李白
名花傾国両相歓
常得君王帯笑看
解釋春風無限恨
沈香亭北倚闌干
名花(めいか)傾国(けいこく)両(ふた)つながら相歓(あいよろこ)ぶ
常に君王(くんのう)の笑(え)みを帯びて看(み)るを得たり
解釈(かいしゃく)す春風(しゅんぷう)無限の恨(うら)み
沈香亭北(ちんこうていほく)欄干(らんかん)に椅(よ)る
【訳】
名花の牡丹と傾国の美人の両方の美しさにご満悦の様子で、そのありさまを皇帝はいつも笑顔で眺めておられる。牡丹が艶やかに咲き、楊貴妃という寵姫がいて、春の物憂さも消えていく。沈香亭の北の欄干によりかかった姿の美しさは、何ものにもたとえることができない。
【解説】
『清平調』其三の詩。玄宗皇帝が楊貴妃を伴い、興慶宮(こうけいきゅう)の沈香園で、牡丹の花を愛でようと遊宴したときのこと。李亀年という歌の名人が楽人を伴い今にも歌い出そうとすると、皇帝は「せっかくこのような名花を貴妃と一緒に観賞する場で、旧い歌詞では興ざめである」と言って、李白を呼んで詩を作らせました。このとき李白はすでに泥酔していましたが、たちどころに三首連作を作りました。皇帝は音楽師に命じ、その詩に合わせて音楽を奏でさせ、自分は笛を吹きながら、李亀年に歌わせました。貴妃は玻璃七宝の杯を持ち、西涼州の葡萄酒を酌みながら、笑って歌詞の意味を解したといいます。
七言絶句。「歓・看・干」で韻を踏んでいます。〈名花〉は名高く美しい花、ここでは牡丹。〈傾国〉は絶世の美人、ここでは楊貴妃。〈君王〉は玄宗皇帝。〈帯笑〉は笑顔で。〈解釈〉は解きほぐす、解消するの意。〈沈香亭〉は興慶宮にあった東屋の名。沈香木でつくられていました。
なお、絶世の美人を「傾国」または「傾城」と呼ぶのは、漢の武帝の時代に、帝の李夫人の美しさを、帝お気に入りの歌手・李延年が「一顧傾人城 再顧傾人国(一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く)」と歌ったことに基づいています。
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