老子
中国春秋時代の哲学者(前571年?~前471年?)。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。諸子百家のうちの道家は老子の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。書物『老子』(または『道徳経』)を書いたとされるが、その経歴については不明な部分が多く、老子の実在そのものが疑問視されたり、生きた時代についてもさまざまに議論されたりしている。
老子は、中国の春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)に活躍したとされる思想家です。諸子百家のうちの「道家」は老子の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた「道教」は彼を始祖に置いています。しかしながら、老子を、神話上の人物にすぎない、あるいは歴史上の複数の人物を統合させたものだとして実在を疑う考えもあり、未だ確定には至っていません。
また老子の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称だとも考えられています。なぜなら、老子の本名はもともと「李耳」であり、当時はたとえば孔子、孟子など、有名な思想家たちはみな、姓に「子」という尊称をつけて呼ばれていたのに、彼だけが「李子」ではなく「老子」になっているからです。なぜそうなったのかも分かっていません。
老子の履歴に関する記述は、司馬遷が編纂した歴史書『史記』の「老子韓非列伝」の中に出てきます。これによると、出身は「楚」の苦県(河南省鹿邑)で、その後、周王朝の書庫の記録官として働きました。ここで古の著作に多く触れる機会を得た老子は、正式な学派を開いてはいないものの、多くの学生や高貴な門弟へ教えを説いたとされます。儒教の始祖である孔子が、「礼」の教えを受けるために老子を訪ねてきたという記述もあることから、孔子と同時代の人だったことになります。
老子は道徳を修め、その思想から、自分が有名になることは望んでいませんでした。そして、長らく周の国に暮らすうちにその衰退を感じ、この地を去ろうと決意します。老子が国境の関所(函谷関とも散関ともいわれる)に着くと、関所の役人になっていた弟子の尹喜という人物につかまってしまいます。彼は老子に訴えました。
「先生はまさに隠棲なさろうとお見受けしましたが、どうかこの国境を越える前に、私に先生の教えを書き残していただけませんか!」
老子は自分の哲学を書き残すつもりはなかったようですが、弟子の熱心な願いに応じました。こうして書かれたのが、後世に伝わる『老子道徳経』だとされます。この書を残した老子は、いずことも知れない処へ去ったといい、その後のことは不明です。道徳を解明するためにインドへ向かったとか、さらに老子が仏陀に教えを説いたとも、あるいは後に仏陀自身となったという話もあります。
なお、『老子道徳経』の書の原本は残っておらず、伝本によって多少の違いはあるものの、上下2巻、おおむね5000文字程度からなっています。さらに今に伝わる『老子道徳経』には、後の道家たちによる記述が多く紛れ込んでいるといいます。どれが本物でどれが偽物か分からず、抽象的で難解な記述と相俟って、この書から単純に老子の哲学を知ろうとするのは難しいとされます。
老子の思想は、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す「道(タオ)」を概念の中枢に置いています。個人的あるいは政治的な成功を勝ちとるための「無為自然」のあり方を説き、そのための根拠づけとしたのが「道」です。「道」とは「これを見ようとしても見えず、これを聴こうとしても聞こえず、混ざり合って一となる」、天地万物に先だって独立自存する感覚を超えた存在であり、しかも大きな現実的な働きを遂げているというものです。
そして、「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」ものであり、人間を含む世界の存在は、すべて「道」によって、それぞれのあり方を、あるがままに遂げている。ところが、人間だけは私的な意欲によってしばしば「道」を逸脱し、それが不幸の元になる。そこで、ただ道にのみ従って「無為自然」の立場に身を置き、無欲になって、他人にぬきんでて自分を顕わすようなことをせずに、弱々しくへりくだっていくのがよい。「無為」であればすべてが成し遂げられ、「道」の大きな働きは、その働きの跡を残さない自然なあり方であるから、人はそれを模範として「道」の世界に帰れ、といいます。
老子はまた、このような言葉も残しています。「学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、もって無為に至る」。つまり、学問をすればさまざまな知識や分別が増えていくけれども、道(タオ)をなせばそれらを放棄して減らしていくことになる。そうして無為の境地に至ることができれば、「無為にして為さざるは無し」、すなわち、何もしなくとも物事は自然に起きてくる、というのです。
このような老子の思想は、孔子をはじめとする儒家が唱える「仁」「義」「礼」「智」「信」を求める考え方とは対照的な立場にあります。孔子によれば、人間は成功するためにさまざまに尽くさなければいけないのに対し、老子の考えに従えば、「仁・義・礼・智・信」などが必要とされるのは、むしろ現実にそれらが少ないという裏返しであり、道(タオ)の存在する理想的な世界においては全く無意味で必要のないもの、ということになります。
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老子の言葉から
- 上善(じょうぜん)は水のごとし。
意味:最もよい生き方は、水のようにあらゆるものに利益を与え、自らは低い位置にいることである。
- 敢(あ)えて天下の先(さき)たらず
意味:あえて人々の先頭に立たない。そういう人こそ、逆にリーダーとして担がれる。
- 与うるは善く仁、言は善く信。
意味: 人に与えるときは仁愛の心をもってし、報いを求めてはいけない。言ったことは必ず実行し、信(まこと)を尽くさなくてはいけない。
- 天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疎にして漏らさず。
意味:天が張りめぐらした網の目は広々としていて、まばらではあるが、決して目こぼしはしない。
- 賢者は、人の上に立たんと欲すれば人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。
- 大匠(たいしょう)に代ってけずる者はその手を傷(やぶ)る。
意味:名人に代って素人が木を伐ると自分の手を傷つける。 実力のない者が専門家のまねをすると必ず失敗する。
- 真言は美ならず、美言は真ならず。
意味:まことのある言葉は美しくはなく、美しい言葉にまことはない。
- 善き者は弁ぜず、弁ずる者は善からず。
意味:善人はあれこれ弁じ立てることはせず、あれこれと弁じ立てる人は善人ではない。
- 知る者は博(ひろ)からず、博(ひろ)き者は知らず。
意味:真実を知っている人は博識ではなく、博識ぶる人は真実を知らない。
- 知りて知らずとするは、尚(しょう)なり
意味:知っていても知らないふりをするのがよい。
- 足るを知るの足るは、常に足る。
意味: 満足することの意味を知ってこれでよいと満足するなら、いつでも満足できる。
- 足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず。
意味:もうこれでよいと満足することを知れば恥をかくこともなく、ここでよいと立ち止まることを知れば危険にあうこともない。
- 多言はしばしば窮(きゅう)す。
意味:しゃべりすぎると、しばしば行き詰まる。
- 法令ますます彰(あき)らかにして、盗賊多くあり。
意味:法令が細かくなればなるほど、盗賊は増えていく。
- 功(こう)遂(と)げ身(み)退(しりぞ)くは、天の道なり
意味:仕事を成し遂げた人は、身を引くことによって、それまでの功績や名声を全うできる。
- 罪は欲すべきより大なるは莫(な)く、禍(わざわ)いは足るを知らざるより大なるは莫し。
意味:罪の中では、貪欲ほど大きな罪はなく、禍いの中では、満足を知らないほど大きな罪はない。
- 企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。
意味:背伸びする人は長く立っていられず、大股で歩く人は遠くまで行けない。
- 大道(だいどう)廃(すた)れて仁義あり。
意味:本当の道がなくなったからこそ、仁愛や正義がもてはやされるようになる。
- 国家 昏乱(こんらん)して忠臣あり。
意味:国家が乱れるからこそ、忠臣ぶった臣下が現れてくる。
- 天道は親(しん)なく、常に善人に与(くみ)す。
意味:天の道理は、えこひいきすることなく公平で、いつも善人の味方をする。
- 善く人を用うる者は之(これ)が下(しも)となる。
意味:うまく人を使う人は、逆にその人の下につく。
- 善く行く者は轍迹(てつせき)なし
意味:上手に歩く人は足跡を残さない。立派な仕事を成し遂げた人は、これは自分がやった仕事だなどという記録を残さない。
- 知る者は言わず、言う者は知らず。
意味:本当に知っている人は何も言わない、分かったようなことを言う人は本当は知っていない。
- 人を知る者は智なり、自ら知る者は明(めい)なり
意味:人を知る者は智者であるが、自分を知る者こそ明知の人である。自分を知ることは難しい。
- 功成り身退くは、天の道なり。
意味:やるべき仕事をなし終えたら、さっさと引退するのが正しい生き方である。
- 曲(きょく)なれば則(すなわ)ち全(まった)し。
意味:自己を主張せず曲げて人に従っているほうが、いつか目的を達することができる。
- 怨みに報いるに徳を以てす。
意味:怨みのある人に報復するには、恩恵を施す。
- 軽諾(けいだく)は必ず信すくなし。
意味:軽々しく引き受けるような人は信頼されにくい。
- 九層の台も塁土(るいど)より起こる。
意味:九階もある高楼も、土を積み重ねることから始まる。
- 大巧(たいこう)は拙(せつ)なるがごとし。
意味: 最も上手なものは、一見下手に見える。
- 学を絶てば憂い無し。
意味:学問をやめれば心配もなくなる。よけいな知識が増えるごとに無用の悩みが生じてくる。
- 終わりを慎むこと始めのごとくんば、則(すなわ)ち敗(やぶ)るること無し。
意味:最後まで最初と同じように慎重にすれば、失敗することはない。
- 大弁(たいべん)は訥(とつ)なるがごとし。
意味:本当の雄弁家は、一見したところでは口べたに見える。
- 夫(そ)れ礼は忠信の薄(はく)にして、而(しこ)うして乱のはじめなり。
意味: そもそも礼が重視されるのは、まごころや信頼が薄くなった結果であり、世の中の乱れの始まりである。
- 物 壮(さか)んなれば則(すなわ)ち老ゆ。
意味:何ごとも盛んなときを過ぎれば必ず老い衰えていく。
- 千里の行(たび)も、足下(そくか)より始まる。
意味:千里の旅も足もとの一歩から始まる。
- 大国を治むるは、小鮮(しょうせん)を烹(に)るがごとくす。
意味:大きな国を治める方法は、小魚を煮るとき、煮くずれないようあまりつつき回さないのと同じで、人民にくどくどと干渉しないのがよい。
- 得難きの貨は人の行いを妨げしむ。
意味:得難い財貨を手に入れようと四苦八苦していると、やがて人生をあやまる。
- 怨(うら)みに報(むく)いるに徳(とく)を以(も)ってす
意味:昔の怨みにこだわることなく、つねに善意をもって他者に対せよ。
- 其の鋭(えい)を挫(くじ)き、其の紛(ふん)を解き、其の光を和(やわ)らげ、其の塵(ちり)に同じうす
意味:鋭い部分はなくしたほうがいい。複雑なことばかり考えるのはよくない。煌びやかに光るものがあれば、意識的にぼかして塵と溶け合うようにせよ。
- 少なければ、則ち得る。
意味:欲望の少ない人は、かえってものを得る楽しみを持つ。
- 禍(わざわい)は福の倚(よ)る所、福は禍の伏(ふ)す所。
意味:禍には福がよりそっており、福には禍がひそんでいる。
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