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「昭和」が幕を閉じた日

 昭和天皇のご容体が急変したのは、昭和63年(1988年)9月19日のことです。発熱が続いて8月末から休まれていたのですが、その日の深夜に大量の血を吐かれました。政府は、すべての国事行為を皇太子殿下に委任することを決定、陛下はその後も出血や体温、血圧、脈拍の異常でご病状が進み、11月20日には輸血量も2万ccを超えました。

 その間、国じゅうが重苦しい雰囲気に包まれました。年の暮れが近づいても、自粛ブームが広がり、あちこちでいろいろな催し物が中止されました。会社のクリスマス・パーティーや忘年会も見送られました。テレビでも、陛下のご病状を知らせるテロップが絶えず流され、何ともいえず落ち着かない気持ちで年越しを迎えたものです。

 陛下が亡くなられたのは、年明けて7日早朝のこと。宮内庁長官が「天皇陛下におかせられましては本日午前6時33分、吹上御所において崩御あらせられました。誠に哀痛の極みに存ずる次第であります」との文書を読みあげ、「昭和時代」が終わったのを知らされました。病名は最後まで伏せられていましたが、十二指腸ガンでした。享年は87歳。

 崩御の知らせを聞いて、大勢の国民が皇居前に集まりました。さらに全国各地では、若者、老人、主婦、サラリーマンなどさまざまな人々が、昭和天皇の時代の持つ意味に深く思いをめぐらせました。戦争と平和、苦難と繁栄の歴史を刻んだ激動の昭和時代が、静かに幕を閉じた日でした。

昭和天皇との会話

 ミッキーマウスの腕時計などを身につけられて、晩年は最高のエンターテイナーでもあられた昭和天皇。その昭和天皇が、ご旅行先で、案内役の安倍晋太郎農相と交わされた会話、

「ここから先は雑草です」
「雑草という草はない」 
 
 次に昭和45年ごろのお話。後藤田官房長官に対し、

「なかなか忙しいようだね」
「はっ」
「ときに、どうなの・・・。官房長官というのは、どういうことをやるの?」 
 
 また、昭和59年ごろ、木村参院議長と、雑談。

「実は私は若いころから酒は飲まない」
「どうしてですか」
「子どものころ、侍医から酒を飲まされて、酔っぱらってひどい目にあったことがある」
「随分、大胆な侍医がいますね」

 さらに、ある宴会で、マレーシア大使夫人との通訳をはさんでの会話、

夫人「宮中にはどんな鳥がいますか?」
陛下が通訳に対し小声で、
  「(鳥の名前を)言ってもいいが、英語で言えるか?」
通訳「字引持っておりませんし、とてもアレでございます」
陛下は夫人に対し、
  「ふつうの鳥です」
 

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