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東京裁判・パル判事と日本人弁護士の主張

 東京裁判は、正式には「極東国際軍事裁判」といいます。その裁判において、日本が国際法に照らして無罪であることを終始一貫して主張した判事がいます。インド人のパル判事です。彼の主張は次のようなものでした。 
 
「勝者によって今日あたえられた定義(マッカーサーが作った裁判所条例)に従って裁判をするのは、敗戦者を即時殺戮した昔と私たちの時代の間に横たわる数世紀の文明を抹殺するものだ。復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続きを踏んだにすぎないというやり方は、国際正義の観念とはおよそかけ離れている」
 
「日本の子弟が、ゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されていくのを、私は平然と見過ごすことはできない」
 
「学校教育から、本物と偽物を見分ける能力、お国の将来を形成していく力についての知識を養ってください」

 
 また、東京裁判の被告人たちは、ある者は外国人弁護士、ある者は日本人弁護士によって弁護されました。彼らはその国籍や人種を問わず、みな真摯に被告を弁護しました。その中に、清瀬一郎という日本代表の弁護士がいました。彼は、法廷で次のように主張しました。
 
「かねて提出しておいた当裁判所の管轄に関する動議の説明をさせていただきたい。その第一は、当裁判所においては、平和に対する罪、また人道に対する罪について裁く権利はないということを申し上げたい。
 
 いうまでもなく当裁判所は、連合国が1945年7月26日ポツダムにおいて発した降伏勧告宣言、そのうちの連合国の俘虜にたいして残虐行為をなした者を含むすべての戦争犯罪者にたいして、峻厳(しゅんげん)なる裁判を行うべしという条規がその根拠である。
 
 このポツダム宣言は、同年9月2日に東京湾において調印された降伏文書によって確認受諾されたものである。それゆえにポツダム宣言の条項は、わが国を拘束するのみならず、ある意味においては連合国をも拘束することになる。
 
 ・・・ポツダム宣言受諾は、その条項にあるとおり、日本軍隊の無条件降伏であって、日本という国家の全面的無条件降伏ではない。・・・俘虜の虐待を含む戦争犯罪を厳罰に処する条件は認めるが、問題となるのは戦争犯罪という言葉の意味である。(当時は宣戦布告、戦争行為自体は、戦争犯罪とみなされていなかった)
 
 ・・・平和に対する罪、また人道に対する罪というのは、ポツダム宣言の時点では法律上、戦争犯罪の範囲外に位置していた。従ってこのような罪によって起訴することは違法である。ある行為を後になってから法律を作って処罰することは、近代法の大原則に背くものである。従って公正をうたった裁判の基礎を根底から崩壊させることになる」

マッカーサーの証言

 マッカーサーはアメリカ合衆国の軍人で、太平洋戦争で連合国軍を指揮し、勝利後は日本占領を統括し民主化を主導した人物です。朝鮮戦争では国連軍総司令官となりましたが、途中でトルーマン大統領と対立し、退任させられます。そのマッカーサーが、朝鮮戦争後の1951年、自分たちの占領政策や東京裁判の誤りを認め、アメリカの上院で次のように議会証言しました。
 
 ―― まず、日本は8000万に近い厖大な人口をかかえ、それが4つの島の中にひしめいていることを理解していただかなくてはならない。その半数近くが農業人口で、あとの半数が工業生産に従事していた。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接してきた何れにも劣らぬ優秀なものだった。歴史上どの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときの方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを見出していた。

 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何がしか働くための材料が必要だということを意味する。彼らは工場を建設し、労働力を有していた。しかし彼らは、手を加えるべき原料を得ることができなかった。

 日本には、絹産業以外には固有の産物はほとんど何も無い。彼らには綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。そのほか実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在していた。

 もしこれらの原料を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていた。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が”安全保障”の必要に迫られてのことだったのだ。――
 

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太平洋戦争年表

1941年
7月 米国が在米の日本資産を凍結
8月 ABCD包囲網の完成
11月 米国がハル・ノートを呈示
12月 御前会議で開戦決定
12月 真珠湾攻撃
1942年
1月 日本がマニラ占領
2月 日本がシンガポール占領
4月 米軍が日本本土を空襲
6月 ミッドウェー海戦
8月 米軍がガダルカナル島に上陸
1943年
9月 イタリアが無条件降伏9月 絶対国防圏を設定
10月 学徒出陣
1944年
6月 マリアナ沖海戦
7月 サイパン陥落
8月 学徒勤労令、女子挺身勤労令
8月 学童の集団疎開始まる
10月 レイテ沖海戦
11月 東京への空襲が始まる
1945年
1月 米軍がルソン島に上陸
3月 東京大空襲
3月 米軍がマニラ占領
3月 沖縄戦が始まる
5月 ドイツが無条件降伏
7月 米国がポツダム宣言
8月 広島に原爆投下
8月 ソ連が対日宣戦布告
8月 長崎に原爆投下
8月 ポツダム宣言を受諾
1946年
5月 極東軍事裁判
1948年
12月 A級戦犯7名に死刑執行

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