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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

久米禅師と石川郎女の歌

巻第2-96~98

96
み薦(こも)刈る信濃(しなの)の真弓(まゆみ)わが引かば貴人(うまひと)さびて否(いな)と言はむかも
97
み薦(こも)刈る信濃(しなの)の真弓(まゆみ)引かずして強(し)ひざる行事(わざ)を知るとは言はなくに
98
梓弓(あづさゆみ)引かばまにまに依(よ)らめども後の心を知りかてぬかも
 

【意味】
〈96〉薦を刈る信濃の弓を引くように、私があなたの気を引いたとしても、あなたは高貴な女らしく、つんとすまして、嫌だとおっしゃるのでしょうね。

〈97〉弓を引くように私の心を引いたとおっしゃいますけど、強く引いても下さらないのに、どうして私が気がつきましょうか。

〈98〉弓を引くように私の心を引かれるのでしたら、あなたのお気持ちにも添いましょう。でも、後々のあなたのお心については分かりませんね。

【説明】
 久米禅師(くめのぜんじ)という僧侶が、石川郎女(いしかわのいらつめ)という女性を口説いた時の歌のやり取りです。96が久米禅師の歌、97、98が石川郎女の歌。久米禅師は伝未詳でが、禅師というからには高僧でしょう。石川郎女は他でも登場し、同一人なのか他人なのか分かっていません。一説では、それぞれの歌から考えて多く見ると6人の石川郎女が登場しているともいいます。ここでの石川郎女は天智天皇時代、考えられる6人の中では最も古い時代の女性です。「郎女」または「女郎」は良家の婦人の愛称で、「郎子(いらつこ)」の対。

 96の「み薦刈る」は「信濃」の枕詞。「み」は美称で、「薦(こも)」は、沼沢地に生えるイネ科の多年草のマコモ。信濃国に多いので信濃の枕詞になったといわれます。「信濃の真弓」は、信濃が弓を多く生産したための呼称で、「真(ま)」は美称。ここまでの2句は、次の「引く」を導く序詞。「貴人さびて」の「さびて」は、いかにもそれらしく振舞う、ぶる。「かも」の「か」は疑問、「も」は詠嘆。

 97の4句目は原文では「強作留行事乎」となっており、「強」が「弦」誤写だとして「弦(を)はくる行事(わざ)を」と訓む説があります。「弦はくる」は弓に弦をかける意で、「行事」は、方法。弓は弦をあらかじめかけているのではなく、用いる段になってかけます。弓は、弦をかけることによって始めて弓たり得るところから、ここでは、女を従える譬えとして言っていることになります。歌全体の解釈としては、「弓を実際に引きもしないで、弦をかける方法を知っているとは、誰も言わないでしょうに」となります。

 98の「梓弓」は「信濃の真弓」を言い換えたもので「引く」の枕詞。梓の木で作った弓は、古くは信濃国からの貢物とされていました。梓とよばれた木にはキササゲ、アカメガシワなど数種あり、そのどれに当たるかは定まっていません。「まにまに」は、従って。ここまでの2句は、弓を引くと弓の本末(上下)が寄り合うところから「依る」の序詞としているもの。「依る」は、靡く意。「知りかてぬかも」の「かて」は、堪えきる意。「ぬ」は、否定。前の歌と一緒に答えた歌とされます。

 禅師の言い寄り方は、二人の間に何某かの身分の隔たりがあったのかなかったのか、相手に対し「貴人さびて」と挑発的にへりくだっている点や、遠慮がちなくせに馴れ馴れしいところが遊戯的で、当時の歌としては新味のあるものです。まずは、女の拒否を見越して逃げ道を塞いで求愛するところから始まり、それに対する石川郎女の返歌も、軽やかな屈折を見せたものになっています。すなわち、97の歌での揚げ足取りを伴うような拒否は、かえって男の気を引く歌いぶりとなっており、98の歌での男に靡いた後の不安の訴えには、魅惑と媚態の情が芽生えていることが窺えます。この後に続く99、100も久米禅師が石川郎女に贈った歌です。

巻第2-99~100

99
梓弓(あづさゆみ)弦緒(つらを)取りはけ引く人は後(のち)の心を知る人ぞ引く
100
東人(あづまと)の荷前(のさき)の箱の荷の緒(を)にも妹(いも)は心に乗りにけるかも
 

【意味】
〈99〉弦をつけて梓弓を引く人は、どうなるか判っているからこそ引くのです。そのように、女を誘う男は先々まで相手の心を読み取って誘うのですよ。

〈100〉東国の人が献上品の初穂を入れた箱の荷をしばる紐のように、あなたは私の心にすっかり乗りかかってしまった。もう忘れることなどできません。

【説明】
 96~98の贈答歌に続き、久米禅師(くめのぜんじ)がが石川郎女(いしかわのいらつめ)に贈った歌です。高僧である禅師が女を口説くなんて、と思うところですが、これは禅師が在俗中の話であるとする見方もあるようです。
 
 99の「梓弓」はここでは郎女の譬え。「弦緒」は弓の弦。「取りはけ」は、弓に弦をつけて。100の「荷前」は、毎年諸国から朝廷に納める調の初荷。東国からは陸路を馬で運搬したもので、「荷の緒」は、馬に負わせるために結びつける緒。「心に乗る」は、自分の意思によらず、おのずと心が妹に依り憑かれてしまったという意。「かも」は詠嘆。
 
 これらの歌は、弓を「引く」という言葉をキーワードとして、反発・揶揄・切り返しを基本とする男女の贈答歌の典型を示しており、また、二人の関係の事の発端から推移を示し、最後の禅師の歌で二人の結婚という結末を示している歌物語になっています。石川郎女という、当時注目を浴びていた女性に関する恋愛物語だというので特に保存されていたとみられ、またこの時代、歌によって物語を展開することがもてはやされ、行われていたことが知られます。

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古典に親しむ

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万葉集の三大部立て

雑歌(ぞうか)
 公的な歌。宮廷の儀式や行幸、宴会などの公の場で詠まれた歌。相聞歌、挽歌以外の歌の総称でもある。
 
相聞歌(そうもんか)
 男女の恋愛を中心とした私的な歌で、万葉集の歌の中でもっとも多い。男女間以外に、友人、肉親、兄弟姉妹、親族間の歌もある。
 
挽歌(ばんか)
 死を悼む歌や死者を追慕する歌など、人の死にかかわる歌。挽歌はもともと中国の葬送時に、棺を挽く者が者が謡った歌のこと。

『万葉集』に収められている約4500首の歌の内訳は、雑歌が2532首、相聞歌が1750首、挽歌が218首となっています。

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