巻第9-1740~1741
1740 春の日の 霞める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出でゐて 釣船の とをらふ見れば 古(いにしへ)の 事ぞ思ほゆる 水江(みづのえ)の 浦の島子が 堅魚(かつを)釣り 鯛(たひ)釣り矜(ほこ)り 七日まで 家にも来ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向ひ 相(あひ)とぶらひ こと成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神の宮の 内の重(へ)の妙(たへ)なる殿に 携はり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世の中の愚人(おろかひと)の 吾妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(かた)らひ 明日のごと われは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば このくしげ 開くなゆめと そこらくに 堅めし言(こと)を 墨吉に 還り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間に 垣も無く 家(いへ)滅(う)せめやと この箱を 開きて見てば もとの如(ごと) 家はあらむと 玉くしげ 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 反側(こいまろ)び 足ずりしつつ たちまちに 情(こころ)消失(けう)せぬ 若かりし 膚(はだ)も皺(しわ)みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは 気(いき)さへ絶えて 後(のち)つひに 命死にける 水江の 浦の島子が 家地(いへどころ)見ゆ 1741 常世辺(とこよへ)に住むべきものを剣刀(つるぎたち)己(な)が心から鈍(おそ)やこの君 |
【意味】
〈1740〉春の日の、霞がかかっている時に、墨吉の岸に出て腰を下ろし、釣船が波に揺れているのを見ていると、昔のことが思われてくる。水江の浦の島子が、かつお釣りや鯛釣りに夢中になり、何日も家に帰らず、海の境を越えてなお漕ぎ進んでいくと、海の神の姫に偶然出会った。互いに求婚しあい、結婚を決めて約束をし、不老不死の国へ行き、海の神の宮殿の奥にあるすばらしい御殿に、二人で手を取り合って入り、年も取らず、死にもしないで長い間暮らしていた。ところが、愚かな浦の島子が、いとしい妻に告げて、しばらくわが家に帰り、父母に事の次第を打ち明けて、すぐ明日にも戻ってこようと言った、妻は、この国にまたお帰りになって、今のように私に逢うとおっしゃるのでしたら、この櫛笥(くしげ)を絶対に開いてはなりませんと、堅く堅く約束して送り出した。
浦の島子は墨吉に帰ってきて、我が家を捜したが見つからない、里を捜しても見つからない、そこで思ったのは、家を出て三年しか経っていないのに、垣根も家もなくなるなどということがあろうか、この箱を開いてみたなら、元の通りわが家が現れるだろうと、玉櫛笥を少し明けてみた。すると、白い雲が箱の中から立ちのぼり、不老不死の国へたなびいて流れた。浦の島子は飛び上がって走り回り、叫んでは袖を振り、転げまわって地団太を踏んで嘆き悲しんでいるうち、急に気を失ってしまった。そして、若かった肌も皺だらけとなり、黒かった髪の毛も真っ白になってしまった。その後に息まで絶えて、とうとう死んでしまった。その水江の浦の島子の家があった跡が見える。
〈1741〉不老不死の仙境に住んでいることができたのに、自分の心からとはいえ愚かであるよ、この人は・・・。
【説明】
誰もが知っている浦島太郎の伝説の最も古いものの一つです。ここでは浦島の名は「水江之浦島子(みずのえのうらのしまこ)」となっており、作者は高橋虫麻呂とされますが、異説もあります。奈良時代初期の歌人・虫麻呂には各地の伝説に材をとった作品が多くあり、伝説の歌人として知られます。自編と推定される『高橋虫麻呂歌集』の名が万葉集の中に見えます。ここは伝説をいおうとしているのではなく、その伝説を土台にして独自の世界を展開しています。
1740の「墨吉」は、大阪市住吉か。京都府とする説もあります。「とをらふ」は、揺れ動く。「水江」は、所在未詳。「七日」は、日数の多い意。「海境」は、人間の国と海神の国との境界。「海神」は、海の神。「相とぶらひ」は、相語らい。「こと成りしかば」は、結婚が成立したので。「常世」は、不老不死の国。ここでは海神の国。「妙なる」は、素晴らしい。「しましく」は、しばらく。「くしげ」は、櫛などの化粧道具を入れる箱。「ゆめ」は、決して。「そこらくに」は、しっかりと。「堅めし言を」は、堅く約束したことなのに。「家ゆ」は、家から。「反側び」は、転げまわり。「足ずり」は、地団太を踏むこと。「ゆなゆな」は、語義未詳。
1741の「住むべきものを」は、住むはずであったのに。「剣太刀」は鋭利な刀、刃(な)の意から「己(な)」に掛かる枕詞。「己が心から」は、自分の心掛けが原因で。「鈍や」は、愚かな。
作家の大嶽洋子は、虫麻呂の歌について次のように述べています。「万葉集随一の物語作家と思う虫麻呂の歌を読むと、その内容の面白さに心奪われながらも、ところどころにため息のように散りばめられた彼の肉声に思わず耳をそばだててしまう。物語よりも、むしろ虫麻呂個人へと私の興味が傾いていってしまうのだ。彼には、爽快なほどセクシーな美女珠名の話や、二人の若者との愛の葛藤の末に入水した乙女の話など、単調な旅路のあちこちで目が醒めるような出来事(彼の渇望していたであろう非現実的な現実が)出迎えてくれるという機会に恵まれた。それがどうしたことだろう。彼は生き生きと、ロマンチックに歌に描き出しているはずなのに、よく読むとしんとした、人間のさがを哀しむような客観的な眼差しで主題を描いていることに気づかされる。彼がどのように心躍る舞台を演出しても、やがて幕の下りた後の寂しさ、空しさが待っていることを予感させてしまうのだ。描写が非常に繊細で、かつ鮮明でありながら、どこか醒めた作家の眼差しが見えてくる」
浦島伝説について
高橋虫麻呂による浦島伝説の歌(1740・1741)には、亀は登場しません。反歌にみられるように、中心となって詠われるのは、約束を破り、不老不死の国に帰れなくなった浦島の愚かさです。
浦島伝説は日本の各地域に見られ、最も古いのは『日本書紀』雄略記です。そこには、大亀を捕えたところ女になり、妻にして供に蓬莱山に行くとあります。また、『丹後国風土記逸文』では、三日三晩、何も釣れなかった浦島が五色の亀を釣り、それが美しい女となったとあります。女は亀比売(かめひめ)という神女で、浦島を海の中の蓬莱山に連れて行きます。楽しく過ごしているうちに里心がつき、家に戻るとすでに300年を過ぎていました。箱を開けても死なない浦島は、亀比売と歌を交わします。
いずれも名称や設定が異なり、報恩の要素もなく、行き先は「龍宮」ではなく「蓬莱(とこよのくに)」になっています。また、これらのほかに見られる伝承の中には、浦島の名が出ない類話もあります。室町時代の「御伽草子」になると、亀の恩返しのストーリーと竜宮城が現れ、浦島は最後に鶴になるのです。
現代の私たちが知っている浦島太郎の御伽話は、明治から昭和にかけての国定教科書に載っていた内容に近いものです。これは童話作家の巖谷小波が1896年に発表した『日本昔噺』で紹介された話に手を加えて短縮し、さらに玉手箱を開けて老人になってしまうことで、約束を破ると悪いことが起こるという教訓を加えたものだとされます。
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