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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第13)

巻第13-3253~3254

3253
葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙(ことあ)げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我(わ)がする 言幸(ことさき)く ま幸(さき)くいませと つつみなく 幸(さき)くいまさば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)にしき 言挙げす我(わ)れは
3254
磯城島(しきしま)の大和の国は言霊(ことだま)の助くる国ぞま幸(さき)くありこそ
  

【意味】
〈3253〉この葦原の瑞穂の国は、天の神の御心のままに、人はいちいち言葉に出すことなど必要としない国です。けれども私はあえて申し上げます。言葉に出して、どうかご無事でと。何事もなくご無事で行って来られるのなら、荒磯に寄せ続ける波のように、変わらぬ姿でお逢いしとうございます。百重に寄せる波、千重に寄せる波のように、幾度もご無事であれと言葉に出して申し上げます、私は。

〈3254〉大和の国は、言霊が助けてくれる国なのです。だからあえて言葉に出すのです。どうかご無事で行って来てください。

【説明】
 遣唐使を見送る歌で、人麻呂の作ではないかとされます。3253の「葦原の瑞穂の国」は日本の国のこと。葦原の中にある、みずみずしい稲の実っている国という意味があります。「葦原の」は「瑞穂の国」の枕詞。「言挙げ」は、言葉に出して事々しく言うこと。「荒磯波」は「あり」の枕詞。3254の「磯城島の」は「大和」の枕詞。「言霊」は、古代に言葉に宿ると信じられた霊力のことで、 発せられた言葉の内容どおりの状態を実現する力があると信じられていました。「こそ」は希望の終助詞。
 
 この「言霊」という言葉は、万葉集には3度だけ出てきます。ここでは、日本の国というのは本来は「言挙げせぬ国」であるといい、実際に口に出して言ったりお祈りなどしない国だといっています。言語をはなはだしく重んじ、軽々しく口に出して祈ることなどしない、けれども、あなたの前途の幸いを祈って、あえて私は口にするのです、と言っています。

巻第13-3309

物思(ものも)はず 道行く行くも 青山を 振り放(さ)け見れば つつじ花 にほえ娘子(をとめ) 桜花 栄(さか)え娘子 汝(な)れをぞも 我(わ)れに寄すといふ 我れをぞも 汝れに寄すといふ 汝はいかに思ふや 思へこそ 年の八年(やとせ)を 切り髪の よち子を過ぎ 橘(たちばな)の ほつ枝(え)をすぐり この川の 下(した)にも長く 汝が心待て  

【意味】
 物思いもせずに道をずんずん歩いてゆき、青々と茂る山を振り仰いでみると、そこに咲くツツジの花のように色美しい乙女よ、桜の花のように輝いている乙女よ。そんな君を、世間では私といい仲だと言っているそうだ。こんな私が君といい仲だと噂しているそうだ。当の君はどう思っているの。
 あなたのことを思っているからこそ私は八年もの間、おかっぱ髪の少女時代を過ごし、橘が上枝よりも背が伸びた今まで、じっとあなたの心が動くのを待っていたのですよ。

【説明】
 この歌は、作者未詳歌として載っている3305と3307の問答を合わせたような形になっています。

〈3305〉物思はず 道行く行くも 青山を 振りさけ見れば つつじ花 にほへ娘子 桜花 栄へ娘子 汝をそも 我に寄すといふ 我をもそ 汝に寄すといふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
 
〈3307〉然れこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぎて この川の 下にも長く 汝が心待て

 これらの歌の関係について、国文学者の窪田空穂は次のように言っています。「3309を3305・3307と比較すると、3309のほうが語つづきが自然であり、一首としての姿も渾然としている。これに較べると3305・3307は、部分的の刺激を求めるために、一首の姿を犠牲にすることを避けなかったものである。3309から3305・3307の歌は出るが、3305・3307からこの3309は出ない。3309のほうが原形である」。

 「青山」は、青々と木々が茂った山。「にほへ」は、色美しい、美しく輝く。「にほふ」のもとの意味は、鉄分を含む丹土が高熱で焼かれて鮮やかな朱色に変身すること。転じて女性の美しさや自然、色などを賛美する慣用句となりました。「切り髪の」は「よち子」の枕詞。「切り髪」は、肩のあたりで切り揃える髪型。「よち子」は同い年の意ですが、ここでは少女時代の意とされます。「ほつ枝」は、木の上の方にある枝。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が360余首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
 
ただし、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができないのです。

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