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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

河辺宮人(かはへのみやひと)の歌

巻第3-228~229

228
妹(いも)が名は千代(ちよ)に流れむ姫島(ひめしま)の小松(こまつ)が末(うれ)に蘿(こけ)生(む)すまでに
229
難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹(いも)が姿を見まく苦しも
 

【意味】
〈228〉その娘の名は末永く語り継がれるだろう。姫島の松の梢が大きくなってこけむす、いついつまでも。

〈229〉難波潟よ、潮を引かないでほしい。ここに沈んだ彼女の姿を見るのは辛いから。

【説明】
 題詞に「和銅4年(711年)、河辺宮人、姫島の松原にして娘子の屍を見て悲嘆(かな)しびて作る歌2首」とある歌で、投身して死んだ若い女の霊を慰めています。歌の内容からは、屍を直接目にしているのではなく、そうした話があるのを聞いて詠んだ歌とみられます。「妹が名」の「妹」は、男から女を親しんで呼ぶ語ですが、ここでは死者であるため懇ろに呼んでいるもの。「名」は、土地の人には知られており、作者も聞き知っていたようです。「姫島」は、淀川河口付近にあった島。228の「末」は、梢。「蘿」は、松のこけとも、サルオガセとも。229の「潮干なありそね」の「な~そ」は禁止。「見まく苦しも」は、見ることは辛い。

 河辺宮人は個人名ではなく、飛鳥の河辺宮の官人とされます。朝廷の公務での旅路で詠んだ歌でしょうか。この時代、死は穢れとされ、死者のいる場所にはその怨念が居ついていると信じられていました。そのため、このように旅の途上で行き倒れの死者などに出会った時、あるいはその言い伝えがある土地を通った時には、我が身に災いが振り掛からないよう、その死者の魂を慰める歌を奉げてから通るならいがありました。ここでは「名は千代に流れむ」という言葉が慰めになっていますが、作者は、若い女の自殺といういたましさから、死の穢れというようなことを飛び超え、甚だ強い感傷を抱いています。

巻第3-434~437

434
風早(かざはや)の美穂(みほ)の浦廻(うらみ)の白つつじ見れども寂(さぶ)しなき人思へば (或いは「見れば悲しもなき人思ふに」と云ふ)
435
みつみつし久米(くめ)の若子(わくご)がい触れけむ礒(いそ)の草根(くさね)の枯れまく惜しも
436
人言(ひとごと)の繁(しげ)きこのころ玉ならば手に巻き持ちて恋ひずあらましを
437
妹(いも)も我(あ)れも清(きよ)みの川の川岸(かはきし)の妹が悔(く)ゆべき心は持たじ
 

【意味】
〈434〉風の激しい美穗の海辺に咲く白つつじを見るにつけ寂しい。死んだ彼女のことを思うと。(見れば見るほど悲しい、死んだ彼女を思うにつけて)

〈435〉みずみずしく立派な久米の若子が手を触れたという、磯辺の草が枯れていくのは残念でならない。
 
〈436〉人の噂のうるさいこのごろ、もしもあなたが玉ならば、腕輪にしていつも持ち歩き、こんなに恋い焦がれて苦しまなくていられるのに。
 
〈437〉あなたも私も清の川の名のように身に恥じるところはない。その川の河岸が崩(く)えるように、後になってあなたが悔いるような、そんな浮ついた気持ちは決して持つまいよ。

【説明】
 題詞に「和銅4年辛亥、河辺宮人、姫島の松原の美人(をとめ)の屍を見て、哀慟(かな)しびて作る歌4首」とありますが、左注に「これらの歌は、考えるに、これと同じ年代も場所も、また娘子の屍の歌を作った人の名もすでに前に見えている(228~229のこと)。ただし、歌の言葉が違っていてどちらが正しいか判断が難しい。そこでこのまま重ねて載せておく」旨の記載があります。
 
 434の「風早の」は、風が激しい意で「美穂」の枕詞。「美穂の浦廻」は、和歌山県美浜町三尾の海岸ですが、題詞の「姫島の松原の美人の屍を見て」の場所と相違します。「白つつじ」とあるのは、娘子が死んで白つつじになったという伝説に基づくようです。435の「みつみつし」は、威勢のよい意で「久米」の枕詞。「久米の若子」は、娘子の相手とみられた伝説上の人物。「磯の草根」は、娘子の譬喩であり、また共寝の場所の意も含んでいます。
 
 436と437は挽歌としては相応しくなく、生前に二人が交わした相聞として創作されたものか、あるいは無関係の歌が紛れ込んだものかと言われます。436が女の歌、437が男の歌。436の「人言」は、人の噂。437の上3句は「悔ゆ」を導く序詞。

 ここの4首は、題詞と歌の内容の齟齬が甚だしく、題詞にある「姫島」は歌中になく「美穂の浦」が現れ、題詞にある「美人の屍」はなくて「久米の若子」が出ています。436・437の相聞歌も、唐突で不自然です。編者もこれらに疑問を抱いて判断に苦しみ、上記の左注を付したようです。一方、これを単なる混乱と見るのではなく、題詞の近似した228~229と434~437は、もと一群の歌だったとする見方があります。題詞との関係では、一群の歌のはじめに題詞を置く際には、その中の一部の歌の内容から取って題詞とする例は他にも見られるからだといいます。

博通法師が紀伊の国に行き、三穂の岩屋を見て作った歌

巻第3-307~309

307
はだ薄(すすき)久米(くめ)の若子(わくご)がいましける [一云 けむ] 三穂(みほ)の石室(いはや)は見れど飽(あ)かぬかも[一云 荒れにけるかも]
308
常磐(ときは)なす石室(いはや)は今もありけれど住みける人ぞ常(つね)なかりける
309
石室戸(いはやと)に立てる松の木(き)汝(な)を見れば昔の人を相(あひ)見るごとし
 

【意味】
〈307〉久米の若子がおられたという三穂の岩屋は、見ても見ても見飽きることがない。(荒れてしまった)
 
〈308〉今も昔に変わらず岩屋はあり続けているのだが、ここに住んでいたという人は不変ではなかったことだ。
 
〈309〉岩屋の戸口に立っている松の木よ。お前を見ていると、昔の人に逢って目に見ているようだ。

【説明】
 題詞に「博通法師(はくつうほうし)、紀伊の国に往き、三穂の石室(いわや)を見て作る歌」とあります。博通法師は大和の人と思われますが、伝未詳。307の「はだ薄」は「三穂」の枕詞。「三穂の石屋」は、和歌山県美浜町にある岩窟といわれています。「久米の若子」は、上の435にも出た伝説上の人物で、顕宗(けんぞう)天皇の即位前の名の来目稚子であるとも、久米氏の若者であるともいわれます。308の「住みける人」と309の「昔の人」は、いずれも久米の若子をさしています。
 
 なお、この3首と上の434~437との関連如何については、434~437が久米の若子と同時代の人が詠んだようであるのに対し、ここの3首は昔の古人として詠んでいることから、直接のつながりはないと見られています。

鞍作村主益人が、豊前の国から京に上る時に作った歌

巻第3-311

梓弓(あづさゆみ)引き豊国(とよくに)の鏡山(かがみやま)見ず久(ひさ)ならば恋しけむかも

【意味】
 梓弓を引いて響(とよ)もすという豊の国の鏡山、この山を久しく見ないようになったら、さぞ恋しくてならないだろう。

【説明】
 鞍作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)が、豊前国から京に上る時に作った歌。鞍作村主益人は伝未詳。「村主」は古代の姓で、古代朝鮮語の村長の意の「スグリ」からきたという説が有力であり、おもに渡来人の下級の氏として与えられました。巻第6-1004にも同じ作者の歌があり、その左注には、内匠寮の大属(宮中の造作をつかさどる内匠寮の四等官)だったことが記されています。

 「豊前」は、福岡県東部と大分県北西部。「梓弓引き」は「豊国」を導く序詞。引っ張って響もす意。「豊国」は、豊前、豊後に分かれる前の称で、福岡県東部と大分県全域。「鏡山」は、福岡県田川郡香春町にある山。

波多朝臣小足の歌

巻第3-314

さざれ波(なみ)礒越道(いそこしぢ)なる能登瀬川(のとせがは)音の清(さや)けさたぎつ瀬ごとに

【意味】
 小さい波が磯を越すという、越への道の能登瀬川、その川の音の清々しいことよ、流れの速い瀬ごとに。

【説明】
 波多朝臣小足(はたのあそみおたり)は、伝未詳。何かの事情で越へ行く途中、能登瀬川の流れの音に聞き入って詠んだ歌。「さざれ波磯」は「越」を導く序詞。「越道なる」は、越の国へ行く道にある。「能登瀬川」は、滋賀県米原市能登瀬の天野川か。

死んだ妻を悲しんで高橋朝臣が作った歌

巻第3-481~483

481
白栲(しろたへ)の 袖(そで)さし交(か)へて 靡(なび)き寝(ね)し わが黒髪の ま白髪(しらか)に なりなむ極(きは)み 新世(あらたよ)に ともにあらむと 玉の緒(を)の 絶えじい妹(いも)と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂(と)げず 白栲の 手本(たもと)を別れ にきびにし 家(いへ)ゆも出(い)でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧(あさぎり)の おほになりつつ 山背(やましろ)の 相楽山(さがらかやま)の 山の際(ま)に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 我妹子(わぎもこ)と さ寝し妻屋(つまや)に 朝(あした)には 出で立ち偲(しの)ひ 夕(ゆふへ)には 入り居(ゐ)嘆かひ わき挾(ばさ)む 子の泣くごとに 男(をとこ)じもの 負(お)ひみ抱(むだ)きみ 朝鳥(あさどり)の 音(ね)のみ泣きつつ 恋ふれども 験(しるし)をなみと 言問(ことと)はぬ ものにはあれど 我妹子(わぎもこ)が 入りにし山を よすかとぞ思(おも)ふ
482
うつせみの世の事なれば外(よそ)に見し山をや今はよすかと思はむ
483
朝鳥(あさとり)の音(ね)のみし泣かむ我妹子(わぎもこ)に今また更(さら)に逢(あ)ふよしをなみ
 

【意味】
〈481〉真っ白な袖を交わして寄り添って寝たこの黒髪が真っ白になるまで、次の世まで共に生きていようと、決して二人の契りを絶やすまいと誓い合ったのに、その誓いは果たせず、心も遂げないまま、交わした袖から別れ、馴れ親しんでいた家からも去っていってしまった。泣く幼子も置き去りにして、朝霧が遠くかすんでいくように、山背の相楽山の山あいに行き隠れてしまったので、何を言ってよいら何をしてよいやら分からずに、妻と一緒に寝た妻屋にいるばかり。朝には外に出て妻を偲び、夕方になると内にうずくまって嘆き続け、脇に抱えた幼子が泣くたびに、男らしくもなく、おぶったり抱いたりして泣けてきてしまう。妻恋しさに嘆いてもなんの甲斐もないままに、物を言わない山ではあるけれど、妻が隠れてしまった山、その山をせめてもの拠り所にするしかない。
 
〈482〉無常は世の定めなのだからと、これまでゆかりのないものと思っていた山だったが、今は妻の形見と思わなければならないのか。
 
〈483〉朝鳥のように声をあげて泣き暮らすことになるのだろう、いとしい妻に再び逢う術がなくて。

【説明】
 高橋朝臣(たかはしのあそみ)の「朝臣」は姓で、名は不明。「白栲の」は「袖」の枕詞。「玉の緒の」は「絶ゆ」の枕詞。「絶えじい」の「い」は、語調を強める助詞。「白栲の」は「手本」の枕詞。「にきびにし」は、馴れ親しんだ。「朝霧の」は「おほに」の枕詞。「おほに」は、ぼんやりと、かすかに。「相楽山」は、京都府相良郡の山。「男じもの」は、男であるのに、男らしくなく。「朝鳥の」は「音のみ泣く」の枕詞。「験をなみと」は、効果がないと。「よすか」は、思い出す拠り所となるもの。482の「うつせみの」は「世」の枕詞。483の「よしをなみ」は、手段がないので。

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古典に親しむ

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万葉集の三大部立て

雑歌(ぞうか)
 公的な歌。宮廷の儀式や行幸、宴会などの公の場で詠まれた歌。相聞歌、挽歌以外の歌の総称でもある。
 
相聞歌(そうもんか)
 男女の恋愛を中心とした私的な歌で、万葉集の歌の中でもっとも多い。男女間以外に、友人、肉親、兄弟姉妹、親族間の歌もある。
 
挽歌(ばんか)
 死を悼む歌や死者を追慕する歌など、人の死にかかわる歌。挽歌はもともと中国の葬送時に、棺を挽く者が者が謡った歌のこと。

『万葉集』に収められている約4500首の歌の内訳は、雑歌が2532首、相聞歌が1750首、挽歌が218首となっています。

枕詞あれこれ

あかねさす
「日」「昼」に掛かる枕詞。「赤く輝く」もの、」すなわち太陽を意味する。また、茜(あかね)色に近い「紫」の枕詞にも転用されている。

秋津島/蜻蛉島(あきづしま)
「大和」にかかる枕詞。「秋津島」は、日本の本州の古代の呼称で、『古事記』には「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。また「蜻蛉島」は、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。

あしひきの
「山」に掛かる枕詞。語義未詳ながら、足を引きずってあえぎながら登る意、山すそを稜線が長く引く意など諸説がある。

あぢむらの
「あぢむら」は、アジガモ(味鴨)。アジガモが群がって騒ぐことから、「騒く」にかかる枕詞。

梓弓(あづさゆみ)
梓弓は、梓の丸木で作られた弓。弓を射る動作から「はる」「ひく」「いる」などに掛かる。また弓に付いている弦(つる)から同音の地名「敦賀」に、弓の部分の名から「末」などにも掛かる。
 
天伝ふ
「日」に掛かる枕詞。「天(大空)を伝い渡っていく」もの、すなわち太陽を意味し、「日」の修飾ではなく、同格の関係にある。「天知るや」「高照らす」「高光る」なども同様。

天飛ぶや
「鳥」「鴨」に掛かる枕詞。空高く飛ぶことから。また、「雁」を転用して「軽(かる」にも掛かる。

あらたまの
「年」に掛かる枕詞。語義未詳で、一説に年月が改まる意からとも。ほかに「月」「春」「枕」などに掛かる。

あをによし
「奈良」に掛かる枕詞。奈良坂の付近で青丹(あおに)を産したところから。青は寺院や講堂などの、窓のようになっている部分の青い色、丹は建物の柱などの、朱色のこと。

鯨(いさな)取り
「海」に掛かる枕詞。鯨(いさな=クジラ)のような巨大な獲物がとれる所として海を賛美する語。ほかに「浜」にも掛かる。

石上(いそのかみ)
「石上」は、今の奈良県天理市石上付近で、ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などに掛かる枕詞。

うちなびく
「春」に掛かる枕詞。春は草木が打ち靡く季節であるから。

打ち日さす
「宮」「都」に掛かる枕詞。日の光が輝く意から。

うつそみの
「人」「世」に掛かる枕詞。語源は「現(うつ)し臣(おみ)」で、この世の人、現世の人の意。「臣」は「君」に対する語で、神に従う存在をいう。ウツシオミがウツソミと縮まり、さらにウツセミに転じた。

味酒(うまさけ)
「三輪」に掛かる枕詞。うまさけ(味酒:味のよい上等な酒)を神酒(みわ)として神に捧げることから、同音の地名「三輪」に掛かる。また、三輪山のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにも掛かる。

押し照る
地名の「難波」にかかる枕詞。上町台地からながめた大阪湾が夕陽で一面に光り輝く様をあらわす。かつては上町台地が大阪湾に面する海岸だった。

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