老子は、中国の春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)に活躍したとされる思想家です。諸子百家のうちの「道家」は老子の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた「道教」は彼を始祖に置いています。しかしながら、老子を、神話上の人物にすぎない、あるいは歴史上の複数の人物を統合させたものだとして実在を疑う考えもあり、未だ確定には至っていません。
また老子の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称だとも考えられています。なぜなら、老子の本名はもともと「李耳」であり、当時はたとえば孔子、孟子など、有名な思想家たちはみな、姓に「子」という尊称をつけて呼ばれていたのに、彼だけが「李子」ではなく「老子」になっているからです。なぜそうなったのかも分かっていません。
老子の履歴に関する記述は、司馬遷が編纂した歴史書『史記』の「老子韓非列伝」の中に出てきます。これによると、出身は「楚」の苦県(河南省鹿邑)で、その後、周王朝の書庫の記録官として働きました。ここで古の著作に多く触れる機会を得た老子は、正式な学派を開いてはいないものの、多くの学生や高貴な門弟へ教えを説いたとされます。儒教の始祖である孔子が、「礼」の教えを受けるために老子を訪ねてきたという記述もあることから、孔子と同時代の人だったことになります。
老子は道徳を修め、その思想から、自分が有名になることは望んでいませんでした。そして、長らく周の国に暮らすうちにその衰退を感じ、この地を去ろうと決意します。老子が国境の関所(函谷関とも散関ともいわれる)に着くと、関所の役人になっていた弟子の尹喜という人物につかまってしまいます。彼は老子に訴えました。
「先生はまさに隠棲なさろうとお見受けしましたが、どうかこの国境を越える前に、私に先生の教えを書き残していただけませんか!」
老子は自分の哲学を書き残すつもりはなかったようですが、弟子の熱心な願いに応じました。こうして書かれたのが、後世に伝わる『老子道徳経』だとされます。この書を残した老子は、いずことも知れない処へ去ったといい、その後のことは不明です。道徳を解明するためにインドへ向かったとか、さらに老子が仏陀に教えを説いたとも、あるいは後に仏陀自身となったという話もあります。
なお、『老子道徳経』の書の原本は残っておらず、伝本によって多少の違いはあるものの、上下2巻、おおむね5000文字程度からなっています。さらに今に伝わる『老子道徳経』には、後の道家たちによる記述が多く紛れ込んでいるといいます。どれが本物でどれが偽物か分からず、抽象的で難解な記述と相俟って、この書から単純に老子の哲学を知ろうとするのは難しいとされます。
老子の思想は、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す「道(タオ)」を概念の中枢に置いています。個人的あるいは政治的な成功を勝ちとるための「無為自然」のあり方を説き、そのための根拠づけとしたのが「道」です。「道」とは「これを見ようとしても見えず、これを聴こうとしても聞こえず、混ざり合って一となる」、天地万物に先だって独立自存する感覚を超えた存在であり、しかも大きな現実的な働きを遂げているというものです。
そして、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」ものであり、人間を含む世界の存在は、すべて「道」によって、それぞれのあり方を、あるがままに遂げている。ところが、人間だけは私的な意欲によってしばしば「道」を逸脱し、それが不幸の元になる。そこで、ただ道にのみ従って「無為自然」の立場に身を置き、無欲になって、他人にぬきんでて自分を顕わすようなことをせずに、弱々しくへりくだっていくのがよい。「無為」であればすべてが成し遂げられ、「道」の大きな働きは、その働きの跡を残さない自然なあり方であるから、人はそれを模範として「道」の世界に帰れ、といいます。
老子はまた、このような言葉も残しています。「学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、もって無為に至る」。つまり、学問をすればさまざまな知識や分別が増えていくけれども、道(タオ)をなせばそれらを放棄して減らしていくことになる。そうして無為の境地に至ることができれば、「無為にして為さざるは無し」、すなわち、何もしなくとも物事は自然に起きてくる、というのです。
このような老子の思想は、孔子をはじめとする儒家が唱える「仁」「義」「礼」「智」「信」を求める考え方とは対照的な立場にあります。孔子によれば、人間は成功するためにさまざまに尽くさなければいけないのに対し、老子の考えに従えば、「仁・義・礼・智・信」などが必要とされるのは、むしろ現実にそれらが少ないという裏返しであり、道(タオ)の存在する理想的な世界においては全く無意味で必要のないもの、ということになります。
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老子の言葉から
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老子に圧倒された孔子
儒教の開祖である孔子が、まだ若かった頃、大先輩である老子に「礼」について教えを乞うために会いに行ったことがあります。当時、必死に「礼」を広めようとしていた孔子に対し、老子はこう冷ややかに言い放ちました。
「君が言っている『礼』なんてものは、それを唱えた昔の聖人の骨がすっかり朽ち果てて、言葉だけが空虚に残ったものにすぎないよ。立派な商人はお宝を隠して店を空っぽに見せるし、本当に徳のある人は一見バカみたいに見えるものだ。そのギラギラした野心や大層な身振りを捨てなさい。君の役には立たないからね」
完全に論破され、圧倒された孔子は、弟子たちの元へ帰ると、興奮冷めやらぬ様子でこう語ったといいます。
「鳥が飛ぶのは知っているし、魚が泳ぐのも知っている。しかし、龍が風雲に乗って天に昇るのだけは、私には理解できない。今日、私は老子に会ったが、彼はまさに『龍』のような男だった」
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