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帝国大学の設立

 「佐幕派」の歴史ファンの人たちにすれば、倒幕派つまり薩長の人たちは何となく好きになれないところがあるかもしれません。江戸幕府をいじめ倒した敵役というイメージがあるでしょうからね。西郷隆盛など、とても素晴らしい人物だったとは思うんですけど、やっぱりちょっと抵抗があるかもです。

 でも、現在の日本の繁栄の礎を築いてくれたのは、まぎれもなく維新政府の人たちだし、国の存亡さえ危うかったあの時代に、必死のパッチになって国力を高め、並居る先進諸国に対峙した彼らです。そして、維新政府のなした数ある業績のなかで、とりわけ素晴らしいと思うのが「帝国大学」の設立です。

 なぜなら、その理由が、薩長の人脈ばかりで官吏ができ上がることを防ぐためというのですから。彼らの思惑は、幕末生まれの豪傑ばかりではこれからの政治はやっていけない、優秀な官僚が必要である。しかも、これからの官僚はニュートラルでなければならない、というものでした。

 帝国大学の設立によって、藩閥と一切関係のない、情実のない、試験による人事を日本で初めて行おうとしたわけです。薩長ファーストを押し通そうとすれば、帝国大学などつくらず、ずっと薩摩と長州から人材を採っていけばよかったのに、そうしなかった。日本の将来を鑑み、自らの首を絞めるようなことを敢えて行った。偉いなーと思います。

 なお、1886年(明治19年)に公布された「帝国大学令」によって順次設置された帝国大学は、内地に7校(東京・京都・東北・九州・北海道・大阪・名古屋)、外地に2校(京城・台北)です。ここでさらに驚くべきは外地に2校も設置したことです。しかも大阪・名古屋より早い時期にです。民族自決を抑える狙いもあったようですが、それでも植民地に大学をつくるなんて、ふつう有り得ますか? こういうところが、もっぱら搾取の対象としか見なかった欧米列強による植民地政策と明らかに異なっている点です。

所得税の歴史

 世界で始めて「所得税」を導入したのはイギリスで、ナポレオン戦争の戦費調達を目的に、1978年、当時の首相ウィリアム・ピットにより創設されたといわれています。これ以降、主要諸国では、1811年にプロイセン(ドイツ)、1850年にオーストリア、1862年にアメリカ、1864年にイタリアが所得税を導入しました。

 日本も世界的な動きに倣い、明治20年(1887年)に所得税を導入。これは世界でも比較的早いほうでした。当時の明治政府は、先進国の仲間入りをはたそうと必死のパッチでしたから、税制も近代的な仕組みを確立しようと諸外国のさまざまな税制を参考に検討していたんですね。所得税の導入にあたっては、イギリスやプロイセンを参考にしたそうです。

 日本の所得税は、当初「富裕税」とも言われ、年間300円以上の所得がある人たちに課税されました。納税者となったのは都市の富裕者層が中心で、所得税を納めることは一種のステイタスととらえられ、別名「名誉税」とも呼ばれました。ちなみにこの頃の国家の歳入は、ほとんどが農民が納める地租と、酒造税で占められており、富裕税の税収は歳入全体の2%程度に過ぎませんでした。

 明治から大正、昭和初期にかけての時期には、幾度も世界的な戦争が起こり、先進諸国は戦費調達にせまられました。この頃の日本は、経済の中心が農業から商工業に移行しようとする時期で、勤労所得者が増えるに従い、所得税の改正を重ね、国の基幹税としての地位を占めるようになっていったのです。

 第二次世界大戦を目前にした昭和15年(1940年)の改正では、給与所得者に対する「源泉課税制度」が導入されました。そして戦後の昭和22年(1947年)、日本は税制の民主化をはかるため、所得税、法人税および相続税の申告納税制度を導入。所得税はそれまで納付すべき金額を税務官庁が決定して通知する方式でしたが、納税者自らが1年間の所得を計算し、税額を申告して収めることとなりました。これが確定申告の始まりです。
 

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