巻第4-553~554
553 天雲(あまくも)のそくへの極(きは)み遠けども心し行けば恋ふるものかも 554 古人(ふるひと)の飲(たま)へしめたる吉備(きび)の酒(さけ)病(や)めばすべなし貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ |
【意味】
〈553〉あなたのおられる筑紫は、天雲の果ての遥か遠い地ですが、心はどんなに遠くても通って行くので、このようにも恋しいのですね。
〈554〉老人が贈ってくださった吉備のお酒も、悪酔いしてしまったらどうしようもありません。(吐くかもしれないので)貫簀もいただきたく思います。
【説明】
丹生女王(にうのおおきみ)が大宰帥の大伴旅人に贈った歌。丹生女王は伝未詳ですが、天平11年(739年)に従四位下から従四位上に、天平勝宝2年(750年)に正四位上に昇叙されたことが分かっています。巻第3-420の作者、丹生王と同一人かともいわれます。ここの歌は、旅人から何らかの事情で吉備の地酒を贈られたのに対し、喜びの心をもって詠んでいます。
553の「そくへ」は、遠く隔たったところの意。「心し」の「し」は、強意。554の「古人」は、老人または昔馴染みの人の意で、旅人を指しています。「吉備」は、現在の岡山県、広島県東部で、酒の産地として有名です。「貫簀」は、洗い桶の上に、水が飛ばないように敷く竹で編んだすのこ。ここでは、酔って吐くときの用意のための物として言っています。丹生女王は、旅人を老人と言ったり、「吐くかもしれない」と突拍子もない冗談を言ったりで、旧知の親しい間柄だったとみられます。ただ、旅人は天平3年に亡くなり、女王は天平11年から『続日本紀』に出ているので、かなり年齢の差はあったようです。
なお、「貫簀」を竹の敷物とする説もあり、その場合は、「酔って横になる竹の敷物をください」という意味になります。
巻第8-1610
高円(たかまと)の秋野(あきの)の上(うへ)のなでしこが花 うら若み人のかざししなでしこが花 |
【意味】
高円の秋野に咲いたナデシコの花。初々しいのでどなたかが挿頭になさった、そのナデシコの花。
【説明】
丹生女王が、大宰帥の大伴旅人に贈った旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌。「高円」は、奈良市の東南の、春日山の南の一帯。「うら若み」は、初々しいので。「人」は、旅人のこと。「かざしし」は、ここでは愛した意。表面的には風雅な便りとなっていますが、女王が若かりしころに、旅人に愛されたことを懐かしみつつ、ナデシコの花を自分自身に譬えています。古風な旋頭歌にしたのもその心にふさわしい、と窪田空穂は言っています。
巻第4-555
君がため醸(か)みし待酒(まちざけ)安(やす)の野にひとりや飲まむ友なしにして |
【意味】
あなたと飲み交わそうと醸造しておいた酒も、安の野で一人寂しく飲むことになるのか。友がいなくなってしまうので。
【説明】
大宰帥の大伴旅人が、民部卿(民部省の長官)として転任することになった大弐(大宰府の次官)の丹比県守(たじひのあがたもり)に贈った歌。丹比県守は、左大臣正二位多治比嶋の子で、遣唐押使として渡唐を果たしたのち、按察使・征夷将軍などを歴任して地方行政に従事、後に藤原四子政権で昇進し正三位・中納言に至った人です。家柄からして、旅人にとっては胸襟を開いて接することができた、ごく少数の友だったとみえます。「醸みし待酒」は、接待するために醸造して用意していた酒。「安の野」は、大宰府の東南にあった野で、大宰府の官人がよく野遊びをしていた所。
酒の醸造方法は、古くは「口醸(くちか)み」とされ、女性が蒸し米を口でよく噛み、唾液の作用で糖化させ、容器に吐き入れたものを、空気中の酵母によって発酵させるというものでした。そこから「醸(か)む」「醸(かも)す」と言われます。この歌が詠まれた奈良時代には、すでに麹を用いた酒造が行われていました。
なお、家持の妹の留女之女郎(りゅうじょのいらつめ)が丹比(多治比)家に居住していたと見られることから、丹比郎女(たじひのいらつめ:生没年未詳)が、旅人の妻で家持の生母と考えられています。また、ここの丹比県守が丹比郎女の父ではなかいかとの説があります。
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巻第4-556
筑紫船(つくしふね)いまだも来(こ)ねばあらかじめ荒(あら)ぶる君を見るが悲しさ |
【意味】
筑紫へ向かう船はまだ来てもいないのに、その前からよそよそしくしているあなたを見るのが悲しい。
【説明】
賀茂女王(かものおおきみ)が、大伴三依(おおとものみより)に贈った歌。賀茂女王は、故左大臣、長屋王の娘。大伴三依は、壬申の乱で活躍した大伴御行の子で、大伴旅人が太宰帥だった頃に筑紫に赴任したとされます。「筑紫船」は、筑紫への航路を往き来する官船。「いまだも来ねば」は、まだ来てもいないのに。「荒ぶる」は、疎遠になる、よそよそしくする。
遠い別れとなるのが悲しいのに、折から三依が通って来ないのをいっそう悲しんでいる歌とされますが、そうではなく、筑紫から帰る三依の変心を予想して悲しんだものとする説があります。それによると、「筑紫からの船はまだ帰って来ないけれど、冷たくなったあなたのお顔を見るのは悲しい」のような解釈になります。それまでの便りのやり取りなどから、既に破局を予感していたのでしょうか。
巻第4-565
大伴(おほとも)の見つとは言はじあかねさし照れる月夜(つくよ)に直(ただ)に逢へりとも |
【意味】
筑紫船は大伴の御津(みつ)に泊てますが、あなたに逢っていたとは言いません、誰が見ても分かるほど明々と照らす月の夜にじかにお逢いしているとしても。
【説明】
「大伴の」は、大伴の御津の意で、同音の「見つ」にかかる枕詞。「大伴」は、大阪湾一帯の地名。御津は、難波津。「見つ」は、男女が関係を持つ意。「あかねさし」は、明々と照り差し。「直に」は、直接に。筑紫へ向かう三依との別れを惜しむため御津に出向いた女王が、月夜の下でひそかに逢い、その喜びを詠った歌とされますが、あるいは短い逢瀬に満足できなかったため「見つとは言はじ」と言ったのでしょうか。
巻第8-1613
秋の野を朝ゆく鹿(しか)の跡(あと)もなく思ひし君に逢へる今宵(こよひ)か |
【意味】
秋の野を朝行く鹿の通った跡も分からないように、どこへ行ったか見当のつかなかったあなたに、お逢いできた今宵です。
【説明】
上2句は「跡もなく」を導く序詞。秋は鹿の恋の季節であり、「朝ゆく」は、野で寝ていた鹿が、朝になって山へ帰っていくこと。「跡もなく」は、夫婦関係を結んだ後朝の別れの後、それきりで途絶えてしまった意。しばらく消息の途絶えていた男に再び逢えた喜びを詠んでいる歌です。ただし、左注に「右の歌は、或いは倉橋部女王の作、或いは笠縫女王の作という」とあります。
窪田空穂はこの歌について、「当時の夫婦関係にあっては、この歌のような状態が稀れなものではなかったろうと思われる。序詞がその季節をあらわすとともに、きわめて自然で、また気分のつながりをもったものてある上に「朝」と「今夜」の照応もあって、全体の上に大きく働いている。一首、おおらかで、気品のある歌である」と述べています。
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