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孔子の弟子たち

 孔子が指導した70人以上の弟子たちの中から、とくに有名な3人の高弟についてご紹介します。

 まず、孔子の一番弟子といえるのが、顔回(がんかい)で、字(あざな)は子淵(しえん)といいました。当時は、年長の親族や師匠以外は本名を呼べないしきたりでしたから、字というニックネームが使われていました。顔回は孔子より30歳年下で、孔子は、優秀だった彼を学問上の後継者として考えていました。

 そんな彼を、孔子はこんなふうに評したことがあります。 「学を好む。怒りを遷さず、過ちをふたたびせず」  怒りを遷さず、というのは八つ当たりをしないという意味です。学問好きで、感情を他人に向けず、同じ過ちを2度しない。名誉栄達を求めず、その暮らしぶりも質素だったといいます。しかし、残念なことに、彼は若くして亡くなってしまいました。それを知った孔子は、 「ああ、天われを滅ぼせり、ああ、天われを滅ぼせり」 と慟哭したと伝えられています。いかに彼の死が打撃だったかが、ひしひしと伝わってくる言葉です。

 そして次なる弟子は、子路(しろ)で、本名を仲由(ちゅうゆう)といいました。この子路は変わった経歴の持ち主で、もとは今でいうやくざのような一員でした。孔子という、偉そうな人間がいると聞き、一つ脅かしてやろうと、派手な格好をして孔子のもとへ乗り込んできたのです。ところが子路は、孔子と直接話をしてみて、たちまちその魅力に参ってしまいます。

 けっきょく子路は弟子入りしますが、孔子と年が6歳しか離れていなかったため、孔子にとって、軽口をたたいたり冗談を言ったりし合える、気の置けない弟子だったようです。孔子は、彼の直情、軽率さを時に咎めつつも、率直な性質を愛したようです。一方、子路が孔子のいさめ役になる場合もあり、そんなとき孔子は子路の諫言をほとんど聞き入れています。2人は、まさに信頼しあう師弟だったのでしょう。

 さらに3番目が子貢(しこう)で、本名を端木賜(たんぼくし)といいます。孔子より31歳年下の彼は、すぐれた外交官であり、また金儲けの名人でした。値段の安い品を大量に仕入れておいて、高くなったら売るというやり方で富を成し、それを孔子や教団のために惜しげもなく使っていたそうです。また、話の聴き上手で、『論語』のなかには、子貢でなければ引き出せなかったであろう孔子の名言が、いくつも収められています。孔子の死後は、弟子たちの実質的な取りまとめ役を担いました。


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