに分かれて別々に録音する方法。それぞれにメリット・デメリットがあり、前者のメリットは、奏者がふだん通りの感覚で演奏できること、デメリットは録り直しが面倒で編集もしにくいこと。後者のメリットは録り直しが簡単で編集もしやすいこと、デメリットは奏者の慣れが必要(ヘッドホンを装着しなければならない)だといいます。
ここで気になるのが、スタジオ録音、とくにパートごとの録音でやり易いという「編集」の意味ですが、音量やリズム、タイミングなどの調整をはじめ、大抵のことは手を加えることができるそうです。たとえば一音一音の音量調整も可能だって。うーん、聴く側としては、あれこれ手が加えられた音というのはどうも興覚めな気がしないでもないですが、ある程度の範囲内では仕方ないですかね。むしろ録音技術者の方々の努力と手腕に敬意を表すべきなのかもしれません。
ただ問題と思うのが、明らかに不自然に感じる編集がなされた録音が無きにしも非ずということです。それも編集が下手くそとかミステイクというのではなく、たとえばある部分で意図的に特定の楽器の音をひどく強調したりしている。オーディオ的にはまことに迫力があったりするんですが、聴いている位置があちらこちらに移動しているような、あるいは楽器が突然目の前にすっ飛んでくるような違和感や気持ち悪さを覚えます。どうも落ち着かない。
ポップスやロックなど他のジャンルの音楽ならともかく、クラシック音楽では決してあんなふうにはやってほしくないです。まさに「策士策に溺れる」または「過ぎたるは猶及ばざるが如し」でありますよ。
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