荀子
中国戦国時代末の思想家(前298年?~前238年?)。趙の出身で、姓は荀、名は況。斉に遊学し、「稷下の学」で学長職を務め、のち楚に仕え蘭陵県の令となった。
孔子の教えを受け継ぎ、諸子の思想を批判・摂取。孟子の性善説に対し性悪説を唱えたが、善への可能性を認め、悪である性を礼によって矯正すべきことを主張した。この説は法家的色彩が強く、その門下から韓非
(かんぴ) や李斯 (りし) らの法家が出た。その著『荀子』20巻は現存する。
荀子の生没年は正確には分かっていないものの、孔子のおよそ200年後の人です。趙の出身で、斉に遊学し、そこで頭角をあらわし、学者集団である「稷下(しょくか)の学」の学長を務めるほどになりました。しかし、讒言にあって失職、次に向かった楚では、宰相・春申君に採用されて地方長官となっています。
そうした経歴をもつ荀子は、一方では、孟子と並ぶ孔子の偉大な後継者の一人で、孟子が孔子の「仁」の教えを受け継ぎそれを完成したのに対し、荀子は「礼・義」の教えを受け継いで完成したとされます。当時の政治は、人の行い(君主の施政)が天からの禍福をもたらすという「天命思想(天人相関説)」によって支配され、祭祀儀礼がもっとも大切に扱われてました。「天」や「天命」は、自然であると同時に神のような概念でも捉えられていたのです。
孔子はそれらに取って代わるものとして「礼」を提唱したわけですが、荀子はさらに論を進めます。人為、たとえば悪政が行われたからといって、それが原因で珍しい自然現象や天変地異が起きるわけではないし、徒に恐れる必要はない。そういったものはあくまで自然界の法則であって、またいつの世にも起きるのであるから、君主が善政を行ってさえいれば、それらが起きても国が揺らぐことはない。むしろ恐ろしいのは、人間がもたらす害悪の方である、と。
さらに、君主が雨乞いをさせたり占いで物事を決めたりするのは、大衆を安心させるための飾りにすぎないのに、それらに神秘的な力があると思うことは「凶」であるとさえ言っています。今となってはどうってことない当たり前の論ですが、当時はそれが最新の”科学”でもあったわけです。それを荀子をきわめて現実的かつクールに否定し、君主に対し「礼」と「義」に基づく責任ある政治を行うよう求めたのです。「礼・義」は天から独立した人間の規範であるからです。
そのような現実主義者であった荀子は、孟子による「性善説」は間違っているとして、次のように批判しました。
古今、善といわれるのは、世間が正しく平和に治まっている状態のことであり、悪というのは偏り乱れている状態のことである。これが善と悪の分かれ目となる。今、本当に人の性として正しく平和に治まっているというのなら、なおその上に、聖王や礼儀が求められるのはなぜか。
実際には人の性は悪である。人は生まれつき利益を好むから奪い合いが生じ、生まれつき人を憎むから殺し合いが生じ、本性のままに行動していれば、秩序が崩壊してしまう。だから、昔の聖王はそうならないために、君主の権勢を確かにして人々に臨み、礼儀を明らかにして人を教化し、法や刑罰によって治め、善に合致させようとしたのである。従って、礼は政治の極致であり、国家を強固にする根本である、と。
このように荀子が唱えたのが、孟子に反対する「性悪説」です。ただし、ここで注意しなければならないのは、荀子の性悪説は、真の意味の性悪説、すなわち人間の根源的な悪を指摘するというより、努力の重ね次第で人間は善にも悪にもなると説いていることです。人間の努力と、それを形式化した礼と義を重視せよというのが荀子の主張の主旨であり、彼の思想の中心となっているのです。
ここから法家にも似た厳格な思想が生まれ、それが弟子の韓非子や李斯の思想へと発展していきます。しかしながら、荀子は、孔孟を敬う人々からは異端者とみなされ、性善説を正統とする中国思想界では、長い間『荀子』の書は読まれることはありませんでした。孔子のお墓に合祀されたのも、顔回、曾参、子思、孟子の4人で、荀子は加えられていません。荀子の研究が行われたのは、ずっと時代を経た清朝時代に入ってからのことでした。
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荀子の言葉から
- 人の性(せい)は悪、その善なる者は偽(い)なり。
意味:人間の性は生まれながら悪であり、善であるのは偽りである。
- 学は以(もっ)て已(や)むべからず。青は、之(これ)を藍(あい)より取りて、藍よりも青く、氷は、水之を為(な)して、水よりも寒し。
意味:学問は途中でやめてはならない。青色は藍草から取るが藍よりも青くなり、氷は自らできるが水より冷たくなる。
- 終身の楽しみありて、一日の憂いなし。
意味:生涯をかけて叶えたい目標があるならば、日々の小さな失敗など気にならなくなる。
- 千載(せんざい)を観(み)んと欲すれば、則(すなわ)ち今日(こんにち)を審(つまみ)らかにせよ。
意味:未来を予測しようとするならば、今日のことを明確に知ることが大切である。
- 疑(ぎ)を以(も)って疑を決すれば、決(けつ)必ず当たらず。
意味:迷いながら物事を決めると、必ず失敗する。
- 言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり。
意味:発言して核心を衝くのは「知」であるが、沈黙によって核心を衝くのもやはり「知」である。
- 君子は居(お)るに必ず郷(きょう)を択(えら)び、遊ぶに必ず士(し)に就く。
意味:君子は、住むときには必ず土地を選び、交遊するときは必ず立派な人につくようにする。
- 君子は時(とき)詘(くっ)すれば則ち詘し、時伸ぶれば則ち伸ぶなり。
意味:君子は時が至らないときには屈して時に従い、時が至って伸びるときに伸び上がる。
- 君子は能あるも亦(ま)た好く、不能なるも亦た好し。小人は能あるも亦た醜く、不能なるも亦た醜し。
意味:君子というのは、才能があればすばらしいが、才能がなくてもすばらしい。小人は才能があっても見苦しく、才能がなければなおさら見苦しい。
- 君子能あれば則ち人これに学ぶことを栄とし、不能なれば則ち之に告ぐことを楽しむ。
意味:君子に才能があれば、人はその人に学ぶことを栄誉とし、もし才能がなければ、その人に教えることを楽しみとする。
- 学は其の人に近づくより便(べん)なるは莫(な)し。
意味:学問は、これぞという人について学ぶよりよい方法はない。
- 上学は神で聴き、中学は心で聴き、下学は耳で聴く。
意味:もっともよい学問の仕方は精神で聴き、次によいのは心にとめて聴く、悪いのは耳で聴くだけ。
- 流言は知者に止まる。
意味:流言やうわさは、知恵の優れた人、道理をわきまえた人のところで止まる。
- 我に諂諛(てんゆ)する者は吾(わ)が賊(ぞく)なり。
意味:自分におべっかを使い、甘い言葉をかけてくるような人間は、賊と思った方がいい。
- 道は近しといえども、行かざれば至らず。事は小なりといえども、為さざれば成らず。
意味:いくら近い道であっても、まずは足を踏み出さなければ着くことはない。いかに小さなことでも、自分でやらなければ完成しない。
- 百発も一を失すれば、善射と謂(い)うに足らず。千里も蹞歩(きほ)にして至らざれば、善御(ぜんぎょ)と謂うに足らず。
意味:弓を百発撃って一つ的を外せば、弓の名人とはいわれない。千里の道を馬で行き、半歩手前で止まってしまえば、よい御者とはいわれない。
- その子を知らざれば、その友を視よ。
意味:その人の為人がわからなければ、その友人たちを見よ。
- 夫(か)の驥(き)は一日にして千里なるも、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則(すなわ)ち亦(ま)た之(これ)に及ぶ。
意味:あの駿馬(しゅんめ)は一日に千里を駆けるといわれるが、駑馬でも十日かけて進めばたどり着ける。
- 治人(ちじん)有れども、治法(ちほう)無し。
意味:国をよく治める人というものはあるが、それだけで国をよく治める法というものはない。
- 法なる者は、治の端(たん)なり。君子なる者は、法の原(もと)なり。
意味:法は統治の端緒にすぎず、君子は法の源である。
- 礼なる者は、生死を治むるに謹む者なり。
意味:礼とは、人の生と死を整えることについて慎み深くさせるものである。
- 君子は始めを敬(つつ)しみ終わりを慎み、終始一の如し。・・・夫(か)の其の生(せい)を厚くして其の死を薄くするは、是れ其の知有るを敬みて、其の知無きを慢(あなど)るなり。
意味:君子は人の生の始めと終わりを終始一貫して慎む。・・・生きている間だけ手厚くし、死んだら軽んじるというのでは、人に知覚があれば敬うが、知覚がなければ侮るということになる。
- 勝(しょう)は急にして敗(はい)忘るるなかれ
意味:勝負には、敗れることもあるのを忘れてはならない。
- 人の患(うれ)いは、一曲に蔽(おお)われて大理(だいり)に闇(くら)きにあり
意味:人間の欠点は、物事の一面にとらわれてしまって大局的な判断ができないことにある。
- 礼は人心に順(したが)うを以て本(もと)と為す。故に礼経(れいけい)に亡(な)きも、而(しか)して人心に順う者は、皆礼なり。
意味:礼は人の心に従うのが根本である。だから、たとえ経典に載っていなくとも、人の心に寄り添うものは、みな礼である。
- 雩(う)して雨ふるは、何ぞや。曰く、何も無し。なお雩せずして雨ふるが如きなり。
意味:雨乞いをして雨が降るのはなぜか。何にもない。雨乞いをしなくても雨は降る。
- 蓬(よもぎ)は麻中(まちゅう)に生ずれば、扶(たす)けずして直(なお)し
意味:蓬は、ふつうは地べたに這うように生えるが、朝の中に生えさせると、まっすぐにすくすくと育つ。人間も同じで、周りの環境に大きく左右される。
- 青はこれを藍(あい)より取りて、而(しか)も藍より青し。
意味:弟子が師を超えることのたとえ。本来の意味は、学問は中断してはいけない、努力すればするほど精錬されてすぐれたものになる。
- 小人(しょうじん)の学は耳より入(い)りて、口より出(い)ず。
意味:小人は、学問を売り物にし、耳で聞きかじったことをそのまま口にするだけで、少しも身につかない。
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