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漢詩を読むがんばれ高校生!

峨眉山月(がびさんげつ)歌

李白

峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜発清溪向三峡
思君不見下渝州

峨眉山月(がびさんげつ)半輪(はんりん)の秋
影(かげ)は平羌江(へいきょうこう)の水に入(い)って流る
夜(よる)清溪(せいけい)を発して 三峡(さんきょう)に向かう
君を思えども見えず 渝州(ゆしゅう)に下る

【訳】
 秋の峨眉山に半円の月がかかっている。その光は平羌江の水面を照らし、川は輝きながら流れて行く。
 この夜、私は清渓から舟出して三峡へと向かう。もう一度君を見たいと思っても君は見えず、船は渝州に下って行く。

【解説】
 作者が25歳のとき、それまで過ごした故郷を離れ、諸国巡りに旅立ったときの詩で、初期の代表作とされます。峨眉山は四川省成都の南にある標高3098mの名山で、仏教や道教の聖地ともなっています。「峨眉」とは女性の眉のことで、山の形がそのように見えることから名づけられたといいます。第4句の「君を思えども見えず」の「君」は月を指しますが、月に君と呼びかける例は他にあまりないため、別れてきた人のことではないかとの見方もあります。

 七言絶句。「秋・流・州」で韻を踏んでいます。〈半輪〉は半円の月。〈影〉は月の光。〈平羌江〉は、長江の上流である岷江(びんこう)の別名。〈清溪〉は、平羌江に臨む宿場の名。峨眉山の東南。〈三峡〉は、長江本流にある三峡(三つの険しい急流)とは異なり、渝州にある明月峡・温湯峡・石洞峡のこと。〈渝州〉は現在の重慶。詩中に固有名詞を多く使っていますが、それが目障りにはならず、かえって詩のイメージを高めています。また、眉・平・清の文字が月の縁語にもなっています。

 ここでは半円の月、すなわち半月を詠んでいますが、漢詩の世界では、「月」といえば満月を表します。特定の季節や日に照る月として「春月」や「中秋月」として登場する場合もあれば、「玉盤」「桂」「玉桂」「玉兎」「玉輪」「玄兎」などの異名で表す場合もあります。また、その見た目の様子から「純真で何の邪心もなく澄み切っている」として、人の心を表す言葉としても使われます。

李白(りはく)

盛唐の詩人(701年~762年)。唐代のみならず中国詩歌史上で同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と称される。唐代詩人のなかでは珍しく科挙の試験を受けていない。自らの才を自負し、かならず重用されて政治的手腕を発揮しうるものと信じていたが、その機会は長く訪れなかった。しかし、43歳の時に長安に上り、玄宗に召されて歓待を受け、天子側近となった。
杜甫より李白が11歳年上だったが、二人はお互いよき友人であった。

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