巻第2-107~108
107 あしひきの山のしづくに妹(いも)待つとわれ立ち濡(ぬ)れぬ山のしづくに 108 吾(あ)を待つと君が濡(ぬ)れけむあしひきの山のしづくにならましものを |
【意味】
〈107〉あなたを待って立ち続け、山の木々から落ちてくるしずくに濡れてしまいましたよ。
〈108〉私を待って、あなたがお濡れになったというその山のしづくに、私がなれたらいいのに。
【説明】
107は大津皇子(おおつのみこ)の歌。108は石川郎女(いしかわのいらつめ)が答えた歌。石川郎女(伝未詳)は草壁皇子の妻の一人であったらしく、大津皇子が山で郎女を待つというのは尋常ではなく、世を憚る関係であることを示しています。一方、郎女は何か事情があったのでしょう、約束の場所には行けなかった。冷たい雫に濡れながら待ち続けた大津をいたわっており、斎藤茂吉は「その雨雫になりとうございますと、媚態を示した女らしい語気の歌である」と評しています。もっとも、何かの物になって、恋しい人の身に接したいと表現した歌は、男女を問わず『万葉集』に多くみられます。
「あしひきの」は「山」の枕詞。語義は未詳ですが、山に掛かるのは、山の足(裾野)を長く引いた山の像、あるいは足を痛めて引きずりながら登るの意とする説があります。「山のしづく」は、山の木々の梢などから落ちるしずく。108の「濡れけむ」の「けむ」は、推量の助動詞。「ならましものを」の「まし」は推量の助動詞で、反実仮想(もし~だったら・・・だろうに)の意。「ものを」は逆接の意味を含む詠嘆の終助詞。贈答歌において、第2句(ここでは「山のしづく」)を第5句で繰り返すことは記紀歌謡に例が多いといいます。相手の言葉や物言いを逆手に取って愛情を示すのは、古代の唱和の作法でもありました。
この後に続く109・110の歌の配列は、大津皇子の反逆事件を念頭に置くと、石川郎女をめぐる草壁皇子と大津皇子の愛憎ドラマが容易に浮かび上がり、想像を逞しくさせます。
巻第2-109~110
109 大船(おほぶね)の津守(つもり)が占(うら)に告(の)らむとはまさしに知りて我がふたり寝(ね)し 110 大名児(おほなこ)を彼方(をちかた)野辺(のへ)に刈る草の束(つか)の間(あひだ)も我れ忘れめや |
【意味】
〈109〉津守の占いに出て分かるだろうとは前から承知の上で、私たち二人は寝たのだ。
〈110〉大名児よ、お前を、遠くの野辺で刈っている萱の一握り、それほどの短い間も忘れることがあろうか、ありはしない。
【説明】
大津皇子は天武天皇の御子で、大柄、容貌も男らしく人望も厚かった人物です。異母兄である草壁皇子(くさかべのみこ)に対抗する皇位継承者とみなされていましたが、686年10月、天武天皇崩御後1ヶ月もたたないうちに、反逆を謀ったとして処刑されます。享年24歳。事件の展開のあまりの早さから、草壁の安泰を図ろうとする皇后(のちの持統天皇)の思惑がからんでいたともいわれます。しかし、その草壁皇子も、その3年後に、即位することなく病死してしまいます。
後継者争いのライバルだった大津と草壁は、恋愛に関しても石川郎女をめぐって複雑な関係にあったようです。石川郎女(伝未詳)は草壁皇子の妻の一人だったといいます。109は、大津皇子と石川郎女の密会が、陰陽師の津守連通(つもりのむらじとおる)の占いで露見したときに、大津皇子がつくった歌です。実に堂々としていますが、二人の関係が暴露されたのは、大津皇子の排除を企てた皇后側の「わな」だったとの見方もあります。もしそうだとしたら、密偵などを使って調べ上げられていたのでしょう。その上で占いの権威者を通じて暴露したものと考えられます。「大船の」は「津」の枕詞。「占に告る」は、占いの上に現れる。
110は、草壁皇子が郎女に贈った歌で、大津皇子になびく石川郎女を引き止めようとして詠んだ歌とされます。郎女が答えた歌は残っておらず、郎女は草壁の求愛を拒んだとの見方もあります。「大名児」は、郎女の通称。「彼方野辺に刈る草の」は「束の間」を導く序詞。「束の間も」は、しばらくの間も。「束」はこのころの尺度の単位を表す語で、一掴み、すなわち4本の指が並んだ長さ。「忘れめや」の「や」は、反語。なお、『万葉集』に残されている草壁皇子の歌はこの1首のみです。
石川郎女について
『万葉集』には石川郎女(いしかわのいらつめ)の名の女性が6人登場します(大伴安麻呂の妻・内命婦石川郎女を除く)。
① 久米禅師に求愛され、歌を贈答した女性。~巻第2‐97・98
② 大津皇子の贈歌に対して答えた女性。~巻第2-108
③ 草壁皇子が歌を贈り、字を大名児(おおなこ)という女性。~巻第2-110
④ 大伴田主に求婚し拒絶された女性。~巻2-126・128
⑤ 大津皇子の侍女で、大伴宿奈麻呂に歌を贈った女性。~巻第2-129
⑥ 藤原宿奈麻呂朝臣の妻で、離別された女性。~巻第20-4491
いずれも生没年未詳ですが、②③④の石川郎女が同一人とみられているようです。また、これらの石川郎女と坂上郎女の母である内命婦石川郎女とがどのような関係になるのかも分かっていません。
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