本文へスキップ

諸子百家がんばれ高校生!

墨子

中国戦国時代初期の思想家(前470年?~前390年?)。墨子は墨翟(ぼくてき)の尊称で、また墨家の主張を集めた書も『墨子』という。ただし、墨とは入墨の刑のことで、儒家などが卑しんで呼んだものともいわれる。魯に生まれて宋に仕えたというが、経歴はほとんど不明。当時最下層であった工人身分で、礼楽を軽視し、勤労と節約を尊んだ。多くの職能民を規律ある集団にまとめあげ、血縁によらない普遍的・無差別的博愛や反戦・平和を説いた。

 墨家の創始者である墨子は、墨翟(ぼくてき)の尊称ですが、姓の「墨」は入れ墨の刑のことですから、本名ではなく、上層貴族やライバルの儒家などが卑しんで呼んだものともいわれます。出身地は魯(ろ)あるいは宋であるとされ、その生涯についてはほとんど不明ですが、戦国時代のはじめには、魯を拠点として集団を組織し、活動を開始していました。下層庶民の代表を自認する彼は、「墨」という呼び名をむしろ誇りとして集団の称としたようです。
 
 当時の中国は、封建的社会体制が崩れる過程にあり、各国は自国内の中央集権的専制化を進める一方、対外的には侵略戦争による強大化をはかっていました。これに反対するため墨子は、かつて君主や貴族に隷属していた職能人らを大勢集め、最高リーダー鉅子(きょし)の統率によって、精鋭な思想集団、軍事組織へ変容させていきます。彼らのモットーは兼愛(相互愛の普遍化)と非攻(反戦平和)の実現であり、そのための王侯・貴族への説得術や、被侵略国を救援する城郭守禦といった実践活動を指導しました。
 
 そして墨家集団は、大国の侵略戦争によって落城の危機に瀕した城邑があると、どこであろうと救援にかけつけ、多彩な守備技術によって弱小国を助けるようになります。なお、『墨子』公輸篇には次のような説話が載っています。

――あるとき楚の王は、伝説的な大工の公輸盤が開発した新兵器・雲梯(攻城用のはしご)を用いて、宋を併呑しようと画策した。それを聞きつけた墨翟は急きょ楚に赴いて、公輸盤と楚王に、宋を攻めないように迫った。宋を攻撃する非を責められて困った楚王は、「墨翟が公輸盤と机上で模擬攻城戦を行い、墨翟がそれで守りきったなら宋を攻めるのは白紙にしよう」と提案する。
 
 さっそく両者による机上模擬戦が行われ、その結果、墨翟は公輸盤の攻撃をことごとく撃退し、しかも手ごまにはまだまだ余裕があった。王の面前で面子を潰された公輸盤は、「自分には更なる秘策があるが、ここでは言わないでおきましょう」と意味深な言葉を口にした。そこですかさず墨翟は「秘策とは、私をこの場で殺してしまうことでしょう。しかし、すでに私の策を授けた弟子300人を宋に派遣してあるので、私が殺されても弟子たちが必ず宋を守ってみせます」と答え、再び公輸盤をやりこめた。
 
 一連のやりとりを聞いていた楚王は感嘆し、宋を攻めないことを墨翟に誓った。こうして墨翟は宋を亡国の危機から救った。ところが楚からの帰り道、宋の城門の軒先で雨宿りをしていた墨翟は、乞食と勘違いされて城兵に追い払われてしまった。――
 
 何より墨家のすごいところは、強国に侵略されている小国があれば、実際にその地に赴き、傭兵となって強国に立ち向かったことです。城を守るノウハウを蓄積し、防御用の兵器も開発し、命がけで戦った彼らは、無念にも敗れたときは自害までしています。現代のどこかの平和団体のように、自分たちは安全なところにいて、ただ「反戦、反戦!」と叫んでいるのとは訳が違います。
 
 墨子は、最初は儒学を学んでいたようです。しかし、やがて孔子のいう「仁」は身内や特定の者だけを大切にする「差別愛」なのではないかと疑うようになり、それが戦争の原因になっていると考えます。社会の混乱は「互いに愛し合わない」から生じるのであり、盗賊は我が身だけを愛して他人を愛そうとはしない。だから他人から奪って我が身に利益をもたらそうとする。諸侯は自分の国だけを愛して他国を愛そうとはしない。だから他国を侵略して自国に利益をもたらそうとする。これらはみな、互いに愛し合わないことが原因になっているのだ、と。
 
 そして、墨子は「兼(ひろ)く愛する」という意味の「兼愛(けんあい)」を説きます。他人の家と自分の家とを同一視するなら、誰が盗んだりしようか。他国と自国を同一視するなら、誰が侵略したりするだろうかと述べ、自己と他者を区別せずに愛しなさいと主張したのです。さらに墨子は、一人の人間を殺せば正義に反するとして死刑になり、10人の人間を殺せば死刑10回分の罪に相当する、それなのに戦争で100人の人間を殺すのは正義だと褒めたたえる。そんなバカなことは絶対に許されないと訴えます。

 やがて墨家の勢力は儒家の勢力と拮抗し、儒家と墨家をあわせて「顕学」と称されるようになりました。しかし、儒家の孟子は墨家を激しく忌避し、次のような言葉を残しています。
 
「楊朱(快楽主義を主張した人物)や墨翟の言が、天下に満ちている。楊朱の言葉でないものは墨翟の言葉であるほどのありさまだ。楊朱は自分のことを考えることばかり主張し、これは君を無視するものだ。墨翟は兼愛を主張するが、これは父を無視するものだ。父を無視し君を無視する者は、人間ではなく禽獣である」
 
 ずいぶんひどい言われ様ですが、一方では、覇権争いのため軍拡に没頭していた諸侯の立場からは、その平和主義的な思想が相容れなかったところもあったようです。やがて墨子が亡くなると、墨家は2つあるいは3つの集団に分裂し、互いに相手を「別墨」と蔑称するようになりました。そして秦が天下を統一した頃に急速に衰退し、忽然と歴史から姿を消してしまったのです。
 
 とまれ、長い世界の歴史のなかで、これほど実行力のある熱い人たちが実際にいたという事実は、大いに刮目すべきことと思います。

墨子の言葉から

  • 兼ねて相(あい)愛し、交々(こもごも)相(あい)利する。
    意味:差別なくお互いに愛し合い、代わるがわるお互いに利益を与え合う。
  • 凡(およ)そ天下の禍簒怨恨(かさんえんこん)、其の起こる所以(ゆえん)の者は、相(あい)愛せざるを以て生ずる也。
    意味:すべて、天下の禍や簒奪や怨恨は、お互いに愛し合わないことから生じる。
  • 何を以(もっ)て天の天下の百姓(ひゃくせい)を愛するを知るや。其(そ)の兼(かね)て之(これ)を明らかにするを以てなり。
    意味:何によって天が天下の人々を愛していることが分かるのか。それは天がすべての人々を明るく照らしているからである。
  • 安居(あんきょ)なきに非(あら)ず、我に安心なきなり。
    意味:安心して居られる場所が無いのではなく、自分の心が安らかでないから安心して居られないのだ。
  • 有命を執(と)る者は不仁なり。
    意味: 運命を説く者は不仁である。
  • 万事義より貴(たっと)きは莫(な)し。
    意味:何ごとも義より貴いものはない。
  • 義を為すは毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就(つ)くに非(あら)ず。
    意味:義を行うのは、非難を避けて名誉を求めるためではない。
  • 天は義を欲して不義を憎む。然(しか)らば則ち天下の百姓(ひゃくせい)を率いて義に従事せば、則ち我(われ)乃(すなわ)ち天の欲する所を為すなり、我天の欲する所をを為さば、天も亦(また)我が欲する所を為さん。
    意味:天は義を欲して不義を憎む。だから天下の人々を導いて義を尽くせば、それが天の欲することを為していることになり、自分が天の欲することを為せば、天もまた自分の欲する所を為してくれるだろう。
  • 為(な)す所(ところ)名(めい)を善くするは巧(こう)なり。盗(とう)を為すが若(ごと)し。
    意味:行動するに際し、名声を求めるのは偽ることであり、盗みをするようなものである。
  • 良弓(りょうきゅう)は張り難く、然(しか)れども以て高きに及び深きに入(い)るべし。
    意味:良い弓は反りが強くて張りにくいが、だからこそ高く飛び、深く入ることができる。
  • 江河(こうが)は小谷(しょうこく)の己(おのれ)を満たすを悪(にく)まず、故に能(よ)く大なり。
    意味:長江や黄河のような大川は、小さな谷川が流れ込むのをいやがらない。だからあのように大きい。
  • 聖人は、事(こと)辞すること無く、物 違(たが)うこと無し、故に能(よ)く天下の器(き)と為(な)る。
    意味:聖人は、物事を拒むことなく、避けることもしないから、天下の器となる。
  • 爵位(しゃくい)高からざれば則ち民(たみ)敬せず、蓄禄(ちくろく)厚からざれば則ち民信ぜず、政令断ぜざれば則ち民畏れず。三者を挙げて之を賢者に授くるは、賢の為に賜うに非ず、其の事の成らんことを欲するなり。
    意味:爵位が高くなければ人民は尊敬せず、俸禄が厚くなければ人民は信用せず、政令が断行されなければ人民は畏服しない。これら三つを挙げて賢者に授けるのは有能なための恩賜であはなく、政治が成功するのを願うからである。
  • 聖人は天下を治むるを以て事を為す者なり。
    意味:聖人は天下を治めることを任務とする者である。
  • 賢(けん)を尚(とうと)ぶは、政(まつりごと)の本(もと)なり。
    意味:賢士を尊ぶことは、政治の根本である。
  • 意を得るも、賢士挙げざるべからず。意を得ざるも、賢士挙げざるべからず。
    意味:君主は、得意の時期にあっても賢士は任用しなくてはならない。また、不得意な時期にも賢士は任用しなくてはならない。
  • 上(かみ)に過ち有れば則ち之をうかがいて以て諫(いさ)め、己(おのれ)善有れば、則ち之を上に訪(はか)り、而(しか)して敢(あえ)て以て外に告ぐる無し。
    意味:(忠臣は)上司に過失があるときはそれとなく諫め、自分に手柄があっても上司のものとし、それを声高に言わない。
  • 美善(びぜん)上(かみ)に在りて、怨讐(えんしゅう)下(しも)に在り。安楽上に在りて憂慼(ゆうせき)下に在り。此(こ)れ翟(てき)の所謂(いわゆる)忠臣なる者なり。
    意味:美や善は上に集まり、怨みは下に向かい、安楽は上にあって憂いは下に集まる。これが私の言う忠臣である。

目次へ

がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

バナースペース

『墨子』

書物としての『墨子』は、実際は墨翟の弟子たちによって、徐々に作成されたもの。もとは71篇あったとされ、18篇が失われ、現存するのは53篇。そこで伝えらえる主要な思想は以下のようなもの。
 
兼愛(広く愛すること)
非攻(他国への侵略を否定)
尚賢(貴賤を問わず賢者を登用すること)
尚同(全体の価値基準を一つにすること)
節用(無駄をなくして倹約する)
節葬(祭礼を簡素にすること)
非命(人々を無気力にする宿命論を否定)
非楽(人々を悦楽にふけらせる舞楽を否定)
天志(天の意思を尊重)
明鬼(善悪に応じて賞罰を与える鬼神の存在を主張)


 

 

目次へ