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漢詩を読むがんばれ高校生!

子夜呉歌(しやごか)

李白

長安一片月
万戸擣衣声
秋風吹不尽
総是玉関情
何日平胡虜
良人罷遠征

長安(ちょうあん)一片(いっぺん)の月
万戸(ばんこ)衣(ころも)を擣(う)つの声(こえ)
秋風(しゅうふう)吹(ふ)いて尽(つ)きず
総(すべ)て是(こ)れ玉関(ぎょくかん)の情(じょう)
何(いず)れの日にか胡虜(こりょ)を平(たい)らげ
良人(りょうじん)遠征(えんせい)を罷(や)めん

【訳】
 長安の町を月の光が隈なく照らし、どの家からも衣を打つ砧(きぬた)の音がして、冬着の支度に忙しい。秋風は吹き止むことがなく、こうしたすべてのものが、玉門関の彼方にいる夫への思いをかきたてる。いつになったら夫は夷敵を平定して、遠い戦地から帰ってこれるのだろうか。

【解説】
 『子夜呉歌』というのは楽府題で、詩の内容とは関係ありません。前漢時代から、宮中に歌謡曲や民謡を収集して研究する「楽府」という役所が設置されていました。民間の歌に含まれる民の訴えを汲み取って政治に生かそうとする意図があったようです。やがて「楽府」は、そこで扱う歌謡曲・民謡そのものを意味するようになり、「楽府題」はその題のことです。つまり、『子夜呉歌』という題名の曲(子夜という女性が歌い始めた民謡)があり、「呉歌」というのは、東晋の時代に都が呉にあ ったので、この地方の歌を「呉歌」といいました。その哀調を後人は愛し、体裁をならって詩を作ってきましたが、李白も同様に、その舞台を南方から北方に移し、玉門関の先へ出征している夫を思いやる妻の詩に仕立てたのです。「長安一片の月」という出だしの一句によって広く知られてきました。
 
 五言古詩。「声・情・征」で韻を踏んでいます。〈長安〉は唐の都で、今の陝西省西安市。当時は人口百万人を超える大都市でした。〈一片月〉は一面に照らす月の光。片割れ月、ぽつんとある月と解する説もあります。〈万戸〉は、すべての家々。〈擣衣〉は、衣替えの時期に砧(石の台)に置いた衣を木槌で打って柔らかくすること。〈吹不尽〉は吹き止まない。〈総是〉は、これらすべて。長安の月、擣衣の声、秋風の全部。〈玉関〉は西の最果てにあった関所。〈何日〉の「何」はいずれと訓読する疑問詞。いつになったら。〈胡虜〉は北方の異民族。匈奴のこと。〈良人〉は夫のこと。〈罷遠征〉は、遠征をやめて帰ってくるだろうか。

李白(りはく)

盛唐の詩人(701年~762年)。唐代のみならず中国詩歌史上で同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と称される。唐代詩人のなかでは珍しく科挙の試験を受けていない。自らの才を自負し、かならず重用されて政治的手腕を発揮しうるものと信じていたが、その機会は長く訪れなかった。しかし、43歳の時に長安に上り、玄宗に召されて歓待を受け、天子側近となった。
杜甫より李白が11歳年上だったが、二人はお互いよき友人であった。

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古 詩

唐代になって新たに起こった近体詩(絶句・律詩)以前の詩、すなわち太古から随までの詩。大多数は五言または七言の句で構成されるが、七言古詩にはときに8字以上の句を含むこともある。古詩は、韻を踏むだけで、平仄や句数に制限がない。

なお、近体詩が成立した後も、その規則に従わない、比較的自由な詩も作られた。その自由な歌いぶりをもって、近体詩と詩を二分する形で後世に受け継がれた。

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