李白
白髪三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何処得秋霜
白髪(はくはつ)三千丈(さんぜんじょう)
愁(うれ)いに縁(よ)りて箇(かく)の似(ごと)く長し
知らず明鏡(めいきょう)の裏(うち)
何(いず)れの処(ところ)にか秋霜(しゅうそう)を得(え)たる
【訳】
白髪は三千丈ほどあるだろうか、愁いによってこんなに長く伸びてしまった。澄んだ鏡の中にいるのは確かに自分のはずなのに、知らない誰かをを見ているようで、いったいどこで、秋の霜にも似た白髪を身につけてしまったのだろうか。
【解説】
自身の老いたる身を嘆いた54歳頃の作。朝廷を追われた作者が各地を放浪中、秋浦(しゅうほ)の地を訪れたときに詠んだ詩で、『秋浦詩』連作17首のうちの15首目にあたります。「白髪三千丈」の一句が有名で、中国流の誇張された表現としてしばしば引用されてきました。しかし、ここでは単なる髪の長さの誇張というより、さまざまな出来事があった長い年月を暗に示し、深い悲しみと孤独感の表れであるともされます。かつて玄宗皇帝のもとで活躍していた頃の華々しい姿はここにはありません。ユーモラスともいえる表現から、彼の明朗さや闊達さがよく出ているとも評されますが、その真意は如何ようだったでしょうか。
五言絶句。「長・霜」で韻を踏んでいます。〈秋浦〉は唐代の県名。李白が晩年に過ごした場所で、安徽省(あんきしょう)貴池県(きちけん)の西南、長江の下流沿岸の水郷地帯。〈三千丈〉は実数ではなく極めて長い喩え。当時の1丈は約3.3m。三千という数は多いという意を表す慣用的な語で、その使用例も多くあります(弟子三千・宮女三千・食客三千など)。〈縁愁〉は愁いのために。〈似箇〉は、こんなに。〈不知〉は分からない。〈明鏡〉は澄んだ鏡。〈裏〉は中。〈何処〉は、どこから、どこで。〈秋霜〉は秋の霜で、白髪にたとえています。
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